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王子様の恋  作者: 来生尚
巫女こもごも
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 王宮に戻ると、あの神官長の嫌味さえも可愛いものに思えてくるような情報戦やら心理戦が繰り広げられていた。

 それに巻き込まれる気もないのだけれど、どうしても王宮を住まいにしている限り、否が応でもその中に引きずり込まれる。

 もしも仮に俺が玉座に座る日がきたら、公の部分と私的な部分は物理的に切り分けよう。私室にも大臣たちが押しかけてきて、気の休まる時が無い。

 あれやこれやというジジイどもの話を聞き流し、坦々と日々の業務をこなしていく。

 こなすと言っても、今回はご神託を貰いに行った訳ではないので、新たに報告書を作成するといっても紙1枚と口頭で済ませられる程度のものでしかない。

 更に大祭も終えた後なので、差し迫って処理を進めなくてはならないような案件が溜まっているわけでもない。

 ただ収穫期で税の関係や寄付の関係の書類の数は多い。まあそれに関しては来るものは拒まずという感じで、おかしな額でもない限り判を押すだけだが。

 だからこそ、大臣やらその下っ端やらがここに押しかけてくるのかもしれないが。

 留守の間にルデアが処理をしておいた書類に目を通し、片っ端から承認印を押していく。文字の羅列を読み続けて判を押すだけの作業。

 やばい。眠い。

 ふうっと溜息を吐き出すと、コホンとルデアが咳払いをする。

 わかってるよ。もうちょっと読めばいいんだろ。

 フンっと鼻から勢いよく息を吐き出してから再び書類に目を向ける。5枚綴りのこれは、どっかの街からの要望書らしい。祠の老朽化に伴う修繕の必要性について長々と書き連ね、最後は援助をといったところだ。

「ルデア」

「はい」

「祠の修繕というのは頻繁に行うものか。平均的に何年に一度と決まっているものなのか」

 鎖で繋がっている眼鏡をかけてから、ルデアが目の前の書類に指を指す。

「この街は沿岸部ですから、潮風を受けて通常よりも痛みが早いのは事実ではないかと思います。また修繕と一口に言いましても、小規模な補修なのか、それとも大規模修繕、簡単に言えば建て替えになりますが、そのどちらのかというのも判断の材料にしたほうが宜しいかと思います」

「なるほど」

 ってことは、その辺りを少し勉強して自分なりに解釈して答えを導き出せというわけだな。あと、もうちょっと文章をちゃんと読めと。

「ではこの案件に関しては、最終判断は俺がしても構わないということだな」

「……殿下。殿下のところに上がってくる全ての書類の決裁権は殿下ご自身にあります。どんな些細だと思われるようなことでも、殿下がお決めにならなくては意味がございません」

 ルデアの言葉に背が伸びる。

「わかった。ではルデアはこの件に関してはどのように思うのか意見を」

 手のひらを上にしてルデアに意見を述べるように促すと、ルデアはゴホンと咳払いをして部屋の中を見回す。

 部屋の中には数人の文官と女官それとギーがいるが、その誰かに聞かれたくない話があるとでもいうのだろうか。どこかの街の祠の修繕の問題が。

「長くなりますよ」

 感情を一切廃した声で述べるルデアに頷き返す。

 窓の外を眺め、傾きだした陽の光を見つめる。朱色の光が部屋の中にも差し込んでくる。

「業務終了時刻になってしまうな。この話は後日のほうがいいかな」

「残業手当をつけて下さるのならご説明致します」

 わかったよ。ったくもう。

「お前とギーは今日は残業決定。他の者は時間を見て帰っていいよ。後は全部この二人にやらせるから。遅くまで付き合わせて悪かったね」

 クスクスと笑い声が女官から上がり、ギーが眉を顰めるが、女官たちは全くもって気にする素振りはない。

 文官たちは手にしていた書類を各々の業務用の机に片付け始めたり書棚に戻したりと、閉め作業を始める。

 ルデアはルデアで自分用に宛がわれている机の上の大量の書類をファイリングすることに勤しんでいる。今は全く話す気が無いらしい。

 人払いをしてまで話したい話とは一体どんな話なんだ。全く想像がつかない。

 とりあえずはきちんと書類を読み込んでおこう。


 空に星が瞬きだした頃、応接用にと備え付けられたソファに俺とルデアとギーの三人が座る。

 テーブルの上には軽食とルデアが用意したお茶が置かれている。まだまだ酒を飲む時間ではなく、業務の休憩程度のようだ。

 もしくは頭をクリアにしておく必要があるというルデアの意思表示だろう。

「で、あの街の修繕に関して含みを持たせた意味は何?」

「書類はお読みになられましたか」

「ああ、読んだよ。別にこれといって疑問を持つようなところは無かったが」

 眠い目をこすりながら最初から読み返し、整合性の取れないところは無いか、過剰な要望ではないかどうかなど自分なりに分析をしたつもりだ。

 今現在使えないわけではないが、水竜の祠の一部に亀裂が入っているので、出来ることならば亀裂の補修ではなく祠の建物そのものを作り直したいと言う事。それにはかなりの金額が掛かりそうなので王家からの援助を求めたいのだが、無理ならば納税額を多少減額して貰えないかというもの。

