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王子様の恋  作者: 来生尚
巫女という奇跡
45/48

44

「神殿に行かせろ」

 書類を目の前に差し出したルデアに告げると、ルデアがはーっと溜息を吐き出した。

 一月我慢した。そろそろ会いに行っても許されるだろう。

 仕事ならそれこそ昼夜を問わず、寝る間も惜しんでした。

 唐突に告げられた俺の言葉に、ルデアは「そろそろ言い出すと思っていました」と呟き、窓の向こうの夜の街へと視線を向ける。

 部屋の中にはルデアとギーと俺の三人しか残っていない。

 既に深夜と言われる時間帯だ。

 日中はどうしても王の執務に手が掛かり、そちらに割く時間が多くなってしまう。

 大臣どもめ。その地位の分だけ働けと言いたいくらい、一部を除いて非常に働きが悪い。

 いちいち細かい事まで指示を求めてくるものだから、どうでもいいような問答に時間を取られてしまう。

 わかっている。ヤツラも責任を取りたくないのだ。

 王の御前で失策や失言をする事によって起こりうる災難を警戒してのことだろう。

 が、多少の失敗くらいであの兄王といえどもいきなり首を撥ねるような真似はしないというのに。過剰にびくびくしやがって。

 いや……怖いのは兄王よりも周囲の足を引っ張ろうとしている者たちか。

 どちらにしても権力闘争と責任の擦り付け合いの為に、無駄に時間を取られるのはあまり良い気分ではない。

 しかもこっちは水竜の巫女に会いに行きたいのを我慢しているというのに。

 目覚めたという連絡や、徐々に巫女の業務にも戻りつつあるという報告も受けているが、実際にこの目で、この手でその姿を確認しなくては信じることが出来ない。

 水竜によって生命力を奪われて倒れたんだぞ。

 常人ならばそうそう簡単に回復できるものではない。

 業務の間に読んだ古文書の写しにあった実際に死んでしまった巫女の記録からも、生命力が奪われるというのがどの程度人間にダメージを与えるものなのか容易に想像が出来る。

 一体彼女はどういう状態なのか。

 この目で確認したい。この腕で抱きしめてその存在を確認したい。

 日増しにその思いは強くなっていく。

 別にジジイどもの髭面に飽きたわけではない。


 会いたい。


 ただ会いたいんだ。彼女に。巫女に。ササという一人の女性に。

 俺がしてしまった事への贖罪の気持ちが無いわけではない。

 それ以上に、会いたいんだ。ただ会いたい。

 ふいに頭の中に過ぎる彼女の横顔。

 ふっと気を抜いた瞬間に現れる、青白い顔で意識を失った彼女の幻影。

 日に日に会いたい気持ちは募っていく。

 今までこんな想いを抱いた事は無かった。

 彼女のことを好きだという気持ちは持っていた。だからこそ彼女を妃にと望んだ。たった一人の俺の妃にと。

 日陰者にするつもりも、幾多の妃や妾の一人にするのでもなく、祭宮の正妃にと彼女を望んだ。

 それは彼女の身分がどうこうとか、彼女を慮ってとかじゃなくて、俺が傍に置きたいのは彼女しかいないって事と、何よりも彼女を逃がしたくないと思っていたからだ。

 もしも表に出せない存在として、王都の中に小さな家に囲うとしたら、恐らく彼女は俺の腕の中から逃げてしまうだろう。

 幼馴染で婚約者だった近衛兵も王都にはいるし、性格的にそういう立場におかれることを望む女じゃない。

 あっさりと逃げ出すか、他に良い男に巡りあって俺の庇護から逃げ出してしまうだろう。

 それじゃダメなんだ。

 誰にも手を出せない、唯一無二の存在として傍にいて欲しい。

 だからこその「水竜の巫女」

 水竜の巫女を経験していれば、王の妃にさえなれる。実際に兄王がそうしようと望んだように。

 王弟で祭宮。

 そんな立場の俺でも「巫女」ならば手に入れることが出来る。その為に渋る彼女を巫女にしたのに。

 だけれど巫女にしてしまった後は、誰にも手出しできないのだからと高を括っていたんだ。誰も彼女に触れる事さえ適わない。しかもその心は俺に向いている。

 安心感、余裕。

 言ってしまえばそんなものを抱いていた。

 大丈夫。彼女はいつか俺のものになるのだ、と。

 水竜にさえ「運命」と言わしめた何かが俺と彼女の間にはあるのだから、と。

 だけれど失いかけて初めて感じた。

 どうしようもなく手に入れたいという欲望。

 彼女が恋しくて仕方が無いというみっともないほどの執着。

 王族としては不必要なこの感情は、会いたいという欲求として育っていく。

 一目でいいから会いたい。

 まるで飢えているかのように、彼女を求めて止まない。

 触れる事は水竜によって禁じられているのだから、声を聞きたい。姿を見たい。

 余裕の無い思いが、心の中を駆け巡っていく。

「構いませんけれど、きっちり二週間で帰ってきてください。それと、俺は同行出来ませんよ」

「……いいのか?」

 あっさりと同意したルデアに拍子抜けして問いかけると、ルデアがふんっと鼻で笑う。

「止めたところで行くのでしょう? 大方の指示は出しましたし、後は効果の確認と各地からの報告を待つ段階です。あなたが二週間ほど王都を空けても問題は無いでしょう。但し陛下はなんとおっしゃるかわかりませんよ」


