兄が弟を弟と思えない理由。
私はアルベルト。
公爵家後継者として、現在まで励んできた。
私には立派な父と、優しい母、そして……弟がいる。
私が5才の時、弟セバスチャンは誕生した。
あの頃の私は兄弟ができるのを大変楽しみにしていた。
……それなのに。
セバスは私が思い描いていた様な弟ではなかった。
いや、普通の子供ですらなかったと思う。
あれは私の本格的な教育が始まって数年経った頃、セバスが5才、私が10才か……。
必死に机に向かう私に、セバスが紅茶を運んできてくれた。
「あぁ、セバス、ありがとう。そこに置いてくれれば後は自分でするよ。いいから遊んでおいで?」
そう言った私に、セバスは静かに笑った。
「お兄さまがおべんきょうがんばっていらっしゃるので、ぼくもがんばってきゅうじいたします。」
「セバスはそんな事、しなくても良いのだよ。お茶の用意だって、メイドがしてくれるのだから。」
2年前、母上からセバスが執事を目指していると聞き、それからずっと皆で頑張ってきた。セバスをとめるために。
私には理解できなかった。
公爵家の次男に生まれ、ある意味どの様な生き方も自由に選べる弟が、立派な?執事を目指しているのが。
「セバス、将来を決めるのはもう少し大きくなってからでも遅くはないのだよ?例えば王宮にいる学者、騎士、いろいろあるじゃないか。ゆっくり考えてごらん?」
そう言った私にあの子は、セバスはなんと答えたのだったか……。
キョトンとした顔をしたあと、5才児ならぬため息をついてから
「おにいさま、みつごのたましい百まで、ときいたことはございますか?それにやらずにこうかいするならば、やってこうかいしたほうが良い、とも聞いたことがあります。ぼくは、にどと、がまんはしないときめたのです。がまんはからだにわるいのです。おにいさまも、ずっと同じおべんきょうをつづけていたらつかれてしまうでしょう?おべんきょうがほんとうにすきならばつかれないはずなのです。そういう人が、がくしゃにはむいていて、ぼくにはできないことなのです。おなじりゆうでぼくはきしにもなりません。まぁ、さいていげんあるじを守れるつよさはほしいですけど……。」
……思い出したが、あの時でさえ説得出来なかったのだな……。
その後セバスは根を詰めすぎると体を壊すと私を諭し、手ずから入れた紅茶と焼きたてのクッキーを振る舞い、到底5才とは思えない話をしていたのだった。
「おにいさま、おべんきょうちゅうおじゃまいたしました。
それと、よけいなことなのですが……そちらの羊皮紙の5行目と18行目、31行目にまちがいがあるようなのでごかくにんください。」
そう最後に締めくくり出ていったセバスの足音が聞こえなくなるまでドアを見つめて立っていた。
私は震える手で羊皮紙を持つと、セバスの言っていた箇所を確認する。
確かに、セバスの言った通りだ。
だが、この羊皮紙はセバスが来てから机の隅に寄せていた。
束ねてある数枚を照らし合わせて漸くセバスのいう誤りがわかるもので、本日の、私の課題。朝から頭を悩ませていた、隠密とのやり取りの、練習の様なものだった。
「ルー、いるか?」
音もなく目の前に黒装束の男が現れる。
「セバスが羊皮紙を解いた。読んでいるところを視たか?」
「いいえ。ですがセバスチャン様は紅茶を主の机に置くときにその羊皮紙が目についたのだと。我らなら、その時間で解読は可能です。」
「……セバスはまだ5つだ。」
「年齢は、関係ございません。」
「私が5つのときは、出来なかったな……」
「主も優秀でございます。ただ、比べる相手は選ばねば。失礼ながらセバスチャン様は……常人では御座いませぬ。」
あれから何年経ったのか。
隠密から常人ではないと言われたセバスは執事修行に出て屋敷にはいない。思い返しても兄らしいことをしてやれたことなどなかった。
赤子のころから何でも一人で出来るセバスの世話など勿論出来なかったし、優秀な弟に八つ当たりする私をセバス自身がなんでもないことの様に受け止めていたように思う。
セバスが屋敷を出てからあまりに静かすぎて、考える時間が増えた。