第二話 菩提樹の影
思った以上に長くなりました……。
突然だが『転生』という言葉をご存じだろうか。
死した魂が輪廻を巡り、また新たな生を受けるという仏教の考え方の一つである。
近年では、小説やアニメ・ゲームなんかのサブカル方面でよく利用されているため、知らない人は少ないかもしれない。
率直に言ってしまえば、フランチェスカ・オルランディはその転生をした経験がある。
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元々、フランチェスカという名前で生を受ける前は××××(現在、その名前はフランチェスカをもってしてでも思い出すことは出来ない。)という日本人であった。
何処にでもいる女子高生であり、これといった特技があるわけでも無い。ましてや、現代ラブロマンスや異世界召喚など非日常に巻き込まれることすら一切無い平和ボケした地球の日本で生活していた。
それが何の因果を持って××××であった時の記憶を有しながら、フランチェスカ・オルランディとして生まれてきたのか、フランチェスカには今もそれが解らない。
しかし、生まれてきてしまったからにはどんな事があっても生きる。そう自分の中で決意を固めていたフランチェスカにとって、ゼレンカに入学するまでの十年間は苦痛に満ちたものであった。
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まず第一として、オルランディ家が美貌と才能ある子供が生まれることが多く、それらが一切存在しない子供は成人である二十歳を迎えた瞬間に家から籍を外されてしまうという家系であった。
一番上の兄であるフレッド・オルランディは、父親譲りの商才と母親譲りの美貌を併せ持った何処に出しても恥ずかしくない完璧人間であった。性格も貴族特有の傲慢さを兼ね備えてはいたが、それを差し引いても魅力的な男性であったのだ。そんなフレッドは、家族の期待通りに次期オルランディ家当主としてふさわしく育っていき、現在は父親の補佐役として活躍している。
二番目の兄であるイヴァン・オルランディは、商才は無くとも母親譲りの美貌と剣の才能を見出された為、現在は王国騎士団の部隊長を務めるほどにまでなっていた。兄同様に傲慢さは持ち合わせていたが、それすらも美点としてしまう位に世渡り上手であったことも、彼を今の地位に押し上げた要因であろう。
オルランディ家の長女であるオッタヴィア・オルランディは、母親譲りの美貌を持ち合わせ、その美しさから『傾国姫』『女王蜂』とも呼ばれている。あまりの美しさ故に不名誉な愛称をつけらているが、それでも彼女を妻に娶りたいという男性は跡を絶たず、夜会や舞踏会に足を運んでは男どもを手玉に取っている。
オッタヴィアの酷評や悪評は止まる事を知らないが、怖いもの見たさゆえに彼女に声を掛け続ける人は後を絶たない。
そんな才能と美目麗しい兄弟たちを持ってしまったフランチェスカは、前世の記憶を併せ持ってたが故にこの世界での生活に一向に馴染むことが出来なかった。
生活水準の違い。価値観の違い。何よりも意識の違いがフランチェスカとオルランディ家の人々との間に亀裂を生んでしまった。結果、実の両親を始めとする親戚一同から、果ては使用人まで誰もフランチェスカの事を顧みないようになってしまった。
フランチェスカとしては、仮にも高校生として生きた記憶を有しているので寮付きの学校には行ってさえしまえば、後は資金援助さえしてくれればどれだけ罵られても構わないと思っていた。無論、心無い言葉に傷つかない訳では無かったが、それでも血の繋がりがあるだけの他人だと思い込めばそうでも無かった。――なのに。
「しきんえんじょすらないって、どうゆうことよ……!」
それは、約六年前。フランチェスカが十歳になったと同時に入れられたゼレンカ王立第一学校の入学式。実の親であっても誰も祝いに来ない事を悟っていたフランチェスカはせめて寮辺りは何とかしてくれていると思い、前日に嫌そうな顔をしたメイドから預けられた手紙の封を切った。
そして、驚愕に頭が真っ白になった。
