砂漠とスーツ
カンナとの出会いを思い出しながら砂漠を歩いているうちに、気付けば大分時間が経っていたらしい。腕時計を見ると、一時間が過ぎていた。
「運ぶ亀に、世界の果て、ねえ」
ヒントになりそうな言葉と言えばこの辺だろうか。口にすればなにかひらめくかと思ったが、特に感じるものはない。ただ”世界の果て”という言葉に妙に男心をくすぐられた気がした。”世界の果て”って言われても、地球は丸いんだけどな。
結局、今日一日を振り返っても状況を変えられそうなものは何もない。が、収穫がなかったわけじゃない。
「砂漠でスーツが快適っての、マジなんだな……」
事務所においてある、少し古いマンガで読んだ知識をふと思い出す。
オレは状況も忘れて、少しだけ感動していた。砂漠に行こうなんて思ったこともなかったし、もし仮に砂漠に旅行に行ったとして、スーツを持ち込む可能性はかなり低い。少なくともオレは仕事じゃなきゃ、この拘束具みたいなスーツは着たくない。こんな体験が出来るのは、貴重と言えば貴重なのかもしれない。
「も?」
隣でまぬけな声が聞こえた。オレの独り言が気になったのか、隣を歩いてた亀が伺うように見上げている。
わからない事といえば、コイツの正体ももちろん謎だ。得体が知れないけどまあ、怖くはないな。どうせ話しかける相手もいないんだし、せっかくだから話し相手をしてもらうとするか。
「あーいや、何でもねえ。それにしても、お前は何なんだ? 何かの役に……は立たなそうだよなぁ」
まあ、亀はノロい、なんていうけど、歩くスピードはオレとそこまで変わらない。と言うか、ずっとぶっ通しで歩いているのに疲れた様子もなく、ここまで一緒に歩き続けていた。片手で抱えられそうな小さな身体のクセに、割とタフな亀だな。
「も! もも!」
オレの質問が気に入らなかったのか、亀は抗議をするように滑らかな前ヒレをパタパタと動かす。
つるつるした緑色の肌に、くりくりよく動く目。星形の甲羅と相まって、ぬいぐるみか人形のようにしか見えない。カンナはこの亀は”役に立つ”って言ってたけど、何がどう役に立つというんだろうか。
大人しく付き従ってくれている、と言えるような気もする。実際にオレの言う事を聞いてくれてる節もある。でも、それだけだ。……いや、ちょっと可愛く見えてきたな。癒し効果がある、ってことか?
「まあ、そう怒んな。オレも訳わかんねえことばっかりで参ってんだよ」
参ってる。口にすると、一気に実感が増す。
オレはつい、足を止めて亀を見つめた。言葉が分かるなら、こいつに聞いてみるのもアリか……?
「あいつはお前の何なんだ? あの女……カンナとか言ってたな」
黒い水晶みたいな目が、オレを見返してきた。何だか心の不安が見透かされているようだ。途端に弱音がこみ上げてくる。カンナは「待っている」と言った。彼女の姿が見えないなら、別のどこかを指し示す言葉なのだろう。しかし――
「どこに行きゃあ、いいんだろうな。このままじゃ……」
――あてが、なかった。泣き言を言いたくないけど、慣れない場所でいつまで体力が持つだろうか。水も食糧もなければ、地図もない。手元にあるものと言えばスマートフォンに財布に腕時計、それと亀だけだ。バッグは亀田を助けた時に歩道橋の上に置きっぱなしになっているし、元々軽快にターゲットを追うためにほとんど中身は入れてない。
このままじゃ、もう少しでオレの不幸な一日は、”浦太郎の干物”の完成を以って、終わるだろう。
「はぁ。まあ愚痴ってもしょうがねえな。それよりお前に名前付けろって言ってたな……うーん」
「も?」
「ぶっちぎり丸、何てどうだ? 亀らしくなくて意外性あるだろ!」」
「も! ももも!!」
なんだよ。せっかくパワフルな名前をつけてやったのに、亀のやつは断固断るとばかりに首を振りはじめやがった。
「なにぃ!? かっこいいじゃねえか、何でヤなんだよ!」
「ももっ!!」
亀はプイっと顔を背ける。完全に拒否、ってことか。見たところまだ小亀だし、この名前のハイセンスぶりが理解出来ないんだろう。ヘソを曲げたのか、亀はテコテコと勝手に方角を変えて歩き出す。
「はぁ。わかったよ、じゃあ後でいいの考えてや……お、おい待てって。どこいくんだよ……まあ別にアテがある訳じゃねえから、いいけど」
亀でも話し相手がいなくなるのは、寂しい。
オレは置いていかれまいと、小走りで亀の後を追う。慌てて走ったからか、革靴の中に盛大に砂が入ってきた。オレは革靴を縫いで、スーツのポケットにねじ込んだ。砂が熱そうだから靴下だけは履いておこう。
「……お?」
歩き出してすぐ、目の前に何かあることに気付いた。今まで砂煙で見えなかった、遠くの方。
「ビル……? いや、塔か?」
背の高い建物のようなものが、ぼんやりと見える。
細長くて、てっぺんが青く塗られた何か。
「あそこなら見晴らしが利くかな。よし、行ってみっか」
手がかりがない以上、目に見えるものにすがりたくなるものらしい。先ほどまでの絶望感は消えていた。もしアレに登れなくても、近くに何か手がかりがあるかもしれない。何にしても、このままじゃ間違いなく死ぬ。
もう喉は干上がりそうに渇いていた。
第三話、お読み頂きありがとうございました!