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王子様の恋  作者: 来生尚
血に染まる大地
30/48

30

 広大な王宮の最深部。奥と呼ばれる国王の私的空間。そこはかつて幼い頃過ごした場所ではあるものの、あまり愛着が無い。

 二人の兄を追うようにここを離れ、十を超える頃にはここで寝起きする事は無くなった。

 奥に入ることが許されるのは直系王族のみ。

 本来なら代替わりして俺は傍流になったので入ることは許されないが、今回はここに住まう父である先王の判断で立ち入る許可が下りた。というよりは面会を申し出たところ「ここに来い」と父が呼びつけられた。

 奥は、父と国王である兄貴の住居。そして父の妃たち、そして兄貴の妃や子供たちが暮らしている。

 兄貴が聞いたら、さぞかし俺が踏み込む事を嫌がるだろうに、何故今回許可が下りたのだろうか。

 父と兄貴の間でどのような会話が交わされたのかは知らないが、兄貴が地方巡幸に出ている間を指定してくるとは。

 地方とはいっても全国を回るわけではなく、近隣を一週間程度見て回る程度のものだ。

 しかし国王が留守であるという事実には変わりない。

 その留守中に、本来は入ることを許されていない者が立ち入ったということで、痛くも無い腹を後々探られるような事にならなければ良いんだが。

 もっとも、今考えたところで今更というものだ。

 祭宮の正装ではなく、先王の第三王子としての装いで奥へと足を踏み入れる。

 見上げるほどの高い鉄柵で出来た扉を越えると、むせ返るような花の香りに包まれる。

 奥は王宮の中で最も美しい場所と呼ばれている。

 花の王都と呼び声高いこの地において、最も趣向を凝らした四季折々の花の咲く庭園に囲まれ、白亜の壁は陽光に反射して輝いている。

 建国王が妃である始まりの巫女のために作ったと言われているが、何百年も前からこの姿だったのだろうか。もし真実なら、いったいどれだけの想いを籠めてこの場所を始まりの巫女に捧げたのだろう。

