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王子様の恋  作者: 来生尚
祭宮業務遂行せよ
23/48

23

 季節は巡り、春が訪れる。  数ヶ月後には王太子に指名された兄貴の戴冠式が執り行われる。

 それなのにまだ王宮はゴタゴタしているようだ。いい加減諦めればいいのに、大臣たちも。

 スージには先日断りを入れた。兄貴に姫を譲ることは出来ないと。

 思いのほかあっさりとした「まあそうだろうね」という返答に拍子抜けしたが、兄貴サイドとしても本気で姫を欲していたわけではなく、俺に揺さぶりを掛けられればいいと思っていた程度なのだろう。

 姫が宝石の人なのかと楽しそうに聞くスージに「ご想像にお任せするよ」と答えると、一緒にいたギーは思いっきり肩を竦めた。

 もしかしたらルデアから何かを聞いているのかもしれない。

 戴冠式に合わせ、父王からはある打診をされていた。

 断られるであろうと思っているがという前置きが付いたそれは、俺の意図と合致するものだったので、出来るならば父王の願いを叶えたいと思っている。

 しかしそれが可能なのだろうか。

 父王が半ば諦めているように、やはり拒否されるのではないだろうか。

 一抹の不安を抱えながら、水竜の神殿への扉を叩いた。


 通された部屋の中、春の穏やかな光の中では神官長である姫は健やかな様子に見える。

 冬の日のような青白さはない。しかしそれでもかなり痩せ細ってしまっているように思える。

 華奢な体がいっそう細くなり、手首なんて簡単に折れてしまいそうなほどだ。

 それによく目を凝らすと、化粧で誤魔化しているだけで、目の下のくまも色濃い。肌が白いから余計に目立つのかもしれない。

 やっぱり状況は全く良くなってはいないようだな。

 姫と決まり文句のような社交辞令の応酬をしつつ、そんな事を胸の内で思う。

 一通りの社交辞令が終わったあと、意を決して姫へと父王からの依頼についての話をする。

「神官長様。陛下よりご依頼があるんですが、お受け頂けますでしょうか」

 可愛らしい仕草で小首を傾げふわりと微笑む姿に、愛しさよりも心配が頭をもたげる。

 無理に表情を作らなくてもいいのに。明るい表情を無理に作るよりも、その心の内を吐露してくれたらいいのに。

 しかし決して姫は俺に心中を明かしたりしないだろう。苦しいとか、辛いとか。それから甘えるような事も。

 今作ったその表情だって、俺が祭宮だから、俺が婚約者だからとりあえず微笑んでみただけに違いない。

 絶望なんてしないけれど、こういう関係を築き上げてきたのは自分なのだなと改めて思い、そして後悔の念が過ぎる。

 そして、こんなにも追い詰められた人を作り上げてしまったのに、自分の手で何とかしたいと思っていても、その心をずっと支えていきたいという覚悟は持てない。

 神殿に来る直前に「所詮偽善にしか過ぎないんですよ、わかっていますか?」と眉を顰めて告げたルデアの心中を慮る。

 いつだって覚悟が足りない。

 この目の前の女性の人生を背負う覚悟も無い。

 王族なのだから、妃は何人娶ろうが誰にも文句は言われない。寧ろ姫を妃に迎えれば歓迎されるに違いない。

 しかし自分の心を偽ることが出来ない。

 姫に愛を囁いて抱きしめた腕の中に、この後に姿を現すであろう彼女を抱きしめて同じように愛を囁くなんて、俺には出来ない。その逆も然り。

 俺はどうやら非常に不器用な人間らしく、たった一人しか胸に住まわせる事が出来ないようだ。

 同じように二人を愛して守っていくという選択が出来たのなら、もっと違った言葉を姫に掛ける事が出来るかもしれないのに。

 守り続ける事は出来ないけれど、それでも姫を苦境に立たせたくは無い。その心を救いたい。

 その事は真実なのに、やはり覚悟の足りない者の贖罪か偽善でしかないのだろうか。

 ごくりと唾を飲み込み、正面から姫を見据える。

「戴冠式に、お出で頂けますでしょうか、神官長様」

 俺の発した言葉が、部屋の中に衝撃として広がっていく。

 姫も、神官長の御付神官も、長老も、目を見開いて俺を見ているのがわかる。空気がどこかピリっと張り詰めたように感じる。

「陛下からのご要望でございます。ご無理を承知で申し上げておりますが、お体の具合も良くないと伝え聞いておりますので、戴冠式のついでに王都でご静養をされるのはいかがでしょうか」

