閑話休題
番外編です。後日本編の一覧からは外します。
「ちょーっっと待ったー!」
凡そご令嬢らしくも無い声ですたすたと眼前を歩く神官たちを呼び止めたのは次期神官長でかつて巫女だった「紅姫」と呼ばれる生粋のお姫様。
そのらしくない言動に、前を歩いていた神官たちは目を見開いたり無表情だったり。ただ全員振り返り、ドレスを翻して小走りに駆け寄る紅姫に一礼をする。
「いかがなさいましたか」
もっとも驚きを示さなかった神官が紅姫に声を掛ける。彼の異名は「鉄仮面」その異名の所以をいかんなく発揮している。
執事とも呼ばれるその神官は型通りの礼をして、彼の仕える神官長の娘である紅姫の顔を見つめ返す。
全く表情の読めないその顔に、紅姫は対照的な笑みを返す。
「先程の話の続きを聞かせて欲しいの」
執事は同僚でもある長老、助手、片目、熊、司書へと順繰りに目線を送る。
困ったような顔をして、神官たちは紅姫に失礼ではない程度に溜息を吐き出す。
「先程のとおっしゃいますと」
「お父様とお母様の話に決まっているじゃない」
そう切り出した途端、長老はこほんっと咳払いをする。
「私はこの後新人教育の講師の予定が入っておりますので、申し訳ございませんが他の者にお尋ね下さい」
パキリと音がしそうなほど角ばった動きで、本来業務であった警備の仕事の名残を残すかちっとした礼をすると踵を返してそそくさとその場から去っていく。
「申し訳ございません。そういった事にはあいにく詳しくありませんので」
常にはない丁寧さで司書が礼をし、長老に倣ってその場を去っていく。
「夕の礼拝の準備がございますので」
熊がその恰幅の良すぎる腹を揺らして去っていく。
残った三人。
執事、助手、片目もそれぞれ言い訳を口にしたが、姫君の機嫌を損なうだけで同意を得る事は出来なかった。そして空き部屋へと連れ込まれる。
元来は神官長の執務室として使われている部屋であるが、現在は主である神官長が体調を崩しているので、全く使われる事は無い。それでも手入れは行き届き、埃の一つも落ちてはいない。
執務室には続き部屋として円卓が置かれた会議用の部屋がある。
今は円卓が置かれ、幹部神官たちとの会合に使われているその部屋は、かつては応接間のように寛げる空間になっていた。
ただ、ここにいる神官たちは現在の形状になってからしか部屋を使った事はないので、伝聞として聞いているに過ぎない。
諦め顔の助手と片目が離れた席に座り、執事は姫君の為にお茶を入れ、お茶菓子を用意するために席を外している。
執事が戻るのを待つこともなく、紅姫は口を開く。
「片目と助手。どちらのほうがお母様とお父様の事に詳しいのかしら」
あまり仲が良いとは言いがたい二人が互いに顔を見合わせ、同時に首を捻る。
「さて……どうでしょうね。助手ではないですか」
先に口を開いたのは片目。
神殿の外部諜報員であり、紅姫の父である祭宮の諜報員「影」でもある。二束の草鞋を履いているのは幹部たちの間では既に公然の秘密となっている。
二つの場を行き来する片目ではあるが、神殿の長である姫の母と、王宮で執務を行う姫の父が二人でいる姿を見ることは限られている。
言われた助手はというと、髭の濃くない顎を撫でるようにし、ついっと姫から目を離す。
「うーん」
溜息交じりの唸り声は、意図して出たものではない。
巫女時代、王宮での祭宮妃殿下時代、そして神官長時代。その全て主治医として姫の母の傍にいた彼は、片目よりも彼らのプライベートには詳しい。
「口に出すのを憚られるようなこともあるのは事実です」
さらりと告げたその言葉に、年頃の娘であり、恋に恋する年頃でもある紅姫は目を輝かせる。
彼女の興味は、一気に助手の見た両親の恋物語へと移っていく。
「それって、どんな?」
ちらっと紅姫を見たかと思うと、困ったような笑みを浮かべて助手は顎を撫でる。
その視線を片目に向けると、片目は見えるほうの目の上にある眉だけを上げて、ほんの少しの興味を覗かせる。
「正直申し上げまして、未婚の年頃の女性に話すような話ではありません」
