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王子様の恋  作者: 来生尚
祭宮業務遂行せよ
25/48

25

「水竜は一切政事には関わりません」

 明確な拒絶が水竜の出した答えなのだろう。

 わかっている。その事は十二分に。

 そうではなく、戴冠式というのはあくまでも名目で、姫の静養が主目的なんだ。どうしてわからない。水竜。

「それは存じております」

 落胆が隠せない。

 入れ替えられた湯気の立つお茶を口に含み、ササを通して彼女の背後にいる水竜へと意識を向ける。

 このままでは姫がダメになってしまう。

 頼むから、一時だけで構わないから、姫に心の休息を与えてくれないだろうか。

「水竜様が政事に関わらないというのは、以前にもお聞き致しました。けれど神官長様のお体が心配です」

「心配だから、という理由で水竜のご意思は変わりません」

 即答、か。

 では水竜は姫のことを心配していないという事か。

 巫女でない者のことなど、どうでもいいということなのだろうか。一代前の巫女だぞ。どうしてそんなに容易く切り捨てられるのだ。

「巫女様は神官長様のことが心配ではないのですか」

 感じた疑問を口に出すと、穏やかな微笑みが返される。

 もう、ササはいない。目の前にいるのは巫女だ。俺を近づけないように笑顔で壁を作っているのがわかる。

 どんなに言葉を尽くしても、彼女のそして水竜の答えは変わらない。

 内偵の者たちが口を揃えて言うように、彼女と姫の間には打ち解けた雰囲気は無いのだろう。心を許せるような関係でもない。

 だから理性的な言葉ばかりが出てくる。

 温かみのある思いやりのある言葉ではなく、俺をやりこめる為の冷静で冷淡な言葉ばかりだ。

 共に神殿に生きる者として、少しでも姫に良い方法を考えるという雰囲気は感じない。

「戴冠式に神殿のものが出席する。形はどうあれ、水竜が国政に関わる事になります」

 国政なんてどうだっていいんだ。そうじゃない。何故わからない。今、俺が言いたいのは、水竜に王家に対して頭を垂れて欲しいとか、兄貴の戴冠に色を添えて欲しいなんてことじゃない。

