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王子様の恋  作者: 来生尚
巫女という奇跡
43/48

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「大して面白い話でもなかっただろう」

 掻い摘んで一部始終を娘にだけ話した。

 助手を影にした事やギルドに関わる事など、娘に明かす必要の無いことは隠して。

 そもそも神官たちに聞かせるような話ではない。娘は断固として同席をと強請ったが断った。

 何故あの「毒殺未遂事件」が起きたかというと、結局のところは神殿とは大して関係のない話になる。

 先王が、俺が、王家が、貴族たちが。

 つまりはそういう国家運営の問題になってくるからだ。

「ついでにお前の父親はたいしたことが無いってわかっただろう?」

 娘に笑いかけると、娘は神妙な顔つきのまま首を左右に振り替えした。

「ううん。ずっとわたしならどうしてただろうって考えながら聞いていたの。でも答えは出なかったわ」

 右の手を顎にあて、左の手で右腕を支えながら、娘はうーんと呻き声のようなものを吐き出す。

「結局のところ、最初の一歩を間違えたとしか言いようがないのかもね。といっても、これは今だから言える事だけれど」

 娘は口元に当てていた手を左の手と一緒に組んで、体を伸ばす。

 一度大きく伸びをしてから、ふっと力を抜いて俺のことを見つめる。

「ただ一つだけわかって良かったわ」

「ん?」

「仕方が無いという言葉で済ませることは簡単なことだわ。けれどお父様はそれをなさらなかった。多分そういうお父様だからこそ、お母様はお父様を選ばれたのだわ」

 ふんわりと微笑む娘の言葉がくすぐったく、素直にそれを受け止めるには年を取りすぎた。

「どうだろうな。お母さんの名声に比べると大分頼りなくて情けないだろう?」

「人間らしくていいんじゃない? それにお父様は名声が欲しいなんて思っていらっしゃらないでしょう」

「そうだな」

「じゃあお父様は何が欲しかったの?」

 娘の問い掛けに、ふっと視線をベッドで眠る神官長と呼ばれる自分の妃でもある人物に向ける。

 たった一つ欲しいと願ったもの。

「彼女の傍にいられる権利だよ」

「権利?」

「ああ。彼女が巫女や神官長であるならば祭宮。一人の女性としているならば恋人もしくは夫」

「それは償い?」

 毒殺未遂事件の真相を聞いたからこその言葉だろう。

 償い。

 今この状況を引き起こしている元凶を作りだしてしまったことの償い。

 その思いは心の中から消えうせる事は無い。

 だけれどそんなものを彼女が望んではいない。

「償いではないね。執着とかそういう感情かもしれないね」

「好きって事?」

「そうだね。ただ好きだけでは表せないよ。一度奪われた事があるからね。二度と手放したくないんだ」

「それってフラれたことがあるって事?」

「まあ、そういう事になるかもな」

 キラキラっと娘の目が輝きだした。

 さっきまでの権力抗争だとか裏細工だとか駆け引きだとかという話の時には眠そうな顔をしていたくせに。その正直さが彼女と似ている部分だな。

「お父様っ。そういう面白い話を重点的に聞かせて下さいな。先王陛下の事とか、正直どうでもいいので」

 思わず笑みが漏れる。

 まあ確かに聞いていて面白い話ではなかっただろうが。

「お母様を誰に取られたんです? お父様から奪うなんてなかなか出来る人はいらっしゃらないでしょう? 先王陛下や今の陛下ではないでしょうし」

「……水竜」

「はい?」

「水竜だよ。今から話す話は『奇跡の巫女』の奇跡の真相だ。あの時の事は公的文書には残されていないらしいし。こっちも残していないし」

「奇跡の真相って。大祭での奇跡と呼ばれる、大衆を煽動して大戦を止めさせたとかっていう話ではなくて?」

「それもそれですごい事なんだが、その事ではないよ。あんな事がどうして出来たんだか、きっと誰にもわからないだろうな。もしかしたら紅竜ならばわかるかもしれない」

「ちょっと待って」