ぴしゃりと言い切る助手を、ぽかーんという形容が似合う唖然とした顔で紅姫が見つめる。
話のネタはそれなりに持ち合わせているが、助手は何一つ自分の見たものを口にするつもりはなかった。煙に巻くため、ワザとそのような言い回しを選んだ。
片目は机の上に両肘を付き、その頭を抱え込む。
「おまえなー」
助手の意図を汲み取ること無く、見えるほうの目で助手を睨みつけ、文句の一つも言ってやろうと口を開いた片目だったが、目の前に差し出された湯気の立ち上るカップに気を削がれる。
執事がまるで話など聞いていなかったような風情で、三人にお茶とお茶菓子を配っていく。そして自分も末席に座り、相変わらずの無表情で三人の様子を眺める。
「お話は進みましたか」
柔らかな問い掛けに、紅姫はふるふると首を横に振る。
「ぜーんぜん。まーったくなーんにも」
その言い方に、くすりと執事が笑みを漏らす。
常に鉄仮面を被り続ける彼であるが、主である神官長やその娘である紅姫にはこういった笑みを浮かべる事もある。得てして周囲の人間をぎょっとさせるが。
彼は主の二人の子供を、非常に慈しんでいた。妻も子も持たない彼にとって、主の二人の子供の成長は愛おしい慈しむものである。
故にこのような紅姫の振る舞いも、姫らしくないと諌めるよりも先に、可愛らしいと思う気持ちが先に生まれ出てくる。
「左様でございましたか」
さらっと流し、執事はそれ以上の追及はしない。姫にも、二人の同僚にも。そして自分は一切口を開くつもりはないというように、口を真横に引いて閉じてしまう。
が、それで済ませてくれるような姫君でも同僚たちでもない。
「俺は執事の話が聞きたいね。神官長様や祭宮様は常に……その、なんだ……あれだ」
言い淀む片目に、今度は助手の笑いが零れる。
「おっさんの純情は気持ち悪いよ」
鉄槌のような言い分に、片目の顔が険しくなる。
食って掛かろうとし、そして今は紅姫の御前なのだと思い直し、咳払いをしただけで片目は助手への批難を押し留める。
「だいたいさー、あんなの見慣れてるでしょ、嫌ってほど、王宮で」
「……まあ、見慣れてはいるが。あれから何年経っていると思っている。それにまだ王子も姫君もお生まれになる前ならまだしも」
「そうなのよっ。片目ったらいい事言ってくれたわ。娘がこーんなに大きく育っているっていうのに、本当に場所も弁えずイチャイチャしちゃって」
途端に勢い付いた紅姫が二人の会話に口を挟む。
実は紅姫には仲睦まじい両親の姿の記憶が無い。物心が付いたころには、母は紅竜の神殿の神官長で、彼女の生活の場である王宮でその姿を見たことが無い。
見るのは常に、この神殿の中でだけ。
巫女になる前は、年に数度、父が来るついでに連れてきて貰っただけだ。故に母に対しての慕情も薄く、若干他人行儀な部分もある。
共に過ごさなかった時間の分だけ、親子の溝は深い。
また、国中で詠われる恋の詩の主人公である両親と、現実に自分が見る両親の姿があまりに乖離しすぎていて、母が倒れて神殿に来るまでは詩は全て誇張に違いないと思っていたほどだ。
しかし目の前で繰り広げられるのは、まるで恋人同士であるかのような甘い囁き。
絡まる視線も指も、全てが恋心であるとか愛情であるとかというものを容易に他者に想像させるものだった。
両親が互いに呼び合う「ササ」「ウィズ」という呼称さえ、彼女は生まれてこのかた聞いた事がなかったものだ。
「あの二人、最初からあんな感じだったの?」
問いかけられた三人の神官は、紅姫の言う「最初」が何の事かを想像する。
執事は巫女になる前の二人が初めて出会った日を、片目は巫女として水竜の神殿に仕えていた頃を、助手は巫女を辞めて二人がそういう関係になった日を。
しかしそれが紅姫の言う「最初」と合っているのかどうかわからず、三人とも口を閉ざしたまま答えない。
「さすがにお父様も巫女には手を出さなかったのよね?」
それが最初か、と三人は心の中で得心する。
「手を出すというのがどの程度の事をおっしゃっているかによるのではないでしょうか」
