第四話 優しい警告
フランチェスカが考案したレシピが人気を集めている店――忘れじ亭。
今でこそ『商人たちの贈り物』一美味しい料理を出す店として知られているが、その地位に至るまでには数々の苦難があった。
ザッカルディアの国民性は温和で好奇心旺盛。お祭りごとが大好きで基本的にノリはよい方だ。性格が好奇心旺盛であるならば食事に対してもそれを遺憾無く発揮してくれそうに見えるが、そうでは無かったのだ。
身近な食材を使用した新しいレシピは多少の戸惑いを抱かれながらも物珍しさ故に注文をしてくれるが、見慣れないものはそうはいかない。
例えば、日本人にとっては無くてはならない食材――米。
近年では米よりパン派という欧米食文化へと変動しつつあるが、それでもカレーライスやドリアなど何らかの形で必ず食しているであろう食材。それを中世ヨーロッパ風味のザッカルディアで提供すると、以下のような反応をされる。
「え、なにこの粉にする前の小麦みたいなヤツ。え、これ食べれるの!? えぇ……」
「小麦じゃなくてオコメ? 牛にやる稲と何が違うの?」
「何この味無し。これをメシとして提供するとか何考えてんの? 馬鹿なの? 死ぬの?」
結果:酷評。
ザッカルディアにはコメを使った料理は存在せず、それに伴い世界で最も食べられていると言われているインディカ米すら滅多に市場に出回ることが無い。そもそもインディカ米がこの世界にも存在しているのか、それは今でもフランチェスカの耳に情報として入ってこない。
だが、腐っても日本人であった時の記憶を持つフランチェスカ。彼女の持論の一つに「美味しい食事は心に潤いをもたらす」というものが存在する。どんなに仲が悪かった人たちでも、美味しいご飯を食べたら喧嘩なんかしないという考えの元、何としてでも日本の国民食であった米の素晴らしさを広めたい。
しかしながら、当時はお金も人脈も全く存在しなかったフランチェスカは悩みに悩んだ末、米の普及を諦めようとしていた。
そんな時に現れた一人の救世主。それが――。
♢♦
時刻は逢魔が時。
水平線に沈んでいく太陽が名残惜しそうにその姿を見せているが、段々と世界が宵に包まれていく。太陽の光が届かなくなったザッカルディアには、色とりどりの光が灯り始める。精霊工学の恩恵である黄色い電子の光と、精霊自身が放つ色彩豊かな魔力は街を幻想的に装飾し、ザッカルディア全体がライトアップされていく様だと感じる。
だがフランチェスカは、ザッカルディア版の電車――『電子の馬』から見える幻想的な風景には目もくれず、ガラスに寄り掛かりながら重い溜息ばかり吐いていた。
「なんだって、あの人は……」
人前であるため姿を見せないカメリアの心配する声が届くが、それに答えるだけの気力すら今のフランチェスカには残されていなかった。
♢♦
菩提樹での告白から数日が経った。
あの時周囲には人が居なかったのにも拘らず、フランチェスカは翌日から噂の的となっていたため、これ以上目立ちたくないという思いが強かった。そのためテオドアには一切関わらないという方針を取ろうとしていたが、その思いをまんまと壊してくれたのもまた彼であった。
「落し物ですよ」
そういって差し出されたのは、あの日フランチェスカが持ち去るのを忘れてしまった図書室の本であった。この本はフランチェスカが一番気に入っているものであり、決して落とした訳では無かったが届けてくれたことは素直に有り難かった。
――ただし、それが公衆の面前でなければの話だ。
テオドアがフランチェスカに本を差し出したのは、ちょうど移動教室で廊下に出ていた時であった。言うなれば休み時間。もっと言うなら、クラスメイトや他クラスの生徒など様々な人たちが居る場所で、本を渡して来たのだ。
「あ、ありがとう、ございます……」
「礼には及びませんよ」
感謝と謙遜。そこまでは普通だった。これだけの会話なら多少羨望の眼差しを向けられることはあっても、それは最長一日。最短一分後には消えるからだ。
――だが、それだけでは終わらなかった。
フランチェスカが本の背に手を掛けた瞬間、テオドアはこちらの手首を掴み優雅な動きで腰を抱きに来た。そして――。
「これを機に、あなたともっと仲良くなりたいものです」
茶目っ気たっぷりにそう言い残して、去って行った。
あまりにも悠然と行われたその一連は瞬く間に生徒の間を駆け巡り、おかげでフランチェスカは要らぬ注目を浴び、話をしたことも無かったクラスメイトに根掘り葉掘り事情を聞かれる事となった。
♢♦
『電子の馬』は王宮の周りを走る第一線路と、外壁を回る第二線路が存在する。フランチェスカが使うのは第二線路であり、終着点はちょうど王都入口だ。
〈――終点。――終点。終点、第九区画側王都入口です。お忘れ物などなさいませんよう〉
