二章 第9話 朝比奈尾道は学校へ行く
こんなにも憂鬱な日は初めてだ。まだ行ってもないのにもう帰りたい。だが学校に行くのはもう決めたことだ。ここでねじ曲げたら男が廃るし、だいたい流成さんと……夜空にも悪い。
半年もクローゼットにしまわれていた制服のブレザーを取り出す。防虫剤と除湿剤のおかけで全く着れないということも無かったが、何せ半年もしまっていたのだ。埃っぽくて着ようとすると鼻がムズムズしてくる。
どうしようもないのでとりあえず軽く手で払って、近くにあるバッグを取る。そういや、何持ってけばいいんだ……。まあ今日は学期始めなので始業式だけだろう。そう思い、適当に必要そうなものだけ入れる。
ふと時計を見ると、もう八時を回っている。確かうちの学校の始業時間は八時半なので急いだ方がいいだろう。そう思い階下へ行く。
そこで母と会う。
「あ、尾道おはよー、ってその服は私服じゃないよ?」
「いや、知ってる。じゃあ行ってくるから」
俺が答えると母は小首を傾げる。
「あれ? 仕事辞めたんじゃ?」
「うん、辞めたよ。だから学校、行ってくるわ」
シューズを履き始める。今日は家がやけに静かだと思い、後ろにいる母を見てみる。するとそこにはポカンを口をだらしなく開ける母の姿があった。
埒があかないと思い、さっさと家を出る。その背中に母の絶叫が降り注いだ。
久しぶりに通学路を歩く。冬の朝は寒く、身に堪えるものがある。しかし不思議と冬の乾いた風に当てられると悪い気分はしなかった。
少し急がないとまずいかと一瞬、思うがどうせいつも学校に行ってないのだ。少しくらい遅れてもそのことにはお咎めはないだろう。……遅刻にはね。
それにしてもお腹がすいた。流石に学校に行く日に朝食を抜きはきつい。昨日までは休みの時は朝食は抜きだった。ついでに言うなら昼食も抜きだった。
基本的に夜型の生活を送っていたので朝の七時就寝、昼の三時起床とか壊滅的な生活を送っていたものだ。朝に腹が減るのも仕方がない。
そうこうしているうちに学校に着く。校門に入った瞬間、予鈴が鳴る。どうやらギリギリセーフのようだ。
「ふぅ……」
思わず息が漏れる。これはなんとか間に合ったことへの安心感半分、そしてこれから予想される状況への憂鬱半分の息だろう。不純すぎて環境に悪い。
半年も行っていないと忌々しかった学校にも懐かしさを感じるものだ。そう思う一心で目をつぶり、感傷に浸る。……駄目だ。ゴミを見るような目しか思い出せない。
嫌なトラウマを思い出してしまい、気分がブルーになる。帰りたい……。
がくっと頭が下がる。登校初日でこれとか……。三日でダウン、七日でノックアウトしそう……。
「……っと!」
下を向いていたせいで前がよく見えておらず誰かに激突しかける。しまった。これが教師なら不味すぎる。そっと上を向くとそこには見知った顔がいた。
「ああ、なんだ……春野か。安心したわ」
言いながら春野を避けていく。これもう朝のホームルーム始まってたりしてない? 大丈夫? 俺、目立ちたくないんすけど……。あ、そういや不登校でちょっと目立ってるな。
「え、え……ええ? ええええええ!?」
こいつ「え」だけで感情表現するの上手いな。ちょっと感心していると春野が俺の肩をがっと掴んでくる。
「どど、どうして!? 絶対に学校行かないんじゃなかったの!?」
そういやそんなことも言った。確か一月一日のことだ。
「まあ、人は変わるんだ。俺もそれは例外じゃない」
「なんかすごーく意外。ここだけは絶対に譲れないんだろうなあって思ってたんだけど」
譲れないんじゃなくて譲れなかっただけだ。今はもう違う。
「でも、来てくれて嬉しいよ」
春野はにこっと笑う。こんなに清々しい笑みは久しぶりに見たかもしれない。そのくらい春野の笑顔は隙がなく完璧だった。
「……なんでこんな時間にこんな場所にいるんだ?」
ふと全く関係ないことを尋ねる。……いや、本当にここにいた理由がわからん。
「今、校門であいさつ運動やってるの。今日はその当番」
「ふーん」
素っ気ない返事になってしまう。正直小学校、よくて中学校くらいまでなら効果がありそうだが高校にもなると挨拶するやつの方が稀だろう。その活動は無駄のように思えてしまった。