またまた爆弾発言をするのは執事。
ぎょっとした二人の神官の心中など置いてけぼりにして、涼しい顔のまま話を続ける。
「祭宮様は水竜様に手を出すなと釘を刺されていたとおっしゃっていましたし、そういう事はなさらなかったのではないでしょうか。ただ神官長様が巫女様でいらした時にお倒れになった際に真っ先に手を伸ばしていらっしゃったのは、祭宮様であったように記憶しております」
「倒れた時?」
「ええ、祭宮様のお話にも出ておりました。一度目の憑依の時の話です。咄嗟の時には水竜様のご意思などよりも体が反応されていらしたのでしょう」
くすっと紅姫が笑う。
「お父様、お母様の事お好きですものね、とっても」
「はい」
執事の同意に、紅姫はふふっと微笑む。決して他に妃を娶ろうともしなかった父の一途な思いが気恥ずかしくもあり、まだ恋を見つけられない故に羨ましくもある。
いつかそんな素敵な恋を、なんて妄想世界に足を突っ込みかけた時、執事が再び現実に引き戻す。
「失礼ながら紅姫様にはそのようなお相手はいらっしゃらないのですか?」
そのような相手がいるのならば、父や母の話を参考にしようとは思わなかったわと軽く言いのけるほど、彼女の自尊心は低く無い。むしろ並大抵の山よりも高く険しい。
「まあ、私のことはいいのよ」
誤魔化したつもりなのかもしれないが、目の前にいる両親と同じかそれより上の年齢の神官たちには全てお見通しである。ただ、誰もそれを口にしないだけで。
紅姫はお菓子を一つ齧り、お茶を飲み干してそそくさと部屋の外へと姿を消す。
この話題には触れられたくないと全身でアピールしているようなものである。そんなうら若い次の神官長の後姿を三人の神官は微笑ましい思いで見守る。
パタンと円卓のある部屋の扉が閉じられ、神官長の執務室の大扉の重厚な開閉の音がし、足音も遠くになり聞こえなくなる。残された神官たちは咳払いをして苦笑を浮かべる。
片目はいつものクセで煙草に火を点け、煙を燻らせる。
主不在のこの部屋は、実は神官長の御付神官たちの密会の場所になりつつあった。本来は禁じられている酒や煙草もここでは咎めるものはいない。
儀式の典範にはやたら煩い式典官の熊も、何故か神官の戒律については煩くない。いや、煩く言わなくなったというのが正しいかもしれない。もしくは片目に酒で買収されたとも言う。
執事は全く気にする素振りを見せずお茶を飲み、助手は顎の前で両手を組み、パチンパチンと爪を鳴らす。それは彼が考え事をする時の癖である。
パチンパチンと規則的に鳴らされる音を気にせず、片目はふーっと深く白煙を吐き出す。
付き合いも大分長くなった神官たちは、敢えて互いの思惑を読むようなことも問いかける事も無く、おのおのそれぞれの思考に浸っている。
煙草が一本終わり、なんとなく二本目に手を伸ばそうかと片目が思った時、パチンという音が唐突に途切れる。
ふっと片目が助手に目を向けると、助手がふぅっと溜息を吐き出す。
「イチャイチャするのもいいんですけれどね。きちんとお身体のことまで気を回していただければ」
呟くような愚痴のような言葉を聞き、二人の神官は助手の次の言葉を待つ。片目は煙草を手に取るのをやめ、目の前のぬるくなりつつあるお茶を口に含む。
「自分、一回怒鳴りつけた事があって。祭宮殿下を」
「初耳だな。それは王宮でか?」
「んー。まあ」
思い出を巡るように、助手は視線を宙へと向ける。遠いような近いような、そして鮮やか過ぎる思い出。
「何やらかしてアイツは怒鳴られたんだよ、お前に」
片目の心中では、やっぱり何かやらかしやがったな祭宮と、ここにはいない祭宮を罵倒している。
執事は一切口を挟む事無く、二人の会話に耳を傾けている。元来あまり口数の多い男ではないので、黙って聞いていることに対し、片目も助手も違和感を感じてはいない。
「子供を作ったから。胸倉掴んで恫喝した」
さらっと言い退けた助手をぎょっとした顔で片目が見る。
「お前、それはやりすぎだろ」
