終章 未来の話〈中編〉
時間というのは過ぎ行くもの。待ってなどくれないし、待ったら待ったで迷惑だ。だから人は時の流れは残酷と言う。
だが同時に人は問題は時間が解決してくれるとも言う。一見、この二つの言葉は矛盾しているように見えるが、筋は通っているのだ。
それは喉元過ぎれば熱さ忘れるからだ。時の流れは残酷だと思っても、時が流れその辛さすらも過去になってしまえば、穏やかな感情は元に戻る。
だから時なんていうものに意味はなく、もしかしたらその場限りの、まちまちなものの連続を時と呼んでいるのかもしれない。
「店長〜。掃除終わりましたよ〜」
「ん? ああ、そうか」
「……」
「……」
「あの、次の指示ください……」
「あ、悪い」
少し考えすぎてしまったらしい。大人になって、ひねくれた所はある程度緩和されたものの、変に考え込む理屈っぽい所は変わっていない。
だからたまにこういうことがある。大人になって成長はするが、本質的な所は何も変わらないのだとつくづく実感する。
「それで本当にお姉ちゃんの夫になれるんですかね〜?」
「それを決めるのは春野だ。俺じゃないし、お前じゃないぞ、秋穂」
ニシッと笑うのは春野の妹の環秋穂。現役高校生でうちのカフェでバイトしている。
笑う感じは春野に似てるのに、馬鹿にするように茶化すのは兄の夏樹譲りだ。秋穂の双子の妹、冬海もこんな感じでふてぶてしいので困る。
「その掃除用具は片付けて、あとは暇してればいいよ」
「は〜い」
時計を見る。ふむ、だいたい十分くらいかかったか。床を見るとかなり綺麗で、十分でこれをしたと考えると、要領はいい。これは末っ子の特性だな。
「そういえば、お姉ちゃんから聞いたんですけど、高校中退ってまじですか?」
「お前……」
今日はたまたま暇で、店内に客がいないからいいものの、聞かれてたら怒るぞ。中退を気にしてはいないが、広く知らせるようなことでもない。
しかし秋穂のデリカシーのなさで、年上にここまで訊けるのは意外に大物なのかもしれないな。
「ま、その通りだよ」
「へぇ〜、意外ですね。最終学歴中卒でも店って経営できるんですね〜」
「お前、ホントデリカシーねぇな……。それでJK生活やってられるのか? 逆に心配になるわ」
「あたし、サバサバ系で売ってるんで」
あっけからんとして言い放つ。
普通にデリカシーがないだけだと思うけどな……。キャラを作ってそれに合わしてるんじゃなく、自分の性格がそのままキャラなんだろ、と言いたくなる。
「まあ、中卒で何も苦労してない訳じゃない。お前は真面目に高校には通えよ。人生、楽な方がいいから」
実際、ここまで何回学歴フィルターの困難に遭ったか。大卒か高卒ならキャリアか否かくらいの違いだが、中卒ともなると人間性を疑われたりする。カフェ開店にあたる資金調達もそれなりに苦労した。
それでもなんとかその差を埋めるために、高卒認定試験を受けたり、仕事を一生懸命して周りの目を変えようともした。
本当ならそんなことはない方がいい。自分の複雑な事情や何か強い思いがある以外は、高校は通うべきだ。そんなことを言ったつもりなのだが……。
「お義兄さん、いいこと言いますね」
「そうか?」
意外と褒められてしまい、そんな言葉が出る。
「だって人生イージーモードの方が絶対いいですもんね!」
満面の笑みで秋穂は言い返す。
……やっぱりこいつ、俺の言うことは分からなかったか。まあ、この場合なら分からない方が幸せか。こういうのは高校に行かなかったやつが考えることだし。
「てかお義兄さんはやめろ。変だし、まだ結婚してないし」
「え、でも、指輪買ったって」
「なんで知ってる……」
どこで仕入れたんだ、その情報。夏樹ならまだいい。
春野なら……今日が憂鬱だ。せっかくプロポーズしようというのに、バレているのはなんか、な。春野なら既に気づいていてもおかしくはないのだが。
今日の夕方の要らぬ心配が増えたなと思っていると、カランカランと店先の鈴が鳴る。
「いらっしゃいませー」
「久しぶり。尾道くん」
「おお……」
誰もいない店内にやって来たのは、俺の元同僚・星合夜空。パンツスーツできめていて、母親のDNAを受け継いだ銀髪は一つに纏めている。
