12
「あー。わかったわかった。話なら後で聞く」
回廊を渡りながら、纏わりついてきた貴族の一人を適当に振り切る。
「殿下。このようなところで申し訳ございませんが」
「わかった。お前の話も後で聞くから、執務室にしてくれ」
また一人大臣を追い払う。
ここ最近無言で歩けるためしが無い。供をしているギーに無駄口をきくなんてとてもとても出来ない空気だ。
我先にと寄ってきては何かを言いたげにまくしたてる。一人追い払ってもまた一人、また一人。今では外れの塔の一室なのに、部屋の前に貴族たちが列を成している。
祭宮の執務室には普段訪れる者などいない。
ごくごく身内とも言えるような、祭宮に「降格」になった後も離れていかなかった人間たちだけだ。
それが最近では距離を置いていた者や、元々親しくなかった者までもが訪ねてくる。
そんな日常に辟易していた。
口を開けば、次王がどうこうと。決まった事を今更ほじくり返してどうなるというのだ。ど阿呆め。兄貴が気に入らなかったのなら、もっと早く父王に働きかければ良かっただけだろうに。
これ見よがしに溜息を吐いても、不平不満を漏らす者たちには伝わりようも無い。
「失礼致します。殿下、こちらの書類にそろそろ目を通していただきたいのですが」
肩肘をついて話半分程度も聞いていなかった俺の眼前に、ルデアが書類を突き出す。
ごくごくありふれたような書類と見せかけて、これは神殿からの書簡じゃないか。
見上げると能面のような顔で、俺を見下ろしている。見下ろしているんだけれど、見下した目をしている。
言いたいことがたっぷりあると、口には出さずに顔で語るか。
「ああ、わかったよ。すまないが急ぎの仕事もあるので、この話はまた後日にしてくれるか」
禿げ上がった貴族の男に声を掛けて退出を促すと、男は額の汗を拭いながらまだ何やらブツブツと呟いているが、それを無視して書類に目を通す。
婚約者であり、神殿の神官長であり、従妹姫の自筆の書簡か。何か神殿であったか。
気持ちは既にそちらに移っているにも関わらず、男はまだ何か言いたそうに俺のほうを見つめている。
「何だ」
「殿下は玉座を欲しておられないのですか」
部屋の中に緊張が走ったのがわかる。
視界の端でギーの腕に力が入り筋肉が引き締まった事も、ルデアの眉が一気にひそめられたのも、女官たちの動きが固まったのも見て取れた。
そこまで冷静に周囲を分析出来るのは余裕があるからではなく、幾度と無くそう問いかけられた時の答えを考えていたからだ。
にっこりと笑い、執務用の机の下で足を組み、両肘を突いて組んだ手の上に顔を乗せる。
「欲しているように見えるかな」
ぎょっとした顔をしたのは、問うた本人だった。何故お前が固まる。
欲していた事も、あった。何故自分に与えられないのかと思ったこともあった。
たった一人の少女に出会うまで、俺は俺の立場の不遇を呪っていたし、二人の兄よりも血の濃い自分こそが玉座に相応しいなんて思っていたこともあった。
「もし欲しているように見えるなら、これから自分の振る舞いに気をつけなくてはならないね」
にっこりと微笑みを付け足す。
部屋の中にいる何人もの人間が一斉に俺のほうを見つめる。
この中の誰が父の、兄貴の、兄上の、息の掛かった人間なのだろう。こちらが方々に手を出しているくらいなのだから、逆もまた然りで、どこかで言質を取ろうとしているに違いない。
余計な言葉で取り繕う必要も無い。
「この椅子の座り心地も悪くは無いよ」
この椅子を暖め続ける事が俺の運命なのかどうかは知らないが。
ふいに頭の中に青い衣の裾が浮かぶ。運命、か。
「全ては水竜の御心のままに。俺が祭宮になったのもまた、水竜の御心によるものだろう」
男は腰を折るように丁寧に挨拶をすると、はあっと溜息を吐きながら部屋を出て行く。
俺をどう動かすつもりだったんだか。
くるりと椅子を回し、扉に背を向けて手の中の書類に目を向ける。
何枚かの書類をパラパラと斜め読みするけれど、これといった重要な報告は含まれていない。神殿に対しての監査を行っているわけではないので、大祭の費用について書かれているけれど、だからどうしたという程度だ。
善良なる市民の寄付による独立採算制を取っているのだから、王家からの費用負担などといった甘い考えは捨てて欲しいな。
その辺りに関して少々神官長と話し合う必要はありそうだが。
「ルデア」
腹心の文官に声を掛け、手にしていた書類を手渡す。
「少々豪華にやりすぎたらしい。追加での寄付をお願いしますだと」
パラパラと書類を捲り、ルデアが溜息を吐き出す。
「修繕等で余剰費用を使い尽くしたとありますが、どうも神殿は最近丼勘定な傾向が見受けられますので、こちらから敢えて手を差し伸べる必要は無いかと思われます」