 直系王族であり建国王と同じ名である「カイ」を持つのに、美しい庭園を見てもその心を推し量る事さえ難しい。美しいものを贈りたかったのだろうとしか思いつかない。

 石畳を歩き、子供の頃は遊び場だった庭園を抜け、白亜の建物に辿り着く。

 勝手知ったる場所なので、臆する事もなく足を踏み入れる。

 建物の中もまるで花園の中にいるかのように、むせ返るような花の香りが充満している。

「お待ちしておりました」

 奥付きの侍女がにっこりと笑みを浮かべ、案内を致しますといわんばかりに右手を回廊の方へと向ける。

 背筋をピンと伸ばした立ち振る舞いのしっかりとした侍女の先導で、父の部屋へと案内される。そこは、子供の頃と変わらない場所だった。

 案内への感謝を述べ部屋の中に入ると、父は王であった時と変わりない悠然とした笑みを浮かべる。

「ウィズラール。よく来た」

 祭宮ではなく名を呼ぶのか。

 珍しい事もあるものだと思いつつも、臣下の礼を取る。

 しかし両手を広げた父に抱きすくめられ、予想外の展開に目を見張る。

 何が起こったのか、一瞬理解に苦しんだ。

「大きくなったな」

「もう何年も背は伸びていませんよ」

 苦笑を浮かべた俺を、父親の顔をして見つめる父がくすぐったくて落ち着かない。

 照れ隠しのぶっきらぼうな言葉に父が笑う。

「ああ、そうだな。それはわかっているよ」

 成人男性を捕まえて、大きくなっただのと言ってみたり抱きすくめてみたり、父の考えが全く読めない。

 自分の記憶の中にある父の姿とも乖離している。王冠の重圧から解き放たれた姿が、このようなものなのだろうか。

 いまいちどのように振舞うべきかわからず、自分よりも背の低い父の腕の中に納まったままでいる。

 父からは甘ったるい香水の臭いがして、腕の中にいる俺にまでその香りが移りそうだ。どうせなら女を抱いて移り香が移るほうがいいのになどという悪態が頭に浮かぶ。

 何でとかどうしてだとかっている事にやっと思考が及んだかと思うと、ぱっと腕の力が緩む。

「一番小さかったお前がこんなに大きくなるほど、わしも年を取ったか」

「エルザはもっと小さいですよ」

 常に父に存在を忘れられがちな末の妹で、唯一母を同じくしているエルザの名を出してみたものの、父の心には何の感慨ももたらさなかったようだ。

 大勢の娘たちの一人でしか無いのだろう。しかも女の駒は十分過ぎるほどいて、最後の娘など利用価値すらないのかもしれない。

 そんな父の態度に若干の苛立ちを覚えるが、当のエルザはそれが気楽でいいと笑うし、父に何かを言っても何が変わるわけではない。

 父はエルザのことなどまるで頭に無いといった様子で、笑って俺の背を叩いて腕の中から解放する。

「お前がわざわざ会いに来てくれるとは、一体どういう風の吹き回しだ」

 どっかりとソファに腰を下ろした父に倣い、父の正面の空いている二人がけのソファに腰掛ける。

 体重と共に沈みこむソファは柔らかくて、凝り固まった心さえも解きほぐしてしまいそうだ。

「そろそろ妃を迎える気にでもなったか」

 口の両端を上げ悠然と微笑む姿が、どことなく王だった時の笑みと重なる。兄貴を王太子に指名した後はこんな顔を見せることは無かったが。

「宝石の人。どのような女性なのだ。お前を虜にするなんて」

 どうやら噂は父の耳にまで届いているようだ。ニコニコ笑う父に、彼女の事をどのように伝えるのが適当だろうか。

 近い将来彼女を妃に迎えるのならば、父の後ろ盾があったほうがいい。

 ただの村娘で、今は巫女。

 巫女ならば王族が娶ることも問題がないと彼女に伝えた事があるが、それでもその出自ゆえに軽んじて見られることのほうが多い。

 そして彼女ではなく彼女の「血」を王族の中にもたらす為の結婚であろうと認識されるだろう。

 恐らく正攻法でいくと、彼女の立場は俺の側妃どまりだろう。正妃にするのは難しい。

 正妃として娶るならば、やはりそれなりの後ろ盾が必要になってくる。その際に先王の口添えがあれば、かなり彼女の立場を強固にする事ができるだろう。

 しかし、仮に「闇」を動かしているのが父ならば、彼女の事を僅かばかりであっても漏らす事は出来ない。

 祭宮の公然の秘密になっている想い人「宝石の人」

 それが水竜の神殿の巫女だと「闇」に漏れ兄貴にでも知られたら、彼女の身を危うくする事が無いとは言えない。

 それどころか、あてつけのように彼女を娶ろうとしてくるだろう。

 たとえその身に危険や兄の手が及ばなくとも、巫女である彼女の立場を揺るがす事になりかねない。

 恋愛はご法度の巫女に浮ついた噂が流れれば、彼女と水竜の神殿の権威を損なう事に繋がる。

 今はまだ誰にも知られてはならない。例えそれが父であっても。

「父上はどのような噂をお聞きになられたのですか」

 ふっと短く息を吐くように笑みを浮かべ、父は腕組みをしてソファに凭れかかる。

「どうと言ってもなあ、その女性がどこの誰かもわからんが祭宮には求愛した相手がいるという、抽象的なものだけだぞ」

「なるほど」

「お前の持つ青き宝石は、この国には数えるほどしかない。そのようなものを身につけていれば、必ずその情報は入るはずだが、誰も女性の正体には辿り着けておらぬ。随分巧妙に隠しおったな」

 自ら隠したつもりは無いが、さすがにあの堅牢な建物の中には「闇」たちも入りにくいのだろう。

 それに、多分彼女の性格を考えると、俺からの贈り物を見せびらかすように身に着ける事もしないだろう。

 だからもしも身近に「闇」がいても、彼女の青い石を目の当たりにする機会は皆無に等しいだろう。あの石を「巫女の証」と考えそうな彼女が身につけるとしたら、大祭くらいか?

