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王子様の恋  作者: 来生尚
血に染まる大地
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 案の定、兄貴が行幸から帰ってくると祭宮についての噂が流れ出した。

 さぞかし面倒な事になるだろうと構えていたのにも関わらず、それは拍子抜けするような内容だった。

 祭宮は未だ王子気分の抜けきらず、父に甘えに奥にまで足を運んだ。

 臣下の者たちを残酷な拷問にかけるという兄貴がそれで納得したのかはわからないが、厄介事に巻き込まれなくてほっとした。

 が、内容には非常に不満が残るが。

 もしかしたら兄貴に問いただされた父上が、上手く兄貴の機嫌を取って誤魔化してくれたのかもしれない。

 しかし、それでほっとしていつもどおり、というわけにはいかない。

 問題は山積したままだ。

 スージの問題。

 それをいつどのような形で解決するのかを、まだ決めきれずにいた。

 本人に問いただすのは簡単なことだ。だがはぐらかされてしまっては今よりももっと巧妙に尻尾を隠されるだけだ。

 通常業務の合間に、影たちからの報告書に目を通す。

 その中には新しく影に加わった助手からのものも含まれている。

 今は一番姫の薬について詳しく知ることが出来る者の報告に、心持ち体が前のめりになる。

 助手からの報告書には、機材一式が届いた事への謝礼。それから神殿内の誰があの薬を持ち込んだのかという事について書かれている。

 神官長付きの神官に訪ねたところ、それはあっさりと判明したそうだ。

 王宮から付き添った姫の主治医。

 それが薬の出所だった。

 全く想定していなかったわけではないので、新鮮な驚きは無い。

 善意か悪意か。

 そこまでは助手からの報告書には書かれてはいない。

 しかしギーは全てスージに行き当たると言っていた。だから主治医の思惑とは別に、「闇」が動いていると仮定した場合、今回の件には悪意があるはずだ。

 それが国王である兄貴なのか。そして本当にスージが関わっているのか。

 先延ばしにしても仕方が無いことだとわかっている。

 影からの報告書をルデアに手渡し、スージに視線を投げかける。

 配置換えになって祭宮付きになってからのスージは、他の文官に混ざるように仕事をこなし、積極的に俺に関わってこようとはしない。

 一線を引いているといえば聞こえはいいが、何か思うところがあるのではないか。忠実な祭宮の部下という表の顔の裏側では、俺を嵌めるべく暗躍しているのではないか。

「殿下」

 ルデアの控え目な声が耳に届き、視線をルデアのほうへと向ける。

 祭宮の頭脳と名実共に呼ばれる男は、さらさらさらっとメモに文字を書き連ねていく。

 その文字を目で追い、頷き返す。

 お膳立ては全て終わっているようだ。


「スージ」

 蝋燭の灯りと窓の外から入る街の明かりのみが部屋を照らす祭宮の執務室。

 執務用の机に座る俺の右にルデア、左にギー。正面にはスージが小首を傾げて立っている。

「祭宮殿下とお呼び致した方が宜しいのでしょうか。それとも」

「どちらでも構わないよ。どっちにしても俺の知りたいことは一つだからね」

 何故かクスっとスージが笑みを浮かべる。

 不敵なと呼ぶには軽すぎる笑みに首を傾げると、スージがいつもの軽口を展開する。

「なーんか、俺だけ余所者みたいだよな。まあ生え向きの部下とは違うよね。ギーとルデアがいれば、あんたには他に部下なんていらないんだろう」

「いや、そんな事は無いよ。スージのことも大切な部下の一人だと思っているけどね」

 ははっとスージが乾いた笑い声を上げ、額から目のあたりに掛かる髪の毛を掻き揚げる。

「でも機密を触らせるのは二人だけ。ああ、一応言っておくけれど、別に拗ねてたりするわけじゃないよ。どーせ俺は外様だって事は良くわかってるしな」

 次に視線が合った瞬間、スージの目はもう笑っていなかった。

「で、祭宮殿下の両翼を揃えて俺を呼び出して、聞きたいことは何?」

