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王子様の恋  作者: 来生尚
巫女こもごも
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 恋とか愛とか。

 そんな甘ったるい関係だったら、いっそ良かったのかもしれない。

 表面上を取り繕う為に、どんどん拗れていくこともあるって事、全然わかってはいなかった。

 同時に俺自身「恋に恋している」状態だったのかもしれない。

 その姿、その声。微笑み。

 触れる事は叶わなくとも、ただそこに彼女が存在し、俺に微笑みかけてくれる事が嬉しくて舞い上がっていた。運命なんて後押しや、微かな手ごたえという名の自信もあった。

 それが見えるものを見えなくしてしまったのかもしれない。

 だとしたら、本当に俺は愚かだったのだと思う。

 好きだという気持ちが大きかったから、かっこつけてばかりいた。本心を上手く隠そうとしてばかりいた。

 それと同時に、彼女の巫女としての評価を俺自身さえもかなり低く見積もっていたのも災いしたのかもしれない。

 そして、また一つ歯車が動き出す。


 父王の依頼を受けての神殿訪問は、正直言って二度とこの季節に神殿に立ち寄るものかと思うくらいの雪、雪、雪。

 あとから聞いた話では、たまたま訪ねた日の辺りが特に雪が降り積もったらしい。

 ものすごくわかりやすい嫌がらせを受けたのだと、王都への帰り道に気付いた。天候を自在に操れる水竜は、俺という訪問者が気に入らなかったようだ。

 結果、かなり薄着の巫女の正装を着なくてはいけなかった彼女に大変な思いをさせてしまって、申し訳ない気持ちになる。

 その日、少し遅れてやってきた彼女の唇は真っ青だったし、肌は寒さで鳥肌が立っている。

 暖を取れるように手を貸してやりたくとも何も出来ない自分に、歯がゆさを感じざるを得ない。

「本題は何かしら?祭宮さま」

 突然の訪問の理由を聞くべく、神官長が切り出してくる。

 ほんの少し前まで表面上は和やかに世間話に興じていたというのに、切り替えの早い事だ。

 巫女である彼女よりもずっと体が弱い神官長にも、この寒さはかなり堪えるだろう。出来ることならば、このような無理をさせたくなかったな、この人にも。この後寝込むようなことにならなければいいが。