 根回しをして兄王を丸め込んで、王都を出て五日目に水竜の神殿へと着く。

 到着時間が遅い時間になってしまったため、翌日改めてお伺いする旨を伝言し、宮城で休息を取る。

 私室で仕事を何もしなくてもいい開放感に浸っていると、黒いローブに身を包んだ男がおもむろに現れる。

 来るとは言っていたが、まさか本当に現れるとは。

「ギー」

 警備の為という名目の為部屋に控えていたギーに声を掛けると、侍女たちに退出を促して人払いをする。

 これで祭宮は怪しげな魔道師を信望しているという噂でも流れるかな。そういう噂が流れたほうが都合がいいだろうか。はたまた流れるほうが厄介なのだろうか。

 その辺りの意見も伺っておくとしよう。

「スージ」

 人の遠ざかった静まり返った私室で慣れ親しんだ友の名を呼ぶと、ローブが揺らいでその本来の姿がするすると現れる。

 全身を包む衣は以前と同じもの。

 恐らく身を包む衣服の下には複数の傷があるだろう。その頬に大きく残る傷と同様に。

「悪いな。こんな辺鄙なところまで来させて」

「いや。一応俺、臥せって寝込んでる事になってるから、王都じゃまずいっしょ」

 相変わらずの軽口に、ギーの肩から力が抜ける。

 ワインの瓶とグラスを手に持って、ギーが俺とスージとが向かい合うテーブルに歩いてくる。

「酒は平気か?」

「少量ならね。ああ、別に体に障るとかじゃなくて業務上支障が出るから飲まないだけ。今酔いつぶれると不味いからね。それ、何?」

「この辺はワインの名産地でな。これは巫女の生まれ育った村で作った名品だ。ワインなら平気か?」

「ああ。大丈夫だ。ワインならグラス一杯で前後不覚にはならないしね。そうか、巫女の村のね」

 コルクを引き抜いて、グラスにワインを注いでいくギーの視線がぶつかった。

 巫女を強調するのはやめろ。全く。

 以前巫女に神託を貰いに行く前にギーに本心を明かしてからというもの、何かとからかう機会を見つけては絡んでくるので面倒な事この上ない。

 そしてスージもワインを口に含みつつ俺をチラっと見る。

 やめろ、その目。

「で、巫女はどう?」

「どうって聞かれても、目覚めて回復してるらしいと聞いているよ。会うのは明日だから詳しくはわからないな」

 俺の返答に、プっとスージが笑いを噴き出す。

 ああ、笑うんだ。

 あれ以来会っていなかったスージの笑みを見て、ほっとする。

 良かった。笑えるんだ。もう二度と笑うような気持ちになれなかったらどうしようかと思っていた。

 王家の諜報員である「闇」は「飼い主」の言う事しか聞かない。現在の「飼い主」はスージ。そのスージが兄王を蹴落とそうとしているのは「闇」たちが俺に好意的なことからも窺い知れる。

 スージは兄王を玉座から引き摺り下ろすつもりだ。

