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王子様の恋  作者: 来生尚
願掛けと独占欲
7/48

 腕を組んで、煩い酒場の中を眺める。

 身分がわからないように、一般の海軍兵の制服に身を包み、待ち合わせ相手を待つ。

 人を誘っておいて遅れるとは。

 昼間の兄の事を思い出して、またもやもやとした気持ちが湧き上がってくる。


 水竜の神殿での大祭や巫女交代の儀式について父である国王に報告を終え、祭宮の正装の上着を脱ぎ、ポンっと執務用の机の上に投げる。

 図らずも溜息が零れ落ちる。

 祭宮になった時にあてがわれた部屋は広く、以前海軍に属していた時に使用していた部屋よりもずっと豪奢だ。

 しかしそれが「祭宮」を飾り立てる演出の一つとしか思えない。

 事実、樫の木の本棚の中は古臭い歴史書ばかりで、今現在この国に必要なものなど一つも無い。

 窓辺に寄って外を眺めると、幾重にも重なる王宮の塔や建物の向こう側に大河が見える。王都の端の船着場には使われる事のない軍艦が係留されている。

 二度と動く事のない、二度と乗る事のない俺の船。

 海軍の将軍であった俺の持ち物。

 決して楽しいとは言いがたい時間であったはずなのに、海へ戻りたいと思う。軍属であった時にはこんな閉塞感は無かった。状況を打破すべく、努力する事が可能だった。

 だけれど、祭宮に何が出来る。何も出来やしない。

 祭事を司る宮、祭宮。王宮の中のお飾りでしかない。例え巫女を産み育てる事が出来たとしても。

 高い塔の一室であるこの場所から外を見つめると、眼下に広がる王宮も王都も領土も、この手の中に掴めそうな錯覚を覚えるというのに。

「祭宮」

 静かに声を掛けられ、全く気配を消していた相手に驚いたことを悟られないよう振り返る。

「あ……将軍殿、いかがなさいましたか」

 兄上と口をついて出てきそうになり、慌てて言い換える。

 穏やかな笑みを浮かべ、次兄であり現在は全軍の総司令官でもある兄は、片手を挙げて室内にいる者たちに退出を促す。

「いつ、お戻りになられたのですか」

 確か海軍の演習に参加する為、また隣国の視察の為に数ヶ月前から出かけていて国を留守にしていた。

「情報に疎いね、祭宮。いくら自分に関わりのない事とはいえ、ありとあらゆる情報を手中に収めておく事は必要ではないかな」

「……昨日水竜の神殿から戻ったばかりで。申し訳ありません」

「それは理由にならないね。たとえどこにいても国の全てを把握しておくようにするといいよ。カイ・ウィズラール」

 最後の一人が部屋を出たのと同時に、兄は俺の名を口にする。

 日に焼けた肌、筋肉質な体。それなのにどこか線の細さを残したままの兄の視線は鋭い。

「お前は馬鹿だね。父上の真意を読み取ろうともしない」

「兄上。お説教しにわざわざいらしたんですか。こんな王宮の外れまで」

 挑発的な長兄とは違い、次兄はいつも落ち着いて穏やかなのに、俺に対しては容赦なく厳しい。出来の悪い弟の教育をせねばとばかりに。

 軍にいた時もそうだった。兄がそういう態度を俺に取るからか、軍では部下たちに大将軍と呼ばれる兄に対し、小将軍などと蔑称を付けられていた。実際に俺自身に足りないものがあることはわかっていた。兄には到底及ばない事も。

「ああ。他にお前に言ってやれる人間などいないだろう?」

「確かにそうかもしれませんが」

「だろう」

 にっこりと笑うのに、目が笑ってはいない。表面的は穏やかさの裏に冷酷さが同居しているように思えるのは、部下たちへの厳しさを知っているからだろうか。

「お前の事だからどうせ拗ねているのだろうと思って来てみたら、思ったとおりだ。お前は父にも臣下の者たちにも甘やかされて育てられているから」

「そんな事はないですよ。甘やかされているのは兄貴のほうです」

「ああ、まあ、お前の言わんとすることはわかるが、あれとは違う事もわからないのか」

 眉をひそめる俺の頬を、ぴしゃんと痛くはない強さで兄が叩く。

「誰かが何かをしてくれないじゃなく、自分で何かをしろ。自分で何が出来るのか。何を求められているのか。きちんとその頭で考えれば答えはおのずと出てくる。事実、父上はお前に『カイ』を捨てさせていないだろう」

