第三話 日陰の戸惑い
サマリア周期・第六の月。
日本では六月に相当する季節であり、徐々に暑さを持ち始める時期でもある。ザッカルディアにエアコンなどの冷房機器は存在せず、この世界に息づく精霊の力を借りて人々は涼と暖を取るのが一般的だ。最近では精霊鉱石を利用した冷房機器の開発が盛んに行われているが、国民全土に普及している訳では無い。
故に――。
「フランチェスカさん。ずっとあなたの事が好きでした。婚姻を前提に、私とお付き合いしてください」
「……はぁ?」
――この人は、暑さで頭がおかしくなってしまったのだろうか?
フランチェスカがこう考えるのも、なんら不思議ではない。
バックに煌めくエフェクトを撒き散らし、フランチェスカに向ける笑みは真剣でありながら何処か逆らいずらい強引さを秘めている。握られている左手を引こうとしても、思った以上の力で抗えない様にされている。
(え、何この人。わけわかんない。オツキアイ? 買い物? ――スキ?)
「……あの、好きって……」
「勿論、貴方の事がという意味です。 ウィンドウ・ショッピングにお付き合い願うなどという神話時代のボケではありません。恋愛感情として、あなたと生涯を共にしたいという想いから、このようにさせていただきました」
「はぁ……」
頭が付いて行かず、生返事しかフランチェスカは返すことが出来ない。言葉の意味を理解するためにイケメンのセリフを脳内で柔らかく咀嚼し、理解を得ようと思考をフル回転させる。
時間はおよそ数秒。フランチェスカはようやく理解した。
「私を好き……。…………え˝!? 好き!?」
女の子としてはちょっとヤバめな声が出てしまったが、そんな些細な事を気にしている余裕はない。
「あ、あああ、あの! 私を、す、すすす好きって……!」
「ええ。ずっとあなたの事をお慕い申し上げていました。まだ時期尚早だと言われ続けていたのですが……ですがもう、この想いを秘め続けていることなど……俺には出来ない!」
添えるだけのようにフランチェスカの左手に触れていた両手がその力を増し、決して離さないという意志が込められた強引すぎるものへと変わった。左手全体を両の手で包み込まれるように握られ、その反動で前にのめり込む姿勢になる。
バサリと本が落ちる音をどこか遠くの出来事のように感じる。自分を取り巻くすべての出来事が他人事であるという感覚に襲われるが、頭の片隅で僅かながらに残った理性がこれは現実だという示している。
――逃げたい。
そう思ってはいても、フランチェスカ自身にとってもあり得ない状況故に、混乱に陥った思考はまともな答えを出せない。フランチェスカが何も言えずに狼狽えている間にも、彼から零れる愛の告白は止まる事を知らない激流の如く勢いを増していく。
「あぅ……ぁ……」
「あなたに声を掛けることが出来ないもどかしさ。日々愛おしさを増すあなたへの想い。俺が手を拱いている間にもあなたが誰かのものになってしまう……。カナリアのように愛らしく可憐なその声で、俺では無い誰かの名を愛おしそうに呼ぶ……。そう考えるともう、想いを抑えていることなど出来なくて……」
悲痛な声と共に、顔を俯かせるイケメン。恐らくは自分が口にした光景を頭の中に浮かべているのであろうか。そんな姿まで様似なっていることがちょっぴり悔しいという気持ちをフランチェスカにもたらすが、中庭方面が先程よりも大きな賑わいを見せていることに気が付く。
(ちょ、ホント、どうしよう……!? なんか中庭の方が余計に騒がしくなってきたし、ってかこの人。よく見たら、あのテオドア・アルチーデ・プロヴェンツァーレじゃない!?)
テオドア・アルチーデ・プロヴェンツァーレ。
ゼレンカ王立第一学校の騎士科に籍を置き、この学校に在籍している者なら誰でも知っている話題の中心人物であり、滅多に人と関わらない精霊工学科の生徒でも名前と顔を一致させることが出来る人物でもある。
ザッカルディア王国建国当初から今でもこの国を支え続けている名家プロヴェンツァーレ侯爵家の次男坊であり、次期国王として名高いエリオット・フロリード・ザッカルディアの幼馴染み兼親友という肩書を持つ。勉強・運動・魔術……ありとあらゆる面で非の打ち所が無く、性格に関しても紳士的かつ社交的。魔力の清廉さで人を見る精霊に関しても、彼の側は居心地が良いと手放しで称賛するくらいに真っ当である。
それ故に彼の隣を独占したいという少女たちは後を絶たず、テオドアの話題が事欠いたことは一度もない。
――そんな超有名人物が自分に何と言った?
火照った頬が、急速に凍えるまでに冷えていくのが分かる。
「あ、あの……」
「――――あ! テオ居たぁ!! おーい、テオー!!」
フランチェスカがテオドアに声を掛けようとした瞬間、中庭方面から彼を呼ぶ男の声がした。何処となく聞いたことのあるその声に、フランチェスカはまたも胃が痛くなった。
「……エリオ」
顔は伏せられていたため分からないが、明らかに怒気と分かる声色だったため、怒っているのだろう容易に予測できた。
決して自分に向けられた訳では無いのに、フランチェスカは思わず肩を震わせる。肩の震えは振動として伝って行き、フランチェスカの手を握っているテオドアにも感知出来る。――が、テオドアはその事に気が付かない。
(え、今エリオとか言わなかった? テオドアで、エリオ……。ってことは――!)
