20
頭を抱え込む俺の頭上には、せせら笑うような声が降ってくる。
珍しくスージの父親が所有する屋敷に呼ばれて何事かと思えば、兄貴からの伝言を伝える為だったとは。
内密の話があるとは言わず、たまには飲もうぜなんて声を掛けてきたから気軽に尋ねてみれば。
スージ自身が内務大臣配下で働いているというのもあるが、スージの父もまた長兄で王太子である兄貴の一派だ。
迂闊な返答も出来ずに溜息を吐くと、スージは楽しくて仕方が無いといった様子でケラケラ笑い声を上げる。
「本当に困るんだね。あんたがそんなに顔を見せるとは思ってもいなかったよ」
飄々と紫煙を燻らせながらスージが言う。
風貌通りの柔らかな口調なのに、どことなく意地悪さが混在するような言葉に溜息しか出てこない。
どうしろっていうんだ。全く。
「即答しろと?」
「いいや。どうせ持ち帰りだろうと思ってたから別にいいや。上もそんなに急に答えを求めていないだろうしね」
コンっと音を立ててブランデー用のグラスを目の前に置く。
4人の幼馴染たちはそれぞれ酒の好みも違う。一口で酒に酔えるくせに、スージは度数の強い酒を好む。理由を聞いたら、何も考えずに眠れるからだと言う。
今日は話はこれでおしまいで切り上げて、あっさりと床につくつもりだろうか。
と考えていたら、スージはグラスに水と氷を注ぎいれる。横に置かれた酒には手を伸ばさずに。俺のグラスにはなみなみと酒を注ぎいれてくれたが。
「神殿の中のことは、俺が何を言おうと何をしようとも恐らく覆らないぞ」
「そうだろうね」
氷水を口から流し込み、スージは顔色一つ変えずに視線だけを王宮のほうへと向ける。
煌々と燈る松明の灯によって浮き上がるかのような王宮の姿は、宵闇に浮かぶ水竜の神殿のそれよりもずっと明るい。しかしどこと無く二つの建物の姿が重なる。
どちらも堅牢な迷路のような建物であり、周囲にその権威を誇示している。
「それでもあんたの両翼をもぎたいから水竜の神殿の後ろ盾が欲しいんだよ、上は」
「俺の?」
「そう。最も血が濃い上に、将来は水竜の巫女を妃に娶る。今だって祭宮として祭事においては権威を奮っている。ほーら、ここまで聞くと周りのオバカさんたちが焦るのがわかってくるだろ?」
「あんまりわかりたくないな。くだらなくって」
溜息を吐くと、スージがふんっと鼻で笑う。
「あんた、そういうところがダメだよね。全部自分基準で。そういう風に考える人間もいるってわかれよ。そういう風に見られているんだって」
「スージ?」
スージはどこと無くイライラとしている。さらに珍しいことに直情的だ。
身分なんて幼すぎてわからない頃からの付き合いだけあって、ギーもルデアもスージもライも本当に俺に対して容赦が無い。それはいつも通りなのだけれど、何か違和感を感じる。
余裕綽々の優男として、女性たちに甘い言葉を囁いて誘惑しまくる普段の姿の片鱗は全く無い。
独特の物腰の柔らかさも無く、ピリピリと張り詰めたものを感じる。
「何でわかろうとしない。それじゃいつまで経っても覚悟の足りない第三王子のままじゃないか」
「ならスージは俺に何を求めているんだ」
「何をだって? 何故わからない。どうしてわからないんだ」
ぐいっと胸元を掴まれ至近距離で睨まれる。
こんな態度を取るなんて、スージらしくない。乱暴な行為をされているという事実よりも、スージを追い立てる何かのほうが気になって、憤りの感情は沸いてこない。
ぶつかりあう視線。
イライラとした表情のスージの睨むような視線と、眉間に皺を寄せた俺の視線。
絡み合った視線がゆっくりとほどけていくのと同時に、スージの握り締めた手からも力が抜けていく。
「きっと未来永劫、わからないんだな、あんたは」
諦めの言葉に対し、ふっと息を吐く。
「自己完結してないで、思うところがあるなら言ったらどうだ」
スージはふふっと乾いた笑みを浮かべる。
「じゃあ聞くよ。あんたが守りたいのは何だ。祭宮の地位か。第三王子としての地位か。それとも水竜の神殿か」
「……その、どれでもないな」
指を顎に掛けて考える。守りたいものなんて、無い。
「もっと子供の頃は王冠が欲しかった時もあるな。だけれど今はそれを欲しいとは思わない。だから第三王子としての地位を守りたいとは思っていない」
「……ふーん?」
「元々俺は、父王に厄介払いをされて玉座から遠ざけるために祭宮を与えられたのだと思っている。だからそこまで祭宮にも水竜の神殿にも思い入れは無い」
こくりと頷いてスージが話の続きを促す。
「だから傍から見るともどかしく見える部分もあるだろうし、疑心を抱かれかねない部分がある事もわかっている。だからといって、動く事が得策だとも思えない」