 娘が薄いカーテンの向こう側の紅竜に目を向ける。

 まるで巫女が紅竜と会話をするかのように、娘は紅竜だけを見据えて、たまに首を縦に振ったり横に振ったりする。

 この娘ならば本当に紅竜の声が聴こえていてもおかしくは無いな。

 あれだけの奇跡を起こした彼女の娘。しかも瞳は紅竜と同じ紅。

 ある意味では存在自体が奇跡のようなものだし。

 娘から眠る彼女へと視線の先を移す。

 最近は眠っている時間が多い。意図的に助手が眠らせている部分もあるという。

 あまり起きる時間が長いとそれだけ体力を消耗するからという事らしい。

 何とか春までもたせないと助手は言うが、実際のところはどうなのだろう。この冬を越せるのだろうか。

 一見穏やかに時間が流れていっているようにも思えるが、残された時間を思うと胸が詰まる。

 少しでも長く傍にいて欲しい。

「お父様。水竜とお母様の間に何があったの?」

 ああ、会話が終わったのか。といっても娘には今は紅竜の言葉は聴こえないから、その質問の仕方といい、何かを感じようとしたが感じられなかったというところだろう。

 娘のほうに目を向けると、少し身を乗り出して話を聞く体勢になっている。

 どこから話せばいいのか。

 ふうっと溜息を吐きだして考える。

「水竜のことはお母さんに聞け。俺はわからん」

「お父様」

 じとーっとした目が俺に不満を伝えてくる。

「実際に何がどうなっていたのかは、俺にはわからないよ。神殿の中のことは」

「じゃあそれはあとでお母様に聞きますから。お父様のわかることを教えて下さい。出来ればフラれた話を重点的に」

「はいはい。でもとりあえず話はさっきの続きからな」

「えーっ。もういいです。先王陛下を廃人にする作戦とかどうでもいいです」

 くすくすっと笑うと、娘も頬を緩ませる。

「じゃあ本当の『毒殺未遂事件』について話そうか」

「本当の? さっきの水竜が憑依して倒れた事件ではなくて?」

 カチャリと扉の開く音が聞こえた。

 振り返ると執事が助手を伴って部屋の中に入ってくる。助手の診察の時間か。

 二人の事は気にせずに話を続ける。

「ああ。あったんだよ。もう一つの毒殺未遂事件。あれが奇跡の始まりだろうね。きっと」

 執事と助手は俺の声は聞こえているだろうけれど、一切答える意志が無いようだ。

 助手は眠る彼女の体温を測ったり、脈を取ったりしている。

 執事は続き部屋のほうへと消えたから、恐らく娘のお茶とお茶菓子の準備だろう。

「奇跡の巫女ってどんな人?」

 娘の問い掛けは、新しいお茶を持ってきた執事へと向けられる。

 問われた執事はいつもどおりの無表情で、首を微かに傾げる。

 その小さなリアクションだけで、娘には十分に執事の意図が伝わったようだ。

「教えて、執事。どうして奇跡の巫女は奇跡の巫女と呼ばれるようになったの?」

 執事の視線が俺とぶつかる。

 話しても構わないよという意志をこめて頷き返すと、執事が助手へと視線を向ける。助手の診察はまだ続いているようだ。

「祭宮様からはどこまでお聞きになられましたか?」

「……倒れたところまで」

 その後の俺のぐだぐだな話については言及するつもりは娘も無いようだった。

 実際に俺の悩みと奇跡の巫女の話とは直結しない。

「あれが毒殺を意図するものではなかったとご理解いただけたという事ですね」

 パチパチと娘が目を瞬く。

「どういうこと?」

「片目は納得していないようでしたけれど、巫女付きであった我々はあの事件の真相を、当時巫女様ご自身より窺っております。それがどのような事なのかの検証もしております」

「え? そうなの?」

 パチッと診察用のバッグを閉じて、助手が振り返る。

「そうですよ。未だにぎゃーぎゃー騒いでいるのは片目くらいなものですよ。それに診察をして、毒によるものでは無い事もわかっていましたしね」

 助手と視線が合う。

 あの時の怒り、そして落胆。

 助手があの日俺に向けた感情はその目からは読み取る事が出来ない。時の経過があの時の怒りを宥めてくれたのか。それとも隠す事が上手になっただけなのか。真相は聞いても答えてくれないだろう。

