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柏木和也の懸念

 暑い。こんな暑い中運動会だなんてやってられない、と思うが息子たちは元気にかけずり回っている。若さゆえだろうか。

 太陽を見上げる俺の眼差しは恨めしげなものだったに違いない。午後一の父兄参加リレーはクーラーのきいた中でデスクワークばかりしている鈍った身体に大ダメージを与えるだろう。うんざりと人ごみに視線を戻して、ふと知った顔を見つける。

 「お、深子ちゃんじゃないか」


 保護者テントの中、日陰になる箇所は競争率が異常に高い。我が子の活躍をカメラに収めるためゴールテープ付近も常に混んでいるが、入れ替えも激しいのでいい場所につくのは比較的楽だ。他方、テントの中で保護者たちは自分の陣地を作り、そこを拠点として我が子を追いかけるので、一旦取られると空くことはまずないと言っていい。

 息子の洋司が入学して初めての運動会では古参のお父さんお母さんの気迫に引いてしまったものだが、三年目となれば朝早くから粘ることも覚えた。とはいえ俺たちはそこまで子どもの写真に命をかけているわけではないので、ほどよく日陰の、二人分のスペースを確保するだけで良かった。できるだけテントの真ん中が良い。日が傾くと日差しが入り込んで来て、妻が文句を言うからだ。

 PTAが販売しているお茶を買って、妻が待つテントへ戻ろうとしたときに、鬼気迫る保護者の波の中で彼女はうろうろしていた。

 「あ、お兄さん。お久しぶりです!」

 妹の友人の深子ちゃんが、ぱっと笑顔を向けた。

 …この『お兄さん』というのは、(俺の妹である澄江の)お兄さんという意味で、彼女と俺にはもちろん血縁関係はない。昔からそう呼んでいるから今さら変えられないのだという。妹と彼女の付き合いもいい加減長い。

 「洋司を見に来てくれたのか?澄江も来ないのに、ありがとうな」

 「い、いいえ。ヨウくんの活躍、見たいし…」

 少し頬を染めた彼女の魂胆は、俺たち一家全員が知るところだ。洋司に限らず幼い男の子が好きな深子ちゃんは、久々の少年たちをじっくり目で楽しむとともに、写真にも収めてコレクションするつもりなんだろう。

 (って、具体的に想像すると本当に変態みたいだな…)

 若干引いた俺の視線に気がついたのか、慌てて手を振った。

 「い、いやだなあ、犯罪みたいなことはしませんからね」表情だけ見ると照れている可愛い女の子なのが詐欺チックだ。

 「彼氏と来れば良かったのに」

 この調子では彼女に恋人なんていないだろう、そう思ってからかい混じりに言ったのだが…、

 「え、ええ、知ってるんですか!」

 「えええ、いるの?」

 「あ、えっと…」

 鎌かけだったことに気づいたのか、はっとして彼女はうつむく。この調子だといるのか。しかしどうして隠すんだ?気になってくるじゃないか。

 「あの、今日、しょーたは来てないんですか?」

 逸らしてきた。しかも恋人の話の直後にそれを振るか。もしかして長年彼女に懸想している我が弟は失恋してしまったのだろうか。それで兄の俺に対しても気まずい…?

 「章太郎な、来たがってたんだけど、模試がかぶっちまって」

 弟の章太郎は、洋司を溺愛している。正直甘やかし過ぎだとは思うが、その分親がしつければいいかと思ってそのままにしている。しかし、今回に限っては妻ともども閉口せざるを得なかった。

 「まあ、詳しい話は座ってしようや。奥さんがお茶を待ってるからさ」

 手にしたペットボトルを持ち上げて、テントのほうを指差してみせると、深子ちゃんは慌てて俺のあとをついてきた。



 「お父さんとお母さんもいないんですね」

 「午前中はちょっといたけどな。こんな暑いんじゃあご老体にはしんどろうて」

 ふざけた調子で言うと、生真面目な深子ちゃんは「お二人ともまだ働いてらして元気じゃないですか」と『ご老体』という単語に憤慨した。

 「あら、深子ちゃん、こんにちは」

 「こんにちは、由起子さん」

 妻は深子を見つけるとにっこりとほほえんだ。『夫の妹の友だち』なんてややこしい関係だがなかなか仲良くしているらしい。深子ちゃんの人なつこさも一役買っているだろう。

 「次の競技、ちょうどこのテントの前を洋司が走るらしいの。あ、後ろの人が見えないからすぐ座ってね」

 遠慮している深子に妻が座るよう勧めた。確かに三人座るのは少し狭いが妻も深子ちゃんも小さいから十分だ。今日は日差しが強いから、日陰に入るとかなり楽になる。深子ちゃんもシートに座って、ふうと息を吐いて汗を拭った。

 ちょうど競技の合間らしく、小学生たちが並んで退場したあとに次の競技の準備が行われた。息子が意気込んでいた障害物競走だ。準備には時間がかかりそうだと思って俺は深子ちゃんに話を切り出した。

 「深子ちゃん、今も章太郎と仲いいんだろ?」

 「え、ええ、あの、まあ…」

 なぜそこで口ごもる。やっぱり振ったのか。話すべきか迷うが、言ってしまうことにする。

 「さっきも言ったけど、章太郎のやつ、今日は模試だったんだ。だから行けないって洋司に言ったら、洋司が案の定大泣きした」

 あれはひどかった。小学校に上がってから、「兄ちゃんみたいな強い男になる」なんて言い出して、ほとんど泣かなくなっていたが、その『兄ちゃん』が絡むとこれだ。

 「そしたら章太郎、模試を休むとか言い出して」

 「えーっ」

 「わが弟ながらそこまで馬鹿とは思ってなかった。親父たちにも当然怒られてしぶしぶ今日は模試に行ってるんだけどな」

 「しょーた、そこまで」

 信じられないと彼女は妻を見たが、妻は苦い顔をしていた。俺もきっと同じ顔をしているだろう。

 「で、俺たちがちょっと心配してるのがさ、そのとき章太郎が言ったことなんだが」


 『どうせ高一の模試なんて大したことじゃない。俺の将来には関係ないし』


 「…どういうことですか?」

 「わからん、聞いたけどそれ以上言わなかった。ただ、あいつは高校をなめくさってるし、洋司を優先しすぎだ」

 「……」

 「俺たちからも言うようにするけど、身内からじゃ意固地になりかねん。もし機会があれば、さりげなく聞き出してやってほしい。説教なんてしなくてもいいから」

 深子ちゃんは黙り込んでしまった。妻が慌ててフォローを入れる。

 「あんまり深刻に考えないでね。私たち、共働きだし、洋司の面倒見てくれる章太郎くんには本当に感謝してるの。あの子と仲良くしてくれるのはありがたいんだけどね」

 「…はい、わかりました。ちょっと聞いてみますね」

 深子ちゃんは笑顔で言ったが、俺には幾分無理をした笑顔に見えた。

 「ほんと、気負わなくていいからな。ほら、洋司が出る競技だ」

 俺は彼女の注意を促した。アナウンスが流れ、小学生たちが入場してくる。洋司は入場の列の中で、めざとく深子ちゃんの姿を見つけて嬉しそうに笑って手を振った。


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