手紙に書かれていたのは、オルランディの名を名乗ることは許すが家の名に傷を付けたら、即戸籍除外に処すこと。ゼレンカを卒業した・しないに関わらず成人を迎えたら即刻戸籍を削除するという事。また、自立心を養うために一切の資金援助や施設援助をしないという事だけだった。
言い換えれば『お金も渡さないし、寮にも入れてあげないし、二十歳になったら戸籍をオルランディから無くすけど、それまでは名乗っていいよ。』――という、事実上の育児放棄だ。
だが、この世界の法律に育児放棄という概念は存在しない。故に、虐待だと警護団――現代で言う警察のような組織――に駆け込んだとしても、そういった物であると受け取ってはもらえないし、むしろオルランディの金で、フランチェスカが警護団に駆け込んだという事実自体無かったことにされてしまう。そして、警護団に悪戯な情報を持ちいってオルランディの名を穢したとして、成人を迎える前に強制的に戸籍を削除されてしまう可能性だって考えられる。
そう考えたフランチェスカがとった行動は、住い探しとアルバイトを授業が開始される明後日までに見つける事であった。幸い心優しき夫婦(忘れじ亭を経営しているビオーニ夫婦)がフランチェスカの事情を酌んでくれたので、今の状況に落ち着くことが出来たのだ。
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重々しい荘厳な鐘の音がゼレンカ全体に響き渡る。昼の休息を告げる音だ。
ある者は、席を立ち腹を満たすために食堂へとその足を向ける。またある者は、友人との会話を楽しみながら何処へと教室から去っていく。ある者は、足音を立てながら教師のいる職員室へと向かっていく。
――フランチェスカも、その中の一人であった。
授業終了の鐘が鳴り響き教師が教室から退場すると同時に席を立ち、お弁当など必要な物だけを手早く纏めて持ち、足早にその場を後にする。その時にフランチェスカに対して声を掛けてくるような友人は一切いないので、そういった事で時間をロスするという事は無い。
少し前までは普通の女子高生だったのでそういった友人付き合いを懐かしく思うが、やりたいことを害すだけの存在はフランチェスカは要らないと思っている。フランチェスカにとってここでの生活は、現代日本のようにただ友人として付き合っている訳では無く、地位や才能を利用するための友好関係を築くものが多いので、寧ろやり辛さすら感じる次第だ。
フランチェスカが足を進めたのは、ゼレンカの校舎を繋ぐ中間地点といえる中庭。
ゼレンカの中庭は広い。元々は貴族と平民との仲を取り持つ役割を担う場所として設けられた所であり、現在でもその意味合いは変わらない。無礼講といえば聞こえはいいが、中には行き過ぎた行為を働く者もいる。
植えられた木々や草花は、週に一回は業者の手入れが入りその可憐さをいつまでも保ち続けている。
が、フランチェスカが目指している場所は此処ではない。
(……あ、よかった。今日も、誰もいない)
そこにあったのは一本の菩提樹。悠然とその場に根を下ろし、首を空に向けてもその頂点を垣間見ることは出来ないくらいに立派に成長している。身に着ける花は愛らしく、ザッカルディア国内でも六月の季節花としてその名を知られている。この樹自体は程よい木陰を作ってくれるので、人からの人気もそれなりに高い。故に、人がいてもおかしくは無いが……如何せん菩提樹の立っている場所が悪い。
菩提樹が立っているのは中庭が存在する中央校舎では無く、精霊工学科の生徒のみしか近づくことが無い研究棟の裏。人目に付かない所であるため中庭より業者の手入れが入る頻度は少なく、それ故に自由に生い茂った草木に日が覆われてしまう。
木々が生い茂った日の当たらぬ不気味な場所。ましてや中央校舎より離れたこの場所に人がやって来ることなど、フランチェスカがここを見つけてから今まで一度もない。
菩提樹の下に設置されたベンチに腰を下ろし、バスケットの蓋を開ける。中には忘れじ亭の料理長であるドミニクが作った彩色のよいお手製のサンドイッチが鎮座していた。
「いただきます」