 万に一つ目撃する事があったとしても、彼女はこの国で最も貴い青を身につけている女性。

 彼女の持つ青い石に、まさか「巫女を飾るもの」以上の意味が籠められているとは思わないだろう。

 そういう意味では、あそこにいる限り、俺と彼女の結びつきを業務以上に捉えるものはいないだろう。

「隠しているつもりは全く無いのですけれどね。王宮の話題を一つ提供出来ているようなので、それで良しと致しましょう。それより父上」

 強引に彼女の話題から違う話題へと話を逸らす。

 あまりの強引さに父が苦笑を浮かべたが、それに気付かないふりをして話を進める。

「大変不躾な質問である事は承知いたしておりますが、今『闇』を動かしているのは父上でしょうか、国王陛下でしょうか」

「何故そのような事が気になるのだ」

 質問に質問で返してきた父の顔には、まだ笑みが浮かんでいる。

「少々気になる事がございまして、確認を致したく」

「それはウィズラール個人の事でか。それとも祭宮としてか」

「祭宮としてでございます」

 きっぱりと言い切ると、先程までの和やかな空気は一片して、張り詰めたものが流れ出す。

 父の顔に笑みはもう無い。そこにいるのは、大国を治世者。

「何かそちの業務に支障をきたすような事でもしでかしたか。闇どもが」

「支障……そうですね。支障といえば支障です。現在業務に滞りは出ておりませんが、近い将来そうなってもおかしくは無いかと」

「ジルレイ公に確認はしたのか」

「いえ。まだこれからです。もっとも、主に絶対的忠誠を捧げる闇たちに不利益になるような事を、ジルレイ公爵が漏らす事は無いでしょう。ジルレイ公爵自身も、己の主と決めた者には絶対の忠誠を誓うと聞いております」

