008 初デートか異教徒迫害か
「どんな本?」
思いのほか彼女の反応はよかった。
伏し目がちで視線を合わせてくれないのは相変わらずだったが。
「それが、その……神とか宗教についてなんですけどね」
「どの宗教?」
「まずは宗教全般について知りたいなと思ってて」
こんなやりとりをしながら、おれは何冊か書架にあった『殺戮の宗教史』など何冊かの初心者向けの書籍を教えてもらい、それを全て借りることにした。
「そういえば、キミ……も宗教関係に詳しいんだね」
おれは彼女の名前を知らないことに、ちょっと言いよどむ。キミなんて呼びかけるのは気取っているみたいでちょっと気恥ずかしかった。
「御吉野……御吉野桜子」
彼女はぼそりと名乗った。
「それで御吉野さんは専攻で宗教学とか勉強してたりするの?」
「そういうわけではないんです。趣味というか実益というか……いろいろ」
「へえ、そうなんだ。おれも似たようなものかな。急に神ってどんな存在なのか知りたくて。今の日本だと宗教のことって敬遠されがちだから今の今まで知る機会どこか、興味持つのもよくみたいな雰囲気あるでしょ? でも知っておくべきだと思うんだよね」
「そう、そうなんですよね! まったく同感です! わかってくれますか? えっと、あの失礼ですがお名前は?」
いきなり饒舌になった桜子の瞳がアイドルか推しキャラでも前にした恋する女子のように目がキラキラしはじめたのだった。
「鳳桐悟――鳳凰の『ホウ』で『オオトリ』、植物のキリに悟りを開くの『サトル』で『トウゴ』って読むんだけどね」
『それは素敵なお名前ですね! 鳳凰は中国の霊鳥、桐は日本において神聖な草木、それに仏教の悟りまであるなんて! 三国の神聖フルコースじゃないですか!」
「あはは、そんなこと言われたのは初めてかな……?」
いきなりのハイテンション&早口にすっかり呑まれてしまった。しかしそこがかわいい。
「最近の人はそういう大事なことがわからないんですよ! ちなみに鳳凰の『鳳』はオスで『凰』はメスだって知ってました?」
「そうなんだ?」
「ちなみに鳳凰は四神の朱雀と同一とされ、特に体の青い種は鸞と呼ばれます。浄土真宗の親鸞の『鸞』です。おもしろいですよね?」
桜子の話はとまらない。しかもだんだんと声の音量が大きくなってゆく。
こうなると静寂を旨とする図書館においては周囲の目が気になってくる。近くの学生や司書の冷ややかな視線が突き刺さるのがつらい。
「御吉野さん、ここはなんだからカフェテリアでも行って話さない?」
「いいですね! わたしももっと桐悟さんのお話を聞きたいと思っていたところです」
おれはほとんど話してないんだけどなとは思ったが、うんうんと肯いて、そそくさと貸出手続きを終えると、学内のカフェテリアへと移動した。
途々(みちみち)にも桜子は一方的に話をしていたが、あまりにマニアックすぎてほとんど理解できなかった。
しかし桜子は文学部の学生でもあり宗教関係に詳しいのは確実なので、おれはカフェテリアでアイスコーヒーをすすりながら、きのうから疑問に思っていた初歩的な質問をぶつけてみることにした。
「御吉野さんは『宗教』って、そもそもどういうものだと思う?」
「そうですね……難しい問題ですよね」
弁舌巧みだった桜子の言葉が詰まった。
「宗教を定義するのは難しいんですよ。定義しようとすればするほど例外となる宗教が出てきて、それを包括しようとすると曖昧模糊になってしまうので」
「そういうものなんだ」
「でもわたしが納得できることがひとつだけあるんです」
「なに?」
「遠い昔の人類、もしかしたらネアンデルタール人など絶滅した人類も含めて、自分や家族の『死後』のことを考えたそのときに宗教は誕生したんだと」
「――死後?」
「死後に自分たちがどうなるのかってことを想像することが原始的な宗教の始まりだったと思いますよ」
「天国とか地獄とかそういうこと?」
「最初は死者の世界とだけだったんでしょうが、天国や地獄は後世になって民衆への布教の面で考案された側面が強いですけどね」
「布教には必要だったってこと?」
おれは仕事上そこのところがよく知りたかった。
「無教養で俗物な一般大衆に高尚な哲学的なことを説いても無駄ですからアメとムチのような信賞必罰の概念が必要だったのでしょう。そもそもお釈迦様の教えでは『死後の世界なんてくだらないこと考える暇があったら修行しろ』だったんですから」
「でも仏教だと極楽と地獄があるんじゃないの?」
「あれは釈迦の死後に創作されたものです。でもそういう後世の創作も含めた教も含めたものが今の仏教ですけどね」
「へえ、そういうものなんだ」
相槌をうちながら話の内容よりも妙に桜子の近い距離感が脈ありかもと思えてきた。
というか、そもそも同年代の女子とこんなにたくさん話すことなんて男子校出身のおれにとっては奇蹟みたいなものだった。これもあのバイトをはじめたご利益かもしれない。
そんなことを考えていたら急に異世界のことが気になって腕時計をちらっと確認してみた。
あと少しで前回の降臨から24時間が経過する頃合いだった。
それから自分の信者がどれだけ増えたか期待をこめて確認してみた。
「えっ……!?」
おれは思わず声をだしてしまった。
「どうかしましたか?」
桜子が訝しげに訊いてきた。
「いや、なんでもないよ」
おれは平静を装ったみたものの動揺は隠しきれなかった。
掌にある数字の痣、今朝まで《3》にまで増えていたものが、すでに《2》になっていたのだ。しかも自分が見ている中ですうっと《1》に変わっていった。
おれの大事な信者がバイト代が減ってしまった。
残り1人。そのひとりはあのときの乙女なのだろうか?
それ以上になぜこうも減っているのか気が気でなくなってしまった。
異世界で何かが起きている。それだけは確実だ。いつ《0》になるのかもわからない。
もしかしたら宗教にありがちだという迫害をされているのかもしれない。ということは最悪、信仰を捨てるだけでなく命の危険さえある。
おれはどうすればいいのか。このまま人生最初で最後になるかもしれない初デートを続けるべきか?
あるいは乙女のためにも異世界に駆けつけるべきか?
おれはそわそわしてしまい居ても立ってもいられなくなっていた。
鳳凰【ほうおう】
鳳凰説の鳥、霊鳥である。鳳皇とも。
日本や朝鮮など東アジア全域にわたって、装飾やシンボル、物語・説話・説教などで登場する。
現代の中国では一般に、頭はキンケイ、胴体はオシドリ、尾は孔雀、足は鶴、嘴はオウム・インコ、翼は燕とされる。
日本では一般に、背丈が4-5尺はあり、その容姿は前部が麟、後部が鹿、頸は蛇、背は亀、頷は燕、嘴は鶏、尾は魚であるとされる。(wikipediaより)