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王宮を離れれば気が楽になるかと思いきや、これはこれで針のむしろだ。
目の前に座る水竜の神殿の最高責任者(最高権力者と同義ではない)の神官長は明らかに不機嫌そうな顔をしている。
まあ、当たり前と言えば当たり前なのだが。要望を断りにきたのだから。
綺麗な顔を明らかに歪ませて、それなのに優雅さも持ち合わせた笑みを浮かべているのが恐ろしい。恐ろしいというか凄みがある。
美人が怒ると怖いって言ってたのはスージだったか。
「祭宮殿下」
「何でしょう」
「何でしょうではありませんわ。わたくしの話をちゃんと聞いてくださっているのかしら」
珍しくムキになっている神官長に釣られても仕方がないので、極力心中を悟られないように、いつもと同じ笑みを浮かべる。
「当たり前ですよ。神官長様のお言葉を聞き流すような事をするわけがないではありませんか」
はははと笑い声を付け足し、出されて飲み頃になっているお茶のカップに手を伸ばす。
一口飲むと乾いた喉が潤され、一息ついたことで改めて余裕が出てくる。
こちらとしては決定事項を覆すつもりは無い。なので改めて議論する余地は無い。ただ否と返答しにきたに過ぎないのだから。
書簡で拒否を示しても良かったのだが、それはさすがに神殿に対し非礼であろうと判断したからこちらに来ただけだ。
ついでに彼女の顔を見て帰れば、それでいい。
ただ彼女は奥殿に行っているようだから、そうすぐには来ないだろう。それまでの間、延々と神官長から寄付金を増額しない事に対しての不満を言われ続けるのか。それはそれで面倒だな。
不快だとは思わない。それは立場の違いからくる意見の相違でしかない。
平行線の不毛な議論を長々と続けて嫌味の応酬をする事が面倒で、時間の無駄だとしか思えない。
しかしそれが彼女に会う為の試練なら受け入れようじゃないか。
おおっ。こう考えるとすっげえ前向きだな、俺。
しかし会ったら会ったで、この間怒らせた事を謝ったりしたほうがいいのか。でもなあ、何で怒ってたかさっぱりわからないんだよな。表面上取り繕っても仕方が無いし、それに表立って祭宮と巫女が言い争いをしたわけじゃないし。
難しいところだな。彼女の出方を見るか。
いやー、でも本音をポロポロ漏らすとも思えないんだよな。完璧な巫女を目指している彼女だから。
大体弱音くらい聞いてやるって言ってるんだから、思うことがあれば言えばいいと思うんだ。
生真面目で完璧主義な彼女が神官長を筆頭に、神官たちに何か愚痴を漏らしたりするとも思えない。恐らく四方八方敵だらけとは言わないが、常に気を張った生活を強いられている事だろう。
俺には本音を漏らして甘えてくれたらいいのにな。
って、そんな事考えちゃってる俺って超恋愛モード?
くくくっと笑みが漏れる。
何しにきたんだか。お仕事に来ただけで、彼女に会いに来たわけでもないのに。それなのに浮かれてんのは単純すぎるな。
「何を笑っていらっしゃるの」
目の前のお姫様の存在を忘れていたわけではないのに、ついつい考えが浮ついた方向に流れてしまった。
ああ、やばいやばい。目が完全に据わっている。
コホンっと咳払いをして、神官長へと作り笑いを浮かべる。
「いいえ。久しぶりに神官長様とお会いできてお話が出来て、会話の内容がどのようなものでも嬉しく思い、自然と笑みが零れてしまいました」
「それが真実でしたら、とても素敵なことですわ、殿下」
おほほほほと上品な笑い声を上げる神官長は、絶対にそんな事はないという事を確信しているようだ。まあ、事実だが。
ただ表面上は非常に穏やかに笑いあって話をしているので、神官たちから見たら、非常に和やかに見えることだろう。
「何せ普段はむさ苦しい連中に囲まれて生活をしておりますから、神官長様のようなお美しい方といると、心が和みますね」
「まあ、お上手ですこと」
おほほほほという笑い声と、俺のはははという笑い声が重なる。
すっごく嘘臭い笑い声の合唱だ。
何で俺、どこに行っても腹の探りあいしてるのだろうな。たまには腹の探りあいなんてしないで、心からの笑みを浮かべてみたいものだ。
ま、このお姫様相手じゃ無理だけど。
生まれた時からの婚約者で従妹で、先の巫女で今は神官長。本音なんか言えるわけもない。最も神官長だって俺にそんな事を求めてなんていやしない。
