第一話 私の日常。
ゼレンカ王立第一学校。
ザッカルディア王国に存在する二つの学校の一つ。第二よりも都心部に近く、立地条件の良さから多くの貴族や留学生が通う由緒正しき学校である。設備・奨学金を始めとする様々な面々で第二に勝っていることから両校の仲は悪いとされているが、方向性の違いからそんな事は一切無い。
第一学校は、一般科・騎士科・魔術科・精霊工学科の四つの学科に分かれており、多くの平民は一般科に属し、貴族の大半は騎士科か魔術科に属することが多い。学内にはそれぞれの分野の権威が講師として在籍しており、才能を見出された者は途中の転科が可能であり、それに対する特別奨学金が出る仕組みだ。
それは貴族に限らず平民からも選出されるため、平民から貴族へと伸し上がるための一歩にもなる。
故に、平民たちは教養と一発逆転の機会を手に入れるために、貴族たちは己の人脈作りのためにゼレンカに入学している。
♢♦
ここは、ゼレンカ王立第一学校の中に存在する図書室だ。人影は無いに等しく、辛うじて司書が己の業務を果たしている姿しか確認することが出来ない。
理由としては、ゼレンカの近くに国が管理・運営している王立図書館が存在し、蔵書数・座席数・開館時間といった面々が充実しているため、生徒がそちらの方へと足を向けてしまうからだ。更なる理由を挙げれば、王立図書館には飲食スペースが完備されている事もあり、長時間の作業にはあちらを利用した方が効率が良いからだ。
故に、学内に存在するこの図書室は普段は一切人が来ない場所であり、テスト前期間のみが盛況という何とも寂しい場所である。
そんな中、一人受付カウンターで黙々と作業をしている一人の女学生がいた。
色素の薄いはちみつ色の髪。晴天を思わせる澄んだ青い瞳。顔つきは素朴だが、それなりに愛らしい容姿をしている。野花や、飾らない美と称した方が似合っている。背は高い方ではなく、トランジスタグラマーといった表現が似合う。――そんな印象だ。
清楚かつ優雅さを醸し出した制服に付けられた腕章にはアルバイトの文字が書かれており、本来の司書では無い事が解る。
腕章に刻まれた名前は、フランチェスカ・オルランディ。
彼女は人がいない事を幸いにと、カウンター越しからは見えない場所で黙々と、それでいて限りない速さで何かを書いていた。
「――フランチェスカちゃん、もう閉館時間になるよ」
「……ぇ? あ、はい!」
集中しすぎて周りが見えないようになっていたフランチェスカに声をかけたのは、一人の初老。名をダニエル・バーヴァと言い、この図書室の司書だ。
「ご、ごめんなさい! 夢中になりすぎちゃって……すぐに、戸締り確認してきます!」
「いや、それはもうワシがやっておいたよ。それよりも、もうすぐ忘れじ亭のバイト時間じゃなかったかい? ここはもう大丈夫だから、そっちに行っていいよ」
「はれ? ……あ˝! ちょ、ヤバ! ダニエルさんすみません、お言葉に甘えさせてもらいます!」
ダニエルの言葉に一瞬呆けたフランチェスカだったが、腕にした時計を見るや否や大慌てで周囲の荷物を片付ける。書き殴るように書いていた文字はまだインクが乾いておらず、別の紙に滲んでしまった。
それに気が付いたフランチェスカはこの世の終わりとでも言わんばかりの表情を浮かべるが、今はそんな事をしている場合ではない。
……だって、今日は――。
「あ、そうだ。ダニエルさんもよかったら来てくださいね! 今日からの新メニューは、多分おいしいですから!」
「ああ、全部片づけて寄らせてもらうよ」
一礼し、出来るだけ音を立てないように図書室を後にするフランチェスカ。ここには自分以外誰もいないのに律儀だなとダニエルは思いつつ、手にしていた業務日誌を開く。
書くことは何時ものようにあまり存在しないので、すぐに終わらせることが出来る。三十分もしないうちにフランチェスカのバイト先である忘れじ亭に行くことが出来るだろう。
「……いかんのぅ。歳を取ると、どうも事を急いていかん」
――たかが食事なのに。
そうは思っていても、湧き上がる高揚感にダニエルは一度も勝った試しが無い。何故なら……。
「フランチェスカちゃんの作る料理にハズレがあったら、年甲斐もなくはしゃがなくて済むのじゃがなぁ……」
♢♦
ザッカルディア王国の中央部から少し離れた所。別名『商人の贈り物』等と呼ばれている第九区画。朝から晩まで様々な露店が立ち並び、見る者の気持ちを活気づかせるザッカルディア王国の顔の一つでもあるこの場所。
その中の一つ。宿屋と軽食屋を兼ねた歴史ある店――忘れじ亭。結構昔――少なくとも先々代の王が即位したときから存在していた――からあるこの店は、他の店舗との客取り競争に負けることなくこの場所にあり続けていた。
外装は草花に覆われた少し古めかしい印象を与えるが、一歩店内に入ると外とは全く違う世界に引き込まれる。優しいクリーム色のテーブルクロスに、年季が入りそれすらもアクセントにしているテーブルとイス。壁には様々な冒険者の写真や、店の周期を祝ったと思われる思い出深い絵が飾られている。