 険しい顔で俺の話を聞いた後、父は矢のような視線を俺に向ける。

 一瞬にしてこの場は権謀術数に彩られた王宮内と変わらぬ様相へと変化する。

 本当は確信があった。

 多分、闇は兄貴では動かせない。だから動かしているのは父以外にいないと。

 裏稼業を一手に引き受けているジルレイ公爵家。その当主は王へ忠誠を捧げるとされているが、実際には直系の「カイ」に対して捧げられている。

 そして、主を見定める眼は非常に厳しい。これぞと思った人物にしか奉公しない。

 それゆえに、王ではなくその子供や兄弟に仕えるといったジルレイ公爵が過去には何人も存在する。

 王がジルレイ公爵家の目に留まらなかった時の為の保険が、複数の「カイ」たちだ。仮に王に仕えることは無くても、直系王族に仕えるのならば、結果としては王のためになる。

 そんな厳しい選定を行うジルレイ公爵が、気に入らない事を進言するだけで臣下を嬲り殺しにするような王を主として認めるとは思わない。

 きっと「闇」たちの主は父から変わっていないはずだ。

「だからわしのところに来たか。祭宮」

「ええ。先帝陛下」

 そして知りたかった。何故闇を動かしてまで、姫に毒にもなりうる薬を盛ったのか。

 あれを毒だと、影に加わった神官は言った。

 姫の薬を調剤している自分では無い誰かが意図的に盛ったとも。

 父は姪である姫の体が弱い事くらい十二分にご存知のはずだ。それにも関わらず、どうしてそのような真似をなさったのか。

 考えても考えても答えは出てこなかった。

 愚直だと部下たちには罵られるだろうが、本当に父が関わっているのかを知りたかった。そして関わっているのならば、父に直接聞かずにはいられなかった。

 何故、と。

 沈黙の間に、ごくりと唾を飲み込む音がした。

 それは俺なのか父なのか、一体どちらが漏らした音なのかもわからないほど、俺は緊張で指先まで冷たくなっている。

「祭宮」

「はい」

「わしは全てを託す者を王に選んだ。……わかるな?」

「……はい」

 では父ではなく、兄貴が動かしているということか。

 どっと全身の力が抜けるのがわかる。張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れる。

 しかしあの高潔とさえ言われているジルレイ公爵が、あの兄貴に忠誠を捧げるとは思えない。

 ああ……だからか。

 思わず頭を抱えずにはいられなかった。

 こんな単純なカラクリにも気が付かず、己の出した結論を信じて突っ走っていたとは。我ながら愚かとしか言いようがない。

「そしてジルレイ公爵はその役目を息子に譲ったのですね」

「そうだ。お前の察する通りだ」

 だからスージに行き当たると言ったんだ、ギーは。ジルレイ公爵は動いていないとも。

 兄貴には「闇」は動かせないという思い込みだけで、父を疑い続けていた。ギーは答えを出していたというのに。

 スージは元々兄貴陣営の人間だ。そして兄貴は「闇」のことを知っている。

 簡単なことだったんだ。

「父上は全く預かり知らぬと」

「ああ、そうだ。政の表舞台から手を引いた身。今更何が出来よう」

 確固たる意志を持って玉座を降り、全てを兄上に託した。だから今はもう俺にも「父の顔」で接してきたんだ。

「わかりました。ではその件はジルレイ公の子息に確認する事と致します」

「すまぬな、力になれず」

「いいえ。視野の狭さと、己の部下一人御す事も出来ない事を反省しているところです」

 くすりと父が笑い、頭を抱えたままの俺の頭をポンポンと撫でる。その撫で方は兄上のそれとよく似ている。

「まあそう思い詰めるな。柔軟な思考を持つようにせねば、小難であれ大難であれ乗り切れぬ」

 ついっと顔を上げると、穏やかな父の視線をぶつかる。

「統べる者に必要なのは己の意志を通す事にあらず。大局を見据え、民を慮る事。その為には前例や慣例に捕らわれるのではなく、時と場合によっては柔軟な対応をする事が求められる。お前はそんな為政者になれるか」

「父上?」

「わしはそんな王になりたいと思いながら玉座に座っておった。お前にもそのような心持ちを心がけて欲しいと願っておる」

「……父上」

 頭の中は「どうして」が飽和状態になりつつある。

 一線を退いた身ならば、もう国のことはどうだっていいというのだろうか。

「何故、国王陛下のなさる事を放置していらっしゃるのですか」

 ピクリと父の眉が動き、眉間に深い皺を刻みだす。

「俺は父上を立派な国王だと思っておりました。祭宮に任命された時には多少なりとも不満がありましたが、それでも父上の、国王陛下の決めたことゆえ従うのが筋だと思いました」

「そうだな。お前は軍を退き、祭宮になる事を快く思ってはおらなかったな」

 そうじゃない。俺が伝えたい事は俺のことなんかじゃない。

 どうして、だ。どうしてを伝えたいんだ。

「父上には、今俺に教えてくれたような明確な理念がある。どうしてそれを兄貴に伝えないのですか」

 紡ぐ言葉は頭の中のどうしてを全て出し尽くすまで止めようが無い。

 どうして、どうして。どうしてなんだ。

「兄上ですら、兄貴を止めることは出来ないと言う。ならば父上以外、誰が兄貴を止められるのですか。民を疲弊させる事になるやもしれぬ戦をする事、思いのままに臣たちを拷問に掛ける事。それは父上の言う王の心持ちとはかけ離れたものではないのですか」

 一気に吐き出した言葉を、父は黙って受け止める。

 深い眉間の皺も、座ったままの体も、一片たりとも動かさないままで。

「何故お前が止めようとはしないのだ。ウィズラール」

 冷淡な声で問いかけられ、置き火のように燻った心に冷や水を掛けられた気分になる。

 全ては王に兄貴を選んだ父上の責任ではないのか。

 軍を纏め上げる大将軍の兄上すら口出しが出来ぬのならば、後は父上を置いて、国王である兄貴に意見できるものなどいるはずも無い。

「しかし父上」

「しかしではない、ウィズラール。わしは問うておる。何故お前が止めようとしないのかと」

 糾弾するかのような、諭すような、なんとも言えない父の声音にピタリと思考が止まる。

 何故俺が兄貴を止めないかだって。そんなものは決まりきっている。

「俺は祭宮です。国の祭事には関わりますが、政には口を挟みません。いえ、挟めませんというのが正解でしょうか」

「ウィズラール。それは逃げではないのか」

「逃げ。ですか」

「そうだ。逃げているに過ぎない。祭宮という隠れ蓑に。だからお前は『覚悟の足らない者』と呼ばれるのだ」

 それは酷く俺を断罪するかのような言葉だった。

 いつだって俺のことを人は「覚悟の足らない者」と揶揄し、嘲笑する。まさか父までそのように思っていたとは。

「お前はいつ覚悟を決める。お前には何が出来る。よく考えてみるといい。結果はおのずとついてくるであろう」

 まるで予言めいた言葉だと思いながらも、俺には「その時」が来るとは思えなかった。今でも十二分に動き回っているつもりだと自負していたからだ。

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