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王子様の恋  作者: 来生尚
運命の日
3/48

 トントンと至極控え目なノックの音に、はっとして意識を戻す。

 随分昔の事を鮮明に思い出すものだなと思う。それが最悪の事態が近付いているからではないと信じたい。

 部屋に控えている二人の神官のうち、彼女の御付神官である執事が扉を出来る限り音を立てないように静かに開く。

 内側に開いた扉の隙間から、娘と息子がひょっこりと顔を覗かせる。

 アンジェリンという本名の他に紅姫という異名を持つ娘の後ろには、娘が巫女であった時の御付神官が神妙な面持ちで付き従い、兄の養子になった息子フレッドの傍には片目と呼ばれる神官が付き従っている。

 どうやら神殿は今後についての腹積もりがあるようだな。

「お父様。お母様のお加減はいかが?」

 ふんわりとした王族らしい華やかなドレスを翻しながらアンジェリンが部屋に入ってくる。

 フレッドは育ちの良さからあからさまに顔を巡らせることはしないが、視線をきょろきょろと彷徨わせながら妹の後に続く。

 二人が彼女の傍に寄りたいだろうと思って立ち上がろうとすると、アンジェリンが制するように俺の肩を押し留める。

「傍にいてあげて。お母様はお父様に傍にいて欲しいと思うの」

 娘の配慮に頬が緩む。

 執事と娘の御付神官が椅子を持ってきて、二人に座るように促す。

 慣れ親しんだ場所とでも言わんばかりに傅かれている娘とは対照的に、息子は少し落ち着かない様子でいまだに視線を巡らせてあれこれ考えているようだ。

 次代の王である息子がこの場所の踏み入れるなんて、これもまた慣例破りだな。彼女の計り知れない影響力が子供たちにも受け継がれているのかもしれない。本当にすごいな、彼女は。

 規則正しい寝息を立てる彼女を見つめると、自然に笑みが零れてくる。

 いつもお前は俺の想像以上の事をしてくれる。相変わらずびっくり箱健在だ。

「ねえお父様」

 娘の目がじーっと俺の顔を見ているので、やに下がった面を父親らしいものに変える。

「何だ」

「お父様はお母様のどこが好きなの?」

 その発言に何故かぶっと助手が噴き出し、ふっと片目が鼻で笑う。一応確認したが執事の能面は変わらないようだ。

 なんだかなあ、この緊張感の無さ。ったく。

「そんなの勿体無くて教えられるか」

「え、そうなんですか。僕も聞いてみたかったのに」

 意外にもフレッドが食いついてくる。品行方正でお利口で自分の意思をあまり表さないところが逆に欠点と言われるフレッドが、自分の意思を明確に告げることに驚く。そんなに面白いことじゃないぞ。寧ろ父としては恥ずかしいのだが。

 困ったな。

 そう思いつつ視線を巡らせると神官たちが一人ずつ順に視線を外していく。

「……聞きたいのか。お前たちまで」

 問い掛けに答えたのは一番容赦の無い片目だ。

「ぜひともお聞かせ頂きたい」

 またブブっと助手が噴き出すと、くくくっと片目が笑みを漏らす。

 こいつら二人とも、こっちの内情をよく知るから面白がっているな。普段こき使っている腹いせか。

 子供たちも助手や片目にはよく会っているので、そもそも緊張感が無い。

「ええ? 片目も知らないの? じゃあ絶対聞いておきたいわ」

 目を輝かせるな、アンジェリン。

「助手や片目でも知らないことがあるんだ。お父様とお母様の事ならどんな事でも知っていると思っていたよ」

 どれだけ買いかぶっているんだ、フレッド。

 はあと息を吐いて、頭を抱えたくなるのを何とか堪えつつ、ちらっと彼女の方を見つめる。

 起きないと良いんだけどな。あまり聞かれたくもないし。

 大体なんで二人の子持ちの親父の恋愛話なんて聞きたがるんだ、子供たちは。

 期待に胸を躍らせている子供たちと、対照的に面白がっているのがありありとわかる神官。能面変わらずの執事と戸惑う御付神官を一人一人に視線を送る。

「じゃあ、逆になんでお母さんが俺を選んだのか知ってるのか?」

 んー? っとアンジェリンが小首を傾げる。

「お兄様は聞いた事ある?」

「随分子供の頃、何で結婚したのって聞いた事はあるだろうけれど覚えてないよ。それにお父様はいつだってお母様が最優先だったから、そんなものだろうとしか思わなかったよ」

 そんなことを思われていたのか。

「仲がいいのは悪い事じゃないと思うわ、私は。ただ二人の世界っていう感じで入り込めなかったのよね。だからそこまでの熱愛の理由を聞いてみたかったの」

「……何故それを今する必要がある」

「だってお父様すぐにはぐらかすんだもの」

「だからって今ここでなくてもいいだろう。少なくとも神官たちまで必要じゃないんじゃないのか」

 んー? っとまたアンジェリンが今度は眉に皺を寄せて首を傾げる。

「お父様、神殿の中でのお父様の評価って最悪だって知ってます? 特に古参神官の中では」

 まあそういう雰囲気は感じるよ、確かに。それでも彼女の夫で祭宮だから無下にはされてはいないが。

 返事もせずにいると、アンジェリンが同意と思ったのか勢いづく。

「だからね、お母様の御付たちの誤解から解けばいいんですよ。神殿の中核を担う彼らの意識が変われば、お父様を取り巻く環境も変わるはずですわ。これからまだまだお父様は祭宮として神殿と王宮を支えていかなくてはならないのですもの」