 表面上は二人とも笑顔を浮かべているけれど、内心では予定外の訪問者に快い感情は抱いていないだろう。だからこそ、早々に用件を切り上げたいのかもしれない。

 実際、神官長にはまたしてもチクチクやられる羽目になった。

 わーるかったよ。俺だって来たくて来たわけじゃない。

 心の中で呟いたけれど、口に出すのは憚られる。

 嫌だと思いつつもこの時期に神殿を訪問したのは、王座に興味は無いと言いつつも、真に王の器にあるのは誰なのか、俺自身も聞きたかったせいもある。

 暫定王太子の兄貴、全軍の指令権を持つ大将軍たる兄上、そして祭宮の俺。

 先を見通す事の出来る「瞳」を持つ水竜には誰が適任だと見えるのか。本当に王座に座るべきなのは誰なのか。

 王宮内のごたごたを解決できる糸口としてという使命感とは別に、個人的興味がそそられ、水竜の神託を待つ。

 期待を込めて巫女である彼女に尋ねたのに、答えは全く予想もしていなかったような期待外れなものだ。

「水竜は王家の方々が行う『政』には一切干渉いたしません。お忘れではないですわよね、祭宮様」

「しかし、それはご神託とは言えないのでは。それでは、私をこちらに参らせた陛下や王太子殿下のお心にお応えすることが出来ません」

 非難するつもりはないが、質問に対する答えとしてそれは的確ではないように思えた。

 王太子である兄貴を次の王として、水竜は認めるのか。応か否か。答えはそのどちらかしかないはずなのに、肩透かしもいいところだ。 

「二度は申しません。また、水竜はそのご神託を曲げる事はございません」

 それが答えか。

 落胆の溜息が漏れるのを隠す事が出来なかった。

 わかっていた。わかっている。祭宮が政治に関わらないのと同様に、水竜もまた一切政には関わらないのだと。

 それでもこの国は水竜によって統べられている国でもある。

 もう一人の支配者である「国王」を認めるのかどうか。そのくらいの意見は持っているのではないかと思ったのに。

 このような返答を想定していなかった俺の思慮が足りなかったのか。結局は無駄足か。

 王宮に戻ってからどのように報告しようかという考えが過ぎった時、思いも寄らない人物の思いも寄らない言葉で現実に戻される。

「巫女。そうおっしゃらずに、もう一度水竜様に聴いて差し上げたら?」

 いや、もう一度聞いても同じだろ。巫女である彼女が二度は無いと言っているのだし。

 何故そのようなことを言い出したのか、謎というか不思議でしょうがない。

 けれどチラっと視線を感じ、その視線が俺の上で止まる。

 姫は姫なりの何らかの意図があるということだろうか。

「いいえ。二度はありません。そうおっしゃるのは、私を、そして水竜を疑っていらっしゃるという事でしょうか」

「わたくし、そんなつもりで申し上げたのではありませんわ。巫女はわたくしがどれだけ水竜様をお慕いしているかお分かりにならないから、そんな事が言えるのだわ」

「では今の言はどういった意味だったのでしょうか」

「神官長様は水竜の言葉を信じている。しかし巫女である私の言葉は信じられない、そうおっしゃりたいのですか?」

 その問いに口篭ってしまった神官長の代わりに否定をしなくては。

 神官長だってそんな風に疑っているから「もう一度」と言ったわけではあるまい。何らかの意図があったから切り出したはずだ。そこまで浅はかな人間じゃない。

 しかしこのように口篭ってしまえば、彼女の言っていることを認めてしまうことになる。

 だが下手に横から口出しをしても、取り繕っているだけだと思われないだろうか。俺だって神官長だって、ちゃんと巫女として認めているのだと、どうやって言えば伝わるだろう。

「私はこれで失礼致します。ご神託は以上ですから」

 悲しそうな顔の中には失望の色と涙が見える。

 傷つけてしまった。俺の思慮が足りずに水竜のご神託を求めに来てしまったが為に、彼女の心に深い痛手を負わせてしまった。

「巫女様。ご不快な思いをさせ……」

 立ち上がり部屋を出ようとした彼女に伝えようとした言葉は、すっと上げられた手によって遮られる。

 何もかも圧倒するかのような雰囲気が彼女から漂いだす。

 それは今まで見たどんな彼女とも違う表情で、その瞳からは涙の色は見えない。

 ここにはいない何かを見つめるかのような遠い瞳なのに、強い意志が内在しているようにも思える。

 ふいに部屋の中に風が起こる。

 準備のいい神官が彼女の為に扉を開けたのかと目を凝らすけれど、決してそんな事は無い。

 一瞬目を離したその隙に、彼女の瞳の色が見たことの無い色に変わっている。

 --蒼。

「立ち去るがよい。その顔、当分見たくもない。立ち去れ」

 誰の声だ。

 確かに目の前の彼女から発せられている声なのに、違う。全く別人の声だ。

 高くも無く低くも無い。女性のものでも、男性のものでもない。まるで変声期前の子供の声のような甲高さ。

 ぞわっと全身に寒気がする。

 本能的な恐怖に足が縫い付けられた。決して強い視線ではないのに、それを拒む事が出来ないような威圧感。これは彼女じゃない。

 しかし理性がその言葉を形にする事を拒む。

 そんな事は有り得ないんだ。

 けれど冷や汗が止まらない。蛇に睨まれた蛙のように、視線を逸らすことも体をぴくりと動かす事も出来ない。

 まさか、ルデアの言っていた……。

「君が望んで選んだ道だ。その責を他者に負わせるような言動は慎むといい」

 俺から視線がずれ、神官長に向かって彼女が微笑みかける。

 まるで聖母のような笑みなのに、どことなく冷たさが同居している。その理由を認めてしまうことを、心が拒絶している。彼女が彼女じゃないように見える理由、それは。

「すいりゅうさま?」

 あどけない少女のような声で神官長が問いかける。

 拒絶していた事実を、神官長が肯定してしまう。頼むから違うと言ってくれ。

 ふわっと花の零れるような笑顔で、恋しい相手を見つめるかのような視線で、嬉しくて嬉しくてたまらないというのを神官長は全身で表現している。

 こんな顔、今まで俺は見たことが無かった。

 神官長になる前に言われた「馬鹿げているとお思いになられるかもしれませんけれど、わたくしは水竜様が恋しいのです」という言葉が事実であると、まざまざと見せ付けられる。

