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「本日より祭宮殿下付きとして配属されました。宜しくお願い致します」
見知った顔を筆頭に、五人の文官が配属された。その中心にいる男は、ニヤリと笑みを浮かべて俺を見る。
「今後は祭宮殿下をお支えするよう、陛下よりの命を給わっております。どうぞ宜しくご指導のほどお願い申し上げます」
慇懃無礼ってこういう事じゃないのか? と切り替えしたくなったが止めた。
「色々勝手の違う事も多く、不都合もあるかと思うがよろしく頼む」
「畏まりました」
文官というのはどうにも礼の形が悪いな。いやいや、そんなことはどうでもいい。
「あとのことはルデアから聞いてくれ。俺はこれから出掛けるから」
溜息交じりに指示を出すと、早速新配属文官の一人がついっと一歩前に出てくる。
「ではお供致します」
「……護衛はギーに任せてある。文官の供は必要無い」
バチっと視線がぶつかり合うのを感じるが、相手がすっと緊迫した空気を弱める。
「お役に立ちたい思いが逸り、焦りすぎました。失礼致しました」
ゆったりとした動作で、いかにも貴族らしい風格を備えた笑みを浮かべつつ頭を下げる相手に苦笑する。
どこまで芝居がかってるんだか。
「構わない。早くこちらの仕事に慣れるよう期待しているよ」
こちらも上司として対応し、執務用の机から立ち上がり、既に上着の用意をしていたギーの手から上着を受け取る。
袖に手を通し、ルデアのほうへと目を向ける。
「あとは頼むよ」
「畏まりました」
ルデアもまた臣下の礼を取り、書類の束を抱えたまま頭を下げる。
くしくもこの部屋に三人の幼馴染がいるわけだが、この部屋にいる間は誰もが臣下の礼を取り、一線を引いたまま接してくる。
今更その事をどうこうとも思わない。
心を許せる部下がもう一人増えたことに感謝しよう。
しかしまさか兄貴がスージをこちらに送り込んでくるとは思わなかったな。
こちらの陣営の人間だと思い、厄介払いをしたか。その辺りの真相は本人がそのうち話すだろうから放っておこう。
暢気に構えていたものの、これは「はじまり」に過ぎなかった。
ほんの数週間の間に祭宮付の人間の半数が入れ替わり、更に警備の為という名目の元、ギーの直下ではない近衛が配属された。
あまりにも性急であり、こちらを信用していないと言外に訴える兄貴のやりように密かに腹を立てた。が、それを表に出すほど子供ではない。
淡々と自分に与えられた業務をこなし続けるしかない。
しかしまあ、兄貴も随分疑り深いようだ。
それとなくギーに探らせたが、兄上の陣営でも同じような事態が起こっているらしい。
まあ兄上のところは「軍」なので、主だった人材の入れ替えは出来なかったようだが、文官たちは8割がた交代したと聞く。
何がしたい?
それが率直な感想だが、それを直接聞くほど馬鹿でも無い。
魍魎が跋扈するといわれる王宮の中、兄貴なりに何かを始めていることは間違いない。
それに伴って、祭宮の政務室の中では無駄口をきくことが極めて少なくなった。静まり返った部屋の中に、俺がサインする音やルデアやスージが書類を開く音だけが響く。あとは時間に合わせて侍女たちがお茶の用意をする音がする程度だ。
息苦しいったらないが、ルデアに言わせると仕事がはかどって非常に宜しいかと思います、らしい。
おかげさまで国内情勢にも目を配れる余裕が出てきたが。
「殿下」
ギーが表情を変えず、直立不動で執務用の机の前に立つ。
「どうした?」
「大将軍閣下より、殿下にお目通りをという要請がございましたが、いかがいたしましょう」
一瞬考えてから口を開く。
「こちらからお伺いするとお伝えしてくれ。閣下のご都合の宜しい時に伺うと」
「かしこまりました」
ここでは恐らく兄貴の息の掛かった誰かに兄上との会話の内容を全て聞かれてしまう。
兄上が正式に面会を打診してきているので、聞かれてまずいような話をするとも思えないが、用心に越した事は無い。