 冷えた声音に、スージはもしかしたらこの瞬間が来る事をわかってたのではないかと思う。

 いつもの軽い口調も、へらへらと評される事のある笑みも消し、真っ直ぐに俺を見つめてくる。

 こんな目をするのを見たのはいつ以来だろう。もしかしたら子供の頃に喧嘩をして以来、見たことがなかったかもしれない。

 優雅な貴公子。

 裏稼業からは想像もつかないほどの優男。

 それがスージの本質だと思っていたが、それは思い違いだったのかもしれない。スージはスージで、巧みに本来の顔を隠していたのかもしれない。

「次期ジルレイ公爵。主はもう決めたのか」

「ああ、その事ね」

 何故かにーっと口の両端を上げ、ぞっとするような笑みを浮かべる。

 それはどことなく狂気に満ちていて、どうしてこの場でそのような笑い方をするのか理解不可能だ。

 同時に左右の空気が引き締まる。武官のギーは言うまでも無く、軍に所属していたルデアにもそれなりの武術の心得はある。

 俺の知るとおり、スージに全くの武術や剣の心得が無いとするならば、仮に暴挙に出たとしても二人に押さえつけられるのは目に見えている。

 それなのに、スージには余裕すら見受けられる。

「もしかして『闇』を手中に収めたいという話?」

「いいや。誰が『闇』を動かしているのかという話だ。少々『闇』の出方が気に入らなくてね」

「そう。それは失礼」

 これっぽっちも謝罪の気持ちなど含まれない言葉を投げ捨てるように言い、更にスージが続ける。

「祭宮殿下の最愛の方に手を出したから?」

 ふっと鼻で笑ってしまう。

 やはりスージが絡んでいたのかという落胆の気持ちと、同時に真実を掴んでいないのかという安堵の気持ちで。

 ちらっとギーに目を向けると、ギーが剣の柄を右手で握り締める。

 さも、それが真実で俺がその事実に憤っているかのように見せかける為に。

 そんなギーの動きを見ても、スージは怯む事は全く無い。祭宮に血は禁忌とされていることを知っているというのもあるが、本気で俺やギーがスージを切るわけがないという安心感もあるのだろう。

「ギー」

 片手を上げてギーの手を制する。

「怖いねー。祭宮の左翼は短気で」

 のんびりした口調と表情が噛み合わない。余裕のありすぎる態度はこちらを威圧しようとしているのかもしれない。

 だが、一つの結論が俺を安堵させている。闇さえも彼女の存在には気付いていない。

 たったそれだけのことだけで、俺はスージの雰囲気に呑まれる事も無く肝が据わった。

「何故姫を狙ったんだ」

「……わかんない? それがあんたの翼を一つ削ぐ事になるからさ。あんたに手を出すのは難しい。けれど意外に姫に手を出すのは簡単だったよ」

「簡単か?」

「ああ。とーってもね。人の心の不安に付け入ることこそ簡単な事はないよ。んで、そんな事はどうでもよくてさ、俺をどうする気?」

 バチっと音がするかのような強い視線と視線がぶつかり合う。

 全てが露見した今、スージは罰を受ける覚悟さえあるのかもしれない。けれど、俺にはスージをどうこうする権利など無い。

「手を引いてくれればそれでいい」

「はぁ? 何考えてんだ、あんた。馬鹿か?」

 言いたい放題のスージに対して呆れたかのような溜息をルデアが零す。ギーの眉間には深い皺が縦に刻まれたまま、右手は剣の柄から離さない。

「俺の望みは姫の回復と神殿の調和以外に無い。これ以上お前が余計な手を出さずに今までどおり神殿運営が順調に行われれば、祭宮として文句は無い」

「……あんた個人として俺に言いたいことの一つも無いわけ?」

「個人的にか」

 しばし考える。

 姫の弱い体を蝕み、精神さえも蝕んだ事は簡単に許される事ではない。許していい事ではない。正直に憤りを感じていたのも事実。

 余計な事を『闇』がしたから、姫と彼女の間も拗れてきた。

「ふざけんな。以上だ」

 一睨みして椅子から立ち上がり、ルデアの肩を叩く。

 後は全てルデアに任せるつもりだ。ルデアの持つ「影」たちの情報と照らし合わせれば、恐らく全容は見えてくるだろう。まとめた報告を聞くだけで良い。ここで不毛な言い争いをする必要は無い。