「水竜は決してあなた方王家の方に頭を垂れる事はありません」

「それなら戴冠式の中で、決して神官長様が下座に着くようなことや、頭を下げるような事は無いようにするから」

「いいえ、そういう問題ではありません。わざわざ神殿の者が参加するという事自体が認められません」

「それは水竜のご神託なのか」

 それが、水竜の答えか。

 かつて巫女であった者の精神的肉体的限界が来ようとしているにも関わらず、己の権威だけを大切にするのか。

 所詮は巫女は使い捨てでしかないって事か。

 お前には慈悲なんてものはないのかよ、水竜。化け物で人の心などわかりようも無いって事か。

「何なんだよ」

 それが神と呼ばれし者の判断か。

 己と今の巫女以外はどうだっていいというのか。

 何故人はこんな利己的な化け物を崇め奉る。

 万人を助けてくれなんて言っていない。せめて縁の者くらい、慈悲の心を示したっていいじゃないか。

 それともここで全てを詳らかにする必要があるのだろうか。

 俺は、姫が薬に頼らなくては任にあたれないと、巫女と巫女付の前で宣言しなくてはならないのか。

 そこまでしなくては、水竜が姫を助けようとはしないのか。

 しかしそれを口にするのは、姫の今後のことを考えると最適とは言えない。

 どうしたら、姫の静養をもぎ取る事が出来るんだ。

「まもなく神官長様もお戻りになるようです。私はこれで失礼いたしますね」

「待てよ」

 話はまだ終わっていない。

 まだ俺の話は終わっていない。姫のこと、了承してもらわなくては困るんだ。

「これ以上、私から申し上げる事はありません。祭宮殿下」

 微笑を浮かべる彼女の目が、俺を真っ直ぐに射抜く。

 何か言いたげで、それでいて憤りの色を孕んでいるのがわかる。

 俺は何でまたお前を怒らせたんだ。

「ササ! 何なんだよ。何を怒っているんだよ!」

 こちらも少々冷静さを欠いている部分もあり、咄嗟に彼女の名を呼んでしまう。

 それでも彼女の「巫女」は一切揺らぎはしない。

「怒ってなんていません。私は伝えるべき事はお伝えしましたから」

 怒ってるじゃないか。ものすごく。自分で気が付いていないのかよ。

 声も目も、全身で怒っていると逆毛を立てた猫のように主張しているじゃないか。

 立ち上がって彼女に手を伸ばしかけ、頭の中に水竜の神託の一つ「触るな」を思い出す。

 触れる事さえ叶わない。

 ふっと彼女の瞳が視界に入り、ほのかにその瞳が蒼く色付いているように見える。

 また、ササの中に水竜が入り込んでいるのか? それとも目の錯覚か。

「ササ、なんだよな」

「ええ」

 ササは気付いていないのだろうか。

 視界のほんの端、眼球の端がうっすら地の色と混ざっている事に。

 感覚的にも水竜が入り込んでいるというのがないのだろう。だとしたら余計な事をいうのは賢明ではない。

 そしてこの場に僅かな気配だけでも同席していた水竜が否というのならば、これはもう覆らないのだろう。せめて前例がある事を祈るくらいしか出来ない。

「そうですか。わかりました。お時間をとらせてしまい、申し訳ありませんでした」

 当たり障りのない別れの言葉を残し、彼女は水竜の神殿の中へと消えていってしまう。

 どれだけ言葉を尽くそうとも、水竜には理解を得られない。

 そして何故だかよくわからないけれど、彼女の気分も害してしまったようだ。

 どうしたらわかりあえるのだろう。

 水竜とも、彼女とも。

 ただ姫に少しでも良くなって貰いたい、それだけなのに。

 戴冠式だとかって事を口にしたのが失敗だったのかもしれないな。しかしそれを口実にしなくては、ここから神官長である姫を出す事は不可能だろう。

 姫を取り巻く状況を明らかにすれば、王都に行く事は可能だろう。

 だがそれでは、二度と姫は神殿に戻れない。

 俺との婚約を事実上破棄して「神官長」になる道を選んだというのに、それをまっとう出来なくなるなど、誰よりも姫が許せない事だろう。

 今だって水竜のために、水竜の神殿の為に最善を尽くそうとした結果が、少し方向を間違ってしまっただけに過ぎない。

 副作用のある薬など使わなくとも、姫がその業務を遂行できるとご本人が思ってくれれば、状況は改善するのだろうけれど。

 でも誰が薬を止めろと姫に言えるんだ。誰も言える者はいないだろう。神殿の最高権力者である神官長に意見するなど、一神官では難しいはずだ。

 俺以外、止めろって言える人間はいないのか。

 だが俺がいくら言ったって止めるわけないよな。その薬を使うことさえ「水竜様のため」なのだろうから。

 何て姫に言ったらいいんだか。考えただけで頭が痛くなるな。


「祭宮殿下っ」

 扉を勢いよく開けたかと思うと、気色ばんで頭から湯気が出ているかのような形相で姫が部屋に入ってくる。

「い、いかがなさいましたか」

 鼻の穴を膨らまし、到底真相の姫君とは思えないような勢いで、掴みかからんばかりに近寄ってきた姫に体が引ける。

「あーなーたーはっ。一体巫女に何をおっしゃいましたのっ」

「へ? 巫女?」

「へ? じゃありませんわよ。あなたが余計な事を巫女に吹き込んだのでしょう」

 掴みかからんばかりではなく、実際に掴みかかられ、思わず両手を降参のポーズのように顔の横に上げる。

 一体どうしたっていうんだ。おおよそ姫らしくも無い。

 寧ろこんなに感情をむき出しの姫なんて、初めてだ。

「何もおかしなことは申し上げておりません。ただ、神官長様に戴冠式にご臨席頂きたいというこちらの希望を申し伝えただけです」

 事実をありのままに、内容に若干の省略はあるものの伝えたのだが、姫のお怒りは解けない。

「それだけですか」

「ええ。それだけです。神官長様のお体の具合も芳しくないようにお見受け致しましたし、王都での静養をなさればとご提案致しましたが、それに何か問題がおありでしょうか」

「ありですわ。大ありですわっ。あなたがどんな言い方をしたかは存じ上げませんけれど、どうしてわたくしが巫女に『王都に帰りたがっている』と思われなくてはならないのか。そんなこと微塵も思っておりませんのに」