「だよな」
「寄付の増額をと言いますが、新年及び大祭の前にはかなりの額を、とはいっても例年同じ額をですが寄付をしております。これ以上出すとなると、祭宮領からという事になりますね。王家からというのは賛同いたしかねます」
「追加で税を取るのは関心しないな。民の負担も増やしたくない」
「ではそのように先方への連絡をお願いいたします」
慇懃無礼って、きっとルデアの為にある言葉なんだろうな。
口元を歪めて笑うルデアの腹の中にはどんな思惑が溜まっているのだろう。こんなのに仕える事になった不平不満でいっぱいなのかもしれないな。仕事はそれなりにこなすけれど、俺の能力を認めてはいないのは口に出さなくともわかる。
「わかった。陛下に神殿への出張の承認を貰ってくるよ」
「畏まりました」
書類をルデアに手渡し、ギーに目配せして上着を手に取る。
さすがに国王たる父の御前に行くのに、部屋着のままと言うわけにもいくまい。部屋着といっても、まあ、それなりに小奇麗にはしているが。
華美な装飾のついた祭宮の準正装を手にし、それを持ったままルデアに片手を上げる。
「後は頼む」
「畏まりました」
返事をして恭しく頭を下げるルデアを見て、ふいにあることを思いつく。
「お前も行く?」
怪訝そうな顔をしてルデアが顔を上げる。
「それは、今、殿下のお供をしろという事でしょうか。ほんの少し前におっしゃった事と乖離した質問のように思いますが」
ルデアらしい言いっぷりに思わず鼻で笑う。
「いいや、今じゃなくて、神殿に行くかって聞いてるんだよ」
不思議そうに首を傾げ、それから今度はルデアが鼻でふんっと笑う。臣下としての礼儀だとかなんだとかっていう事を気にする男ではないのが、こういう時に良くわかる。
ギーは俺たちの遣り取りに口を挟むつもりは無いらしく、カフスボタンを留めなおしている。
「愚問です。不在の間、誰にあなたの業務代行をさせるつもりですか。大体あなたが不在にしている間にどれだけ決裁が溜まると思っているんですか。今は収穫期だから余計に税の関係やら寄付の関係やらで書類が上がってくる時期なんですよ。それなのに神殿に行こうなんていいご身分ですよね。ああ、実際にいいご身分なのは存じておりますよ。ただ直属の配下のものとして御注進させて頂けるのならば、文書で済むものをわざわざお出向きになられるというのは」
「……ルデア」
「あちらに理由をつけて行きたいのは存じておりますけれど、今神殿へと動かれるという事が他の勢力にとってどのように受け止められるのかもお考えになられたほうが宜しいのでは」
ドアノブから手を離し、改めてルデアに向き直る。
「俺の考えが甘いと?」
「ご自分でお考えになられてはいかがですか。どのような問題に波及するか、実際に体験なさるのも良い経験になるかと思いますので、お止めは致しません」
はっきりとは言わないが、行くなってことか。
ギーを横目で見ると、ギーもまた険しい表情を浮かべている。
ふうっと大きく息を吐き、それからルデアに笑いかける。それに対してルデアは持ち上げるように眼鏡を指先で触れる。
「今更俺に何が出来る。他家の養子になった祭宮。最も玉座とは遠いところにいる直系だ。王太子が事実上選出された今になって動きだす輩の真意がわかりかねるね」
「だから覚悟の足りない者だと言われるんですよ。俺から言わせればただ単純に甘いだけだと思いますけれどね」
「それは面白い意見だね。ルデアのように苦言を呈してくれる人間が傍にいるというのはありがたい事だと、再認識させて貰ったよ、ありがとう」
にっこりと笑い返すと、ギーが頭を抱えて溜息を吐き、ルデアがコホンと咳払いをする。
「そういう器の広さは悪くないと思いますが、こちらも心配しているのだとご理解頂きたいです。大体殿下はいつもいつもそうやって笑って物事をうやむやにしますが、今殿下が置かれている状況というのは非常にシビアなものですよ。王宮が分裂しているのがお分かりにならないのですか」
「わかってるよ、そんなことは」
水面下で動いていた思惑が、王太子正式発表を目の前にして表面化していること位、嫌でもわかる。だからこそ俺の部屋に千客万来なわけで。
ただ……。
「これを上手く治めるのも王者としての資質を問われている王太子殿下の為すべき事だろう。俺は関わらない」
はあっと巨大な溜息が部屋を支配する。
ルデアの言わんとすることはわかるけれど、自分が積極的に動いても何の得にもなりやしないという事もわかっている。
俺に求められているのは「祭宮」であって、世継ぎの王子としての振る舞いなんかじゃない。