「あんたが取っている一連の行動は、水竜の神殿に頻繁に通って神殿を後ろ盾にしているように思えるけど」
息を大きく吸い込み、それからゆっくりと吐き出す。
「ああ、そう見られるかもしれないね。けれど父王はそうは思っていないよ。俺が水竜の神殿を訪れるのは、全て父王の意思なんだから」
「……どういうことだ」
「水竜の後ろ盾を求めているのは俺じゃなくて父王だということだよ」
決して愚鈍ではないスージのことだ。これだけで十分に真意は伝わったと思う。
黙り込んでしまったので、目の前のグラスに手を伸ばし、ちびちびと酒を口に含む。
兄からの、婚約者を譲れという伝言。
こればかりは譲るとか譲らないとか、俺が個人的に決められる事では無いだろう。そもそも姫が首を縦に振るとは思えない。
水竜に心を捕らわれて、永遠にあの迷宮の中から出てこようとはしないだろう。
大体俺だってものすごーく邪険に扱われているというのに、兄貴が出張ってきたところで姫が快い回答をするはずがない。自惚れではなく、少なくとも兄貴よりは俺のほうがまだ好意を持たれている。女性にだらしない一面を持つ兄貴のことを、姫が鼻白んでいたのを知っている。
巫女に選ばれる器が生来備え付けられていたしか思えないほど、姫は潔癖なところがある。
他を寄せ付けない清廉さと、併せ持つ美貌。
確かに兄貴が横に並んで欲しいと願うのはわからなくはない。
「お飾りの人形が欲しいのならば、他のかつて巫女だった女性を探してきたほうが手っ取り早い気がするけれど、権威主義の兄貴はそんな事はしないだろうな」
「国王の正妃になるんだ。例え巫女であったとしても、どこの馬の骨かもわからぬような女では務まらないだろ」
「そうか? では始まりの巫女は建国王の正妃としては不適格だな」
どこの生まれでどのような育ちの女性だったのか、始まりの巫女の事は謎に包まれている。一体どんな女性だったのか。
それでも建国王は始まりの巫女を正妃に迎え、二人の血が俺の中に脈々と流れている。二人の血を継いでいるから、正統な建国王の直系だからこそ「カイ」を名乗ることを許されている。
一番最初の根源の「カイ」が選んだのは、どこの馬の骨かもわからない竜の声が聴こえた女性。
それでもその女性はこの国において最も敬われている一人である。氏素性などわからなくとも。
「始まりの巫女のような女性ならばな。姫より以前に、そのように素晴らしい巫女がいたのか?」
「さあな」
「おい、さあなってどういうことだ。あんた祭宮だろうに」
呆れ顔のスージにくすりと笑い声を漏らす。
「俺だって数年前に祭宮になったばかりだ。元来保守性の高い情報である巫女に関することなど新参者がわかるわけもないだろ。大体先代が亡くなったから俺が指名されたわけだし」
「まあ、そうかもしれないが」
溜息交じりに語るスージの声のトーンは少しばかり通常のものに近くなったようだ。
激昂するほどの何かが俺の答えにはあったのだろうか。そこまでスージに余裕をなくすほどの何かが。それが、わからない。
「それはどうでもいい。結局殿下は姫しか求めていないんだよ。それとも代わりに今の巫女を差し出すか」
「それこそ無理だろう。どうやったって今の巫女は渡せない。水竜も決して手放そうとはしないだろうしな」
「だよな」
目を瞑り、スージは物思いに浸るかのような表情を浮かべる。
何も語りだそうとはしないスージを横目で見つつ、ちびちびと酒を口に運ぶ。度数の強い酒のたゆたう表面を見つめていたら、ふと水竜の神殿の揺らぐ松明の光を思い出す。
あれからどうなったのだろう。思い浮かべるのは今の巫女である彼女のこと。
翌日には目を覚まし、特にこれといった変調は見られないという報告は受けたが、その後の彼女の動向が一切掴めない。
冬場という事もあるのだが、いつも以上に神殿からの情報が入ってこない。便りがないのが良い知らせなどと言う者もいるが、無ければ無いで不安になる。
彼女の瞳が蒼に変わった意味。それは恐らく「類稀な」と呼ばれる一部の巫女しか出来ない事を成し遂げたとういう事に相違ないだろうとルデアは言う。それに関する情報を更に集めてみると言ってから、ルデアは口を噤んだままだ。
今頃何をしているのだろう。
どうせ雪が溶けるまでは彼女には会えない。
そもそも俺と彼女の間に、何か特別なものがあるわけでもない。だから業務以上に接する事も一切無い。個人的に文をしたためるなんて事、有り得ない。
それなのに会いたいと思う。顔が見たい。元気にやっているのかこの目で確かめたい。
笑って欲しい。いつものようなはにかんだ微笑みを見せて欲しい。
「あんたさ」
ふいにスージが切り出す。
ゆっくりと視線をグラスからはずし、スージの顔を見つめる。
「やっぱり宝石の人は姫なの?」