 それが兄王への復讐心から来ているものであろうこともわかっている。

 決して俺への忠誠心からではない。

 兄王はスージの中にある踏みにじってはならないものを、踏みにじってしまったのだ。

 スージは次王になる者には忠誠を誓うつもりだったのだろう。何度も俺を試していたように、兄上も兄王もスージによってふるいに掛けられていたはずだ。

 兄王が王になったので、時期ジルレイ公爵として忠誠を誓うつもりであったはずだ。実際にスージが兄王の為に「闇」を動かしてもいる。

 スージの兄王への信頼は、鞭打たれ、拷問に掛けられ、その頬に太刀傷を付けられた時に失われてしまったのだろう。

 復讐を糧に動いているスージが笑う事など無いと思っていた。

 心から笑うなど出来ないだろうと思っていた。

 なのにスージはさも面白いものを見るかのように、堪えきれない笑みを零す。

「バーカ。そうじゃなくて巫女は良い女かって聞いてるんだよ」

 おい。あからさまに目を逸らすなギー。

 ギーの様子に顔を顰めた俺が面白かったのか、スージは更に笑い声を上げる。

「くくく……微妙なんだ」

 あはははという軽快な笑い声が場の空気を軽くしていく。

 久々に会ったというのに、友はかつての友と変わらない。

「微妙って言うな。仮にも巫女だ」

「ははっ。それだけじゃないだろう?」

 くいっとワインを口に含み、スージが目を細める。

「守ってもいいよ、その女。あんたがそれを望むならね」

 いつか聞いた言葉と同じ言葉をスージが口にする。はっとしたのは俺ではなくギーだった。

 何か口を挟もうとしたギーに、にっこりと笑みを向ける。心からの笑みではなく、口を挟むなと圧力を掛ける為に。

「宝石の人。あんたの最愛の女」

 ふっと溜息を俺が吐き出すと、スージがワイングラスを手に取り、紫色の液体をくるりとグラスの中で回す。

 くるくると回る液体。

 それが俺や彼女。そして兄王や兄上。果てはスージやギーやルデアの運命を指し示しているかのようにみえる。

 同じところをぐるぐる回って、回り続けて答えは出ない。

 けれど答を出す為にスージはここまで足を運んできたのだ。

 決して表に出る事を善しとはせず、邸内に篭り『闇』を動かす次期ジルレイ公爵が。

「スージ」

「なに」

「それを聞き、それに俺が答えるとしよう」

 にやりとスージがぞっと寒気のするような笑みを浮かべる。

 まるで死神のようだ。

 ぞくりと冷ややかな感覚が背筋を凍らせようとする。

「それを知り、お前にはどのような利益がある」

「あんたバカか?」

 率直すぎるスージの意見をふんっと鼻で笑う。

「利益がある事は重々理解している。巷に流布されている『祭宮の宝石の人』を知りたい輩は掃いて捨てるほどいるだろう。その情報は高く売る事が出来るだろうし、また逆に俺を脅す十二分な材料になる」

