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王子様の恋  作者: 来生尚
血に染まる大地
28/48

28

 兄上のおっしゃっていた事の意味をずっと考えていた。

 先王の第三王子で祭宮。直系王族の証である「カイ」を持つ者。

 父に与えられたこの場所で俺は何が出来るのだろう。


 陽光が傾くには少し早い時間、珍しく手持ちの仕事があっさり終わってしまって文官たちに業務終了を告げ、思いがけず手に入った自由時間をどう過ごそうかと頭を捻る。

 別に私室に戻ってのんびり過ごしてもいいし、誰かを誘って外に呑みに行ってもいいのだが、そういう気分にもならない。

 誰もいなくなった執務室。窓の外を眺めれば、いつもと変わらない王都の風景。

 春の王都。

 この国で最も美しい場所が、もっとも綺麗に輝く季節。

 花の王都とも呼ばれるこの場所を、どうして戦火に晒そうとするのだろう。兄貴の考える事は全くわからない。

 それに兄上の妃である方の故郷の国と戦を構えるとなると、兄上のお妃様もお苦しい立場に立たされるだろう。そもそも友好の絆を強くする為にと、半ば同盟関係を強化する為の婚姻だったはず。

 父上が築き上げてきたものを、兄貴は壊そうとしているのだろうか。それとも何らかの意図があるのだろうか。

 思慮の足りない者と臣下にさえ言われる兄貴が一人でこの策を考えたのか? 廷臣の進言か?

 わからない。

 政に関わらないのが祭宮というが、本当に全く関わらないままで良かったのだろうか。

 兄上はおっしゃった。王弟として王を諌める事もしてはならないのかと。ということは、将軍たる兄上の言でさえ、王たる兄貴は拒んでいるのだろうか。

 だとするのならば、三人で手を取り合ってという父上の意図に反する事になる。

 大体、戦の事で将軍の意見さえ聞かないというのは客観的に見ておかしいだろう。

 眼下の町並みを見て憂いを覚える。

 戦など、無い方がいい。戦などしなくとも、この国は十分過ぎるほどの強国なのだから。水竜という神の加護の元。

「水竜、か」

 あの化け物の事を神と讃える気持ちが自分の中にもあったのか。驚きはないが、やはり俺も凡人だなと思う。

 巫女に対峙する時には決して侮られてはならないという気持ちが強く、全く信仰心など持ち合わせていないかのように振舞う事もあるが、何百年という長い間君臨し続ける神に畏敬の念を覚えないわけが無い。

