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柏木章太郎の回想

 高校生になる春だった。背が伸びて、170㎝を越えた。姉は就職して一人暮らしを始め、深子も同じく就職した。これから社会に出れば、彼女はもっともっと遠くなる。俺の知らない世界に行ってしまう。

 そして、他の誰が忘れても俺だけは忘れない、約束の歳でもあった。



 当時一人暮らしを始めたばかりの姉は土日になるとよく実家に帰ってきた。友人と会うなら自分のアパートか外で会えばいいのに、どうして実家で会おうとするのか。俺にとっては都合がよかった、深子に会うことが出来るから。

 土曜日は半休の姉は、深子と仕事終わりに待ち合わせしていたらしかった。少し仕事が長引くみたいだから、先に上がって待っていていい?と深子は訊いた。俺に全く異論はなかった。

 俺がソファにかけると、当然のように深子が隣に座った。

 「茶とか、いる?」

 「んー、いいや。これからスミとお茶するんだろうから」

 「あっそ」

  この距離の意味なんて、こいつは考えてないんだろうな。

 テレビは昼時のバラエティー番組を終え、しょうもないワイドショーや再放送ばかりだった。どのみち俺は、落ち着いてテレビなんて見られなかったけれど。

 「深子」

 呼んだ声は、少し掠れて恥ずかしかった。でも深子は気づかない様子でテレビを見たまま返した。

 「ん?なあに、しょーた」

 「…俺、高校生になるよ」

 俺も顔をテレビに向けたまま、言った。

 「……そうだね」

 「約束、覚えてる?」

 瞬間、困った顔をした。腹立たしい。少し目を見開いて、繕うみたいに笑って、顔をそらした。

 「覚えてるんだろ」

 顔をそらした彼女はそのまま上体を曲げて、足元の鞄から箱を取り出した。

 「…高校入学おめでとう、しょーた」

 差し出された箱をむげにもできず、素直に受け取ってしまうと、深子はほっとしたような顔をした。

 「今どきどういうもの選べばいいかわかんなくて、月並みなものなんだけど、ごめんね」

 「なあさっきの答え聞いてないんだけど」

 今度こそ深子は黙った。

 困ってるんだ。

 わかってるよ。


 『約束だよ。おれが高校生になったら、おれの彼女になってよ』


 『付き合ってって言われて、無理なんて言えないじゃん』


 「…ありがとう、ごめん。忘れていいよ」

 でもその場にはいられなくて、箱を持って立ち上がった。

 「これ、あとで開けるな。ありがとう」

 「…覚えてるよ」

 振り向くと、深子はまだまっすぐテレビを見ていた。意地になっているのかもしれなかった。

 「覚えてるよ」

 「……なにを」

 「…約束」

 深子はゆっくりと俺の方に顔を向けて、ほんの少し眉を下げて笑った。


 「じゃあ、付き合おっか?」


 『じゃあ』ってなんだよ。

 そんな、しょうがないみたいな口調で言うか?

 なんで、そんなに残念そうに笑うかな。

 無視して、自室に戻った。


 ドアを閉めて、ため息をついた。その吐息が震えているのが自分で分かって、情けなかった。

 泣きたい。

 ポケットの携帯電話が震えた。メールの着信だ。

 『ごめん、なにか怒った?』

 何言ってるんだ、この女。

 いらいらする。必死に感情を抑えて、ようやっと返信した。

 『無理すんなよ』

 なんの気遣いだよ。そんなのなら、いらない。

 今度は電話がかかってきた。なんで階下の人間と電話しなきゃいけない。でもわざわざ下りて顔を合わせたくはない、というか話したくない。しかし携帯電話の振動は止まなかった。

 「…なんだよ」

 『何が無理なの?』

 「俺は優しさで言ってやってんの」

 せっかくうやむやにしてやったのに、蒸し返すなよ。

 『大丈夫だよ。無理してない』

 震えた声で何を言う。

 「わかったから」

 『…じゃ、会いに行っていいの?』

 「は?」

 『澄江がいなくても。いいでしょ?それにほら、洋司くんにも会えるし』

 …俺は洋司に会うための口実かよ。

 もうどうでもいいやと、思った。

 「…いいよ。俺も洋司も学校あるし、連絡くらいしてからこいよ」

 『うん』

 ほっとした声出すなよ。

 『高校入学おめでとう』

 「さっきも聞いたし、まだ入学してねえから」

 『うん、そっか』



 あれからあの女はあつかましくも二週間に一度は俺の家にやってくる。洋司が帰宅してから両親が帰ってくるまで俺と深子の二人きりになるわけだが、俺が小さい頃からの知り合いだからか何も間違いは起きないと両親も姉も思っているらしい。実際起きてはいないが、憎らしいことに。いっそ襲ってやればいいのか、なんて思わないでもないが、できないことはわかっている。ああ、へたれだよ、悪いか。

 それでも俺は根拠のない希望を持っていた。いつか俺の方を向いてくれるんじゃないのかと。本当は、俺に会いにきてくれてるんじゃないのかと。

 ずっとそばにいてくれるんじゃないのかと。

 進学祝いの腕時計を毎日つけて、ばかみたいだった。


 あの女はうやむやにしたんじゃない。拒否した上で、俺との「友だち」を継続させていただけなんだ。

 わかっていたはずなのに、突きつけられるまで何も気づけなかった。

 『彼氏?いるよ、付き合ってる』

 どのみち、もう俺とあの女には何もない。

 もう俺はいいんだ。

 弟分として、せいぜいあいつの幸せを願ってやるんだ。


 …どうして悲しそうな顔をする?


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