「どういう意味ですか」

「俺はお前と王位を争う気は無い。欲しければそんなものはくれてやる。まずは自分に課せられたものの意味を考えて、自分なりの答えを見つけ出すんだ」

 至近距離で伝えられる言葉に返答さえ忘れ、兄の瞳を見つめ返す。

 ふわりと微笑んだかと思うと、兄がふうっと溜息を吐く。

「いつになったらお前は大人になるんだろうね」

 馬鹿にされたはずなのに腹は立たない。

 兄に比べたら、俺は器も小さいし、子供っぽいところを残したままなのは間違いない。

「本当は巫女姫との結婚の祝いにと思っていたのだけれど、祭宮就任祝いに遅くなったがこれをやる」

 目の前に大きな青い石を差し出される。

「隣国の鉱山でしか取れない貴重な石らしいよ。原石を切り出したままだから、加工は自分でやってくれ」

 かなりの値の張るものだということは一目でわかる。

「どうしたんですか、これ」

「隣国で買ってきた。祭宮に相応しい宝石を贈りたくてね。それを二つに割って姫に贈ってもいいし、宝飾品の一つとして加工してもいいし、好きにしたらいいよ」

 王都の中で今流行りの、一つの宝石を二つに割って装飾品に加工して恋人同士で持つと、互いの石が一つに戻ろうとして惹かれあい続けて離れないとかいうあれか。

「いや、そこまでは……」

 咄嗟にそれは無いと否定すると、兄がクスクスと声を上げて笑う。

「お前の好きにしたらいいよ。祭宮の正装の色合いとも合うだろうしと思って買ってきたから、好きに使ってくれれば」

「ありがたく頂戴します」

「堅苦しいんだよ」

 ポンっと背中を叩かれ痛みに顔をゆがめると、兄が楽しそうに頬を緩ませる。

 多くを語ろうとはしないが、兄が伝えようとしている事はわかる。他家に養子に出されたけれど、直系王族であるという事には変わりない。今でもまだ玉座を狙える場所にいるのだと。

 父もなんらかの意図があって俺を祭宮にしたのだと言いたいのだろう。そして兄はそれが俺にとって最善だと思っているのだろうという事も。


 あの時は兄の雰囲気に飲まれてしまったが、まるで子供のように扱われ、拗ねているだのなんだのと。思い返すと釈然としない気持ちで、自分のことを反芻せざるを得なくなる。

 どうしてそんな言い方を兄がしたのか。何を本当は伝えようとしていたのか。どうしたら子供扱いされなくなるのか。

 そんな風に考える事すらも、兄の計算のうちなのだろう。一手二手どころかその先も考えて戦術を組み立てる人なんだから。

 あーあ。

 それでも悔しいとは思えないんだよな。これがクソ馬鹿兄貴だったら腹が立つけれどさ。

 目の前の泡を立てている液体を口の中に流し込み、貰ったあの石の事に頭を巡らせる。

 半分に割って姫に渡してもいいけれど、どうせ結婚するのは決まっているし、今は水竜に夢中だから俺のことなんか眼中にないだろうし、贈るだけ無駄だよな。やっぱり正装用の装飾品に仕立てるかな。