それに変に兄貴を刺激する事も無いだろう。
ギーが続き部屋へと姿を消すと、入れ替わりにスージが机の傍にやってくる。
「こちらが今日の分の申請書になります」
「ありがとう。サインだけで構わないか」
「はい。ご多忙かとは思いますが、よろしくお願いいたします」
お前は誰だと言いたくなるような能面に機械的な口調。ちらりと視線を向けるものの、表情は一切変わらない。どうやら臣下に徹するつもりらしい。
周囲に人がいなければ違うのだけれど、スージは非常に他人行儀に接してくる。
兄貴から送られてきた者たちの監視を恐れているのか。はたまたこれが正しい主従の姿なのか。
「殿下。こちらにも目を通して頂けると助かるのですが」
どさっと目の前に詰まれた書類の束。
「これは?」
「神殿からの報告書です」
一体どれだけ溜め込んでいたんだという量だぞ、これは。いつもならば神殿から何か届けば即日開封して目を通していたのに。ルデアらしくない。
らしくないというのは、裏があるという事だろう。
「これを今日中にか?」
「はい」
「無理。とりあえず神官長からの書簡から目を通すから、それからくれる?」
「一番上にございます」
上目遣いにルデアを見ると、ルデアもまた一切の表情を消している。
兄貴が国王に就任する前はあれこれと嫌味の一つでも言わなくてはいられないという感じだったのに。
「ありがとう。目を通すから下がっていいよ。何かあればこちらから声を掛けるから」
「畏まりました」
二つの声が重なり、それぞれに与えられた机へと戻る。
まずはスージが持ってきた申請書の束をパラパラと捲る。寄付金関連の書類か。あとはサインをするだけという事は、特に漏れや矛盾点などは無いということだろう。
続いてルデアの書類の山の一番上の封書を手に取る。
まだ開封されていないそれを机の中にあるペーパーナイフで切り、数枚の書簡を取り出す。
非常に筆まめな神官長は毎週のように報告書を提出してくれるので、恐らくそれだろう。
取りとめのない神殿内の日常が描かれているそれは、特筆すべきところも無く、平穏無事な穏やかな神殿事情を映し出している。
特に巫女といざこざがあるわけでもなさそうだし、少しは薬の量を減らしているだろうか。
減らせているといい。何も出来ない自分に歯痒さを感じるが、王宮での静養を水竜もご本人も拒んでいるのだからこれ以上何が出来る。
神官長自身の体調については、定期的に内偵の影から報告もあるし、特段悪化が見られない限り見守るしかないだろう。
パラパラと捲り、最後の一枚に辿りついて思わず眉を顰める。
それは神官長からの手紙ではなく、同じ用紙で同じ形式で書かれているものの、明らかに別人の文字。
しかも書いてあることはえらく物騒だ。
戦乱の予兆あり。
短いその文章は、絶句するに十分すぎる衝撃を与えてきた。
これは、一体誰が。
「ルデア」
咄嗟にこれを持っていたルデアに声を掛ける。
「これを」
手にしていた最後の一枚を手渡すと、ルデアがまるで何も無かったかのように振舞う。
「先日お送りした干菓子をお気に召して頂けたようですね。では同じものを手配するようにいたしましょう」
おい。お前何を言ってるんだ。
これに書かれている内容と全然違うだろうに。
「細かいご要望があるご様子ですし、こちらは念の為お預かりしてもよろしいでしょうか」
「ああ、構わないよ」
ルデアの芝居に合わせるのが精一杯で、一体何がどうしてこんなことになっているのか、頭で理解するのが難しい。
書かれていた内容を見ているはずなのに、全く異なった事が書かれていたかのように振舞うのは、この中にあの一枚を混ぜたのはルデアなのか。いや、ルデアがしたとしか考えられない。
何故。一体。なんの為に。
どうして口頭で報告しなかったのだ。何に対して警戒して、あえてこのような形で警告を発したのか。
知られたくない「誰か」に聞かれないようにするために?