 それ自体、取り立てて神経を尖らせる必要が無いように思える。

「税の減額もしくは祭宮からの援助。それを求めているのがどこの領地のどこの街か。ちゃんと考えましたか」

「いや」

「せめてどの地方にある街かはわかっていますよね」

「西方だろ」

 はーっと吐いた溜息に、ルデアが呆れている事がわかる。

「結論から申し上げます。現在の情勢で特定の領主への税の優遇や援助は第一王子や国王陛下への叛意を持たれていると他の勢力に思われる可能性がある事も十二分に考慮されていらっしゃいますか」

 思わず鼻で笑ってしまった。

 それをギーが咎めるような顔で見たが、視線を合わせただけで口を開こうとはしない。

「そんな事を気にしていたら、祭事を預かる祭宮として必要な援助や支援を行う事すら出来やしない。馬鹿馬鹿しい。王宮内の勢力争いに民を巻き込むのは愚かではないのか」

「そういう理想論は通用しないのです。あなたが水竜の神殿に参拝に行った事で、水竜を後見につけて巻き返しを図ろうとしているのではないかと疑われているのです。そこに更に特定の領主への優遇があれば、自勢力の拡大を狙っていると思われても仕方ないのですよ」

 くだらない。誰がそんな事を考えているというんだ。

 けれどそうやって他人の揚げ足を取ったり、裏の裏を考えているのが王宮に出入りする貴族たち。自分が腹黒いから、全員腹黒いと思っているのだろう、きっと。

 だが、そんなことで痛くも無い腹を探られるのも後々のことを考えると厄介だ。

「では王太子指名が公になってから、金銭が関わる件に関しては処理する事にしよう。それで構わないね、ルデア」

「はい。ですので、そういった案件に関しましては全てこちらで一旦保留とさせて頂きます。こちらが水竜の祠や祭事などに関してなど断りにくいとわかっているものを領主たちが意図的に上げてきている可能性も否定出来ませんので」

「頼んだよ。ルデアが事前に切り分けてくれると、助かるよ。ありがとう」

 ルデアは鼻でふっと笑うだけで、何も答えようとはしない。

 その代わりにギーが口を開く。

「しかしもう少し落ち着くかと思いましたが、一向に状況は改善されませんね」

「だーなー。兄貴が次王に指名されてからのほうが水面下の動きは活発化しているようで、意味がわからないな」

「意味? そんなの簡単ですよ。皆権力の甘い蜜が吸いたいだけですよ。俺みたいにあなた専属秘書官で収まって満足している上昇志向の無い人間には無縁ですが。ギーだって出世しようと思えば、近衛連隊長ごときではなく、もっと上の地位に立てるはずですよ」

 ルデアに言われたギーは肩をすくめる。

「手のかかる王子様から目を離すと何をしでかすかわからないので、自分はこれでいい。お前だってそう思っているから方々の誘いを蹴っているのだろうう」

「まあ、そうですけれどね」

 ぶっきらぼうに言い放つルデアと、さも当然とふんぞり返るギーが可笑しい。

 可笑しくてクスクスと笑い声が漏れるのを、二人して呆れ顔で見返してくる。

「今、すっごく自分が貶められているって理解されていますか? 覚悟が足りないだけではなく、少々おつむも足りなかったのではないかと心配になってしまうのですが、大丈夫ですか」

 ルデアのそんな毒舌が心地いいと言ったら、更に呆れられるのだろうか。

「いや、俺って愛されているなと思ってさ。覚悟が足りなくておつむが足りなくても、お前たちは俺から離れていかないんだろう」

「もう一つ付け加えて下さい。能天気だというのも」

 頭を抱えてルデアが言う。酷い言われようかもしれないけれど、閉鎖された空間でなら昔と同じように対等に言いたい事を言ってくれる友が傍にいてくれる事がありがたいと思う。