「わかってんじゃん」

「わかっているよ。しかしお前はそれを利用するつもりはないのだろう? だからこそこうやって正面きって会いに来た。だから聞いたんだ。利益が無いのに動くのかと」

 スージが表情を緩める。しかし冷ややかさは内在されたままだ。

 また腹の探りあいか。だが悪くない。

 この細く脆い吊橋を渡っているような感覚は気分を高揚させる。普段は感じる事の無いどす黒い感情が噴き出してくるようだ。

「ふーん。それで?」

 スージもまた同じようなタチの悪い顔をしている。

 俺は今、次期ジルレイ公爵に試されているのだろう。主に相応しいかどうか。

「だから問う。お前の望みは何だ?」

 ふっとスージが鼻を鳴らしたのをきっかけに、せせら笑うように頬を歪める。

「……あんた、本当にそれで玉座に座る気が無いって言うんだから可笑しいよね」

 スージが間を取るかのように、一口ワインを口に含む。

「一番王に相応しいのに勿体無いよね」

「買いかぶりすぎだろう」

「どうかな? 少なくともあんたの両翼はあんたを王にするつもりだよ」

 ギーに視線を移すと、気まずそうに視線を逸らす。

 あからさまなそれは、ギーが俺に本心を隠すつもりはなく、寧ろそれを意識しろと暗に告げるものだ。

 ギーにしてもルデアにしても、表面上は俺の意志を尊重して王になれとは言わないが、本心は違うものであると。

 茶番劇に先に飽きたのはスージだった。

「あんたの両翼の考えはどうでも良い。あんたの本心が知りたい。本気で玉座はいらないのか?」

「いらないね。そうしたら欲しいものが手に入らなくなる」

「玉座よりも価値のあるものがこの世にあると?」

「あるね。それにこの数ヶ月を見てスージはどう思う。本当に俺が優秀な王としての素質があればこの難局を既に乗り切っていると思わないか?」

 ははっという乾いた笑いがスージから上がる。ついでに「阿呆か」と付け加えられ。

「あんたは建国王が国家統一に費やした年月を知っているか? 数ヶ月なんていう単位じゃない。凡そ十年近く掛けている。偉大なる王とはいえ難局を乗り切るには長い年月を必要としている。たった数ヶ月で結果が出せるなど、どんな御伽噺だ。愚民ならそう願うだろうが俺はそこまでお気楽な性格じゃないんでね」

「それで?」

「……せっかちだなぁ、あんたは」

 呆れ声で言った後に、スージは髪を掻き揚げてギーを見た。

 ぶつかり合う二人の視線に同じ意志があることを感じさせる。二人とも俺を王にするつもりか。

「だからもう少し結果が出るのを待てと? それからでも玉座を考えるのは遅くないと言いたいのか」

「わかってるじゃないか」

「玉座に俺が座るならば、お前は俺の手足になると?」

 くすくすっとまた笑い声をスージが上げる。

「だからせっかちだって言われるんだよ。結果が出るのも待てないし、人の話を最後まで聞くことなく結論を出そうとする。俺が言いたいのはそうじゃない。最後まで聞け、ウィズラール」

 今や誰も口にしなくなった古い名を口にしたスージは、冷ややかは笑みを讃えたまま俺を見つめている。

 恐らくそれはスージの本来の顔。次期ジルレイ公爵としての本当の顔。

「本気で玉座を捨てる気か? 大好きなお兄様にくれてやるつもりか?」

 棘のある言葉に静かに頷き返す。

「兄上ならば俺のように決断を誤ったりせず、素晴らしい王になれるだろう」

「そうか? 俺はあんたの大好きなお兄様が一番いけ好かない。あいつにだけは仕える気は無い」

「何故」

 次期ジルレイ公爵の意外な言葉に純粋な疑問が浮かぶ。

 将軍として軍に君臨する兄上は理想的な将軍であったと思う。人心を掌握し、人望に厚い。それでいて冷酷さも持ち合わせた指揮官でもある。

 そのような兄上が王として国を治めるようになれば、必ずクソ兄王よりもずっとずっと良い国になるよう尽力するだろう。

「情味が足りない者とは言い得て妙だね。自分の欲望の為に国民を戦に送り出す冷酷さ。それでいてまるで自分には罪が無いかのような顔をしている。そのような無責任な者は俺は好かん。ただそれだけだ」