 周囲の様子とは異なり、姫はふわりと頬を緩ませる。

 もしかしたら王都に戻りたいと思っているのではないかと期待すら過ぎる。

 けれどその笑みはあっという間に細められた視線と共に消え、ゆっくりと左右に首を振って拒絶を示す。

「わたくし、ここを離れるつもりはありませんわ。ただ、陛下や殿下がわたくしを気遣って下さったことに感謝の思いが絶えません」

 ゆっくりと瞬いた後、姫の視線は窓の外の水竜の神殿へと向けられる。

 以前聞いた甘ったるい声で、水竜に話しかけているのだろう。その柔らかな表情が姫の決意を物語っているかのようにも思える。

「一生、ここを離れるつもりはございません。体調のことでしたら大丈夫ですわ。そのように報告もしておりますでしょう」

「確かにそのような報告書を受け取っております。しかししばらくお会いしない間にまた……」

 言葉を遮るように姫が立ち上がる。

 何をなそうとしているのか全くわからない。

 そうだ、今この瞬間さえ、俺は姫の考えていることがわからない。ただ一つわかるとするならば、神殿を離れる気はないということだけだ。

「巫女に関しては在任中は神殿から出る事を禁じられておりますが、神官長にはそのような制約はないはずです。これ以上お体がお弱りになられれば、必然的に王宮に戻らなくてはならない時がきてしまわれるのではないでしょうか」

 半ば脅しのような俺の言葉に、姫はゆっくりと降り返る。

 微笑なのか苦笑なのか、笑みを浮かべて俺を見下ろす。

「殿下はこんな時でも冷静でいらっしゃるのね」

「そんな事はありませんよ。ただ神官長様のお体が心配なだけですよ」

「そうかしら。本当にそうなら、わたくしたちの間も少しは違うものになっていたのかしら」

「神官長様」

 思いもかけない言葉に絶句する俺とは対照的に、どこか姫はふわふわとして舞う蝶のようだ。ひらりと神官長の正装が翻り、そして窓辺に手を置いて俺を見つめる。

 真っ直ぐと俺を見つめているはずの瞳が、俺の後ろを見つめているように焦点が合わない。

 本当に副作用がないと、この目を見ても言えるのか。明らかにおかしい。やはり薬から遠ざけなくては。

「殿下の人生とわたくしの人生が重なる日は来るのかしら。そうなるのが必然だと思っていましたのよ、これでも」

「神官長様、その話は今は」

 遮る声など全く耳には届いていないようだ。

「もしも神官長にならなかったら、殿下はわたくしの手をお取りになられたのかしら。それとも運命は変わらないのかしら。全ては必然なのか偶然なのか。水竜様の御心はわかりませんわ」

 独り言のような、それでいて俺に語りかける口調から伝わってくるのは、こんなに姫は空想家だったかという懸念。

 場の空気も読まず、自らの主張だけを繰り返す姿は異様なものに思えた。俺の知っている姫はこんな姿を他人に見せるようなことはなかったはずだ。

「どうしてわたくしには水竜様のお心が見えないのかしら。どうしてそのお声が聴こえないのかしら」

 ぎょっとして目を見開いてしまったのは無意識だ。

 壁際に控える二人の神官に目を向けると、長老と目が合う。長老は俺にわかる程度に首を横に振り、状況があまり芳しくない事を伝えてくる。そしてそっと部屋の中から姿を消す。もしかしたら控え室に詰めている医者の意見を仰ぐのかもしれない。