 封印された本体からどのように巫女に指示を出しているのかわからないが、おおよそ人では考えつかないような視野を持っているのだろう。

 それでも頑なとしか思えないような結論を出す。

 所詮神と呼ばれていても、己の権力が大事なのか。

 神殿という名の檻の管理を任された神官長と呼ばれる婚約者の姫君の事を思うと、じわじわと腹の中に憤りのようなものが渦巻いていく。

 助けたいのに、どうやったら助けられる。

 だけれど姫は俺の手を拒絶し続ける。

 恋だの愛だの、そんなものには価値が無い。

 この国のシステムを支える為に、立ち直って欲しいと願っているのに。例え水竜が恋しかろうが何だろうが、そんなことよりも大切な事があるだろう。何故理解しようとしない。

 女って生き物はすぐに感情的になって、話が面倒くさい事になる。

 別に俺に愛情を向けろなんて言っていない。そんな事これっぽっちも思っていない。

「ただ……」

 その後に繋がる言葉が見つからない。心の中、まだ燻ったまま眠った何か。この感情につける名前が見つからない。


 数日前、新王即位に伴う挨拶に出向いた時のことを思い出す。

 巫女は何故かベールを纏っていた。顔の表情を一切見せないまま、淡々と俺と神官長の遣り取りに耳を傾けているようだ。

 薄布一枚。

 触れてしまえばあっという間に崩れてしまいそうな彼女の心の鎧を、そのベールに感じざるを得なかった。

 神殿の中はどんどん状況が悪くなっていく。

 神官長と巫女の相性はどうやら最悪のようだ。こんな事態を招く事を、水竜は予期していたのだろうか。それでも神官長の次の巫女に彼女を選んだのだろうか。

「それでは失礼致します」

 短い挨拶を終え席を立つと、巫女と神官長も席を立つ。

「もうお帰りになられるのですか。もっとゆっくりしていらしたらよろしいのに」

 ありありとわかる社交辞令に苦笑を浮かべ、神官長に目礼する。

「ありがたいお言葉、ありがとうございます。明日には王都に戻らなくてはなりませんので、大変お名残惜しいのですが失礼させて頂きます」

 差し迫った用件などは無く、どちらかと言うと現状把握が出来れば十分だったので、これ以上長居しても収穫は無いと判断した。

 ほんの少しだけ彼女の顔が見たいと思ったけれど、この鎧はこの場では絶対に脱ぎそうもないし、無理に剥がさせる必要性も無いだろう。

 恐らくそうしていなくては、彼女の心に綻びが生じてしまうのだろう。それが俺に向けられた鎧ではないというのは短い会話の中でもわかった。それで満足だ。

 ただ痛々しくて、何か手助けが出来ないだろうかと思う。

 それが俺が彼女に抱く愛情の発露の一つだという事はわかっているが、どうしようもない。

 守りたいと思っても、ここにいる限り俺に守らせてくれるわけがない。

「巫女様。次にお会い出来るのは大祭の頃かと思われます。それまでどうぞお元気で」

「はい。祭宮様」

 柔らかい声が布越しに響く。

 でもそれがどうにももどかしくて、知らず知らずのうちに拳を握り締める。

「そちらまでお送り致しますね」

 神官長の執務室と外部を繋ぐ回廊を繋ぐ入り口のところまで、彼女の細い肩に先導させて歩いていく。

 こんなに華奢な肩に、この巨大な神殿と信仰のすべてが圧し掛かっている。更には神殿内の混乱の責任まで。

 その重たい荷を少し分けて貰えないだろうか。ぎゅっと胸が締め付けられるような思いがする。

 ほんの短い距離を先導し、扉の前に来ると振り返って俺にゆっくりと頭を下げる。

「どうぞお気をつけて」

 そう付け加えた彼女の頭をぽんぽんっと撫でてしまってから、はっとする。

 あ、やばい。無意識に手が出てた。しかもこれ、巫女に対してするようなことじゃないよな。

 怪訝そうに、といっても表情はベールで見えないけれど、首を傾げた巫女に誤魔化すように笑みを浮かべる。

 何かを言おうとしても、どう考えてもおかしいことしか出てこない。頭にゴミがついていたなんて嘘を言ったら、用意した女官たちに叱責が飛ぶだろうし、髪飾りがずれていたもダメだよな。この場合適切な言い訳は何だ。

 左手を口元に持っていき考えるような仕草をする巫女に、俺は何を言えばいいんだ。

 アホ過ぎるぞ、俺。

 祭宮が巫女に触れるって、どう考えてもありえないだろ。どうしてこうもあっさり彼女を前にすると「祭宮」とか「第三王子」とかっていう普段から身に纏っている肩書きがあっさり崩れ落ちてしまうのだろう。