 ギーに視線を移すと、ギーが目礼をして剣の柄から手を離す。

「ずーいぶん、あっさりしてるねー」

 背後から掛かる声に振り返る。

 そこにはニヤリと笑うスージがいる。

「あんたに一つ教えておいてやる。上が欲しいのは『巫女』だ。『姫』じゃない」

「……何が言いたい」

「別に。忠告しただけ。そうそう、もう一つ忠告」

「何だ」

「あんたはもっと覚悟を決めたほうが良い。その甘さも人間臭くて悪くないけれど、上に立つ人間としては失格だね」

「覚悟、か。心に留めておくよ」

 ひらひらっと貴公子面で手を振るスージに背を向け、ギーを伴って私室へ戻る。

 出来うる限り水面下で事を収めたかったので、甘いと言われようとも表だって処分をするつもりは無かった。

 主の命令しか聞かない『闇』たちを、むやみやたらに敵に回したくない。次期ジルレイ公爵と対立するのは得策とは思えないし、必要以上に『闇』たちの反感を買う必要も無い。

 寧ろ恩の一つも売っておけば、後々『闇』との交渉が有利に運ぶ事もあるかもしれない。

 この決定にルデアもギーも反対の意を示したが、祭宮付きの文官としては非の打ち所の無いスージを罰する事は、『闇』の関係でスージを罰したと兄貴に感付かれるかもしれない。