しかし本当に戦乱の予兆があったとしても、俺に何が出来る。俺に何を求めている、ルデア。そして誰を疑っているんだ。
「ルデア。姫のご注文の品、買ってきてよ。俺も食べてみたい」
敢えて道化のフリをしてルデアに声を掛けると、ルデアは頭を抱えるような仕草をしてはーっと溜息を吐き出す。
伝わるか? 真意が。
出来うる限りニコニコと笑い、椅子に寄りかかるようにして両腕を上へと伸ばす。
「活字ばかり追ってたら疲れたんだよ。甘いもの休憩必要だろ」
「あなたは、全く。すぐには手配出来ませんから、もし急にお入用でしたら後ほど私室にお届けしますよ」
「業務終了後じゃ意味ないだろ。でもまあ、無理言っても仕方ないからね。手配できたらでいいよ。とりあえずお茶でも飲もうかな」
立ち上がって窓の外を眺める。
王都を見回しても、どこにも戦乱の気配なんて無い。けれどルデアは何かを掴んだのだろう。そして外聞が憚られる話だから、私室でしたいということだろう。
この場合、ギーやスージも巻き込んで話をしたほうがいいのだろうか。それとも……。ルデアはこの二人を疑っている? それともそのどちらかを。はたまた全く別の誰かなのか。
わからない。無智な自分がもどかしい。
しかし兄上からの話があるという打診といい、俺のあずかり知らぬところで事態は好ましくない方向へと動き出していると思って間違いないだろう。
戦乱、か。
開国以来大戦など経験した事の無いこの国が、一体どの国と事を交えるつもりなのだろうか。それとも他国相手ではなく内乱の兆しがあるということだろうか。
どちらかといえば後者のほうが可能性が高いな。
未だに兄貴の即位を好ましく思っていない連中も多いだろうし、俺のところや兄上のところだけでなく、かなりの人事異動が行われていて、それは概ね不評だと聞く。不満の蓄積がこのような結果を招いたと考えるのは容易い。
だが一体だれが挙兵するほどの財力と兵力を持っているというのだ。たかが地方領主の一人や二人が動いたところで、王軍に匹敵するような武力を持つことは不可能だろう。
しかし外国とやりあうなど、正気の沙汰とも思えない。そもそも戦乱になるほど拗れた関係になるほど他国との付き合いがあるわけではない。
貿易は行っているが、それが直接的な戦乱の引き金になるようなものでもない。
一体何が起ころうとしているのだろう。神殿の事ばかりに、かまけていられないな。
この国の運命は、一体どこに向かおうとしているのだろう。
「祭宮。頼みがある」
王宮内の私室ではなく、軍の司令部の大将軍の執務室に呼ばれ、世間話もそこそこに兄上から切り出される。
唐突に切り出された言葉に、ごくりと唾を飲み込む。
生まれてこのかた、兄上から頼みごとなんてされた事がない。しかも兄上の表情は決して穏やかなものではない。
「どのようなことでしょうか。出来る範囲内でしたらお受け致しますが」
この完璧としか思えない兄が、自分の手を必要としているということはあまり考えにくいが、それでも兄が俺の手を必要としてくれるのならば役に立ちたいと思う。
これが兄貴からの依頼なら裏があるのではないかと疑うところだが、俺なんかに頼み事をするというのは、兄上に何かのっぴきならない事情があるのかもしれない。
少し考えるような仕草をし、兄上は部屋にいる武官たちに片手を上げて退出を促す。
側近たちにさえ聞かせたくないような内容なのだろうか。
カツカツと軍靴の音を響かせながら退出していく無骨な隊長たちに視線を送りつつ、横目で兄上の様子を窺う。
執務用の机の上で両手を組んだまま、あまり表情を変えずに真っ直ぐ前を向きながら隊長たちに目礼を返している。
軍の関係者には聞かれたくないような事。それが何なのか想像がつかない。
いや、ルデアに渡した『戦乱の兆しあり』というメモと符合する何かなのかもしれないと心のどこかで予感している。点と点が繋がるような予感というべきか。
あれからルデアからは何もその件について触れてこない。さも含みがありそうな対応をしたのに、だ。ということは、あれはルデアからの情報では無かったのか?
「祭宮」
ふいに兄上に呼ばれ、顔を上げる。
「すまないな。わざわざこちらに出向いて貰って」
「いえ。王宮では過度に周囲に気を配る必要もございますし、こちらのほうが何かと都合が良いのでは無いかと思いお伺い致しました」
「ああ。そうだな」
ふっと笑みを浮かべたかと思うと、次の瞬間兄上の顔に厳しさが戻る。
「しかし我々がこのように会っていると陛下や先王陛下が色々気を揉まれるだろうから、当分お前と顔を合わせるつもりはない」
「……はい」
そうだな。そこまで気が回らなかったのは俺の落ち度かもしれない。俺がわざわざ王宮外で兄上と会ったとなると、あちこちから探りが入ることは間違いないだろう。
「すみません。こちらからお伺いすると申し上げたばかりに、将軍閣下にもご迷惑をお掛け来る事になってしまいました」
「いや、気にする事は無いよ。軍や水竜が背後にある我らには陛下も迂闊な事は出来まい。その件はどうとでもなる。そろそろ本題に入ろうか」
ここで何を言っていても、兄貴がどうとるかを変える事は出来ない。それをあれこれ言っていてもしょうがないのだが、それでも俺が兄上にご迷惑をお掛けしているのではないかと思うと、やはり申し訳なさが先に立つ。
きっとルデアなら「何を卑屈に」くらい言いそうなところだが、どうしても兄上の足を引っ張るような事だけはしたくない。色々グチグチと考えても解決策など無いのだが。
こほんと咳払いをして、兄上は執務用の机から立ち応接用のソファに座る。
丁度目の前のソファに座ると、筋肉の分だろうか、兄の座ったソファと俺の座るソファは同じ大きさのはずなのに、どことなくソファが小さく見える。
こんなに鍛えていたか?