 いや、自問自答している場合じゃない。

「失礼致しました。では」

 下手に誤魔化すのはやめて謝罪だけを口にすると、静かに巫女が一礼する。

「ありがとうございます」

 何に対しての言葉なのかはさっぱりわからないけれど、彼女は彼女なりにこの状況を切り抜ける手助けをしてくれたようだ。

 ゆっくりと顔を上げる彼女に笑みを向け、そして背を向ける。

 重厚な扉の向こうには、全身に皺を刻んだ長老と若い神官が一人立っている。

 ここで待っていたということは、何か俺に用件があるということだろう。気取られないように巫女とその後ろにいる神官長に挨拶をしてから扉を閉める。

 先導するかのように歩く二人の神官の後に続き、二つ目の角を曲がったところで神官たちの足が止まる。

「お元気でしたか」

 年老いた長老に挨拶すると、ほっほっほっと豪快な笑い声で笑い飛ばされる。

「わしは元気じゃよ。元気すぎて若いもんが扱いに困っておるじゃろうよ」

 なあ、と同意を求められた若い神官は目礼するだけで、返答は特に無い。

 ここで立ち話の上、無駄話をするつもりは全くないので構わないが。

「この者は神殿の医療に携わっておる神官じゃ。件の薬を見抜いた者での、お引き合わせした方が良いと思ってのう」

 神官長の薬が良薬ではないと見抜いた神官がこの神官か。意外に若い。俺と同じか、それより少し下か。

「数年前まで王都に医学の勉強に行かせておったので、技術、知識共に造詣が深い。今は年長者に押しやられておるがのう」

 ぺこりと頭を下げるその男に見覚えは無い。ルデア辺りに調べさせれば、王都での経歴も掴めそうだ。

「名は」

「名は捨てました。ただの神官の一人に過ぎません」

 王都で使っていた名がわかれば調べやすいと思ったが、まあそれがわからなくとも情報を集める事は容易いだろう。神殿から留学している者なんて非常に稀だから、特定は容易い。

「数年前まで王都にいたということだが、王立医学院に在籍していたのかな」

「はい。王都では主に外科医療を専門に学んでおりました。こちらではそのような医療をする機会は皆無ですので、技術のほうは退行する一方かと思います」

 それでもこの国の最高医療機関であり、最高の医術者養成所である王立医学院に在籍していたのだから、並みの医師以上の技術と知識は持ち合わせているだろう。

 だからこそ、神官長の薬も見抜いたのだろう。

「いや。君のような人材が神殿にいるということは、病弱でいらっしゃる神官長様には心強いことだろう」

 一瞬、嫌悪するかのような表情を浮かべたが、神官は何も無かったかのような顔つきで目礼する。もしかしたら見間違えでは無いかと思うほど、鮮やかに表情を消して。

「自分は神官長様のお傍に侍ることも出来ぬ身ですので、あまりお役に立てることは無いかと」

 わざわざ長老が紹介すると言ったにも関わらず、実際に神官長の体調管理に携わる事は無いのでは、この者の利用価値が見出せない。

 神官長の医療は、王都で神官長の主治医だった者が担当している。そして神殿には元々の医療班があったと記憶している。確か「先生」と呼ばれる医師を筆頭に。この神官は「先生」グループの者なのだろう。

「では何故」

 その言葉は若い神官ではなく、長老へと向けて放った。しかし答えは神官から返ってくる。

「自分が薬の調合を担当しているからです。本来ここには無いはずの薬を神官長様が御飲みになっていらっしゃるというのは、自分から神官長様に届く間に何らかの手が加えられているということです」

「それで、そのことに気付いて何か改善は試みたのかな」

 ぐっと神官の言葉が詰まる。それと気付いてなお、言葉の剣を振り下ろすのは得策では無いと思い、ふーっと溜息を吐き出す。

「薬を担当する神官でも手を出せないとなると、神官長様の身近にお仕えする者の誰かが、ということかな」

「はい。自分がその薬を発見したのも偶然の産物です。きちんと薬を御飲みになられているのか確認するのに、薬を包んだ袋は回収させて頂いておりますが普段よりも一包多かったので、不審に思い調べてみたところ」