 こうやって足りないところを指摘してくれる人間が傍にいなくなったら、多分俺は腐っていくだろう。傲慢で鼻持ちなら無いヤツになっていたに違いない。

 自制するためにも、自戒するためにも、苦言を呈する者というのは必要だ。


 なるべく巻き込まれないように、ルデアの助言を元に先送りできる案件は先送りにし、貴族たちの話は聞き流してきた。

 しかし状況はあまり改善されず、ついに父王が動き出す。


「お呼びでしょうか、陛下」

 玉座の前に膝を付き、冠を頂に載せた父と対峙する。

 最近やたらと王冠を持ち出しているという話を聞いていたが、本当だったのか。もう何年も王冠なんてお蔵入りしていたというのに。

 王の権威の無さを気に病んでおられるようですと言っていたのはどの大臣だったか。覚えていない。

「祭宮。そちに一つ頼みがある」

「はい」

 顔を上げて正面から父王を見据えると、すいっと視線が逸らされる。けれどこちらは決して逸らさず、父をまっすぐ正面から見つめ続ける。

 長い長い沈黙。

 わざわざ「祭宮」を呼び出して伝えたかった頼みとは。祭宮に就いてから、一度もそのように言われたことなど無かった。祭宮にしか出来ない頼み事など、皆無といっても過言では無い。

 政には関わらず、祭事を執り行うのが祭宮。

 出来ることといっても、祭事の大半は水竜の神殿に丸投げで、書類の判を押す事くらいしかやる事なんか無いんだが。

「ご神託を、水竜の神殿で貰ってきてもらいたい」

「ご神託をですか。構いませんが、どのような件に関してでしょうか」

 前回水竜の神殿を訪ねてから数ヶ月。収穫期も終わり、豊作への感謝の挨拶も済ませた。季節は冬。この時期には通常わざわざ雪深い神殿を訪れたりはしない。

 そんな時期にご神託をというのは、何か切羽詰った事でもない限り有り得ない。春の挨拶までは神殿には行けないと思っていたのだが。

 冬の寒さも例年と変わらず、地方でもこれといった災害なども起こっていないと記憶しているが、こちらに情報があがってきていないだけで、どこかの地方で天候が厳しく人々の生活を脅かしているところがあるのだろうか。

 再びの沈黙の間、様々な情報を記憶の糸を手繰り寄せて照会していく。しかしご神託に結びつくようなものはどこにも無い。

 よく観察すると父王の額には汗が滲んでいる。この肌寒い時期に。

 いくら王の正装を身につけているとはいえ、汗ばむほどの厚着ではない。

 ということは、言いにくい何か。だな。

 普段なら父王の傍で執務にあたっている文官たちもおらず、大臣も一人も列席してはいない。外部に漏らされては困るような、内密にしたい「何か」があるって事か。

 しかし最近やたらと父王の脇で偉そうに踏ん反り返っているという兄貴も従えていない。

 知らず知らず、ごくりと唾を飲み込んでいた。

 兄貴にも知られたくない、何か。それは……。

「次の玉座、を、誰に与えるのか。わたしの決断が間違っていないのか」

 消え去りかけた小さな声。

 その答えを水竜に求めるのか。

 脱力せずにはいられなかった。けれど臣下の礼をとり「畏まりました」とだけ告げ玉座を去る。

 それ以上の言葉を父王から聞きたく無かったからかもしれない。


「行くんですか」

 旅支度を整える俺の背後からルデアが声を掛けてくる。

 振り返りつつその顔を伺うと、その瞳はルデアらしくもない翳りに満ちている。

「ああ、行くよ。ルデアも来る? 寒いけど」

 いつもならポンポンと答えが返ってくるのに、苦虫を潰したかのような顔でルデアは黙り込んでしまった。

 敢えて答えが欲しいような事でもないので、答えを待たずに防寒着を引っ張り出す。まさか祭宮になってから、軍隊仕様の防寒服を着る羽目になるとは思ってもいなかったな。

 それだけ父上も必死だという事なのだろう。

 分裂して勢力争いを繰り広げる貴族たちの動きを抑えるのに、最も効果的と思われる「水竜のご神託」を得たいが為に。

 しかし理解出来ない。

 何故兄貴を指名してからこの騒ぎが起こったのか。

 それとも俺が気付かないだけで、ずっと水面下ではこういった動きがあったのだろうか。

「……ギーが行けないのですから、俺が行くしかないでしょう」

 溜息交じりにルデアが呟く。

「ルデア?」

「行きますよ。水竜の神殿。あなたの供をギー以外の人間に預けるのは心許ないので」

 クスクスと俺が笑い声を漏らすのを、ルデアは気にするそぶりも無く、ゆっくりと頭を下げて部屋を後にした。

 ギーが腕を組んだままルデアが消えた扉を見つめて溜息を吐く。

 何か思うところがあるのかもしれないが、その件について口を開くつもりは無いようだ。

 窓の外には雪が舞っている。

 新年の宴も何もかも放って出かけるなんて、腹黒狸たちにはどのように見えるのだろう。

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