「大祭以来あちらに足を運んでもいないし、こちらの事情で全く参拝をしないというわけにも行かないだろう。それにこの案件に関しては口頭であちらにお断りするのが筋だと思うが」
「……畏まりました。臣下である以上、殿下の御意思に従うのみです」
「ルデアがいるから、考えるべく立ち止まる事が出来る。言いにくいこともあるだろう、ありがとう」
にっこりと笑うと、困ったような顔でルデアが幾度も咳払いをする。
「あーもう本当にあなたって人は。幾らでも尻拭いして差し上げますから、好きにしちゃってください。全く」
そう言うと背を向けて書類棚に手を伸ばす。もうこれ以上議論するつもりはないようだ。
コホンと咳払いをして、一度手を離した扉へと手を掛け、振り返らないルデアに声を掛ける。
「後は頼むよ」
言い残してパタンと扉を閉める。
王宮の高い塔の一つにある祭宮の執務室から父王の執務室に行く為には、一度王宮の中心部まで出なくてはならない。
父は謁見の間と呼ばれる玉座の置かれた場所で執務をする事を嫌い、後宮と呼ばれる妃や子供たちの私室がある一角に執務室を設けている。
塔の階段を降り、王宮の中でも人の多い場所に足を踏み入れると、一斉に貴族たちが俺のほうへと歩み寄ってくる。
はあっと溜息を吐き出すけれど、どいつもこいつも気付きやしない。
始まるのは挨拶に美辞麗句。それから娘や親族の妙齢の女性の売り込み。
「殿下、正妃にとは申しませんので、ぜひ我が娘を」
「先日素晴らしい宝石を手に入れまして、もし宜しければ殿下に献上させていただけたらと」
「我が家で今度晩餐会を開く予定がございますが、殿下にも是非ご参加頂ければ」
「当家と致しましては、今後殿下のご命令がございましたら、どのような事もお応えさせていただきたく」
滑稽すぎて閉口する。
この取り巻きたちの向こうでは、法務大臣一派がこちらの様子を窺っているのが見える。その中には先日密かに酒を酌み交わしたライの姿もある。
別の場所には内務大臣一派の姿も見え、そこにはスージが混ざっている。両手にした書類で手は動かせないが、口パクで何かを伝えようとしているのは見て取れる。何を伝えようとしているのだろう。
周囲のどうでもいい戯言を聞きながらも後宮のほうへと少しずつ異動していくと、その先に法務大臣が立ちはだかる。
立ちはだかるというのは言い方が悪いな。歩いていった方向にたまたま姿を現したというのが適切か。恐らく父王と何か話をするなりしていたのだろう。
「これはこれは祭宮殿下」
わざわざ祭宮を強調してくるあたりが嫌味っぽいな。しかも芝居がかっていて鼻につく。
「このような場にお姿をお見せになるとは、お珍しい。陛下に何か御用でもございましたか。もし必要とあれば、わたくしからお伝え致しましょうか」
にやりと下卑た笑いを浮かべるあたりが兄貴と似ているな。さすが兄貴の後ろ盾なだけあるな。いやいや、そういう問題ではないか。
「大臣にそのような手間は掛けないよ。祭宮の業務に関する事だからね。心遣いありがとう」
祭宮というところを大臣のように強調して微笑み返し、大臣の横をすり抜ける。
今までは表立って嫌味を言ってくるようなことは無かったが、王太子に兄貴が指名された今になって何でここまで突っ掛かってくるだ。さっぱりわからないな。
他の連中も擦り寄ってきたり、距離を置いてみたり。意味がわからない。
「水竜の威光を翳しても、今更評価は覆らないかと思いますが」
足を止め、嫌味ったらしい大臣に向かって振り返る。
「言いたい事が他にもあるなら今聞こうか」
にっこりと微笑む俺に対し、大臣もまた口を真横に引いて笑みを作る。
「殿下にご不快な思いをさせてしまいましたか。わたくしの言葉などどうぞお気になさいませぬよう」
嫌みったらしいジジイだな。この古狸め。
不快にさせると思うなら、最初から口を開くな。ボケ。
「この程度で不快には思わないよ。寧ろ大臣がどのような意図を持って発言したのか、その心中を聞かせて貰いたい」
どうせ答えやしないんだろうけれど。
ぐっと言葉に詰まった大臣をふっと鼻で笑う。
「答えはいつでもいいよ。急いでいないからね」
返答は無い。大概俺も子供っぽいな。嫌味に嫌味で応酬して、その挙句反論されないのをほくそ笑むなんてな。
返答を待たず、衣を翻し、限られた人間しか入る事の出来ない後宮へと続く門の扉を押す。
重い扉を押すのを手伝うかのようにギーが体を寄せる。
「すまないな」
「いいえ。正直これ以上敵を増やして欲しくないのですが」
小声で囁くギーに口元を緩める。
「善処するよ」
宮廷内権力抗争に既に嫌気がさしてきた。兄上みたいに王宮を離れたほうが気が楽だな、これは。