終点を告げるアナウンスを背に『電子の馬』を降りる。駅のホームから忘れじ亭がある通り『商人たちの贈り物』はすぐに見える。現代で言うならば、駅の入り口から見える商店街通りと理解していい。
フランチェスカが『電子の馬』から降りた時には、日は完全に沈んでいた。この時間帯は一日の中で最も人の出入りが多く、第九区画が最も輝く時だと言っても過言では無い。
忘れじ亭の看板が吊るしてあるのが見えると、フランチェスカはその場で足を止める。深く深呼吸をすると、両頬を軽く叩いて思考をリセットする。
「戻りました!」
そう言ってドアを開けると、店内にはすでに満席ではないかと思うほどの人が座っていた。一番最初に出迎えの声を掛けてくるのは、この店の店主であるドミニクと二コラの二人だ。それを合図にして、店内に居る顔見知りたちから声が飛んでくる。
フランチェスカは、妙な安堵感と共に自分の気分が良くなっていくのを感じていった。
夕食時のピークから約二時間後。忘れじ亭の店内は食事処から酒場に近い雰囲気へと変わっていった。店内に居る客層も酒飲みや、遅い夕食を取り始めた人達ばかりとなった。
そこに響くは、入店の鐘の音。
「いらっしゃいませ! あら、クラウスさん! と……」
「お邪魔する」
やって来たのは二人組の男性。一人は薄汚れた白衣を纏った如何にも学者と言わんばかりの細身の男性。もう一人はオシャレな私服を着た若者。クラウスと呼ばれた白衣の男性と若者は、連れ添って店の奥へと歩を進める。
「ありゃ、ラクグリアの三男坊じゃないか。何故此処へ?」
「視察……って訳じゃなさそうだし、それに一緒に居るのは七区にある第三精霊工学の所長か?」
「接点といえば……ゼレンカか?」
「フランちゃん。何かしたんかなぁ……」
疑問と不安が客を襲う。だがそれを吹き飛ばしたのは、忘れじ亭の常連客達の言葉だった。
「ああ、ローランド様とクラウスさんか。あの二人なら大丈夫だ」
「大丈夫って……何が?」
「白衣の方、クラウスって言うんだけどなアイツぁフランちゃんにぞっこんだからだ」
「じゃあ、もう一人のローランドってやつは?」
「おめぇ外からか。なら知らねぇわな。ローランド様は第九を収めてるラクグリアの人でな――フランちゃんの後援者ってやつだ」
「いらっしゃいませクラウスさん。ローランド様。ご注文はお決まりですか?」
後ろでそんな会話が繰り広げられている事に気が付いていないフランチェスカは、人の良さそうな笑顔を浮かべながらテーブルの上に水を置く。向かい合うように座っているローランドとクラウスはやって来たフランチェスカに気が付くと、手にしていたメニューから顔を上げた。
「え、あ、うん。え……っとパエリアータ、お願いします」
「魚介のパエリアータ一つですね。クラウスさんこれ好きですものね。ローランド様は?」
「クラウスさんと同じので。……それと、テオドアから告白されたんだってな」
ローランドの声は決して店全体に響き渡るものでは無い。どちらかというならば、腹の底に響くどっしりとした低音だ。だが、ローランドの発した一言は忘れじ亭全体に響き、店の中が極寒の地に変わった。
全員がフランチェスカを見やるが、当の本人は――。
「……」
(明後日見てるー!?)
背景は儚い煌めきが似合うくらいに死んだ表情をしていた。悟りを開いたという表現も似合いそうだ。
「……え˝!? あ、え、え! ふ、ふら、ふふフランチャスカちゃ、こ、ここ告白って……!」
「ああ、告白というかなんというか……。あ、ドミニクさんパエリアータ二つでーす!」
慌てているクラウスを前にフランチェスカは、自分よりも焦っている人を見ているとなんだか返って冷静になれるというのはこの事かと実感していた。
気持ちは未だ黄昏にあるが、現実逃避をさせてくれないローランドの視線を受けて彼と顔を合わせる。
先に言っておく。それが枕詞だった。
「お前がテオドアの事をどう思っているかは知らん。関係無い。だが――忘れるな、あれは貴族だ。」
それは、牽制だった。
息が詰まる感覚は無いが、喉元を抑え付けられているような錯覚を抱かされる。店の雰囲気が再び凍り付き、慌てていたクラウスも冷水を浴びせられたかのように落ち着きを取り戻す。心配そうに視線を寄こしてくるクラウスだが、フランチェスカの顔には笑顔が浮かんでいた。
「心配してくれてありがとうございます。大丈夫ですよ。私、彼に興味持ってないんで」
「……そうか」
フランチェスカがきっぱりとそう言うと、幾らか店の雰囲気が明るくなった。常連客を始めとする店内に居た人々も安堵の溜息を吐き、食事や酒へと手を伸ばしていく。
ローランドとクラウスも口角が笑みを作れるくらいに安心したのだろう。フランチェスカと多少の会話を楽しむと、それぞれが持つ共有の話題へと溺れて行った。
――フランチェスカの返答に、ローランドの声色が微かな落胆を持っていたのはきっと気のせいである。
NEXT
ローランドは悪い人じゃないんです……。