「何故そう思うんだ」
問い返すとスージはふっと鼻で笑う。
「やっぱり違うんだな。あんた気付いてる? 姫を妃に迎えたいという上の意向を伝えた時、頭を抱えるだけで拒絶はしなかったこと」
「それは俺個人が決められる問題じゃないからで」
「違うよ。あんたは姫を愛していない。ただそれだけのことだ」
言い返す言葉が無い。
今だってずっと考えていたのは、姫じゃないほかの女性のこと。話題が姫の事だったというのに。
図星を突かれたが、だからといってここで「はい。そうです」なんて言ってしまったら、今後の姫のお立場にも関わる。少なくとも今の地位を守りたいと思っている姫の意志を、俺の失策どころが失言で危うくするわけにはいかない。
「愛している、か。じゃあスージはそんな恋をしたことがあるのか? 俺たちに打算以外の女性関係が許されるとでも?」
スージはゆっくりと首を横に振る。
それは恋をしたことがないということと、より自分の立場を優位にする女性以外は娶る価値がないということを認めたのだろう。
ギーもそうだし、スージだってルデアだってライだって皆婚約者はいる。だけれど望んでその女性を婚約者にしたわけではない。それぞれの事情がそうさせただけでしかない。
所詮王族だとか貴族だとかっていうのは、個人的感情なんて二の次だ。
正式な夫なり妻なりは血筋などを考慮して選ぶ。もし欲しいと思うような相手がいるならば、愛人にすればいいだけのこと。周囲を見渡しても、そうやって婚姻の体裁を整えているものが大半だ。
「俺は俺の立場だけでは姫のことを決められない。元々親同士が決めた事でもあるしね。姫の意向もあるし、神殿の事情もある。俺がここで即答すべき問題ではないと思うよ」
「けれどその宝石の半分を誰かに渡したのだろう」
「ああ。渡したよ」
「その女性は愛しているんじゃないのか」
「さあ」
自然と口元が緩む。けれどそれは心からの笑みではない。
誰にも気取らせてはならない。それは彼女をこの騒動に巻き込む事になりかねない。もっとも、彼女があの堅牢な神殿の奥深くで守られている限り、誰も手出しなんて出来やしないが。
その立場と類稀な能力。そして俺の執着。
それがバレたら、間違いなく兄貴の興味を惹くだろう。それだけは避けたい。
「さあって何だよ」
苦笑を浮かべつつ、スージが殆ど氷しか残らないグラスに酒を注ぎいれる。どうやら思考することを諦めたようだ。
「俺はさ、守ってもいいよ、その女。あんたがそれを望むならね」
「それはどうも」
「どうもじゃねえ。本気だよ。だからいつでも言ってくれ、ウィズラール」
誰も呼ばなくなった古い名で呼んだのは、スージの本心からの訴えだからなのかもしれない。
けれどそう言ってくれるスージにも本当のことは明かす気は無い。
スージが兄貴の一派の人間だというのも理由の一つではあるけれど、例えギーだとしても彼女のことを自ら口に出したりはしないだろう。
本当に何にも王宮とは関係ない彼女を、変な形で騒動に巻き込みたくない。
ぐいっと酒を煽ったスージは、数分後には意味のわからない事を言い出して、追い払われるようにスージの父の屋敷を後にする。
門を出たところに、ギーが不機嫌そうな顔で立っている。
「あれ、どうしてこんなところにいるんだ」
「こんなご時世に一人で出歩かせるわけにはいかないでしょう」
外套の高い襟の隙間からギーの重低音が響いてくる。
雪のちらつく街の中、スージが用意してくれた馬車は断って二人で肩を並べて歩く。
「悪いな。いつも気を使わせて」
「そう思うなら最初から一人で出かけないで下さい」
ふっと鼻で笑うと、ギーの視線が更に険しくなる。
「別にスージのところならいいだろう」
「駄目です。例え誰のところであろうとも、お一人で行くのはおやめ下さい」
「……やっぱり駄目か」
「当たり前です」
言いつつギーが肩を竦める。言いたい小言が山のようにあるのだろう。頭の中でどの小言を言おうか吟味している最中なのかもしれない。
雪の舞い散る中、天候のせいかいつもより少ない酔客たちがすれ違っていく。
ふいに、急に酒を煽って口を噤んでしまったスージのことを思い出す。本当はもっと何か言いたいことがあったのではないのだろうか。
伝言だけならば、わざわざ屋敷に呼ばなくとも出来たはずだ。
スージはスージなりに何かを伝えたかったのか、それとも何かを知りたかったのか。
そして今ここにギーがいるということは、ギーはスージにそれなりの警戒心を抱いているという事の表れなのかもしれない。
そんな風に少しずつ互いの思惑を伺わなくてはいけない時がくるなんて、幼かった頃には想像すらしていなかった。
永遠に四人とは友情を育んでいけるものだと、信じて疑わなかった。