「ですからもう一度そのお声を聴くまでは、わたくしは神殿を離れませんわ」

 固い決意を窺わせる言葉に、俺は首を縦に振る事も横に振る事も出来ない。

 本当は一刻も早くここを離れて専門医の治療を受けたほうがいい。けれど、どうやったって姫は神殿に、いや違う、水竜にしがみついているんだ。

 ならばどうやって離せばいいんだ。この神殿から。

 恐らく心の病に罹られた最大の原因は「巫女でなくなった事」だろう。そして自分以外の誰かが水竜の声を聴いているという事実が姫の心を蝕み続ける。

 けれど、本来ならば神官長という任を選んだ時点で、それは自身で乗り越えなくてはならない壁であったはずだ。

 水竜の声が聴こえないということを受け入れ、新たな巫女を受け入れて育てていく。その覚悟が全く姫の中に無かったわけではあるまい。

 思ったよりもずっと、その事実が姫には受け入れがたい事実だったのだろう。

「では、賭けをしましょう」

「賭けとおっしゃいますと?」

「もしも神官長が神殿を出るという前例がある場合は、今回の戴冠式に限り王都にお戻りいただけませんか」

「……わたくしは」

 にっこりと笑顔を作り、立ち上がって姫のほうへと歩み寄る。

「わかっております。神殿を、水竜を愛していらっしゃるから、こちらを離れたくはないのですね」

「ええ」

 わかっているのならばどうしてと顔に書いてある神官長の横に立ち、同じように窓の外の水竜の神殿の奥殿を眺める。

 木立の向こう側にいる水竜。俺の声もどうせ聴こえているのだろう。ならばこの姫の病を治すために、助力願えないだろうか。

 久々に間近で眺める姫の横顔は整っていて美しい。影があっても、やつれていたとしてもその美しさには何ら変わりない。

「神官長様は前例があるとお思いですか?」

「……わかりませんわ」

「ですから賭けです。この賭けに水竜のお心を賭けてみませんか」

 姫の視線が重なった。ちゃんと焦点のあった目で俺を見ている。

「もしも前例があれば、水竜は姫にご静養を求めている。無ければ水竜は姫を放したくは無い。こういうのはどうでしょう」

 問いかけるとふふふと姫が笑い声を上げる。

「こんな重要なことまでゲームにしてしまうのね、殿下は」

「いけませんか」

「いいえ。殿下らしいなと思っただけですわ」

 手を伸ばせば届くところにいた姫が残り香だけを置いて、元いた席に腰を下ろす。

 ゆっくりとしたその動作を見守り、姫の斜め前のソファに腰を掛ける。俺の目の前にソファはまだ無人のまま。

 姫が一口お茶を飲み、カチャっと小さな音を立ててカップを下ろす。

 窓の外を眺めるその横顔に声を掛けず、水竜に問いかける。

 姫に時間をくれ。必ず返すから、お前のもとに。お前は姫がこのままで良いと思っているのか。

 ふいに頭の中に声が響く。

「君が望んで選んだ道だ。その責を他者に負わせるような言動は慎むといい」

 蒼い瞳、甲高い声。かつて見聞きした光景を思い出すと、自然と体にぞわりと気色の悪い感触が這い上がる。

 お前は姫が自分で立ち直れるって思っているのかもしれないけれど、今のこの状態を長引かせるのは得策じゃないだろう。

 少なくとも精神状態を安定させる為という薬が、姫にとっていい結果をもたらしているとは思えない。

 今だけでいい。俺に姫を救う手助けをさせてくれ。

 黙りこんでいた姫が俺を見つめる視線に気付き、視線を姫のほうへと戻す。

「賭けてみても構いませんわ。前例を調べる手筈を整えます」

「神官長様、ありがとうございます」

「まだ王都に行くと決まったわけではありませんわ。調べてみてからですわ、全ては。そもそも莫大な資料がありますから、全てに目を通すのは不可能かもしれませんわよ」

 出てこないと姫は思っているのだろう。それならそれで構わない。水竜自身にも巫女を通して、神官長である姫の静養を求めるつもりだ。本当に神官長のことを思うのならば、今静養が必要だと水竜にもわかるだろう。

 今は姫がまず賭けをする気持ちになれば、それでいい。

「構いませんよ。結果を待つのも楽しいではありませんか」

 わざと大げさに答えると、姫はふふふと声を上げて笑う。

「決して面白いゲームというわけでもありませんのに、殿下にかかれば全てが楽しい出来事のように思えますわね」

 思わず口元が綻び、目を細めて姫を見つめる。

「それで少しでも神官長様のお心が軽くなるのでしたら、いくらでも」

「まあっ。お上手ね」

 上品な笑い声が室内に響き渡り、心の底から姫が楽しそうに見えて、心の中の重荷が少し軽くなる。

 どうか少しでも心の中に抱える闇が軽くなり、薬などに頼らなくとも以前の姫に戻れますように。

 願わずにはいられない。

 暗闇に姫が捕らわれませんように、と。

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