5
彼女と俺の人生が重なることが運命付けられた日。
運命って言葉は大嫌いだけれど、そういうのが一番しっくりくるのがまた腹立たしい。
彼女の生まれ育った村を出る日、彼女以上に迷っていたのはもしかしたら俺なのかもしれない。
「そこで運命に会うでしょう」
平凡な、どこにでもいそうな実直だけが取り柄の不器用な巫女候補。
これが俺の運命だというのか。
考えれば考えるほど答えは闇の中へと姿を消す。
前夜の儀式が終わった後、何度も彼女を訪ねようという気持ちが湧き上がった。彼女の顔を見たら、彼女の声を聞いたら、運命の正体がわかるような気がしたんだ。だけれど、自分からもう何も言わないと宣言した後だ。与えられた部屋で酒を傾けて夜を過ごした。
ただ、今になって思う。
本当は「俺の運命」なんかじゃなかったんだ。
悔しいけれど、フレッドに受け継がれた蒼を持つ水竜にとっても「運命」であり、アンジェリンと同じ紅を持つ紅竜にとっても「運命」であり、この国にとってもまた「運命」だったのだろう。
この国の全ての人々にとっての歴史的ターニングポイントを作り出す「運命」を握っていたんだ。
その時の俺はそんな事に気付くわけもないが。
生母のとの別れの時を迎え、彼女はやっぱり普通の女の子の一面を見せる。胸を張って晴れ晴れしい表情で旅立った婚約者とは正反対だ。笑みを見せていた婚約者に対し、彼女は涙で顔をぐちゃぐちゃにしていた。
別れの時を遠めに眺めていた俺のところに、腫らした目を隠そうともしない彼女がやってくる。
どんな覚悟を胸に秘めているのだろう。答えはちゃんと出たんだろうか。
こうやって別れを惜しむということは、きちんと巫女になると決めたのだろう。
普通の女の子ではない巫女候補としての彼女に敬意を払って、接する。なるべく自分の感情は表に出さずに。
だからこそなのか、それとも俺の心の一端が漏れ出たのか、彼女の泣き顔を晒さないように顔を隠してやる。ポンっと一つ頭を撫でると彼女の声がまた震える。
頑張れ。
心の中で囁いた。ちゃんと決めたんだからその足で歩け、と。
残る儀式に立ち会う為に彼女が出立した後、村長に挨拶をしてから水竜の神殿へと向かう。
普段なら馬に乗れば十分なのだが、こちらも式典用祭宮として粗相の無い態度で臨まなくてはならないので、馬車で大勢の部下を引き連れて、さながら行列のような様相で向かう。
警護という名目の元、馬車の正面には腹心の部下のギーが座る。
することないので外を眺めていると、ギーが突然口を開く。
「案外普通ですね」
「ん?」
ぼーっとしていたので、ギーの言わんとすることが咄嗟に理解できなかった。
「あの巫女候補ですよ。片田舎にも美少女がいるのかと思って期待していたのですが、どこからどうみても普通の村娘でしたね。さすがの殿下の食指も動きませんでしたか」
ふんっと鼻で笑って返す。
「くだらない。次代の巫女に手を出すわけないだろう」
「そうですかね。お兄様方を出し抜くには、手っ取り早く巫女に手をつけてしまったほうが良いかと思ったのですが」
ガタガタと揺れる音で外にこの物騒な発言が漏れ出る事はないだろうが、一瞬ぎょっとしてしまったのをギーがニヤリと笑う。
いくら王冠争奪戦を早期離脱させられたからといって、そんな離れ業というか汚い手を使ってまで王冠に手を伸ばしたいと思っていないぞ、さすがに。
弁明するように言った俺を、ギーはせせら笑う。
「姫が戻って来られるのですから、そんな事する必要は無いですしね」
「……戻ってこない。姫は神官長になるのだそうだよ。俺のとこに戻ってくるよりも神殿がいいらしい」
くくっとギーが笑い声を上げる。
「ついにふられましたか。おめでとうございます」
「何で嬉しそうに笑うんだよ」
「初黒星じゃないですか。いやー、殿下でも黒星付けられることもあるんだとほっとしましたよ」
「それはさほど重要じゃないだろう」
そう言ったきり黙りこんでしまった俺を見て、ギーが慌てたような顔をする。
「も、もしかして、本気でしたか?」
「何が」
「姫のことです。まさか殿下がそこまで落ち込むほど姫に熱を上げていたとは思いもせず」
「ばーか。そういうんじゃないよ」
年下の姫が生まれたその日から、記憶に残らない頃から、姫は俺の婚約者だった。建国王の血筋とやらを重要視する熱狂的な連中たちによって、この結婚はとても意味のあるものだったし。
ただ、それだけだった。
胸がときめくだとかっていう吟遊詩人が詠うような甘ったるいものは、俺たちの間には存在しなかったな。そして今も存在しない。