「なるほど。君が非常にきっちりと仕事をこなし、また薬学にも大変明るいという事がわかった。君のような神官がいた事は王家にとっても非常にありがたい事だ」

 一瞬目を見開いたかと思うと、慌てて「ありがとうございます」と神官が頭を下げる。

「彼が非常に信頼に足るべき人物だという事は理解しました。もしも彼がまた何か掴みましたらご連絡を頂いても宜しいでしょうか」

 再度長老に語りかけると、長老は静かに首を左右に振る。

「わしはこの者を祭宮様にお使い頂く為に紹介致しました。わしを介さずご連絡お取り頂いても構いませんぞ」

 長老公認の「影」にしろという事か。そういう者も過去にいないわけでは無い。しかし殆ど存在していないはずだ。

 もう一度若い神官に目を向ける。こちらの視線に気付き、てっきり目を逸らすかと思っていたが強い意思を感じる目が俺を射抜こうとする。

「君は王家に仕える気があるのか?」

 神殿に仕える者たちは人並み以上の信仰心を持ち、神殿に、否水竜と巫女に対して深い忠義心を持っている。王家に忠誠を誓うなど無理に決まっている。そう、絶対に。

 じーっと見つめる視線には意思の強さが宿っているのに、神官は決して口を開こうとはしない。そして首を振ることさえしない。

 神官に仕える者が、更に王家に仕えるなど不可能なのだろう。だが落胆は無い。

「現状に何か変化があれば連絡を」

 長い沈黙の後、再び長老に告げてその場を去ろうとした時、神官の口がゆっくりと開く。

「自分は……」

 背を向けていた相手を振り返り、神官の顔を見つめる。例え「影」にならなくとも優秀な神官で、今後彼の力が必要になる事もあるかもしれない。

 縁を大切にしておくに越したことはない。

 言葉を促さず、神官が言葉を選ぶ間待ち続ける。

 長老とこの神官の間にどのような会話がなされ、そしてここに彼は連れてこられたのだろう。もしかしたら彼自身、「影」になる事を聞かされていなかったのかもしれないと、その眉根に寄る皺に思う。

 ごくりと唾を飲み込むかのように喉が上下する。そして再び口を開いた時、彼の目にはもう迷いは無い、

「欲しい医療器具が数点あるのですが」

 含みを含ませた言葉に頬が緩む。無条件に神官が王族に頭を垂れるなどありえない。対価を要求したという事は、多少なりともこちらとの接触を持つことに抵抗が無いという事だろう。そして王家に対して忠誠は誓わないということを明確に示しているのだろう。

 無欲に仕えると言われるほうが却って裏があるのではないかと勘繰ってしまう。もしやどこぞの陣営の手の者ではないかと。

 この良くも悪くも頭の良い神官は、恐らく自分が疑われる事をも計算して発言したのだろう。だが、その目が言葉以上に語っている。今は俺の手の内に納まっても構わないと。そして時期が来たら俺の手許を離れると。