 一生懸命、水竜であろうと認識した巫女相手に普段よりも幾分高い声ではしゃぎながら語りかける姿は、まさに恋をする少女そのもの。

 神官長の豹変を見つめていると、ふいに視線を感じて再び巫女である彼女のほうへと目を向ける。

 高貴なとしか表現しようのない雰囲気と、内から溢れ出る自信。

 その全てが本来の彼女とは違う。

 重なった視線が逸れる瞬間、彼女の口元が笑みを浮かべる。まるで嘲るように。

 それを見て核心した。これは、彼女じゃない。と。

 膝を折りたくなるのも、頭を垂れたくなるのも、彼女じゃないからだ。けれど、それを認めてしまいたくない。それに仮に彼女ではない生き物だとしても、俺がソレに平伏す事は許されない。

 奥歯を噛み締め、睨みつけるように彼女の中にいるモノを見つめる。言葉を紡ぐ事は出来ずに。

「水竜様、こちらにおかけになって下さいな。わたくし沢山お話ししたいことがあるの」

 神官長の声が急に脳裏に鮮明になって届いてくる。

「おやめなさい」

 咄嗟にその手首を掴んで伸ばしかけた指を止める。

 何故そうしなくてはならないのかわからないが、今の彼女に触れてはならない。本当に中身が水竜ならば尚更に。決して信仰心なんて持ち合わせてはいないけれど、畏れ多いと感じる本能が心の内から湧き上がっている。

 制した俺の手から逃れるように腕を振り回し、身を捩る。

 乱心と言ってもいいような豹変。これを止められるのは俺しかいない。

 神官長がここでただの「恋する女」に成り下がっては、今後の神殿運営にも関わるだろう。

 いや、そうじゃない。こんな馬鹿馬鹿しい話、あるわけが無い。

 目の前にいるのは水竜なんかじゃない。ただの巫女だ。

 なのに神官長はまっすぐに頬を染めて水竜だと思い込んだ相手への想いを隠しもせず、駄々を捏ね続ける。

「わたくしは水竜様とお話しがしたいのよ。誰も邪魔しないで!」

 幻でも会いたいほどに?

 入れ物が違っても、水竜であると願ってしまうほどに?

 俺には見せなかった視線、態度。

 そんなに必死になるほど会いたかったのか、水竜に。

 落胆? いや、違うな。けれど言いようの無い空しさで心が一杯になる。

「神官長様、どうぞおやめ下さい。あなたの目の前にいるのは水竜ではありません。あなたの目の前にいるのは、あなたがご神託を聴き次代の巫女にと選ばれ、今は巫女であらせられる方です」

 認めることは出来ない。

 目の前にいるのは、俺が巫女にしたサーシャという名の村娘。

 決して水竜なんかではない。

 もし目の前にいるのが水竜そのものだとしたら、その命が奪われてしまうじゃないか。そんなのは嫌だ。受け入れられない。

 それに憑依なんて奇跡、容易く起こるわけが無い。

「そうですよね、巫女様」

 念を押すように、彼女に向き直る。

 肯定してくれ。心の底から願わざるを得ない。それを認めてしまったら、水竜の奇跡を目の当たりにしてしまったら……。

 蒼の視線とぶつかる。

 じーっと値踏みするかのように静かに見据えるその瞳を見つめ返すと、ふわっと彼女の目元が緩み、張り詰めていた空気が緩む。

「私に出来るのは、ただ水竜のお言葉を伝えるだけです」

 彼女の声で、彼女の言葉で聴こえた言葉にほっとした瞬間、その体がゆっくり傾いていく。

「巫女様!」

 数歩先の彼女へと手を伸ばし、その体を腕の中に受け止める。

 どさりと倒れてきた彼女は意識が無いようだ。 

「ササ……? マジかよ」

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