癖になってしまった食事の挨拶をしてから、ハムとレタス・トマトが挟まれたサンドイッチに手を伸ばす。瑞々しい野菜の味に、塩気が利いたハムは相性が良く最低限の味付けしか施されていないサンドイッチの魅力を十分に引き立たせていた。
「野菜はこれくらいで及第点かな? アレックスさんのハムも相変わらずおいしいし……」
自らが育てた野菜の成果を明記しながら食を進めて行く。
忘れじ亭では、従業員の賄と新作メニューの試作品だけはフランチェスカが育てた野菜を使うという取り決めがある。元は、野菜の品質を向上させたいと思っていたフランチェスカが独自に始めた肥料研究が発端で、それを試食したドミニクが自分の料理で使いたいと申し出たことが始まりだ。
最初は渋っていたフランチェスカだったが、賄と試作品のみという条件を付けてドミニクの頼みに応じ、野菜を提供している。
「それにしても、この季節に朝ごはん用のサンドイッチはやっぱりきついかな……。よし! 次はランチボックスに決定!」
バインダーに挟まっている紙から何も書かれていない白紙を取り出し、万年筆を取り出すと赤字で『次回作はランチボックス』と殴り書きする。
その下にかつての記憶から掘り起こしたランチボックスや、お弁当箱の設計図を書いていると、
《フラン、おはよう》
「あ、おはようカメリア」
光の粒子と共にカメリアが現れた。カメリアは両腕を空へと伸ばし、ぐーっと背伸びをするとその小さな翅を羽ばたかせながらフランチェスカの周りをくるりと一周した。
《相変わらずここの魔力は澄んでていいわー。人間たちのせいで変に淀んでギスギスしてないし、中庭みたいに息も詰まらないし!》
「相変わらず辛口ー」
この場所お決まりとも呼べるカメリアの定型句から始まり、二人でのんびりとおしゃべりをしている時にそれはやって来た。
「……? なんか」
《騒がしい……?》
人が全く来ないと言っても過言ではないこの場所は、騒がしくなること自体珍しい。一体何事だろうとカメリアと二人、騒めいている方向へと視線を向ける。
視線の先には、こちらに向かって歩いてくる一人の男子生徒が居る。
「カメリア」
《ん》
自分たちには一切関係ないだろうと思うが、何時でも動けるように荷物を手早く纏める。フランチェスカの声に応じてカメリアもその姿を消す。公共の場である以上変な配慮をする必要はないと思うが、やって来た人種が悪かった。
艶のあるハニーブランの髪。宝石と見間違うような美しさを持った翡翠の目。身体つきはやや筋肉質で、背は百八十以上あると推測できる。一言でいうなら――イケメンだった。
明らかに場違いな風貌のその人に、フランチェスカは表には出さないように警戒心を抱く。
(なんだってこんなところに人が……)
本を開き、物語にのめり込んでいるかのように顔を伏せる。こうしていれば、フランチェスカに用事があるという場合でない限り声を掛けてくることはまずないと踏んだからだ。
だが――。
(って、思いっきりこっち来てるー!?)
イケメンは真っ直ぐにフランチェスカがいる方へと足を進めてくる。その足取りに迷いは無く、寧ろフランチェスカがいる方向に用があるとでも言いたげな速度だ。荷物を纏め逃げ出したい気持ちが身体を支配するが、本当にフランチェスカに用があるとも限らない。ただこの場所に来ただけの人かもしれない。
逃げるかどうか迷っている間に、イケメンはフランチェスカの目の前で足を止めた。
そして。
「あの、フランチェスカ・オルランディさん……ですよね……?」
必死に自分じゃないという暗示をかけて、本に視線を落としているフランチェスカに声を掛けてきた。フランチェスカは、来てほしくなかったという表情を隠すために本を口元にあてながらゆっくりと視線を目の前の人物へと向ける。
視線を受けたイケメンは、フランチェスカの顔を見るなり満面の笑みを浮かべた。感嘆の息を漏らすとフランチェスカの前に膝をつき、強引ともいえる勢いで本を持っていた左手を取る。
「あ、あの……?」
「フランチェスカさん」
「ずっとあなたの事が好きでした。婚姻を前提に、私とお付き合いをお願いします」
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