効果音は錆び付いた金属歯車。首だけを辛うじて動かし、声の主を確かめる。
収穫間近の棚田を思わせる黄金の髪。晴天の色と呼ばれているスカイブルーの瞳。テオドアと比べてしまうと少しひ弱に感じられるが、それでもしっかりと男だと感じさせられる身体つき。そしてやはり――イケメンだった。
そして、この人物をフランチェスカは知っていた。
(やっぱりエリオット殿下じゃないですかー!!)
エリオット・フロリード・ザッカルディア。
ザッカルディア王国王位第一継承権を持つ次期国王の青年だ。
誰に対しても気さくで、身分を取り繕うことなく人と接する。国王の美徳として知られている正義感の強さをそのまま受け継ぎ、恵まれた環境を享受するだけでなく人一倍の努力を重ねることを惜しまない。
気難しいと知られているザッカルディア王国の宰相を以てして、「正義感の強い子供がそのまま歳をとっているようだ」と感心を得られたらしい。
基本的には楽しいことなどが大好きなお祭り男だが、それでいて王族としての責務をきちんと果たし続けているため、この国に生まれた者は彼の名前と姿を知っている。(知らないのは自我が明確になっていない赤ん坊など。現代日本でいうならば、国の首相や大統領などと同じ立場の人を知らないという事だ。)
無論、幼少期を波乱で彩って来たフランチェスカも僅かながらに施された教育を頼りに、ゼレンカに入学してからだが彼の事を知っていた。
そろそろ動揺が顔に表面化されるというフランチェスカの事情などいざ知らず、エリオットは二人の方へを歩を進めてくる。テオドアも俯いたまま顔を一向に上げないので、この現状を打破する方法は一向にフランチェスカに降ってこない。
あまりにも不利な現状に、フランチェスカは思わず涙目になる。テオドアがこちらに来たことで騒然とまではいかないが騒がしかった中庭方面だが、エリオットが追加されたことでその喧騒は更に跳ね上がった。
(あ、これは死亡フラグですわ。さようなら私。さようなら明日。ああ、今日も空が青い……)
いよいよ視線が明後日の方向へと向きそうになる。走馬灯の如く現実に別れを告げようとすると、フランチェスカは自分の手が軽くなったのを感じた。
「……ぁ」
痛みを感じるほどの強さで握られていた自分の手から、テオドアの両手が僅かな隙間と共に離れていたのだ。
「……!」
反射的に右手にまとめた荷物を抱え、両の手を振り切るように左手を振るい、(振ったのはこちらのはずなのに、どうして自分の手の方が痛いのかなどは後で考えよう)そのまま言葉無く駆け足で研究棟の方へと走り去る。
物置などに遮られて生徒にはあまり知られていない研究棟近くの出入り口から校舎に戻る。階段を駆け上がり、目に入って来た女子トイレに滑り込む勢いで入る。
誰もいない事を確認し、一番奥の個室に入り鍵をかける。設置されている台座に荷物を置き、便座を上げずその上に座り込む。
深呼吸を一つ。そして――。
「……ぁ、ああああああああああああああ!」
顔が手で覆われていたため多少曇った声になったが、それでも女子トイレ全体に響く声量のフランチェスカの叫び。ありったけの羞恥心と絶望が螺旋を描くようにフランチェスカの脳内に押し寄せ、青ざめながらも真っ赤な頬を作り上げていた。
《フラン、大丈夫……?》
「も、なんなのあの人! わけわかんない! 何処のお貴族様だ! ――お貴族様だったよ! 忘れてたよ! ってゆーかなんで日本のお付き合いボケ知ってんのよ! そしてなんでそれをボケだと知っているんだよ! こういうのはお約束でしょうが! あーもー、明日からどんな顔して学校来ればいいのよー!?」
隣に現れたカメリアには耳も貸さず、溜めに溜め込んだ言葉を湯水のように吐き出していく。本音を言うならば床に転げ回りたいくらいの恥ずかしさだが、そんな奇々怪々な行動を人前で取れる訳が無い。ましてや、トイレで転げ回るほど追い詰められてはいないし常識が無い訳でもない。
「うぁああああああああああ……」
《フラン落ち着いて……》
カメリアの慰めが、どこか遠く彼方から聞こえてくる。このまま意識も彼方に連れ去ってくれないかと、少し危ない事を考えるフランチェスカだが――。
キーンコーンカーンコーン
聞こえてきたのは、おなじみの鐘の音。
弾かれるように、フランチェスカはジャケットの内ポケットにしまわれている時計に目をやる。
取り出されたのは年季の入った懐中時計。蓋の部分には美しい桜の装飾が彫られており、その精巧さから結構な手練れの人が作ったらしい。
秒針が指し示すのは、もうすぐ午後の授業が開始される五分前。――あの鐘の音は、予鈴だったのだ。
「……やばーい!!」
慌てて台に置いていた荷物を手にし、鏡で軽く身嗜みを整えてからトイレを後にする。
会話をしながら教室に入っていく生徒たちを尻目に、フランチェスカはこれからの事を考えると気が重くなっていくのを感じた。
NEXT
おまけ
授業中。
(……あ! 借りた本、置いてきちゃった……)
再びあの場所へと赴かなければならないと思うと、フランチェスカは胃が痛くなった。