 それと馴れ初めは繋がらないだろう。強引すぎやしないか。

 それに彼女が辞めた後まで祭宮を続けるつもりは無い。

 俺が祭宮に固執したのは、彼女が巫女だったから。彼女が神官長だったから。

「別に私の中での祭宮様の評価は最悪といったものではありませんが」

 思わぬところから助け舟が出される。その相手は意外にも執事だ。

 そんな執事の様子に、片目は溜息を吐く。何を言いたいんだと言わんばかりに。

「もしも神殿内でまことしやかに信じられているような事が現実なら、神官長様は祭宮様に好意を抱く事は無かったでしょうし、お二人のお子様を御生みになられることも無かったかと思います」

「そりゃそうだが、あれを事故で済ませるのは」

「……片目」

 執事の言葉に片目が反発し、諌めるように助手が口を開く。

 助手の呼びかけに肩を竦めて、片目が盛大に溜息を吐く。どうやら言葉以上に態度で語るという手法に出たようだ。

「そのことを今更蒸し返す必要はないと思うけど。黙んなよ、いい加減。紅姫様や王太子殿下、そして神官長様の御前だよ。王宮の奥で密談を交わしているのとは訳が違うんだ。弁えるってこと覚えたら」

 飼い犬のクセに。

 音は発せず、助手が口を動かすと、片目の見えるほうの目は釣りあがる。

 どうもこの二人の仲は昔から良いとは言えず、いつもこう一触即発状態になる。

 パンパンと控え目に手を叩く音がし、二人の間の緊張が和らぐ。

「僕はお父様の話が聞きたいんだ。僕に時間をくれるかな」

 にっこりと兄に似た穏やかな笑みを浮かべ、フレッドがこの場を治めると、神官たちはフレッドに向かって頭を垂れる。

 神殿を手中にという兄の思惑通りといえばそうなのだが、彼女が王家に嫁いだ事によって王家に携わる神官が増え、その忠誠はフレッドにも向けられている。

 フレッドの持っている資質もあるだろし、神官長として古くは巫女として神殿を統べる彼女の息子だという事も影響しているだろう。

 何にせよ、フレッドやアンジェリンの一言は王宮でも神殿でも強い影響力を持つ。

 静まり返った室内で、俺にだけ視線が向けられる。

「お父様」

「あー、もう。わかったよ。運命だからだよ。それで満足か?」

 フレッドの促すような言葉に投げやりに答えると、ぎゅっと袖口を掴まれる。

 掴んだ相手は眠っている彼女で、話を聞かれていたのかと思いぎょっとして振り返る。彼女が横たわる寝台の奥の窓からは紅竜の姿が見え、紅竜もまたこの話に興味を持っているらしいことが伝わってくる。

「運命?」

 アンジェリンの問い掛けに応えず、寝返りを打って俺の指に自分の指を絡めた彼女の頬を撫で、髪を撫でる。

 暫くそうしていると、また寝息が深くなる。

「そこで運命に会うでしょう。そのご神託が全ての始まりだよ」

 寝入ったのを見守って、聴衆たちに告げる。

「ご神託があったのですか」

 驚いたような顔をして片目が目を見開く。

「そう。水竜のね」

 すべてはここに紡がれるのがわかっていたのだろうか、水竜には。

 彼女を愛おしく思うことも、こうやって二人の子を得る事も、お前にはすべてわかっていたのか。この気持ちは天の配剤なのか。

 竜に背こうとして背けず、結局歩みを共にする事しか出来なかった。

 俺にも彼女にも、他の誰かを選び取る権利は無かったのだろうか。

 そう思う時、いつも心の中に嵐が吹き荒れる。

 決められていた事で、決められていた通りに俺たちは過ごしていただけなのだろうか。

 教えてくれ、水竜。紅竜。

 俺は、俺たちは自分たちの意思でお互いを選んだはずなんだ。なのにどうしてこうも心が痛む。

「お父様?」

 控え目なアンジェリンの問い掛けに、父の顔を作り直す。

「すまないが、少し二人きりにして貰えないか」

「え?」

 不思議そうな顔をしたアンジェリンの腕をフレッドが引っ張る。

「行くよ。お父様にお母様との時間を過ごさせてあげよう」

 神官たちの承諾も得ずに、フレッドがアンジェリンを引き摺るように部屋を横断していき、神官たちも二人に従って俺たちのいる場所から遠ざかる。

 何か言いたげなアンジェリンが何度も振り返って口を開きかけるけれど、フレッドは一切無視しているようだ。

 パタンと静かに扉が開く。中には静寂だけが広がっていく。

「ササ、これでお前は良かったのか?」

 寝ている彼女に問いかける。当然答えなんか返ってきやしない。それを期待して口にしたわけじゃない。

 苦々しい思いが広がっていく中、じっと彼女を見つめていると、ゆっくりとその瞳が俺を映していく。

「私は私が一番好きな人と一緒にいたいの。そう、言ったよ。何十年経っても信じられないの」

 静かに詰問する彼女に対して首を横に振る。

「そうじゃないんだ。ただ、もし運命じゃなかったらどうなっていたんだろうって思っただけだ。どうせなら運命じゃないほうが良かったな」

 苦笑する俺の手を握る彼女の指に力が入る。

「それでも私はあなたを選んだわ。きっと巫女じゃなくてもあなたに出会ったら恋をしたと思うの。だって王子様じゃないウィズを好きになったんだもの」

「俺も巫女じゃないササのが好きだな。もういっそ全部投げ捨てて隠居するか」

「それもいいね」

 ふふっと彼女が笑う。

 残りの時間が短いのなら、彼女と二人きりでしがらみに捕らわれずに生きていきたい。

 それが本当に出来る事ならば。


 事実、あの頃の俺は運命なんてものを信じていなかった。

 ありふれた村のありふれた村娘だったササという名の巫女候補。彼女が俺の心の琴線に触れ、恋に落ちたのはあの日のいつなんだろう。

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