客層も、学校帰りの学生たちや今日の稼ぎを祝う冒険者など、ある程度のマナーを持った良識ある人々ばかりだ。
そんな居心地の良い店内全体に響き渡る鐘を響かせながらドアを開けたのは、額に一筋の汗を浮かばせたフランチェスカだった。
「遅れてしまってごめんなさい! すぐに入りますから!」
「おう、お帰りフランちゃん!」
「お帰りフランちゃん!」
真っ先にフランチェスカに声をかけてきたのは、店の主である夫婦だった。名をドミニク・ビオーニ。二コラ・ビオーニと言い、フランチェスカにとっては命の恩人にも等しい大切な人たちであった。
「お! 忘れじ亭のお姫様のご帰宅か!」
「フランちゃーん! 新作のオニエルグラタンスープちょー美味しいよ!」
「それを言うなら、こっちのダンシャクのグラタンだっておいしいよ! また腕を上げたんじゃないか?」
「お世辞を言っても、何も出ませんよアレックスさん。ご注文くださって、ありがとうございますエドワードさん、セルジさん。皆さんのお口にあったようで、何よりです。」
フランチェスカは声をかけてきた三人の男性に手短に答えると、スルリと厨房のにある裏口の扉へとその姿を消した。学校の制服から、ウェイトレスの服に着替えるのだ。
三人もそれが解っているので、フランチェスカを引き留めるようなことはせずそのまま見送ると、全員が同時に小さな溜息を吐いた。
「あんなに料理上手で気配り上手なのに、どうしてこう……」
「おっと、それ以上は言っちゃいけねぇよ」
「わーってるさ。……でもな、この間オルランディの次男坊に会っちまってよぉ。どうにも、消化不良でいけねぇ」
「そいつは災難だったな。……まぁ、お貴族様の考えなんてもんは理解出来ねぇよ」
「まあな……」
「遅くなりました。フランチェスカ入ります!」
どこか暗い雰囲気になってしまった三人の卓の空気を一新させたのは、忘れじ亭のウェイターに支給されている接客服を着たフランチェスカだった。
白いワイシャツに組み合わされた黒いベストと、ワンポイントである赤いネクタイ。風に棚引くプリーツスカートと、服が汚れない為の前掛け。普段は下ろしているはちみつ色の髪を、蝶が彫られたバレッタで留めている姿は三人がいつも目にしているフランチェスカそのものだった。
「ガハハハハ!」
「……クハハ!」
「……ブハッ!」
……一体、何を悩んでいたのだろうか。
暗くなった理由を忘れてしまった三人は一斉に噴き出すと、フランチェスカの笑顔を見るための追加注文をしようとその手を挙げた。
♢♦
「ふぇー。今日も疲れたよー」
時刻は、後半刻で明日を迎えるであろう時間帯。あまり遅くまで学生を働かせないというビオーニ夫婦のご厚意の元、フランチェスカは自分の部屋へと戻って来た。
忘れじ亭の一角にあるフランチェスカが間借りさせてもらっている部屋。日当たりは良く、窓から見える景色は観光地とまではいかない美しさだが、フランチェスカはそこが気に入っている。部屋の中にはベッドと作りの古いテーブルとイス。衣服を仕舞うクローゼットと旅行用のトランク。一般的な少女の部屋とは言えない何とも物寂しいものだった。
《お疲れ様フラン。今日はなんだか、貴女の魔力が一層綺麗で、芳醇だったわ。もしかして、新メニューの受けがよかったの?》
ベッドに倒れこんだフランチェスカに声をかけてきたのは、淡い光を纏った小さな小人。ふんわりとした丈の短い緑色のカクテルドレスを纏い、背中にはガラス細工のような羽。
人間と共存しながら生きている精霊の姿がそこにはあった。
「ただいまカメリア。今日はねー、二コラさんに受けが良かったオニエルグラタンスープと、カメリアが好きだって言ってくれたダンシャクのグラタンが飛ぶように売れたんだって! おかげでいつも以上に忙しかったんだ」
《あら、ダンシャクのグラタンが出たのね。いいなー、私も食べたかったわ!》
「ん! 今度の休みに作ってあげるね」
《ありがとう!》
カメリアと呼ばれた精霊は嬉しそうに空を舞い、フランチェスカの頬にキスをするとベッドの頭付近にある柔らかいクッションが敷き詰められた自身の寝床へと座った。
《明日はどうするの?》
「んー。もう少しで終わる翻訳を閉館時間までに終わらせて、研究所に持って行ったら後は自由だよ」
《あら、じゃあこの間言ってた織物のお店を見に行かない? あそこにいい魔力を帯びた反物がある気がするのよー!》
「いいよ。ちょうど使えるお金もあるし、明日はそうしよっか」
カメリアと二人、明日の予定を立てながら風呂や明日の準備など、諸々の事を済ませると布団の中へと己の体を滑り込ませる。
「おやすみ、カメリア」
《おやすみなさい、フラン》
短く就寝の挨拶をし、そっと己の眼を閉じる。
時間に追われ、忙しなく働き、少しおしゃべりをして、死んだように眠る。
これがフランチェスカの日常であり、代わり映えの無い毎日だ。
・