共に歩むことを必然と決め付けられていた関係でしかない。
もし姫が巫女になってもならなくても、それは覆るものではない。
「何があっても姫は俺の婚約者だ」
そう返すとギーは深く溜息を吐いて眉間に皺を刻む。
不満がありありと見える、近衛連隊長らしくない顔だ。
「一つお伺いしておきますけれど、殿下って姫にドキドキしたり胸がキュンとなったりすることあります?」
「キュンって。お前」
笑いが噴き出した俺とは対照的に、ギーはまじめ腐った顔をしている。眉間の皺はますます深くなる一方だ。
「一般的な表現で言うとキュンで間違っていないと思いますが。もしかして恋も愛もしたことないっていう絶滅危惧種ですか」
「言いたい放題だな」
「言いたい放題です。女遊びの数は多いのに、まさか恋の何たるかも知らないとは驚きでした」
「決め付けるな。そこで」
「決め付けますよ。あなたは姫が恋しい訳じゃないんでしょう。ついでにどの遊び女も貴族の娘たちにも興味が無い。欲望のはけ口程度にしか考えていらっしゃらない」
言葉はやたら丁寧だけれど、態度はまるで違う。
どこか哀れむように言われているような気さえしてくるのは、俺の考えすぎか。
「別に恋だの愛だの必要だと思っていない。王族としての義務を果たせばそれで十分だろ」
「殿下……」
「俺の恋愛談義なんてどうだっていいだろ。姫とはそのうち結婚する。それが決定事項だ。それに今は次代の巫女の儀式のほうが重要だ」
これ以上ギーの話を聞く気にもならず、何か言いたげなギーを無視して話を切り上げる。
そしてまた馬車の外を流れる風景に目を向ける。
今、彼女もこの風景を眺めているのだろうか。一体どんな面持ちで神殿への道のりを見つめているのだろう。
もう泣いていなければいいけれど。
「いつか恋をしたら教えて下さい。その時には一杯奢ります。ついでにその恋を全力で応援します」
しつこく蒸し返すギーを横目で睨みつけると、これ見よがしに溜息を吐かれる。けれどそれを咎める気にもならなかった。
真面目な巫女候補に感化されたせいか、今は自分のすべき事をキチンと成す事のほうが重要で、恋愛なんてどうだっていい事でしかないのだから。
いい加減馬車に飽きてきた頃目的地の神殿に着き、揺れになれてふらつく体を気取られないようにしつつ神殿の門をくぐる。
すると慌てた様子で、先に神殿に着いていた彼女と共に村を出た神官が小走りで近寄ってくる。
部下たちを下がらせて門の外で待機させ、こちらからも神官へと歩み寄る。ただならぬ様子に、彼女に何かがあったのかと不安が過ぎる。
「祭宮様っ。少々お時間を頂きたいのですが、よろしいでしょうか」
肩で息をする神官の様子に眉をひそめ、神官が息を整えて言葉を紡ぎ出すのを待つ。
はあっと一度大きく息を吐いた神官は声を潜め、囁くように想像していなかった事実を告げる。
「次代様が、祭宮様にお会いしたいとおっしゃっております」
ササが?
咄嗟に頭に浮かんだのが次代様という彼女を形容する言葉ではなく、ササという彼女の名前だった。
「一体何があった」
疑問をそのまま投げかけると、神官が頭を垂れる。
「申し訳ございません。わたくしの口から申し上げるのは憚られます。もしお許しいただけるのでしたら次代様のお話を聞いて差し上げてはいただけないでしょうか」
「……それは、構わないが」
「ありがとうございます。ただあまり時間がございません」
「わかった。手短に話してこよう。彼女はどこだ」
神殿の中にいるのであろうと思って切り出すと、神官が木と木の間を指し示す。
外だと。一体どういうことだ。
しかしこの神官を問いただしても何の解決にもならないだろう。恐らくこの神官も手詰まりだからこそ、俺に声を掛けたのであろうし。
なかなか一筋縄ではいかないな。祭宮業務も。
腹をくくり、彼女に会う為に木々のトンネルを潜りぬける。トンネルの突き当たりには、小さな広場が見えてくる。
その中で彼女は小さくうずくまる様に座っている。何があったんだと性急に問いただすのは得策じゃないだろう。
顔を上げた彼女に微笑みかけ、道化のように、出来るだけ軽く、彼女の心の負担にならないようにと注意を払いながら声を掛ける。
「次代様、お呼びですか」
心遣いは意味が無かったようで、俺の顔を見た瞬間にササの顔が一気に歪んで大粒の涙が零れ落ちてくる。
「何で俺の顔見て泣くんだよ」
「泣いてる?」
全く泣いていることにも気付いていなかったようで、彼女は不思議そうに頬に流れる涙を指で拭う。