「それはこちらでは手に入りにくいものなのかな」

 問い掛けに神官は口を横に引く。まるで笑顔のように。

 それはこの契約が交わされる兆しのようだ。

「ええ。王立医学院でのみ使われている最新の器具です」

「わかった。ではそれを届ける事にしよう」

 神官はこくりと首を縦に振る。

「自分は王家に仕える事は出来ません。……ですが、祭宮様のお役に立つことは出来るかと思います」

「十分だ」

 にこりと笑うと、神官は口元を微かに上げる。

「ではこちらをお持ち下さい」

 すっと神官が一つの包みを目の前に差し出す。調剤を担当している神官が持っているのだから、薬に違いないだろう。

「これはもしや」

「ええ。お察しの通りです。王立医学院にお持ちいただければ、それの出所はおわかりになりますよ」

 恐らくこの神官にはこの薬の出所がわかっているのだろう。

 何故謎掛けのように、王立医学院に持っていけというのかは理解できないが。

「その薬、通常よりも精製度が高いのです。ですからそれを作る事が出来る人物なり組織なりは限られていますから」

 付け加えられた言葉に頷き返す。

 以前ルデアとギーにこれについて調べさせるように頼んだが、芳しい結果はまだ出ていなかった。

 しかし目の前の神官にはその答えがわかっているのだろう。

「わかった。ありがとう」

 戻り次第、王立医学院で調べてみるか。この神官の欲しい器具とやらも調達しなくてはならないし。

「それと、一つお願いがございます」

「何かな」

「いつか自分が望んだ時に一つ願いを叶えて頂けますか」

 それが本当にこの神官の望む対価なのかもしれないと、直感的に思う。

 そしてそれは、外の人間にしか叶えられない願いなのだろうと。

「覚えておくよ。君の名は?」

 本名ではなく通り名を聞いているのだろうという事は、わかっているだろう。情報の遣り取りをする際、その通り名を知らなくては連絡の取りようも無い。

 先程の少しはぐらかしたような回答ではなく、今度は望んだ答えが返ってくる。

「助手です。どうぞお見知りおき下さい。祭宮殿下」

 にこりと笑った若い神官は、今日始めて心からの礼を取り頭を垂れた。


 領地の城に戻る道中、馬上で仏頂面をしていたギーが思いついたように口を開く。

「今日あたり飲みませんか。美女のご用意もしておりませんし、ついでに美味い酒の用意もしてませんが」

「構わない。外で飲むのは面倒だから部屋で」

 くすりとも笑わず、ギーは畏まりましたと小さく答えて、再び視線を正面へと戻す。


 その夜、ギーから聞かされたのは戦の予兆があるという事についてだった。

 一通り話を聞いた限り、兄上から聞いた話と矛盾点は無く、更に目新しい情報も無い。

 だが兄上から聞き、ギーから聞き、恐らくルデアからの忠告を見、ぼんやりと思っていた事が形になる。

「何故皆この件をひた隠しにしたがるんだ」

 城の私室の寝室という非常にプライベートな場所で二人きり。誰の目も耳も気にしなくていい。だからこそ口に出来る疑問だ。

 戦の予兆があるというのならば、もっと公になってもいい。少なくとも軍の準備の為に何らかの行動を起こすべきだ。

 しかしそれが全く表に出てこない。見かけ上は軍も通常訓練の範囲以上の事はしていない。ましてや海戦の準備などしている様子は微塵も無い。

 そして裏でこういう情報が流れる。表では決してそのことには触れずに。そのことに非常に違和感を感じざるを得ない。

「誰もが『無かった事』にしたいのだと思われます。陛下の戯言だと。事実、軍は動いていない。ならばあれはやはり『戯言』だったのだろうと思い込みたいのでしょう」

「そんなくだらない理由で、皆、口を噤んでいるのか」

 馬鹿馬鹿しい。臣が王を諌めなくては決して良い王には育たないではないか。それに父上も何故黙っておられるのだ。

 臣下の誰もが口を挟めないのならば、それが出来るのは先王たる父上だけではないか。

 問われたギーの顔色が曇る。

「くだらないとおっしゃられますが、誰も新王のご不興を買いたくないのでしょう。……あの方は非常に残忍でいらっしゃる」

 含みを籠めたギーの言葉に、まだ俺の知らない何かがあることに気付く。

 どうして俺は何も知らないままなんだ。そんな自分に腹が立ってしようがない。もっとも腹を立てたところで何も変わるわけではない。

「何があった」

「この一月ほどの間に、陛下により拷問に掛けられた者は両手の数では納まりません。嬲られるように殺された者もおります。ただ陛下のお気に障るような事を口にしただけで」

「……なん、だと?」

 ごくりと唾を飲み込み、その言葉の意味を反芻する。

 あの兄貴が? 剣を振るう事も無かった兄貴が?

「勿論陛下が御自らなさる訳ではありません。が、陛下のご不興を買う者は何らかの形で」

「わかった。配置換えもそういう意図の一環だというんだな」

「恐らくは」

 目の前のなみなみと注がれている酒を手に取り、煽るように飲み込む。

「だからお前もルデアもスージも俺には何も言わなかったのか」

「我々は殿下を守り立てる者です。ましてや殿下は血の穢れには触れてはならないお方。そのような場においでいただくわけにはまいりません」

 はーっと深く息を吐き出す。

 見えないところで蠢いている悪意。それに兄貴は飲まれようとしているとしか思えない。そしてこの国も。もしかしたら水竜の神殿も。

 大きな大きな流れの中で、どこか少しずつ歯車が悪い方へ悪い方へと動き出しているのかもしれない。

「ギー」

「はい」

「俺は籠の中の鳥では無いよ。どこにいくかは俺が決める」

「……覚悟をお決めになられるのですか」

 それは『覚悟の足りない者』と呼ばれる俺に、覚悟を決めろと促すかのような言葉に聞こえる。

 あの信望の厚い大将軍とまで呼ばれる兄上にも出来ない事が俺に出来るのか。今はまだその道は霞の中に隠れていて見ることさえ出来ない。ただ……。

「父上に会う。父上の意図がわからないからな。その後の事はまた考える」

「畏まりました」

 窓の外には白亜の神殿が松明によって照らし出されている。

 俺の背後にこの神殿が、水竜がある限り、恐らくあの兄貴でさえ手は出せないだろう。ならば、俺には出来る事があるはずだ。

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