砂漠と剣姫
死の間際には時間が通常の何倍も遅く流れる、という話はどこで見聞きしただろう。
もしそれが事実だとするならば、今それを実際に体験しているのかもしれない。
目を閉じてから今まで、あの大きなサソリの尾針が未だ体のどこにも刺さっていない。もし目を開ければちょうど針がゆっくり迫っているところを見れるかもしれない、これは貴重な経験になるかも……
「……あれ?」
来ない。いい加減にあのデカい針がぶっすり刺さっていてもいいはずなのに、ぐさっと来ない。
時間が何倍も遅くなっていると言っても、もう目を閉じてから一分くらい経つ気がする。
何があったのか。サソリの針から逃げられるような距離じゃなかった。あの振りかざした尾針を地面でもがくオレに刺すだけで、こんなに時間がかかるわけがない。
オレは真実を確認すべく目を開こうとして……誰かに、襟を思いっきり引き倒された。が瞼を開いたオレの目に見えたのは、からりとよく晴れた青空だった。
「たああぁっ!」
勇ましい掛け声。女の声だ。さっきまで戦ってたあの女が駆けつけてくれたんだろうか。
今度こそ真実を見るべく、オレは慌てて体を起こす。
「ダメじゃないですか! 虫避けの粉かけないからこんな目に……」
で、早速怒られた。
剣をその場に放り投げながらまくし立てるのはやっぱり、あの女だ。そばで真っ二つになっているのは、さっきまでオレに襲い掛かろうとしていたサソリだろう。生き物の断面ってのは、あんまり見てて気持ちのいいもんじゃないが――
――どうやら、再び命の危機は去ったらしい。
それにしても、このバケモノみたいなサソリはいったい何なんだろうか。それに、どうしてオレが刺されずに済んだんだろう。
「も! も!」
オレが倒れた時に砂でも入ったのか、亀は頭を振って砂を落とそうとしている。そっと片手でこびりついた砂を払ってやった。そして、改めて命の恩人に目を向けた。
近くでしっかりと見てみれば、この救いの女神は随分若い。
昼の砂漠では日差しを避けるために皮膚を隠すような服装が好ましい、と聞いたことがあったが、彼女の服装はその好ましいモノとは程遠いような気がした。
肌が出ている部分が多く、肌を隠している部分はいわゆるシースルーだ。なんというか、涼しそうといえば涼しそうだが、日光を遮っている部分があまりにも少なくはないだろうか。踊り子みたいな格好というのがしっくりくる。深みのある紺色の服がどこかアラビアンな雰囲気を漂わせているあたりが、砂漠っぽいと言えば言えなくもないか。
手首からふくよかな胸部を覆う上着は、よく引き締まったお腹までは隠さず、形のいいヘソを堂々と見せつけている。ゆったりと楕円形に膨らんだパンツは太ももを透けさせ、しなやかで引き締まった体を隠そうともしていない。
肌は日差しを拒絶するように白く。
そして彼女の髪は、刃のように夕日にきらめく銀色だった。なんでこんな格好の女が、砂漠にいるんだろう。日焼けしてない所見ると現地の人じゃないのか?
オレに向かって話しかける様をまじまじと観察していると、彼女は突然両手を振りかぶって怒り始めた。
「ちょっと、聞いてるんですか? あなた、武器も持たずにそんな軽装で何してるんですか?」
どうやらオレが話を聞いてなかったことがバレたらしい。
「え、ええとだな……」
話を聞いていなかった事は謝る。でも、その質問にだけはそのままそっくり聞き返したい。あのスケスケでどこを守っていると言うんだろうか。
「それに、仲間は? 馬車は? その生き物は何なんですか?」
何だ何だ。何を聞かれてるのかさっぱりわからない。答えようがなくて思わず首を傾げる事しか出来ない。ふと下をみれば、亀も同じように首を傾げている。
「えと……かわいいですね、その子。もしかしてここに一人で来たんですか?」
お。可愛いもの好きか?