 出来うる限り事を荒立てずに済めば、それに越した事は無い。

 そう、思っていた。これでいいのだと。


 その後数日、スージは変わることなく祭宮付きとして働き続けていた。

 あの日の事はまるで無かったかのように、俺もスージも、それ以前と変わらぬ日常を過ごしていた。

 が、突然その姿を祭宮周囲で見ることが無くなった。

 前日までも変わった様子も無く、翌日仕事の続きをするかのような状態の机で帰宅したまま。

 全く連絡も無いまま欠勤を続けることに不審を抱き、ルデアに「影」を使っても構わないのでスージの周辺を探らせるよう依頼をしたのが二日前。

 姿を見ないまま、一週間が過ぎようとしていた。

 その夕、ルデアが業務用の感情を一切排した顔で、俺の目の前に一枚のメモを差し出す。

 --スージのことは諦めて下さい。

 短い文の意味を探るように顔を上げるが、ルデアは踵を返して自分の業務用の机に腰を下ろす。

 質問を受ける意思も、答える意思も無いと、全身で俺を拒絶している。

「ギー」

 スージのいない分、文官の仕事もこなしていたギーが書類から顔をあげ、ゆったりとした動作で俺の前まで歩いてくる。

 どことなくその表情には強張りがあるように感じる。

「これを」

 ルデアから渡されたメモを手渡すと、ぐしゃりと掌の中で握りつぶしてしまう。

 予想もしていなかった行動に目を見開くと、ギーは溜息を一つ吐き出す。

「全てお忘れ下さい」

 短い返答が、ルデアのメモの意味をギーも知っているという事を表している。

「どういうことだ」

「言葉通りです。祭宮殿下におかれましては、大祭に向けての様々な行事や決裁がございますゆえ、他のことにお気を取られませぬようお願い申し上げます」

 およそギーらしくない仰々しい言いように、スージに何かあったのではないかという事と、その事に俺を関わらせたくないという考えが見て取れる。

 だが、スージは祭宮付きだ。裏向きは国王である兄貴の配下だとしても。

「わかった」

 執務用の机から立ち上がり、祭宮の正装である上着を手に取る。

「いずこに」

「王宮内だ。供はいらない」

 慌しく袖を通しながら、扉を開いて廊下へと足を踏み出す。背後で険しい顔をしたギーとルデアが走り寄るのがわかったけれど、二人を連れていくつもりはなかった。

「来なくていい。行き先は兄上のところだ」

 バタンと二人の眼前で扉を閉め、大股で大将軍である兄上の執務室を目指す。

 途中すれ違う侍女や臣下の者たちとすれ違うが、目もくれずに早足で進んでいく。

 兄上は恐らくこの時間は軍の関係者といるはずなので、王宮にはいないだろう。けれど、執務室には文官がいる。そこには俺のもう一人の友がいる。

 コンコンと扉を叩き兄上の執務室の扉を開けると、一瞬不思議そうな顔でこちらを見返してくる面々の中に意中の人物がいる。

 人の良さそうな顔で笑みを浮かべ、ライはこちらに近寄ってくる。

「将軍閣下は軍港へお出ましになられております。本日はいかがなさいましたか」

「……ライ」

 名を呼ばれたことに不信感を強めたようで、ライの表情が曇る。

 出来うる限り小声で囁くように問いかける。

「スージはどこだ」

 はっとしたように青褪め、ライは首を横に振る。

「申し訳ございません。その件に関しましては将軍閣下からも祭宮殿下には伝えるべからずと申し付かっております」

 ギー、ルデア、ライ。それに兄上もスージの異変に気が付いている。

 なのに、俺だけ何も知らない。

 何らかの事実を隠されている事に対して、憤りを覚える。

「何故だ」

「理由を申し上げる事は、閣下のお心を裏切る事になります。申し上げる事は致しかねます」

 煮え切らないライの態度に、くるりとライに背を向ける。

「どちらにっ」

 慌てたようなライを振り返って睨みつける。

「言う必要は無い。邪魔したな」

 言い切ると背を向けて兄上の執務室も出る。ジルレイ公爵に直接聞くことも可能だろうが、その短略的過ぎる行動が後々面倒を引き起こす可能性が無いとは言えない。

 宛もなく歩き続けて、祭宮の私室に足を向ける。

 誰に尋ねたとしても、多分俺に近い人間は皆口を噤んだまま答えようとはしないだろう。

 その辺の大臣を捕まえて聞けば答えてくれるかもしれないが、痛くない腹を探られるどころか、恩を売ろうとしてくるかもしれない。

 それに何よりも、下手に陣営の違う人間に声を掛ければ、何か裏があるのではないかと王宮内のイザコザを一つ作り出してしまうかもしれない。

 結局のところ、俺は俺の部下たちに聞くしかないのだ。

 私室の扉を開き、室内にいた侍女たちを下がらせて人払いをする。そうしなくては欲しい情報を得る事は出来ないからだ。

「降りて来い」

 全員の気配が遠のいた後、天井裏の人間に声を掛ける。当然のような顔をして、その男は現れる。

 俺の使っている「影」たちの首領。普段は決して表には出ては来ない男。

「いかがなさいましたか」

「お前はスージの居所を知っているな」

「……はい」

「ルデアやギーに口止めされているのか」

 問いには答えなかった。元々不健康そうな血色の男なので、青褪めてその表情なのかもわからない。

 陰気臭い表情のまま、男は俺を見つめ返す。

 ひょろりとした、それでいて筋肉質な男は突然パチンと指を弾く。その音に呼応するかのように、さっともう一人の男が姿を現す。

 妙に幼い表情だが暗い瞳が印象的な青年が、俺の前に膝を折る。

「この者は」

 首領に問いかけると、首領が首を縦に振る。

「我々と生業を同じくする者で、王家にお仕えしている者です」

 特定の個人ではなく王家に仕える諜報者。それは即ち……。ぱっと口を開こうとした青年の前の言葉を右手で止める。

「聞いて悪かった」

 闇に属する者だという事はわかった。何故首領がこの場に招きいれたのかという事になるといくつかの疑問が残るが、害為そうとしているわけでは無い事は伝わってくる。

 本来武器を持たずに行動するはずの無い者が、今、丸腰で目の前に膝を付いているのだから。

「どうして俺の前に現れた」

 己の正体を明かすことは、後々の活動に不利になる。

 屋根裏で出会った二人の諜報員の間に、どのような会話がなされたのだろう。むやみやたらに起こすような行動では無い。寧ろあってはならない行動のはずだ。

「祭宮殿下の疑問にお答えする為です」

「俺の疑問?」

「はい。お探しの人物は地下牢に幽閉されております」

 じーっと俺を見つめる視線に目を奪われる。

 闇、青年、スージ。そして地下牢。その全てが繋がる点は一つ。

「陛下に事が露見したのだな」

 溜息を吐き出したのと、祭宮の両翼と呼ばれる腹心の部下たちが扉を叩くのが同時だった。

 扉に目を移した瞬間、暗闇を生活の場としている男たちは姿を消す。

 もう一度叩かれた扉に返事を返すと、ギーとルデア、そしてライが暗澹たる表情で入ってくる。三人の足取りはとても軽いとは言い難いものだ。

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