「どういう事だ?」

「あんた本当にバカだね。戦をやめさせようってしてんの、あんただけだよ。わかってる? あんたのお兄様は戦をしたかったんだよ。さもあんたが止めなかったから仕方なくみたいな顔をしてたけれど、あいつは本当はやりたくてやりたくて仕方なかったんだよ、この戦が」

「兄上が?」

「そうだよ。うまーくあんたは言いくるめられているみたいだけれど、将軍なんだから負けるであろう戦はどうあっても止めるべきじゃないか? それに王に進言できない? 寝言は寝て言え。将軍が意見しなくては他の誰が言える」

「だが兄王が」

「ばーか。本気でやりあったら軍を掌握している方が強いに決まっているだろう? その気になれば正攻法で潰すくらいわけないんだよ、あんたのお兄様は。本当に今の今まで気付いていなかったのか?」

 スージの言葉に頷くしかない俺は、バカと言われるのも当たり前だと言わざるを得ない。

「戦はやりたい。責任は取りたくない。ついでに手を汚さずに玉座が欲しい。強欲すぎて笑えるよ」

 本当に軽蔑しているのだとわかるような表情で言い捨て、ぐいっと煽るようにスージがワインを飲み干して、軽い音を立ててテーブルにグラスを置いた。

「真実を見極める目を磨いて頂きたいです、我が主」

 唐突に、思いがけない言葉を口に出したスージを食い入るように見つめると、スージの頬がふっと緩む。

「あなたが王になるというのなら、そのお手伝いを致しましょう。あなたが守りたいものがあるのならば、それをお守り致しましょう。我が命、もしくは主の命が尽きるその日まで、生涯忠誠をお誓いいたします」

 椅子から立ち上がって、優雅な貴族らしい礼と共に告げられた言葉と態度に目を見張る。

 思いがけない言葉に呆然としたのは俺だけではなかったようで、ギーもまた目を見開いてスージを見つめている。

「……何故……」

 低いギーの声が、まるで詰問するかのようにスージに投げかけられる。

 驚愕を含んだその声は、この展開を全く予想していなかったことを表している。

「好み。それに尽きる。大公閣下のご子息にはお気に召さなかったかな?」

 いつものスージの口調に戻り、どかっと椅子に腰掛けると、にんまりと笑みを俺に向ける。

「本心か否か。どうせ疑っているのだろう? いいよ。信じなくても。だから信じる気になった時に教えてくれたら良い。お前の守りたい『宝石の人』のこと」

「スージ」

「何? 言いたいことがあるなら今聞いておく。また当分会うことは無いだろうからね」

 一度瞬きをし、それからゆっくりとスージの顔を見つめる。

 どこまで本心で言っているのかを計るために。だが飄々としていて、その本心を計ることは難しい。

「俺は王にはならない。それに関しては本気で言っている。祭宮以外に興味は無い。それでもいいのか?」

「構わない」

「裏切るのならば、例えお前でも切り捨てる」

「構わない」

 視線と視線がぶつかり合う。

 バチっと音のしそうなほどの視線を先に緩めたのは俺のほうだ。

「ならば黒いローブの怪しげな男を祭宮が雇ったらしいという噂でも流してくれ。占いに頼るようになった心の弱い祭宮とでも流布してくれればいい。丁度祭宮は腰抜けっていう線でいこうかと思っていたんだ」

 ふっとスージが頬を緩める。

 そのスージの空いたグラスに巫女の村のワインを注ぎいれる。

「お前の部下たちの働きが悪いというのではなく、仕える気があるなら傍にいろ」

「殿下っ」

 咎めるようなギーに、首を横に振って拒絶を表す。

「信じるかどうかはわからない。何故ならばお前は一度俺を裏切っている。未だ兄王を主としているかもしれない。もしくは兄上に仕えているかもしれない。だから今は信じない」