 娘に同じ席に着く事を求められ、渋々ながら二人ともそれぞれ椅子に腰を下ろす。

 今まで俺が知らなかった神殿の真実を、この二人はこれから語ろうとしているのかもしれない。

 律儀に毎日怒りの報告書を送ってきた先の神官長の話と異なる点があるとするならば、だが。

「倒れられた神官長様、当時は巫女様ですね。面倒なので、ここからの話は巫女様で通させていただきます。巫女様は高熱に侵され、意識不明の状態でした」

「瀕死の状態?」

 先ほどの話の中でルデアの言葉として告げたそれを思い出したのだろう。

 それに対して助手はゆっくりと首を縦に振る。

「瀕死の状態の者が元に戻ればそれだけで奇跡」

 思い出した言葉を紡いだ娘に対し、二人の神官は同意するかのように首を深く縦に振る。

「もう、目を覚まさないのではないかと思っていたくらいです」

 どこか遠くを見つめるような執事の言葉に心が痛む。だが、執事の視線は俺を見てはいない。遠く記憶の彼方を見つめているかのようだ。

 助手はちらっと眠る彼女を見て、そして溜息を吐き出す。

「手の施しようが無かったのです。結局のところ本人の体力と気力と生命力次第という状態でした。眠り続けていらっしゃいましたので、薬をお飲みいただくことも出来ず、栄養をお取り頂く事も適わず。医師として無力でしたよ」

「そうだったの」

「後にわかったことですけれど、水竜様が憑依して生命力を食われたゆえのことという事でしたから、何もしようが無くて当たり前だったのかもしれません」

 助手の言葉に、静かに娘は頷いた。

「紅竜だけではなく、水竜も巫女の命を喰らうの?」

 かつて巫女としての教育を施された娘だが、水竜に対しての知識は乏しい。

 紅竜が巫女の生命力を糧としているのは、恐らく本人が身をもって体験しているだろう。

「そのようです。そして憑依を行うには膨大な力を必要とし、水竜様が多量の食事を必要としたという事でしょう」

「……憑依だけはさせてはならないわね。今後の巫女たちには。紅竜にもやるなって伝えておくべきね、きっと」

 神官長になる娘の決断に、二人の神官が同意を示す。

 それは一度巫女を失いかけた神官たちの切なる願いでもあるのかもしれない。

「一月。正確には一月と十二日間、巫女様はお眠りになられました」

 次に口を開いたのは執事だ。

「その間、なすすべもなく、見守り続ける事しか出来ませんでした。熱は徐々には下がってきたものの、目覚められる気配は無く、このまま儚くなられてしまわれるのではないかと思っておりました」