「なんだ仕事だったのか?」
「ええ。出張ついでに。開店した時には都合で来れなかったし」
ついでと言われてしまった。だが悪気はないのだろう。夜空は忙しいらしいし、本当のことだからな。
「初めて来たけどいい所ね、ここ」
「ああ、海が絶景だろう?」
店内の窓から海が見える。寄っては返す波は何回見ても飽きない。下見に来て一発で気に入り、ここに決めたのだ。
それに加えて海開きの時期には多くの海水浴者がここを訪れる。そういう時には、まあ下世話な話だが儲かる。非常に儲かる。ガッポガッポだ。
それを夜空は見抜いたらしく、ニヤッと笑うとこう言う。
「本当にいい立地。四号店を開くならこういう所がいいわね」
「お前も経営脳に毒されてるな」
「本当にね。こういう所だけは母親譲りで、嫌になるわ」
母親の話題を出すが、その表情は穏やかだ。関係修復は考えてはいないみたいだが、その様子を見るに自分なりに納得はしているようだ。
「そうだ。オーダーは?」
「そうね。ブラックを一杯。ホットで」
注文を貰うと、早速準備を始める。それなりにいいものを出さないと、怒られてしまうしな。頑張るとしよう。
そう思い準備を始めるが、つんつんと肩を指される。
「なんだ、秋穂」
「誰ですか、あの美人な人。もしかして浮気ですかー?」
秋穂が結構、ガチな目で俺を見つめている。正に疑念MAXのそれだ。
ぶっ、と唾を吐き出しそうになる。どう勘違いしたら、そんなことになんだよ。
夜空は話が完全に聞こえていたらしく、クスクスと笑っている。
「初めまして、秋穂さん。星合夜空と言います。よろしく。尾道くんとはそうね……。同族?」
「よろしくお願いします……」
いつもなら兄譲りの傍若無人さを発揮する秋穂でさえも、夜空にはたじたじな感じだ。
それに加えて同族という意味が分からなかったのだろう。首を捻っている。まあ、これは俺と夜空にしか分からない暗号みたいなもんだ。教える気もない。
秋穂も解釈を諦めたらしく、別のことを訊く。
「あの、なんであたしの名前……」
「あなたのお姉さんにはいつもお世話になってるから」
「あ、お姉ちゃんの友達ですか?」
夜空はその質問に無言で頷く。
夜空と春野の友人関係は今も続いている。休日は買い物に出掛けているらしい。もちろんお互いに忙しいので、たまにそうしてる感じだが。
「ちなみに補足しとくと、〈三ツ星〉コーポレーションの社長な」
「えっ、社長!?」
「カフェ三店舗の経営者だよ」
「まだ小さい規模だけれどね」
夜空が遠慮ともいえる補足を入れる。
「それでも十分、凄いですよ……」
まあ、そういう反応になるよな。俺も「三ツ星」時代の勤務中にそれを聞かされた時は本当に驚いた。確かまだあの時は二十三歳くらいだったはずだ。
そこから夢を叶えて、起業して今や三店舗を抱える立派な経営者だ。ちなみに流成さんは一号店の店長をしている。
かくいう俺もここから自分の店を開くことを目標とし始めたのだ。自ら企業した夜空を追ってじゃないが、こういう選択肢もあるのだと自覚させてくれた。
「それにしてもあなたの方が驚きよ。まさか店を開くなんてね。あなたは使われてナンボだと思ってたけど」
クスリと夜空は笑う。完全に馬鹿にしているよ、まったく。
「俺も成長したんだよ」
いつも受け身でカウンター狙いの人生はもう止めた。いつだって主体的に、自分本意に。それが俺のポリシーだ。
確かそう思い始めたのは……間違いない、夜空のあのカフェでの話があったからだ。
感傷的になって、ポツリと呟く。
「色々あったから」
「そうね、色々あったわね……」
夜空は俺の言葉にうんうんと同調する。分かっていないのは秋穂だけだった。
俺はその時、ある風景がフラッシュバックする。それを最近見たと思ったが、なんてことない今日の朝の夢で見たのだ。
黒ペンキで塗り潰したように真っ黒な夜空に星が数個散らばり煌めいている、そんな風景だったと思う。
そうだ、なんで朝に懐かしいと思ったか。確かあの時も同じような風景を見ていたからだ。
明日、最終回です。前回で誰エンドかは確定しましたが、どういうプロセスを辿ったかはまだ投稿分にありません。明日それが分かります……。お楽しみに。