「ふん、正論だな」

「だから信じる価値があるというのならば、俺の傍にいられるように手を尽くしてみろ。お前が常に俺の傍にいるようになった時、俺はお前を信じよう。それでいいな。スージ」

 ワイングラスを持ち上げてスージの前に差し出すと、スージはカチンと音を鳴らしてグラスをぶつける。

 契約完了の証として。

 許容量を超えない程度の量だと見越しているのか、スージが一気にぐいっとワインを飲み干す。

 俺もまたワイングラスを空ける。

 ギーは溜息を吐き出して、俺たちの様子を黙って見続けている。

「なかなかキツイ御題を出してくれるもんだ。あんたの両翼が俺を安易に信じるわけがないだろうに。それに怪しげな黒衣の男が王宮に出入りして祭宮に侍るようになるなんて、尋常ならざる事態だろうよ。そんな状況を上手く作り出せと? 難題だろ、これ」

「そうだね」

「そうだねじゃねー。笑ってる場合かよ。あーあ。俺、頭フル回転しないといけないじゃん。家帰って考えよーっと。ああ、でも帰る前に一つだけ報告しておく」

 ふざけた発言をしていた、ちゃらけた男が真顔に戻る。

 その瞬間、呆れ顔をしていたギーの顔も真顔に戻る。

「神殿の外部諜報員の中に王宮の関係者と接触して情報を得ている者が何人かいる。洗ったほうが良いと思う」

「何故?」

「二重スパイ。神官たちを巫女派と神官長派に意図的に分断したヤツがいる」

「なるほど。その辺りは明日探りを入れてこよう。有益な情報をありがとう」

 意図的とは考えていなかったな。言われるまでその考えが浮かばなかったとは。俺の目も曇っているな。

 だが神殿内に混乱をもたらして、王宮内の人間にどのような利益があるというのだろうか。

 姫を手中にする為に神殿の混乱を利用する? いや、そうすると余計に神殿から出てこなくなると思うのだが。

 全くもって意図が理解出来ないが、実際にスージが言い出してきたのだから、兄上か兄王かはわからないが、実際に誰かが神殿に混乱をもたらそうとしているのだろう。

「……ほーんと、それで王にならないっていうんだから勿体無い」

「ん?」

 考え事に没頭していた俺を、スージの声が現実に引き戻す。

 全く内容は頭に入ってきてはいないが。

「わかんないならいいよ。多分永久にあんたは理解しないだろう。部下の心情ってやつを。なー。ギールティニア」

 ギーは鼻を鳴らして笑ったかと思うと、苦笑を浮かべてスージの言葉に同意の意味を篭めて深く頷く。

 不思議そうな顔をする俺を見て、二人の友は少し困ったように肩を竦め、そして互いのグラスにワインを注ぎあう。ほんの少しだけギーはスージに心を開いたように見える。

 一度壊れてしまった関係がもう一度元に戻ろうとしている事を、嬉しく思う。

 が。スージを信頼するか否かは少し時間を掛けて計ろうと思う。

 以前のように裏で兄王と繋がっていて、手を噛まれるのは困るのだ。今回はどうやら「宝石の人」の正体に薄々気が付いているようにも思えるし。

 決して彼女を王宮のごたごたに巻き込みたくない。外の事で煩わせたり、危険な目にあわせたくは無い。

 もしも裏切るのならば「消す」しかないだろうな。

 彼女への俺の執着を知れば、恐らくそこを突いて揺さぶりを掛けてくるはずだ。結果、彼女を窮地に立たせてしまうかもしれない。そうならない為にも、もしもの時は……。

 暗い決断を、笑顔で酒を酌み交わす二人を見つめながら、心密かにした。誰に告げるつもりもなく。

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