002 天空の聖四畳半
おれの真っ当なクレームにロリメイド天使はまったく動じない。
やはり幼いのは見てくれだけで中身はまるで違うらしい。やはりアストラルなんとかで出来ているからなのだろうか。
「人がまったく誰もいないってわけじゃありません。このあたりの土地はデータによりますと主な産業は牧畜ですね。古くからの遊牧民だけでなく半農の定住者もわりと定住しているようです」
天使は説明書でも読んでいるかのように話した。どうやら頭のなかに情報が入っているらしい。
「つまり土地そのものが肥沃でないってことか?」
「土地だけでなく気候もです。比較するならアースガルトにおける東ヨーロッパからロシアにかけての亜寒帯気候、日本でいうなら北海道に類する気候に近いようですね。文明レベル的にまだこの地域での農業は厳しいのでしょう」
「いきなり初心者相手にハードモードかよ……」
「そんなことないですよ。希望はあります! この異なる世界、便宜上『ミッドガルト』と呼んでいる世界ですが、その世界総人口はなんと2億人以上! 理論上、月収2億円の高収入が見込めます。どうです、宝くじより夢があるのでは?」
「――月に2億っ!」
夢幻の中のことだと自覚があるのに浮足立ってしまう即物的な自分がいた。それだけに億単位の年収というのは聞き捨てならない。
「それだけ神とは魅力的なお仕事なのです」
天使は自信満々に肯くのであった。
「でも、どうすればおれの信者を増やしていくんだ? 今のところおれの信者はゼロなんだろ? おまえはおれのサポートする天使なんじゃないのか?」
「お言葉ですが天使というのは狭義にはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の崇めるアブラハムの神に使える霊的存在の意です。わたしはアドナイに使えているので天使ではありません。どうしてもというのであれば神の使い『神使』とお呼びください」
「しんし? なんだか面倒だなぁ。名前はないのか?」
「それは神であるアドナイが命名してください。神使とはそういう存在です」
「そういうものなのか? 名前ねぇ……いきなりそんなこと言われてもな」
「ではロマというのはどうでしょうか?」
「なかなかいい名前じゃないか。なんか意味があるのか?」
「たいした意味はありません。アドナイの性的嗜好から創造していただいたわたしの姿から名付けてみました。”Lolita Maid Angel”の頭文字をとって”LoMA”です。安直でしたでしょうか?」
「う~ん、理由を訊いてしまうと自分の性癖をそのまま名前にしたみたいで複雑な気持ちになるな……」
「でしたらお好きな名前を付けてください。もちろん名を付けなくても結構です。名がなくてもわたしの存在は否定されません」
「わかった、ロマでいいよ、ロマで。よろしくな、ロマ!」
おれは手を差し伸べた。
「こちらこそよろしくお願いいたします、アドナイ」
しかしロマは握手には応じず、ぺこりと頭を下げた。見た目と違って和風らしい。もしくはおれのことを性的に警戒しているのだろうか。
「で、どうすればいいんだよ? どんどん信者を増やすためにはさ。なんかこうゲームみたいなチュートリアルとかさ? いきなり神さまやってくれと言われても何していいのか見当もつかないって……」
「そうですね。通常は教祖となる人間が布教することで信者が増えていきますね」
「で、その教祖はどこにいるんだ?」
「それは神であるアドナイ自身でお考えください。めざせ、明るい信仰生活なのです!」
「言うのは簡単だよな……」
おれは絶景の大自然を目の前に深い溜め息をつくしかなかった。
「まあ、今日のところは初日ですし、このくらいにして戻りましょうか?」
「戻るって?」
「決まってるじゃないですか。アドナイの下宿先のお部屋ですよ」
「あの四畳半に? ここにずっといるわけじゃないのか?」
正直ほっとした。こんなところに神だからといって放り出されたってどうしていいのか途方に暮れるしかなかったのだから。
「通常アースガルトの神話では、往々にして神の初日の仕事というと渾沌を分離して天地を創ったり、光と闇を分けて昼夜にすることからはじめないといけない完全ハンドメイドですが、このミッドカルトは幸いにも基礎的な世界創造は既に完了している既製品状態なので、そのあたりは楽ちんなのです」
「そう言われると身も蓋もないけどな……」
「ですのでアースガルトに戻るときは、この指輪を――」
おれはロムの小さな手ずから金色の指輪を受けとった。右手の薬指にはめてみると指輪のサイズは測ったようにぴったりだ。
「この指輪をこすりながら行きたいところに意識を集中してください」
「ああ、そういう仕掛けなのね」
思ったよりもシンプルでお手軽な感じだ。長々と呪文を詠唱したり魔法陣を描いてみたかったのになと中二心をくすぐるような仕掛けがないのは残念だなとちょっとだけ思ったが言わないことにした。
「ちなみにわたしを呼びだしたいときも同様ですので、お気軽にどうぞ」
「ああ、わかった」
ロマはアラジンの魔法のランプの精みたいなものらしい。呼び出したところでたいして役に立たなそうではあるが。
「ではでは、またのお越しをお待ちしております!」
ロマの声とともに暗転――ふっと力が抜け空に巨大な掃除機で吸い上げられてゆくような感覚が襲ってきた。同時に何か狭いところにぎゅうぎゅう押し込められるような息苦しさが続いた。
すると先程まで立っていたはずなのに、つぎの瞬間にはおれは仰向けに寝ていた。
関節がぎしぎしと痛む、体中がだるくて重い、頭がズキズキと痛むし、額と頬は熱っぽい。
「そうか、風邪をひいてたんだった……しかし変な幻覚、いや夢か……」
おれは額に浮きでた珠の汗を手で拭う。
そのとき違和感のある硬質の感触が額に触れた。
汗に濡れた手に目をやると指には夢で見た金の指輪が光っていた。
触ってみた。はずしてみた。ためつすがめつ眺めてからまたはめてみた。指輪はたしかに存在した。そしておれは前からファッションで指輪をはめるような男じゃないこともわかっている。
そして掌に円い痣まで見つけた。このかたちは数字のゼロなのだろうか。どっちにしろこんな奇妙で目立つ痣は今の今までなかった。
「――夢じゃなかったのかよ……」
おれは具合の悪いのも忘れて蒲団の上にあぐらを書いてすわってみた。
「おれ、本当に神さまになっちまった、のか?」
築四十年の木造アパートの四畳半に敷かれた万年床こそが神たる者の坐すところとは我ながら情けない気持ちで胸がいっぱいになるばかりだった。
アブラハムの宗教【Abrahamic religions】
聖書の預言者アブラハムの宗教的伝統を受け継ぐと称するユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三宗教のことである。
初期のイスラームはこの概念によって、先行するユダヤ教・キリスト教とイスラームは立場が同じであることを強調した。
「セム族の啓示宗教」、あるいは単に「啓示宗教」と称されることがある。(wikipediaより)