青い金魚
青い金魚を最近手に入れた。そそもそも青い金魚を”金魚”と呼んでいいのか、さっぱり分からないが。
金魚といえば普通、赤地にオレンジを薄く塗ったような色を想像する。あるいは鯉のように、白地に黒い墨を上から垂らしたものも存在する。
青い魚といえば沖縄に生息する何か気持ち悪い魚や、カクレクマノミを助ける小さいものくらいしか思い浮かばない自分がいる。
それでも金魚だと思えるのは、魚の形が金魚に見えるのと、宣伝していた露天商の売り文句を完全に信じているからだろう。
どこにでもあるような過疎地の夏祭り。父の里帰りと重なっていたため、ほんの出来心で参加してみることにした。
夏の終わりとはいえ、猛暑日の夜とは思えない。東北の山間の集落らしく空気は冷たく、澄んでいる。その中で行われている少人数の夏祭り。子供の数が少ないせいか、集落の子供全員を招集して踊りを躍らせても、演目は老人や中年男によるビンゴ大会に彩られている。それで50人にも満たない祭りをもりあげているようだった。
祭りで物を売っていた屋台の人間も、ビンゴ大会になるとすぐにすっとんでいく。そのせいで私は欲しいものが買えず、何となくイライラしだす。
足を速め、ゴリラが突進していくように祭りの舞台から消えようとするつもりでいた。祭りの舞台を通り過ぎ、神社の門を出ようとしたところだった。
「さあさあ嬢ちゃん、どうだい?青い金魚だよォ!」
声のする右側に目を向けると、坊主の黄色いシャツの男が水槽に青い魚を入れていた。外見は例えるとすれば、仙台四郎だろうか。東北地方では有名な福の神で、小さくつり上がった目で笑う白黒写真は料理屋に貼られていたりする。
ちょうどイライラを吹っ飛ばしたかったので、興味本位で男に質問してみた。
「おじちゃん、青い金魚なんて本当にいるの?」
男はニヤけて私に唾を飛ばしながら宣伝した。
「そりゃ青い金魚なんているわけない、そう思うのは普通でしょう!でも、いるんですね…!それが。ナニ、貴女の期待を裏切るようなことはしません。だってこの金魚は購入者に幸運をもたらす、青い金魚デスもの!」
うさんくさい。私はああそうですかとぶっきらぼうに口走って、走って帰ろうとした。怒りだけではなく、不気味な感じもしたので早く逃げたかったのだ。
しかし男は狙った獲物は逃さないタイプだったようだ。私の手を掴んで、私が一匹200円というべらぼうに高い青い金魚を買うまで離さなかった。
「お姉ちゃん、イイモノを掴まされましたネ。そのうちいいことが起きるよ」
出歯亀のような目をした男は私のスカートに手をやって、股に手を挟めようとした。それを蹴り飛ばして走って神社の門を通り過ぎ、土や枯葉の坂道で一回転びそうになる。それを前に踏みつけた足で支え、そこからは全速力で駆け上がり、祖父母の家まで一直線に向かった。
恐怖と怒りで埋め尽くされた私の脳内。水の入った真っ赤なボウルに放された金魚を見ながらつい”アレ”をしたくなる。
私はキッチンの上にある包丁を取り出すと、台所のテーブルめがけて振り落とした。明るい木製のテーブルは隅っこに包丁が刺さり、私はその傷を見て何かが満たされるのを感じた。
「でもこれだけじゃあ満足しない」
そう口走っていたのだろう。私は何かを口走っていたのは覚えているが、内容までは記憶にない。とりあえず刺さった包丁をテーブルの傷から上げると、また振り上げて落とし刺してみる。
それを何度繰り返しただろうか。母は帰ってきて台所の私を見ると、無表情で頬にグーパンチをして包丁を取り上げた。
「まあた羅々はこんなことして…!何かあったの?」
痛みと母の怒りを理解したおかげで私は涙を目にためていた。泣くので精一杯で、出歯亀四郎のことなんか話すことはできずにいた。
それでも精一杯の力を振り絞り、説明を何とか始めたのだけど…。
「祭りの、はじっこ、…」
垂れてきそうになった鼻をすする音。鼻水の味が私の口のなかに入ってきて気持ち悪い。
気持ち悪い、気持ち悪い、ムカつく、怖い、帰りたい。
頭の中では短い言葉がたくさん溢れては消えた。そのいずれも私は口に出せず、感情を自然と抑えているようだった。
母親はそれすら理解できず、私を見下している。
『ハァ?何にも言わないで睨みつけて!馬鹿なんだよね?羅々は』
そんな彼女の気持ちが顔から見て取れた。視線は私を侮蔑し、青い金魚に目を向けたがっている。
実際、母が金魚に向けた目は優しく、珍しいものを保護したがる環境活動家のようであった。
その環境活動家は私に視線を戻すと、キラァと華やかで、優しい目の女に化けた。青い金魚の謎を知りたがっているようだ。
「羅々ぁ」
「…ハイ。」
私は開けずにいた口をやっと開き、涙目で母を見た。
「青い金魚を手に入れたの?!」
語尾を下げて、出歯亀と同じようにニヤけている。
「お前、舞村四郎に会ったの!」
「まいむら…しろう?」
「舞村集落に伝わる伝説の金魚売りだよぉ!知らないなんてお前は馬鹿だねぇ!」
母は上機嫌で私の背中を叩き、金魚の主は私だとか変なことをほざき始めた。母が言うには、舞村四郎の金魚は主人に幸福をもたらしてくれるらしい。父も母も同じ集落の出身なので、2人とも幼い頃から舞村四郎の物語は知っていた。
ただ、実際に買ったのは私なので、本当に幸福をもたらしてもらえたのは私だけだ。
その夜、金魚を見ると私は深夜の暗がりの中で独り言を呟きはじめた。
「ねえ、お母さんを殺してよ。作野煜子、旧姓野々村をさ…」
それがどうなったかというと…。
私がこれを書いているのは煜子の葬式の休憩時間なのだ。実は出歯亀四郎の件があってから5日後、煜子は昔自分がいじめていた同級生に撥ね殺されたのだ。
私は帰省中に母を失った、可愛そうな女の子として扱われている。正直あまりいい気分ではないが、煜子が死んだのは良かったと実は思っている。
最初は憎んでいた出歯亀四郎にも、今は感謝している。
出歯亀四郎様、ありがとう!
金魚は大事にします。