「話が逸れてしまいましたけれど、わたくし共と致しましては、王家の神殿への忠誠をお金で測るわけではありませんけれど、寄付の増額をして下さると今後の神殿運営が非常に円滑になると思っておりますの」
断ったのに、全然聞いてないな。めんどくせえ。
途中で話の腰を折ることはせず、神官長の出方を見ることにする。
「先だっての大祭の折には、思いのほか費用が必要になってしまいましたの。祭宮殿下の広いお心をお示し頂けると嬉しく思いますわ」
広いお心っていうよりも、広い懐だろ。早い話、金を出せと。
すぐには答えず、ふーっと息を吐いて考える素振りをする。結論なんてここに来る前に出ているけれど、一応考えるポーズ。
こうやって断りに来ただけでも神殿への敬意は十二分に払っているつもりだが、伝わってるわけないな。
怒らせないようにってのは、きっと無理だよな。
「お申し出はわかりましたが、王家としてはこれ以上の寄付は致しかねます。申し訳ございませんが」
神官長がこれ見よがしに溜息を吐き、不快感を露にする。これはこれは好戦的なことで。叩き潰すのは簡単だけれど、後々の事を考えると面倒だな。
形だけ、さも心から申し訳ないと思っている風に顔を作り、更に言葉を続ける。
「現状王家としては水竜様のご神託に基づき、領土全域で備蓄を増やす方向で動いております。改めて予算立てするとなると、そういった部分から削る事にもなりかねませんので、水竜様の御意向に反する事になるのではと思いますが、神殿の皆様はどのようにお考えでしょうか」
水竜のご神託。普段は大っ嫌いなフレーズだけれど、こういう時は心地良いな。
あいにく信仰心なんてものを持ち合わせていないので、普段は面倒なだけでウザイだけのご神託だけれど、神殿の連中にはこれ以上の切り札はあるまい。
この辺で引いていただけると、関係性が険悪なものにならずに済むのだが。
さあ。どう出る。
「まあ。そんなに王家は、国家は困窮していらっしゃるの? 民の為の備蓄を削らなくては追加予算が出せないほどに」
ふーん、そういう切り口から来るか。
それは徹底的にやっても構わないという宣戦布告と取られても仕方ないのでは。
何故か口元に笑みが浮かぶ。
相手を言いくるめるのが楽しいわけでも、これから苦虫を潰すことになるであろう相手を想像して喜びを得ているわけでもないのだが。
「欲しいと言えば、何でも通るとでもお思いで? 全く神殿の方々は世間知らずでいらっしゃる」
鼻で笑ってしまったのは、本心が透けてしまったからだ。その辺りはもう少し精神修行が必要かもしれない。
「この広大な大陸を治めるという事は、行き当たりばったりでの統治では全国民の生活を保障していくことは不可能です。予め税収を計算し、そこから支出を予測し予算立てしていく。そうやって我々は国家運営をしているのです」
「そのような講釈、今更していただかなくても存じておりますわ」
「予算というのは国家の基盤です。王家として、神殿に対し毎年一定の寄付を行っているのも、国民からの税収によるものです。寄付を増やせというのは、それは即ち国民への負担を増やせという事と同義であるという事はご理解いただいておられますか」
「……ええ」
苦虫を噛み潰したような表情をする神官長を見ても、何の感慨も湧いてこない。
こういう言い方をして申し訳ないとも思わないし、婚約者の姫を追い詰めるような言い方をする事に罪悪感も感じない。可哀想だとも、何とかしてその意図を通してやりたいとも思わない。
従わせるのみ、だ。
「そしてもう一点。神殿というのは元来王家から手の離れた自主独立を基本とした組織です。しかしこれ以上の金銭的負担を求められるのであれば、残念ですがその財務に対して不審を抱かずにはおられません。こちらから会計士を送ることも考えなくてはなりませんが」
嫌だろう。絶対に王家の支配下になど置かれたくあるまい。
答えなんて聞く前からわかりきっているので、敢えて返答を待つ気もしない。
「別に貸借対照表を出せとか、そういう細かい事を言うつもりはありませんよ。今年は大祭の礼拝の回数も多く、去年よりも拝観料の収入も増えている。新巫女誕生で新調したものも多かった昨年のほうが支出は多いはずです。それなのにこのような結果を招くということは、神殿内での予算や支出に関する精査が足りないという事ではありませんか」