春野は全く気にしていない様子で時計を見る。
「うわっ。もうこんな時間か、早く行かないと」
春野はそう言って走り出す。俺はそれにゆっくりついていこうとするが
「ほら! 早く! 遅れちゃうよ!」
急かす声が聞こえ渋々、早足で歩く。俺と春野が一緒に入ったらまずいのわかんねぇかな。……わかんねぇよな、春野だし。
ガラリと教室の扉を開ける音がする。無論、俺が開けたのではなく、春野が開けた。その瞬間、笑い声が聞こえ教室が少し騒がしくなるのを感じる。
春野すげぇな……。入った瞬間、皆が笑顔とかほぼヒーローだろ。しかしヒーローは遅れてやってくるものだ。なら春野より遅く来た俺こそがヒーローにふさわしい。
意気揚々と教室に入ると一気に静まりかえる。外から風の音がする。……わかってたんすけどね、こうなるのは。
凶悪な怪人が来てもこんなに静かにならないぞと感じながら、席を探す。だが見つけることはできない。
「尾道くん、そこ」
春野は後ろから二番目の席を指差しながら言う。
「ああ……サンキュ」
指指された方へ歩き、やっとのことで席に辿り着く。すると俺が座ったことが合図になったかのようにざわめきを取り戻す。
俺はかなり驚いていた。ここで不登校で腫れ物みたいなやつ話しかけるだけでも勇気がいるし、リスクもでかい。そんなやつに救いの手を差しのべるやつがいるとは。そしてそれが春野だったことにも驚いた。
教室は騒々しさを取り戻したがそれもほんの束の間。先生が教室に入ってくると徐々にざわめきが収まる。
先生はぐるっと教室を見回すとある一点でその視線でとまる。なんてことはない、俺だ。というか俺しかないだろ。
「あっ、えっーと皆さんおはようございます。今日から新学期です。……」
俺なんて見えていません。幽霊かなにか? みたいな感じで話が進む。不登校だった俺を華麗にスルーとはこの先生、中々やるな。だがそこでふとあることに気づく。
こんな若い先生が担任だったか? と思う。先生はセミロングの髪を茶色に染め、服装も落ち着いた感じだが老けているとは微塵も思わない。
確かと半年以上前のあやふやな記憶を辿る。その記憶によるとこの自分が属する一年E組は老獪な男性の教師が担任だったはずだ。
担任のことに頭を回していると周りの生徒が続々と立ち出す。どうやら朝のホームルームが終わったらしい。
さて全く話を聞いていなかった。おかげで何をするのか皆目、見当もつかない。困ったと思いつつ、辺りをふらふらしていると
「話聞いてた?」
「いいや、全く」
春野の質問に正直に答えると、はあと一つため息をついてから春野は丁寧に教えてくれる。
「今から始業式だから体育館に移動って言ってたの」
「そうか。毎回毎回悪いねぇ」
どこかの親戚みたいに礼を言うと、春野は頬を赤く染める。
「い、いや学級委員長だしこのくらい……」
「そういや」
先ほどふと思ったことを言う。
「うちの担任変わった?」
すると春野は頭を掻きながら思案顔になり
「あー、いや吉野深雪先生は副担任」
「副担任?」
おうむ返しになってしまう。
「なんで忘れてるの……。四月に言ってたじゃん……」
「忘れてるんじゃない。そもそも覚えてないだけだ。それでどうして副担任が担任を?」
ふっと春野が息を吐き、教えてくれる。
「担任の男先生が病気で入院中でね。今はあの人が担任代理みたいになってる」
「ふーん。大変だな」
昔も今の先生もよく知らないので適当な合いの手になる。
「……そうだね。大変だよね……」
俺はそんなに深刻に言ったつもりはないのだが、春野の声のトーンは落ち、暗い雰囲気をまとう。えぇ……、なんでそうなるの……?
急に暗さを帯び、困惑していたがクラスメイトはとっくに体育館へ行き、春野も歩き始めている。そろそろ行かないといけないようだ。
といっても体育館の場所も忘れたのでついていくしかない。クラスのこと、担任のこと、その他もろもろ。いきなり前途多難だと感じる。
不登校のニート生活ならこんな感情は抱いていないだろう。その感情を手に入れた収穫なのかなと思いながら、廊下をゆっくりと歩き出す。
ここまで来るのに長かったと感じています。ついに今回から学校編が始まります。乞うご期待!