「やりすぎじゃない。お嬢の命と子供とどっちのほうが大事かって話だよ。本当にお嬢の体を思うなら、出産を二度もさせるなんて無謀としか言いようが無い。さすがに二回で懲りてくれたようだけどね」
「……それは、お嬢が死に掛けたからか?」
「知ってるじゃん。その通りだよ」
何も感情を映さないような瞳で言うと、はあっと助手が嘆息する。
「自分にはわからない。愛おしいと思うのにどうしてあんな無茶をさせられるのだろう。蒼の王子と紅姫様をお産みにならなければ、もっとお命を永らえる事も可能だったかもしれない。真に愛しく思う者を死の淵に追いやることが真の愛情といえるのだろうか」
妻も子も持たない、生涯を神と呼ばれし竜たちに捧げた彼らには男女間の愛情についての知識はあっても実体験は皆無だ。
そして彼らも神官長である祭宮の妃殿下を「愛おしい」と思う。守りたいと思う。それは恋では無くとも。
「私たちのような単純な想いではないのでしょうね。お二人の愛情というのは」
まとめるかのような執事の言葉に、残りの神官たちも溜息を吐き出す。
「どうせ何言っても無駄だしな。あの二人には」
投げやりな片目の言葉が、三人の神官たちの心中のすべてを表していると言えるだろう。
「ウィズ、あのね」
執務を終えて奥と呼ばれる本来なら国王とその妃や子のみが住まう離宮に祭宮が戻ってくると、妃は内緒話をするかのように背伸びをする。
それに合わせるかのように袖のカフスを外しながらウィズと呼ばれた祭宮が体を傾ける。
「どうした」
嬉しそうな、それでいて楽しそうな妃の様子に、祭宮の頬が緩む。
「あのね。おなかにね、子供がいるんだって」
頬を紅潮させてニコニコと笑う自らの妃の顔を見たまま絶句し、しばらくの後にがしっとその両方の肩をその広い手で掴む。
「本当か?」
「うん。本当みたい。最近体調が悪かったのは、妊娠していたせいみたい。ごめんね、変に心配かけちゃってたみたいで」
「心配なんて幾らでもかけてくれて構わないから」
まるで壊れ物を扱うかのようにそっと妃の体を抱きしめて、最近やけに気持ち悪いだの言って吐いていたのはそのせいかと納得する。
「辛いのはお前なんだから、俺のことは気にするなよ。それより体は大丈夫なのか?」
「うーん、大丈夫だと思うんだけれどオリアは怒ってたわ」
オリアと愛称で呼ばれている彼女の主治医は、いつもよりも長く続く体調不良をいぶかしみ、王立医学院から念のためにと産婦人科の医師を呼んだ。そしてその推理が当たったわけだが。
二人の医師は妃に告げた。
もしかしたら出産に体が耐え切れないかもしれないと。しかし彼女はそれを祭宮に伝える気は無かった。
何よりも嬉しかった。ずっと望んでいた子をその体に宿した事が。子を為さなければ妃として一人前とは呼ばれないというのもあるが、それよりも何よりも、夫である祭宮との間に形を遺したいと思っていた。
どんなに愛していると伝えてもどこかで信じてくれない夫に、本当に愛しているのだと伝える為に。そして自分が愛されているのだと誇れる為に。
「あー。うん、そうだろうな。後で一発殴られておくよ、俺が」
「まさか、殴ったりしないでしょ」
殴りはしなかったが恫喝はこの後されるのだが。それは彼女は知らない話。
クスクスと笑い声を上げる彼女の髪を撫で、頬を撫で、そしてその唇に自らの唇を重ねてそっと離すと、祭宮は「ありがとう」と耳元で囁く。
嬉しさでくしゃっと顔を崩した妃は、ぎゅっと祭宮に抱きつく。
「本当に本当に嬉しくてしょうがないの。これでやっと一人目だから、あと九十九人よ、頑張らなきゃ」
「まだ生まれてもないのに早すぎだろ」
ははっと笑い声を上げて、祭宮は喜びで口角の上がる唇を、同じように満面の笑みを浮かべている妃のそれと重ねあわせる。
「愛しているよササ」
「私もよ。ウィズを愛しているわ」
柔らかく抱きしめた腕の中、お互いの間にあるのは愛おしさと恋しさと、そしてかけがえのない幸せなのだということを、誰よりもお互いが知っている。そしてそれは後世まで語り継がれる恋の詩の一節になるのだろう。