失った者達
第4話 失った者達
森野昭三ごく普通のサラリーマンである。彼はいつもの様に目覚ましの音で起された。リビングには既に妻の森野加奈子が朝食の用意をしていた。
「おはよう。あなた。」
エプロン姿が良く似合う。昭三は頭を掻きながら、その姿に見惚れていた。うふふと笑った彼女は又、ネギを切り始めた。
昭三は洗面所に行き、その不揃いのひげをそり始める。しばらくして、娘の森野恵子が顔を洗いにやって来た。
「お父さん、おはよう。」
あくびをしながら、そう言うと水を出し始める。
ああ、おはようと昭三は娘に返し、一足早くリビングへと戻った。其処には、目玉焼きや味噌汁といった朝食が並んで既に並んでいた。比較的早起きのこの一家には朝はそれなりに時間の余裕があった。
「ねぇ〜いいでしょお父さん。あそこのペンダントかわいいのよ〜。」
「ああ、今度のテストがいい点だったらな。」
そう笑って昭三は娘のおねだりをうまくかわした。
「おっと、もう行かなきゃじゃ行って来るよ。」
玄関先では行って来ますのキスを妻、加奈子の頬にした。鞄を渡され、今日もまた昭三は会社へと向かった。いつもの満員電車は未だになれない。会社での彼の地位はそれほど高くは無かったが、仕事が出来た為上司や部下からは期待される存在だった。こんな毎日が彼には幸せだった。
流石に彼でも残業は嫌なものだった。それでも、急に倒れた部下の仕事の後始末はきっちりやらなければ気がすまなく、もう時間は夜中の十二時だった。
「遅くなったな。」
腕時計を見ながら呟いた。ふと顔を上げると赤い景色が目に飛び込んで来た。彼は全速力で走った。
火事だ。自分の家の前には消防車と救急車が何台も集まり、消火活動をしていた。最悪の状況が頭に過ぎった。
「加奈子・・・恵子・・・。」
無意識の内に口にしたその言葉が彼には重く圧し掛かった。
もはや以前のその家は面影すら無くなっていた。崩れる建物の周りには、野次馬が集まっていた。
「危ないから下がって!」
そんな消防員の声が当たりに響く。
「妻と娘が・・・。妻と娘はどうしたんですか!?」
人ごみを押しのけ、昭三は家へと向かった。
「危ないですよ!」
「妻と娘が、妻と娘がいるんです!」
あっとその消防員が静かに首を振った。
『昨晩の火事は火元から見て放火の可能性が高いと・・・。』
テレビから聞こえるその声は昭三の心を縛り付けた。魂の抜けた様なその様子からはもはや、以前の昭三の面影はなかった。そんな彼がこの店に迷い込んだのは何時だろう。その古い建物に吸い込まれる様に中へと入っていく。狭い店内に所狭しと並べられたそのアンティークに見惚れている昭三に声を掛けたのは夢屋の少年だった。
「どんな夢をお求めですか?」
「妻と娘にもう一度会いたい・・・。出来るなら、あんな事をした奴に・・・。」
「駄目です・・・。」
昭三の言葉を最後まで聞く前に夢屋の少年が言った。
「叶えられるあなたの夢は一つだけ・・・。」
彼は悩んだでその答えを出した。
「妻と娘に会いたいです・・・。」
彼は笑いながら言った。
「良い夢を・・・。」
目が覚めるとそこには、見慣れたリビングが目に映った。
「あなた・・・。」
「お父さん・・・。」
振り返れば、其処に妻と娘の姿があった。涙で濡れるその瞳で彼女達を見つめる。
「加奈子・・・。恵子・・・。」
そう、昭三は小さく呟くと二人を抱きしめた。その後の会話は要らなかった。三人は何時までも何時までも抱きしめ合った。昭三がそのポケットから恵子の欲しがっていたペンダントを取り出し渡した。そして二人にキスをした所で彼は目が覚めた。
彼は今日も何事も無かったかの様に会社へと向かうだろう・・・。
「あなたの望みはその炎で全てを燃やす事ですか?」
夢屋の少年はその男に言った。男は少年の姿を見て逃げ出したが、彼からは逃げられなかった。
「うふふ。では、良い夢を・・・。」
その断末魔の叫びは周りには聞こえない男の事が知られたのは、その次の日の事だった。