序章 朝比奈尾道は面倒くさい
日本国憲法第二十六条2項には教育の義務に関して、規定されている。
しかしその義務は教育を受ける者ではなく、その保護者に規定された義務であるため、子供は教育を受けなくてもいいのだ。
ついでに言うなら教育を受ける義務があるのは、中学校までなので高校など本当なら行かなくてもいいのだ。
だから一般人が高校へ行くのは義務じゃねぇ! ただの権利なんだ! 俺が高校へ行く理由がどこにある、いやない!
9月のある平日。本来ならば、会社員は仕事を全うするため仕事場へ、学生は教養を身につけるため学校へ行くんだろうが、俺は当然のように高校を休み、我が家のリビングにあるソファーの上で駄弁りながら、母親に説いてやった。
「はいはい、そんな言い訳はもういいから」
母親は俺の主張を軽くあしらってそう言った。
俺だってこんなことは女手一つで俺を育てた母親に言いたくはない。
だが俺の快適なニート生活を満喫する上でここは譲れない。サッカーによくある絶対に負けられない戦いというやつだ。よく負けるけど。
「だいたい、学校は実際に経験することが大切とか言っておきながら、習うのは歴史とかだ。俺らにタイムスリップしろって言ってんの? 学校は」
これまた完璧な理論武装。流石にこの論理に恐れをなすかと思ったが、母親はさっきと変わらぬ態度で、
「それも言い訳ね」
とまた冷たくあしらう。
なんということだ。これでも駄目か……。母は強しだな。そう思い、次なる手を考えていると、今度は母親が攻勢に出た。
「つまり尾道は、実際に経験することが学ぶことだと考えているわけね」
「ん? まあ、そうだな」
本当にそう思っているかは微妙なところだがそう言わないと整合性が取れない。なので空返事気味で答えると、母親はさっきとは打って変わって、口元を弛ませ、ニマニマとした表情で、
「いやぁ、前ね、高校の時の同窓会があって、いろんな同級生と会ったんだよねえ」
母親は基本的にマイペースだ。だから話に脈絡がないのが当然で、こっちも話に合わせるのが大変だ。普通なら、なんとなくで聞いて理解しているが、今回ばかりは話の筋がまるで見えない。
「はあ? なんの話してんの?」
そう言ってやる。いつもならこう言うと詳細を話してくれるので、いつも通り声をかける。だが、その行動をすぐに悔やむことになる。
「その中にね、星合流成君がいてね。知ってる? 星合流成君? シングルファザーで娘が一人いるらしいよ。しかもここらへんでカフェ、経営してるって聞いたんだー」
嫌な予感がした。まさか再婚するとかいいださねぇよな……。
母親は長年、シングルマザーでその苦しみや悲しみは16歳の俺なんかが想像できるものではない。だから再婚というのは金銭面、精神面を楽にするというのでは悪くない選択だし、祝福もしてやりたい。
だが気になるのは、俺のニート生活がそれによって壊滅に追い込まれることだ。新しい父親からは「学校に行け」というオーラを静かに発せられることが容易に予想できる。言ってくれれば言い返しも出来るが、無言の圧力というのはなんかこう、逆らい難い。
母親の再婚で俺は真人間になって行くのか……。まさかそのために再婚を!?
そんなことを漠然と考えていたが、そこはうちの母親。予想の斜め下をいってくる。俺にとって……。
「で、今そこの従業員が足りなくて、困ってるそうだから、誰か代わりの人員が欲しいんだって。尾道どう?」
「うえあ?」
うっかり変な声が出てしまい、恥ずかしくなる。黙っていると、それを迷っていると捉えたのか母親は更に言葉を継ぐ。
「あ、別に心配しなくていいよ。給料はちゃんと出してくれるらしいし、人員補充されるまでのアルバイトみたいなものらしいから」
「いや、でも俺やることあるし……」
そう言い返すが明らかに失策なのに気付く。
「え? 毎日学校行ってないじゃん。あと実際に経験することが大切なんでしょ?」
呆気なく完全論破された。もうここからどんなことを言っても俺の意見を聞き入れてはもらえないだろう。
ならばやんわり嫌だということをアピールしようと、軽く表情を歪めるが、マイペースな母親には全く利かない。それどころか更に追い討ちになるようなことまで言い始める。
「カフェには流成君と娘さんしか働いてないらしいから楽だと思うよ。そうだ! そうだ! 娘さんも16歳なんだって! 同い年なら話も合うんじゃない?」
冗談じゃない。16歳ニートに同い年の女子が話しかけたいなんて思うと思ってるのか。絶対、「学校に馴染めない社会不適合者」とか「日本国の恥」とかそう思うはずだ。
それであれだろ? こっちが仕事わからないから尋ねると、「え? なんでわかんないの?」みたいな顔すんだろ。誰もがニートに優しくないんだ……。政府はそこからどうにかしようぜ……。
ここはしっかり断って、また別の機会にとか言っとこうかと口を開きかけたとき、母親はまた雰囲気を一転させ、憂いを帯びた声音で、
「私はね、尾道に好きなことさせたいとは思うよ。だから学校行かないことも悪いとは思わない。だいたい行かない理由もあることにはあるし……。だからこうやって強制して仕事のお手伝いをさせるのは、間違ってると思う」
たしかにそうだと思った。母親は俺に対して、放任主義だし、俺が幼い時に父親をなくしていることも負い目に思っているのかもしれない。だからこう強制させるのは母親らしくない。
「でもね、私は尾道が頑張ってる姿が一番好きなんだよ」
その言葉に俺は胸が痛くなる。と同時に恥ずかしくなる。痛いところを突かれたという感じだ。
確かに俺は今まで逃げていた。様々なことに対して。どこかで俺はそれを悪いと思いつつも、自分のことだからいいとなげやりな部分もあった。
しかし自分だけのことではなかったのだ。
こうやってダメな俺を見て悲しいと思う人がいる。それでも努力していた俺を好きだと言ってくれる人がいる。
そして態度にも口にも出ないが、今の停滞している俺を見て心を痛める人がいる。
それを友人とかに言われたりするなら、どうにも思わない。
しかし母親なら別だ。一人で俺を育てて来た人間をそう簡単には切り捨てられない。
だから、いつもなら言わない言葉が気づいたらこぼれ落ちていた。
「まあ、もうそろそろずっと家にいるのも飽きたと思ってたし、少しくらいなら……いいよ」
俺の言葉が嬉しかったのか、また頑張る姿が見れることが嬉しいのか、それとも俺の照れ隠しに気づいてしまったのかは知らない。
だが確実に母親は今まで見た中でもとびきり大きな笑顔で笑った。
この笑顔を見せつけられると母親には勝てない。そんなことを思ってしまう。結局、俺の論理武装など母親の前では子供の秘密基地と同じ。一見完璧に見えても周りから見ると、不完全にもほどがある。正に母は強しだな。
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