畳みかけ、ふうっと溜息を吐く。
視線が合うと、神官長の目は笑っていない。表面上は穏やかな顔をしているけれど、腹の中は煮えくり返る思いだろう。
やり込めたからって、別に嬉しくも無い。
寧ろよくまあ婚約者の女性にここまで非情になれるなと、我ながら関心する。
以前はそれなりに心情を慮ったりもしたし、年月を重ねるごとに情が生まれていくのだろうと思っていた。そして共に肩を並べて歩いていくのだろうと。
けれど今俺の中には、そういった少しでも目の前の神官長と心を添わせたいと思うような気持ちが生まれてこない。
敵だとは思っていない。ただし味方だとも思っていない。
王宮の中に巣食う権力欲にまみれた連中たちと対峙する時と同じような緊張感を持って接するだけだ。ってことはさ、全くもって気の抜けない相手って事だ。
神官長との間には見えない溝が年々広がっていくように思う。
婚約者である目の前の姫君が俺を裏切ったからなのか、それとも俺が心変わりしたからなのか。そのどちらのせいでもあるのか。以前には多少なりとも本心や本音が会話の中に透けて見えたものだけれど、今は全くの社交辞令しか見えてこない。その分岐点はどこにあったのだろう。
長い長い沈黙の後、神官長は深い溜息を吐く。
「……わかりましたわ」
俺が折れないのがわかったのだろう。
大体もう何十年も同じ金額しか出していないのだから、こういう結果になるのはわかっていただろうに。俺が先の祭宮に比べて若造だから何とかなるとでも思っていたのだろうか。
不快だとは思わないが、もしそうならば浅慮だなと思う。神官長ではなく、神殿という組織が。
王宮内も複雑に様々な組織が絡み合っているが、神殿もまたかなり複雑で細かく部門分けされている組織であると思う。その中の最高責任者は神官長だが、その下には各部門に長がいて、その頂点たる長老もいる。各長たちが何を考えてこういう結果を出し、尚且つ神官長から俺に働きかけるようにと動いたのだろう。どのような議論の後にこの結果が導き出されたのか。
「わざわざご足労頂いたのに、実のある話にならず申し訳ございませんでした、祭宮殿下」
嫌味か。それは。もっとも仮に嫌味であったしても、可愛らしいものだ。腹を立てるような類のものでもない。
ふっと頬をほころばせ、神官長に笑いかける。
「気にしておりません。文書で済ませることも出来ますが、このような機会を設けるほうが相互理解を深める事が出来るかと。それに神官長様や巫女様にお会い出来る貴重な機会を頂けた事を感謝しております」
「本当に祭宮殿下はお上手ね。わたくしが王宮にいた頃からお変わりにならないのね」
少しだけ張り詰めた糸が緩んで、神官長の肩に入った力も抜けている。ふわりと浮かべる笑みは本当に優雅そのものだ。絵に描いたような「お姫様」だな。
綺麗なお姫様はもう苦渋に満ちた表情なんて浮かべない。自分の中にはそういった醜い感情は一切存在しないとでもいうかのように。
「そういえば巫女はまだ奥から戻ってこないのかしら」
「お忙しいのでしょう。巫女様に急ぎの用事があるわけではありませんから、別に構いませんよ」
どうせ俺が来るってわかってて、あの化け物が俺に会わせないように画策しているのだろう。
気にしていないと神官長に微笑みかけると、神官長もまた笑みを浮かべる。
「祭宮様のお心が広くて感謝致しますわ。巫女には事前に申し伝えたのですけれど、お待たせしてしまって申し訳ありませんわ」
申し訳ないと神官長は眉をひそめるけれど、正直別にどうでもいい。
足を組みなおし、冷め切ったお茶を口に一口含み、窓の外に目を向ける。鬱蒼とした森の向こう側にある白い大理石で出来た堅牢な建物、奥殿。
一瞬だけ視界に入れただけなのに、何故か頭の中には神託が浮かんでくる。
--そこで運命にあうでしょう。
--触れるなと言ったはず。違えた約束の代償は払ってもらう。暫くその手に戻らぬと思え。
僅か数日の間に俺へと告げられた二つの神託。
一つ目は巫女になったササの事。二つ目は婚約者である神官長のことかと思っていたのだが……。俺、今別に神官長を返して欲しいなんて思ってないな。あの時は俺のだから返せと思っていたが。
疑念が湧き上がる。
水竜には一体どんな未来が見えているのだろう。