ナイス亀。あの調子で質問され続けたらますます混乱しそうだった。亀の様子をみて表情を緩めた彼女は、やっと答えられそうなことを聞いてくれた。
「そうだ。ここはどこなんだ? オレはここがどこだか、どうやって来たのか、わからない。気付いたら、この亀と一緒にここにいたんだ」
「その見慣れない服装にヘンテコな亀……」
上下に視線をさまよわせ、彼女は今度は小声で何かをつぶやいた。
最後の方に「それに怖い顔」と付け加えた気がしたけど、それはこの際気にしてはいられない。この様子だと、この人は何か知っているかもしれない。
「あなた……あなた、派遣者ですね?」
「……?」
いかにも核心を突きました、と言わんばかりのドヤ顔だった。どうしようか、これ。わかりませんとは言えない雰囲気だ。
「その様子だと、来たばかりですか? 何にしても一度街まで戻りましょう。私も武器が尽きてしまいました」
「街? 武器?」
「ええ。あそこ。高い建物が見えませんか?」
指差された方を見れば、彼女が指差しているのはさっきまでオレが目指していた塔だった。確かに塔の少し手前、砂煙の奥には街らしきものが見える。
「えーと。日本語わかるんだよな? ここ、何て国だ? エジプト? モロッコ?」
取り合えず、ありえそうな場所を聞いてみる。ただ、彼女の後ろで真っ二つになっているサソリのせいで、期待通りの答えが返ってくる気がしない。
「ニホンゴ? あ、ここはタンバル・ヨシャーヌ首長連邦国。でも誰もその名では呼びません。私達はこの国を世界の果てと言う意味を込めて”エンド”と呼んでいます。あの街は、エントランス。この砂漠への入り口、砂漠をさすらうマグの街です」
案の定だ。またわけのわからない事が増えた。
……ん?
「ま、待ってくれ。ここ、世界の果てって呼ばれてるのか?」
思わず立ち上がり、ヒィラに一歩、歩み寄った。世界の果て。それはオレが”目指せ”と言われた場所と同じなんじゃないだろうか。なら、帰れるかもしれない。
「そうですけど……あ、でも」
ヒィラは少し戸惑いながら、何か思い出したような表情をした。
「もう一つ。この砂漠の果ても、世界の果てって呼ばれてます。確か派遣者さんはそこを目指すんですよね?」
なんだそりゃ。果てが沢山あってたまるかよ。果てるならちゃんと果ててくれ。
「聞きたい事は沢山あるでしょうが……」
オレは思わずがくりとうなだれるが、ヒィラはそんなオレを気にするそぶりも見せず
「まずはこれを運ぶの、手伝って下さい! 美味しいんですよ、スコルピオ!」
と、先程自分で切り落とした大バサミを手に持って振り返った。スコルピオってのは、あの大サソリのことだろうか。と言うか
「……食うの? それを?」
「そんなに驚かなくても……やっぱり派遣者さんなんですね。色々説明しますから、下の分も集めちゃいましょう。私一人じゃこんなに運べそうになくて」
マジかよ。とてもじゃないが、美味そうには見えない。どちらかと言うと、食べ物と言うより蛮族の武器と言った感じだ。
さっきバラしたサソリの残骸も全部運ぶつもりなんだろうか。だとすればかなりの大仕事になりそうだ。
まあ……命を助けてもらった恩もあるか。何か知っているようだし、手伝いをしながら教えてもらうとしよう。
オレはそこまで考え、丘を降りはじめた。彼女はサソリを解体する手を止めながら、声を張り上げる。
「そう言えば、お名前は? 私はヒィラ。ヒィラ・メイです!」
「オレは浦……っと! 志摩浦太郎、だ!」
斜面をあぶなっかしく滑り降りながら、オレはそれに答える。
「ウラシマウラタロー? ウラシマさんですね、よろしくお願いします!」
彼女の返答に、思わずオレは項垂れる。
その呼び方、ガキのころから散々呼ばれるけどあまり好きじゃないんだよな。
第五話、お楽しみ頂けたでしょうか?
ヒロインを印象付けて登場させるのがあまり得意でないのでこのあたりはけっこう苦戦しました。
引き続きお楽しみ頂ければ幸いです。