 ぷいっと横を向いて、姫は奥殿の方に目を向ける。

 その瞳が怒りから悲しみに瞬時にして変わってしまったようだ。

「……わたくし、水竜様に呆れられてしまったかしら」

 涙声で涙目で、心の底から不安を感じているのが良くわかる。

 指先から力が抜けていき、姫の両手はだらんと人形のように垂れ下がる。

 しばらくすると膝からも力が抜けたのか、俺の座っているソファの肘掛にもたれるように、ぺたんと床に座り込んでしまう。

 何故突然そのような結論が出たのかわからないが、姫は心から絶望しているかのようにも見え、拒絶される事を恐れた子供の横顔のようにも見える。

「わたくしはただ、水竜様のお力になりたいだけですのに。巫女にはそれがわからないのね。だから水竜様にきちんとしたわたくしの本当の気持ちも伝わらないのですわ」

 落ち込んでしまった姫に掛ける言葉が見つからない。

 口先だけの「そんなことないですよ」なんて言葉を姫が望んでいるわけないだろうし。

 以前には見せなかった激しい感情にもどう対処したらいいのかわからない。

 俺が出来る事といったら、姫の前にしゃがみこむ事くらいだ。そして詭弁を吐くことだけ。

「そのように絶望されては、水竜様がご心配になられるのでは」

 力無く俯いてしまった姫に、そっと声を掛ける。

 震える肩。もしかしたら泣いているのだろうか。俺が言った何かが巫女であるササの怒りを誘い、結果として姫を傷つけてしまったのだろうか。

 今まで姫の泣いたところなんて見た事も無い。こんな形ばかりの言葉が、姫の心の慰めになるのだろうか。

「わたくしは、わたくしの出来る事を、精一杯……それなのに、それなのに」

 予想に反して姫は泣いてはおらず、怒りに打ち震えていた。

 真っ赤に見開いた目。わなわなと震える口元。般若の如き形相といっても過言ではないかもしれない。

 あまりの変貌ぶりに、ただ姫を見つめることしか出来ない。

 ぎゅっと握り締められた拳もぷるぷると震えている。

 人はそこまでの怒りを感じることが出来るのだろうかとさえ思うほど、元々心臓の弱い姫がこのまま憤死してしまうのではないかと心配になるほど、姫は怒りを全身で表している。

