宴と裸
カーテンから差し込む朝日が、やけに目に刺さる。
見覚えのない天井に、見覚えのない窓。横たわっているベッドは、シーツも毛布も卸したてのように清潔そうで、当然これにも見覚えはなかった。
「っ! いってぇ……」
体を起こそうとしたら、えらく頭が痛んだ。喉もからからに渇いている。二日酔い。そうだ、これは二日酔いだ。飲みすぎたか……。二日酔いの朝はいつも思うことだが、前日飲み過ぎた自分を殴りつけてやりたい。
昨日ハルの提案を喜んで受けたオレを待っていたのは、ハル親子とヒィラの熱烈な歓迎会だった。しこたま飲んで、しこたま食った。最後のほうはあまり覚えていない。と言うか――
「ごおおおぉ、ごおおおぉ」
――覚えていない方がよさそうだ。
隣で寝ている赤毛の厳ついおっさんからそっと目を逸らして、オレは再び目を閉じる。
毛布の端々からおっさんの素肌が見えているが、まさか裸で隣に寝てたわけじゃないだろうな……もういっそここまで全部が夢かなにかで、次に目を開いたら元の世界にいたりしないだろうか。
「おーい、起きてる?」
イビキが幻聴であることを祈りながら目を閉じていると、ドアの向こうからハルの声がした。じゃあこのベッドしかない部屋はハル親子の家か。……と、なると。
「んごっ。ごおおおぉぉぉ!」
この、隣で寝てるオヤジはやっぱり幻じゃないらしい。毛布の下から逞しい胸板が露になったのを見て、オレは慌てて口を押さえる。酒はほどほどが一番だと、心から思った。
◆◆◆◆◆◆
「お父さんイビキすごいでしょ、ごめんね」
家の中だからか、今は普段着らしいシンプルなワンピースを着たハルが、テーブルに料理の乗った皿を載せながらそう言った。だが、その顔は言葉とは裏腹にちっとも悪びれていない。二ヤついてやがる。面白がってるな、こいつ。
どうやらオレは昨日酔いつぶれ、オヤジさんにあの部屋まで運んでもらったらしい。隣に寝てたのは、オレをベッドに寝かせてそのまま自分も倒れこんだからじゃないか、とハルが説明してくれた。
オヤジさんもだいぶ酒がまわって、オレを運ぶ様子はフラフラとかなりあぶなっかしかったようだ。ちなみに、オヤジさんはオレを運ぶ前から上半身裸で酒を飲んでた、ってこともハルから聞いた。いつものクセらしい。なんて嬉しくないクセだ。
ちなみにオヤジさんはまだ上の階でベッドの上から轟音を撒き散らしている。今いるのは店の二階。店の二階と三階がハル達の居住スペースらしい。
「ヒィラ、あとで迎えに来るってさ。そんな真っ白な顔でマグの仕事できるの?」
ふふん、と言わんばかりの顔でハルは腰に手をついてオレを見た。
そもそも、昨日オレに酒をしこたま飲ませたのはこいつだったじゃないだろうか。ボロボロに霞んだ記憶の所々に暗躍しているハルの影を感じなくもない。
が、確かに返す言葉もない。こんな姿をうちのおっかないセンパイたちに見られたらと思うとぞっとする。あの人達は酒はよく飲むけど次の日には持ち越さないからな……。
「……わりぃ、水もらえるかな」
だから特に何も言い返さないで、まずは喉の渇きを潤す事にした。ハルは黙って水差しからコップに水を注ぎ、差し出してくる。
「バテないようにちゃんとご飯食べないとダメよ? それと、コレ食べて」
ハルは野菜の盛られたボウルを脇に避けると、黒い小石くらいのツブを載せた、小さな皿を差し出した。
「これ、なんだ?」
「スコルピオの肝。すぐ効くからオススメよ……って何よ、その顔。これ結構高いのよ?」
またあのサソリかよ。昨日目の前でばっさばっさ斬られていく所を見てるからか、”肝”なんて言われると生々しくてまた吐き気がこみ上げてくる。こんな調子じゃ本当にヒィラに迷惑をかけちまいそうだ。
それはイヤだ。諦めて肝とやらをひとつ摘み上げ、パンを口に運んでいたハルに訊ねる。
「これ、どうすればいいんだ?」
「干して乾かしたやつだから、噛み砕いて水で流し込むといいわよ。ちょっと、苦いけどね」
「……よし」
覚悟を決めて口に放り込むと、オレは思い切りそれを噛み砕いた。途端に、すさまじい苦味が口に広がる。あまりの苦さに舌が萎縮しそうで、慌ててコップの水で苦味を洗い流した。
「……すっげえ味だな、これ」
「あははは! そりゃ噛んだら苦いよ、ほんとは丸呑みするんだもん」
「なっ! 騙したな!」
「でも、そっちの方がすぐ効くのよ? 顔色、少し良くなってきたね」
思わずハルを睨みそうになって、確かに少し体が楽になってるのを感じた。飲んだばっかりだってのにこんなにすぐ効果が出るものなんだろうか。
「よく効くでしょ。砂漠産だからね、その辺の薬よりずっと効果あるよ……っと。そうだ」
ハルは、何かを思い出したようにスープをすくう手を止めて、俺を見た。
「なんだ?」
「昨日、うちの店暇そうだなって思ったでしょ」
答えにくい質問をするやつだ。オレは返事のかわりに少しだけ首を縦に動かす。
「誤解しないでね、うちはマグお断りなのよ。同業者とか旅人なんか相手に仕事してるから、マグが多い時間帯はいつもヒマなの。料理もサービスも評判いいし、昼間はいつも大忙しなんだから」
確かに、昨日の料理も酒もうまかった。サービスどうこうってのはよくわからないが店の中はキレイにしてあったし、それにハルみたいに明るい娘がいれば看板娘目当ての客だって、いておかしくない。でも、一つ気にかかる。
「……ヒィラはマグだろ?」
「そう。ヒィラだけ、特別。大事な友達で、恩人なの。だからね」
ハルはそこまでしゃべると、ふと背後を振り返る。階段の軋む音がオレの耳にも聞こえた。
「おっと、ヒィラが来たかな?」
サラダにフォークを伸ばした手を止めて、ハルはドアの方を見た。オレら二人の目線に反応したかのようにドアが開き、顔を出したのはやっぱり彼女だった。どうやらヒィラは二日酔いになってないらしい。昨日、ヒィラも結構な量を飲んでたような記憶があるんだが。
「おはようございます。ウラシマさん、お酒抜けましたか?」
きっと、大瓶を一人でバカバカあけていたヒィラの姿こそ、オレがみた幻覚だろう。全然体調を崩した様子がない。それにしても、相棒にいらぬ心配かけちまったみたいだ。
「ああ、心配かけた。ハルのおかげでだいぶマシになってきた。ハルもありがとう、助かった」
「じゃ、食事おわったら行きましょう。用意は済ませてきたので」
「おにーさん。ヒィラのこと、守ってあげてね。お願い」
ハルは、小声でそう言った。ドアのそばにいるヒィラには聞こえないだろう。オレはよくわからないまま、ヒィラに気付かれないようにそっと頷いて答えた。