ふと疑問が過ぎる。
俺が軍にいた当時も確かに鍛えてはいたが、こんなに大きいと感じるほど筋肉質だっただろうか。どこか線の細さが見え隠れしていたはずなのに、今はその片鱗も無い。
「祭宮。お前の軍船を貸して貰えないだろうか」
そのような事は全く想定もしていなかったので、否とも応とも答が出ない。
あれは、もう飾りのようなもので……。でもあの船は……。
「恐らく陛下は海戦をおやりになるおつもりだ。一隻でも多くの船が欲しい。ましてやお前の船は他の軍船に比べて非常に装甲も頑丈に出来ており、吃水が他の船よりも浅いため速度も出易い。積載量も多く2列の砲列がある大型の帆船だ」
「はい」
「短時間でこのような船を作る事は不可能だ。どうか俺にお前の船を貸して欲しい」
俺が海軍にいる時に拘って作らせた船である事は確かだ。他の船よりも大きいが小回りが利いて攻撃力の高い船。ついでに王族らしく華美な装飾まで施してある。見栄えも攻撃力も備えた最高の船だ。
しかし、貸して欲しいと言われ「はいどうぞ」と即答出来る代物でもない。たとえもう二度と使う事が無かったとしても。
ただクソバカ兄貴が海戦をやるつもりならば、絶対に兄上のお役に立つ船であることは間違いない。
あの馬鹿、海戦なんてやるつもりなのか? 一体どことやるつもりだ。
「大戦はしたことがない。しかし戦をするにあたっては準備が必要であるということは、軍人だったお前はわかっているであろう」
「確かに。一朝一夕では人材も装備も整える事は出来ません」
はーっと深く兄上が溜息を吐く。
「しかし陛下はおわかりになっておられない。戦をすると決めれば次の日には戦う事が出来るとお思いになっている。もしも本気でおやりになるおつもりならば、軍艦だって大小合わせて、少なくとも百は必要だろう。水夫だって必要だ。兵だって正規兵だけでは足りぬだろう。それをどのようになさるおつもりなのか」
どうやら俺のあずかり知らぬところで、大分話は進んでいるようだ。
まして兄上は陸軍の将。海戦のことはあまりお詳しくないはずだ。そもそも、この国は海戦など体験したこともないというのに。海軍だってせいぜい海賊退治程度の小競り合いくらいしか体験したことが無い。
それに戦となれば、食料や物資も余計に必要になる。徴兵すれば、作物の収穫量だって減る可能性がある。それら全てを加味した上で、それでも戦をやる必要があるのか。
「一体どの国が宣戦布告してきたのです」
そうとしか考えられない。こちらからどこか他国にわざわざ戦を吹っかける必要など無い。そもそも周辺各国との情勢は悪くは無いはずだ。どちらかといえば良好と言えるだろう。
しかし「大国」と呼ばれるこの国に、正面きって宣戦布告してくるような国も周囲には無いのだが。
「宣戦布告など、いずこの国もしてきておらんよ。陛下は領土拡大の為に侵攻するおつもりらしい」
「領土拡大? 一体どこに」
思わず声が大きくなってしまう。そのような馬鹿らしい考え、建国以来どの王さえも持たなかったというのに。
豊富で多種多彩な食物を作り出す事が出来る広大な領土。竜に守られし豊作を約束された大地。穏やかで住みやすい気候。資源も潤沢で、一国内ですべてを賄い、更に他国に貿易として売る事さえ可能なほど豊かな国だというのに。
「妃の生国だ」
「義姉上の?」
「……ああ。理解に苦しむだろう?」
「はい」
義姉上の国は南方の海を挟んだ対岸にあり、この国ほどではないが大国と呼ばれる国。貿易上の相手として遜色なく、対等な関係を保ち、何世代かに一度は政略結婚をして有効な姻戚関係を築いている。かなり有効な関係と言っても過言ではない。それなのに、戦だと?
兄上の言うように理解に苦しむとしか言いようがない。
「それでも、陛下がやれとおっしゃるのならばやらざるを得ないのだろうか。進言し、王を諌める事も王弟として為してはならぬことなのだろうか。何故父上は陛下をお止めになろうとなさらないのか」
普段弱音など吐く事のない兄上の苦悩に、神殿のイザコザ程度で頭を悩ませ、傾国への道を辿ろうとしている国のことさえ考える余地が無かった俺の能天気さに心が痛くなる。
どうして俺は、大局を見据えようとしていなかったのだろう。