「許せませんわ。わたくしを侮ることも。見くびる事も。わたくしは神殿の為を思い、水竜様の為にと心を籠めてお仕えしておりますのに」

 ぎりりと歯を食いしばる姫が鋭い視線を俺に向ける。

「殿下」

「はい」

「わたくしは誰が何と言おうとも神殿を出ません。わたくしだけがこの神殿を束ねることを水竜様に委ねられた神官長なのですから。お忘れにならないで」

 憎しみさえ感じるような目線で歯をむき出しにして怒り、唾を飛ばしながら言いたいことだけ言うと、姫は立ち上がって壁際の神官に声を掛ける。

「祭宮殿下がお帰りよ。ご案内を」

 屈んだまま見上げた姫の横顔は、美しい姫ゆえに余計に凄みを感じずにはいられないものだった。



 はあっと目の前に座った娘が溜息を吐き出す。

 話の腰は折らずにきりのいいところまで聞いたところで、しらっとした目を俺に向ける。

「お父様。何でお二人が怒ったのか、未だにわかっていらっしゃらないでしょ」

 呆れ顔で娘が眠る彼女へと目を向ける。

「お母様可哀想。なんでこんなお父様が良かったのかしら。それとも男なんてみんなこんなものなのかしら? ねえ、小鳥」

 小鳥と呼ばれたのは、やたらと声が小さい娘が巫女だった時の御付神官。小鳥の囁きのように小さな声というのがその由来らしい。

「あの、僕にはちょっとよくわかりません」

 消え去りそうな声で恥ずかしそうに俯きながら小鳥が答えるのを聞き、娘は深く溜息を吐き出す。

 冷ややかな視線を俺に向け、じーっと俺の目を覗き込む。

「お父様が感じていた通り、もしもお母様がその時点でお父様に好意を抱いていたのだとしたら、ものすごくショックを受けたに違いないと思うの。だって、もし私だったら好きな人が他の女の人のことで右往左往しているところなんて見たくないもの」

「そういう風に受け止めるものか」

「そうよ」

 ふんっと鼻を膨らませて胸を張って言い切る娘に、今度はこちらが溜息を溢す。

 昔話をしていたせいか当時の気持ちが胸に蘇り、あの時に感じていたモヤモヤとした言いようのない淀んだ気持ちと使命感を思い出す。

「男ってのは、恋愛ばかり考えているものではないんだよ。残念だけどね、あの時は彼女がどのように感じたかなんて考えようとも思わなかったね」

「ひどっ。お父様って冷たいのね」

「冷たい? そうかな? そうじゃないよ。あの時は祭宮として、何が神殿にとって最善かを考えてそれに則って行動していた。つまり、祭宮としては姫に休養をというのが神殿にも王家にも最善の策だと思って動いていた。ただそれだけに過ぎないよ」

 そう。あの時は俺は神殿を守りたかった。姫を守りたかった。王宮のゴタゴタに巻き込まずに、どうやって神殿の神聖化を保つか、それだけを念頭において行動していた。

 王宮に戻った後、何故姫を戴冠式に出席させないのだと、どこからか話を聞きつけた次王である兄貴に詰られたが、事が露見しないのだからかえってこの方が良かったのかもしれないと心密かに思っていたほどだ。

 俺が罵倒されるだけで済むのならば、それでいいじゃないか。そう、思っていた。

「祭宮は外部から神殿を守り、王家と神殿を繋ぐ者。そこに恋だの愛だのなんてものを持ち込む必要があるかな」

「……それは理想論でしか過ぎないと思うの、お父様」

 他にも沢山言いたいことを抱えているであろう娘に微笑み掛ける。

「いつか、お前にもわかる時がくるよ。恋だけでも、仕事熱心なだけでも立ち行かなくなる事があることがね」

「意味深ね。っていうことはお父様は知っていたの? お母様がこの時に傷ついていた事」

「さあ、どうだろうね。ただ一つ言えることは、掛け違えたボタンを戻す事は難しいってことだ。人と人の間ではね」

 あの日、もしも彼女を傷つけたことに気が付いていたら、何かが変わっただろうか。今なお続く後悔の日々は来なかったのだろうか。

 後になって分析してみればわかることだが、多分俺は彼女に恋をしていた事は間違いない。

 だけれどそれを重要項目だとは思ってはいなかった。その事はずっと後になってから考えればいい問題だとしか捉えていなかった。

 だから、傷つけたなんて微塵も思っていなかった。後に彼女から聞かなくては。

 その時の俺にとって最重要項目は、どうやって神殿を外部から守るか。神殿に付け入る隙を与えないかという事だった。

 兄貴の姫を正妃に欲しいという言葉も、頭のどこかに引っかかっていた。もしかしたら兄貴の勢力が神殿内に手を伸ばして、姫の異変に気付いてしまうかもしれないという風に焦っていた。

 俺は俺の手の中にある「祭宮」に付随する全てを守りたくて躍起になっていた。巫女である彼女も、姫も、水竜も、神殿も。そして、俺自身も。

 それが俺の弱さであるとは、全く気が付かずに。

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