「お待たせしました」

 結論が出たところで、ちょうど良く飲み相手がやってくる。

「遅かったな」

「すみません。会合が長引きました」

 幼少の頃から友人兼部下として付き合っているギーが、目の前の席に座ってふーっと溜息を吐く。

「やっとゆっくり飲める時間が出来ましたね」

「そうだな。ここのところ禁酒生活だったからな」

「水竜の大祭で酒の一つも振舞われないとは思ってもいませんでした」

「それはお前、あそこは俗世とは隔離されている世界なんだから、酒を振舞うなんて事ないだろう」

「昔から祝い酒というすばらしい言葉があるというのに。残念です」

 そんなに残念だったのだろうか。芝居がかった態度に笑みが漏れる。

 運ばれてきた酒をぐいぐいと半分くらい一気に飲み干したところを見ると、本当に酒に飢えていたのかもしれない。

「それにしても、新しい方は地味な、まあ姫と比較するのは可哀想ですけれど、これといって特徴もない普通の人でしたね」

「……ああ。そうだな」

 頭の中には、必死に俺の腕を掴んで「行かないで」と言ったササのことが頭に浮かぶ。同時に、すがすがしい笑顔で「巫女になる」と告げたササも。

「本当に普通の女の子だよなあ。選ぶ基準が全くわからない。あれでこれから先大丈夫なんだろうか」

 ちゃんとやっていけているだろうか。神殿の中で泣いたりしていないだろうか。

 いつもいつも、と言ってもほんの数日しか接してはいないが、いつも泣き出す一歩手前の顔か泣き顔ばかり俺に見せていた。

 傍にいたら、守ってやれるのに。

 頬杖をついて思考を巡らせる。

 あの誰も入り込めない迷宮のような神殿の中で、ごく普通の村娘はどうやって巫女になるのだろう。

 声が聴こえるようになるか不安だと漏らしていた彼女も、儀式を終えた後にはきちんと水竜の声を聴いてご神託を伝えてきた。

 その姿には自信が見え隠れしているようにも思えたが、どことなくおどおどとした感じは拭えず、彼女の本来の姿を彷彿とさせる。

 神殿は姫を中心とした組織として出来上がっているのだから、居心地は悪くないだろうか。

「何を考えていらっしゃるんです」

「……いや。別に」

 意識を現実に戻し、残り少なくなった酒を煽るように飲み干す。

 脳裏に浮かぶ「ごきげんよう。祭宮様」と微笑んだ新しい巫女の姿を打ち消すように。

「その新しい方に部下が面倒をおかけしたので、事情聴取をしておきました」

「ああ、あの若い」

「すみません。まさかあのような暴挙に出るとは思ってもおらず。本人には口外する事の無いよう指導しておきました」

「手間を掛けたな。しかしまあ、真相を知らずに連れて行ったのだから、あまり本人を責めても仕方ないだろう。こういう事も想定していなかったこちらの落ち度だ」

 ギーは目礼をして臣下としての態度を示したかと思いきや、あっさりと態度を豹変させる。

「給料を貯めて宝飾品を持って行ったとか、どんな付き合いをしていたとか、いらん事まで聞かされて食傷気味です。今日はとことん飲みましょう」

 ふっと鼻で笑うのを、ギーがギロリと睨む。

「他人の恋愛談義を聞くほど不毛な時間はありませんね。これも気まぐれにあなたが新しい方にあの部下を会わせようなんて思ったからですよ。何であんなに構ったんです。ほっといても良かったでしょうに」

「え? 構ったつもりはないが」

「……無意識に口説いてたんですか? いくら姫に結婚先延ばしにされたからといって、ところ構わず誰でも手を出すのは止めてください。面倒が増えるだけです」

「そういうつもりはなかったが。手を出す対象にはならないだろう」

 巫女なんだからと声を潜めて付け足すのを、ギーが腹の底から湧き上がってきたかのような溜息で打ち消す。

「だといいですけれどね。後々面倒なことになっても困りますからね」

「ならないだろ」

 笑って否定するけれど、どこか居心地の悪い思いが同居する。それに付ける名前を、俺はまだ見つけられてはいない。

 あの大祭の日以来、胸につかえる「何か」が取れない。

 その重石のように引っかかるモノは、ササの事を思い出す度に重みを増す。

 もしも巫女にならなかったら、彼女の事を俺はどうするつもりだったんだ。あの用意していた家に住まわせて、それから……?

 だけれど、巫女にならなかったら俺が……。

「二つに分けた石が一つになれるように、なんて誰が考えたんでしょうね。あの部下もその例に漏れず贈ろうとしていたようですし」

 思考の中にギーの声が流れ込んできて、再び意識を現実に戻す。

「ふーん。石をね」

「そんな迷信に縋りつきたい気持ちっていうのが理解出来ませんね。なるようにしかならないでしょうに、男女の仲なんて」

「でも俺は好きなんですよ!」

 何かを続けようとしたギーが声のしたほうを振り返る。

 今日は安酒場ではなく、そこそこ値の張るほうの酒場を選んだつもりだが、そんな場所でこんな大声を出す奴がいるとは思わなかった。

 ギー同様に、声の主を何気なく探すと、噂の若造くんだった。

「振られてなんかいませんっ。まだ答えは貰ってないですから。俺はこの石をササに渡すまで、絶対諦めたりしないんだぁぁぁぁっ」

 額を押さえてギーが肩を落とす。

 どうやら指導はあまり効果が無かったようだ。まあ今彼女の名を口にしたところで、その名と巫女が結びついたりする事は無いだろうが。

「必ず迎えに行くんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」

 誰が貴様にくれてやるか。

 酔いに任せて叫びまくる男に呆れるやら、腹立たしいやら。

「すみません、きちんと黙らせてきます」

 腰を浮かしたギーを手で制する。

「構わないよ。何も機密に触れるような事は口にしていない。寧ろお前が動けば奴と彼女の接点に気付かれる確立が上がるだけだ。放っておけ」

「しかし非常に顔色が厳しいですよ。気付いてらっしゃいます?」

「あ?」

 声に怒気が含まれているのに、発声してから気が付いた。

「ああ。気にするな。あれは関係ない」

 と言いつつも、頬がピクリと動くのを感じた。この言いようのない憤りのような感情は一体何なんだ。とりあえず深呼吸して少し落ち着く事にしよう。

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