 二人の神官は共に口を噤んで、遠い日を思い、物思いに耽っているようだ。

 その後の奇跡があったとしても、あの倒れてしまってからのの引き裂かれるような思いは、俺だけではなく神官にも辛い日々であったのだろう。

 巫女に仕える者として、巫女が任期半ばで死によってその地位を外れるかもしれない可能性を目の当たりにし続けた日々。それはどのようなものだったのだろうか。

 俺は現実にその姿を目の当たりにしていたわけではない。

 王宮内の雑事に奔走し、彼女のことを一瞬でも忘れることが出来た。

 しかし彼女の巫女付きとして長い時間を傍で過ごした執事や、彼女の主治医として治療にあたっていた助手は、眠り続ける姿から逃げる事は許されなかった。

 眠る横顔を間近にし、暗い可能性を心に抱えながら過ごした日々は、とても口には出せないようなものだろう。

 思いに暮れるのも無理は無い。

 俺とは全く違う次元で、神官たちもまた巫女であった彼女を愛してやまないのだから。

「紅姫様がおっしゃられますように、それが奇跡の始まりなのです」

 ゆっくりとした口調ですべての感情を排した表情で執事が告げる。

「奇跡の巫女の『奇跡』の?」

「そうです。何よりもあの時お目覚めになられた事こそが、奇跡のはじまりなのです」


 二人の神官によって、俺の知らなかった『奇跡』のはじまりが語られる。

 目覚めた巫女は、やはり体調は悪く、いつ再び倒れてもおかしくないような状態だった。

 どこもかしこもかつての巫女の片鱗は無く、微熱が下がらず呼吸も浅く食も細い。立ち上がる事すら困難な状態だった。

 病弱だと言われていた先の神官長よりもずっと彼女の状態のほうが悪く、病弱を通り越して虚弱な状態になっていた。

 結局のところ生命力が無くなってしまっているということだから、体力を徐々に付けていくしかない。

 その為にはベッドで安静にしているしかないだろうと助手は考えていた。

 しかしある日突然、そのような体であるにも関わらず、巫女は水竜に会いにいくといって部屋から出ていってしまう。

 力ずくで止めればいいのだが、相手は巫女。無体な事も出来ないし、なによりもその体に触れるなど許される事ではない。

 執事を筆頭に、神官たちで何とか説得して部屋に戻って貰おうと思ったが、結局それは適わず、水竜の住まいである奥殿と呼ばれる空間へと続く回廊に姿を消してしまった。

 そこは巫女以外は入ることを禁じられている場所。

 回廊の手前で神官たちは巫女の帰りを待ち続けるしかない。

「その反省が、紅竜の神殿では生かされています。奥を敢えて作らず、どこからでも見通せる場所に紅竜様のお住まいを作りました。どのような事態にも対応できるように」

 付け加えた執事に、助手がふっと笑みを浮かべる。

「もっとも、紅竜様はあのような小さな箱に閉じ込められてはお怒りになられたでしょう。空を翔ける竜であらせられる紅竜様を囲う場所など作りようがありませんしね」

 当時は若手であった二人の神官も、どうやらこの神殿の建設に関わっていたようだ。

 巫女付きであったが故に、その発言力も大きいものだったのだろう。

「話が逸れましたが」

 さらに話が続いていく。

 奥殿へと消えた巫女。

 もしかしたらその先で倒れているのではないだろうか。歩くことさえ、不可能に近い事なのに。

 やきもきしながら巫女が戻るのを、まだかまだかと待ち続けた。

 すると血相を変えて走ってくる巫女の姿が木々の間から見える。

 一体何が起こったのかと神官たちは己の目を疑った。

 ほんの数日前まで寝たきりで、ここに来るまでの間も、倒れそうになりながらよろよろとおぼつかない足で歩いていたのに全力疾走? しかも何故か衣が血塗られていて、頬には大きな切り傷。

 神官長は血塗れた衣に驚き意識を失い、神官たちは皆立ち尽くして動けなくなってしまった。

「起きていることも、歩く事でさえ奇跡のようなものだったのです。ほんの一週間程度前まではお亡くなりになられるのではと心配していたのです。それなのに以前と変わらぬ様子で走って戻ってこられた」

「……お母様って」

 何か言いたげにしていた娘の様子など気にせず、助手は話を続ける。

「診察をしてみると、かなり体力が戻っているのを感じました。倒れる前と比べると六割程度といったところですが。しかし、ほんの一割程度の回復だったのです。ほんの数時間前まで。それを奇跡といわず、なんと表現したら良いのでしょうか」

「どうしてそんな風に回復出来たの? 奥殿に何か特効薬でもあったの?」

「特効薬といえば特効薬かもしれませんね。水竜様がいらっしゃったのですから」

「つまりは、水竜の奇跡ってこと?」

「そうです。医療では到底出来ない事です。巫女様曰く、巫女はある意味では水竜様の一部分でもあるとおっしゃっていました。それゆえ、そのような奇跡を起こせたのだと」

 再び考え込むように娘の指先が顎や唇に触れだす。

 何か気になる事があるようだ。

「そういう事があったんだな。しかし何故彼女は血まみれで頬に傷なんて作って戻ってきたんだ?」

 俺の問い掛けに二人の神官は顔を見合わせる。

 どうやら非常に答えにくいことのようだ。

 ふうっという溜息を吐いたのは助手で、顔色を一切変えないのが執事。

 二人の神官は互いから視線を逸らし、そして口を閉ざす。

 敢えて知らなくてはならないことではない。

 ふーっと息を吐き出して、意図的に口元と目元を緩める。

「その辺りは機会があれば娘に教えてやってくれ。俺はどうしても知りたくなったら彼女に聞くから」

 会話の終了を示す為に、立ち上がって彼女のベッドの傍に置いてある椅子に座りなおす。

 当時の神官長からの報告書には、確かその辺りは書いていなかったような気がするな。覚えていないだけかもしれないが。

 もし覚えていないのならばその程度の内容だったのだろうし、もし知らされていないのならば、それは祭宮には告げたくないような何かがあったという事なのだろう。

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