その目で確認してもまだ、泣いているという事実を受け入れがたいように思える。
彼女の泣き顔を見て、辞めることにしたのだと直感的に思った。
元々辞退される可能性も考慮に入れて、仮に巫女候補が辞退した時に対処できるような手筈も整えてある。
その辺りは先の祭宮であった方の残した文書から、言い方は悪いかも知れないが、どのように誤魔化すのかまで数年単位で計算してある。
巫女に関しては今巫女である姫に継続していただき、水竜には次の巫女を選びなおして貰えばいい。過去に、そういった事例が何例もある。
盛大に送り出した村には、数年経ってからさも巫女の任期が終わったかのようなフリをして戻せばいい。
全ては予定調和の中だ。こういうこともあると、予測していたはずだ。それなのに、心に何かが引っかかる。
悩む俺に、彼女は話を切り出した。
「私、巫女に相応しいとはどうしても思えない。だって、私には何にも無くって、巫女らしく振舞うことも出来なくって、なりたいっていう強い気持ちもないんだもの。こんな私が巫女になってもいいの?」
「ササ……」
「何にもないの。空っぽなの。自分で選びたいのに、選べないの。いっそ全部ゼロに出来たらいいのにって思うのに、それも怖くて選べないの。ねえ、ウィズどうしたらいいの。私、どうしたらいいの?」
今更それかよ。
正直にそう思う気持ちが無いわけではない。しかし必死に縋りつくように俺を見つめるササを突き放すことなんて出来ない。
そんなに難しく考えなくたっていいのに。考えすぎるから結局迷宮入りしているだけなのに。
第三者として立ち会っている俺にはその事が良くわかる。
恐らく、本心では「巫女になりたい」のだと思う。ただ自信が無いだけで。
自信なんて無くたって、水竜が巫女に選んだってだけで十分なのだから、胸を張っていればいい。
それが出来ないからササなんだな、きっと。そんなササだから手助けして守ってやらなきゃって俺は思うのだろうか。
可能な限りわかりやすく、さりげなく、巫女を選ぶという方向に導くように話を進めると、ササの瞳に力が宿る。
「私は、巫女になりたい」
その言葉を聞いたとき、心から笑みが漏れた。
良かったな。自分でちゃんと選べて。
本音を言えば、ササが巫女になってくれないと困る。
王宮で役立たずの祭宮の烙印を押されるのは嫌だ。これ以上愚弄されたくない。伝書鳩さえ碌に出来ないのかと後ろ指を指されるのは御免だ。
だけどそれだけじゃない。
二日に満たないわずかな時間だったけれど、ササという人物の人となりに触れ、彼女の助けになりたいと思った。彼女の望むように生きられるように。
だから悩んでもちゃんと自分自身で答えを見つけてくれて良かったと思う。
初めて、祭宮の仕事において「充足感」が得られた。
「今度会う時は、巫女様だな」
この目の前の野暮ったい少女が巫女としてどう変わるのか、それもまた一つの楽しみだ。
「そっか。そうなんだね。そうしたら、こうやって話したりするのも最後だね」
「ま、一応そういうことになるな。二人きりで話している時はともかく」
何気なく切り出した言葉に、ササの頬が染まる。
あわあわとし出したササがおかしくて、笑みが漏れる。
ポンポンと頭を撫で、いつでも助けになるからと告げると、ササが嬉しそうに微笑んだ。
「成長して戻ってこいよ」
あの姫みたいになれっていうんじゃなくて、ササがなりたい巫女になれるように。ササしかなれない巫女になれ。
もしも辛くなったら、俺のとこに戻ってきたらいい。
どうせくだらないことでこれからも悩んだりするんだろう。だけれど「巫女」に押しつぶされて、そんな事口に出したり出来ないんだろうから。
「頑張るよ。成長したでしょって胸張って言えるように」
笑顔で言えるようになった彼女に安心した。
そして「巫女になった」彼女と神殿で会う。
その瞳は自信に満ち溢れていた。俺と彼女で出した結論は間違っていないと確信した。それなのに。
「ボクの言いつけを守らなかったから、当分返す気は無いよと、水竜が」
言いつけっていうのは「触れるな」ってヤツの事なのか。確かに彼女の頭に触れたりしたが、別に抱きしめたりした事は一度も無いぞ。
で、返さないってのは何のことだよ。姫の事なら、返せ。あれは元々俺のものだ。
しかし、ちょっと待て。
何故、彼女に触れたら姫を返さないんだ? 何かがおかしい。何かが引っかかる。一体何のことだ。
その答えを知るまで、俺はどれだけの時間を無駄にしてしまったのだろう。何十年も続く後悔がこの瞬間から始まっていたなんて、能天気な俺は気付いていなかった。