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王子様の恋  作者: 来生尚
王宮内不協和音
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10

「王都に戻りますが、何かご伝言等ございましたら承りますが」

 白髪は混ざっても屈強という言葉が相変わらず似合うギーが、堅苦しく頭を垂れる。

「お前にすべて任せる」

「畏まりました。陛下には何かご伝言はございますか」

「兄のことはフレッドに任せる。いや、一つだけ」

 表情は変えず、ギーは顔をゆっくりと上げる。

「何でしょうか」

「愚弟がご迷惑をお掛けして申し訳ないと」

 口元を緩やかに上げ、穏やかな表情でギーが「畏まりました」とのみ答える。

 紅竜の神殿の目に付きにくいところにある祭宮専用の入口での会話ではあるが、細心の注意を払い、余計な言葉は付け加えない。

「春には戻る。雪も深くなってきている。道中無理せず気をつけて帰れよ」

「温かいお言葉ありがとうございます。では、妃殿下によろしくお伝え下さい」

「……ああ」

 決して神官長と彼女を呼ばない辺りに、ギーの心中が窺い知れる。自分は神殿に仕えているわけではなく、王家に仕えているのだと。そして彼女は王家の者なのだと思っている事を明確にするために。

「では御前失礼致します」

 分厚い防寒着を頭からすっぽり被り、雪の中、近衛兵たちは王宮へと帰っていく。

 ここに残しても良かったが、全ての者を神殿の中に滞在させるわけにはいかない。彼女の身内であるギーはともかく、他の兵たちは野営する事になってしまう。

 そうなると、これから冬の本番になり、かなりの者たちに我慢を強いることになってしまう。

 兵の健康の為というよりは、今後の士気の為にも兵たちを返す事が得策だろう。神殿側もそのほうが身構えずにいられるだろうし。

 白い雪の向こうに兵たちが消えていくのを眺め、踵を返して神殿の中へと戻る。

 警備の神官に目礼し、そのまま彼女のいる神官長の私室まで歩いていく。

 彼女はいつも、どんな気持ちでこの通路を歩いていたのだろう。

 祭宮用の入口のすぐ脇には彼女といつも会う部屋がある。ここでしか本来なら彼女と会うことは出来ない。

 その部屋の横を通り抜け、案内がいなくとも容易に辿りつける彼女の眠る部屋へと歩き続ける。

 あの部屋で、会う前、別れた後、彼女はこの決して短いとは言えない距離の間、何を考えていたのだろう。

 彼女が許してくれている事とはいえ、彼女の命を奪おうとした俺の事をどうして愛し続けてくれるのだろう。この長い回廊を歩く間に迷いは生まれなかったのだろうか。

 今更ながらに、責めるような神官たちの視線に、あの過去の日への贖罪をという衝動がこみ上げてくる。

 俺があの日あんな事をしなければ、今彼女は寝込むことなんて無かったのに。 


 大祭から戻り、暢気に王都の酒場でギーと飲んでいると、血相を変えて昔から片腕として仕えている文官ルデアが血相を変えて飛び込んできた。

 文字通り、血相を変えて。

 それまで「宝石の人」についてを肴にしてニヤニヤ飲んでいたギーも、ルデアのただならぬ様子に眉間に深く皺を刻みこむ。

 しかし大衆居酒屋で飲んでいる手前、険しい表情を一瞬にして消しさって、ゲラゲラ笑い声を上げる。

「遅かったな。割り勘の飲みに遅れたからってそんなに慌ててこなくても、まだそんなに飲んでないから安心しろよ」

 いかにも何事かありましたという表情だったルデアも、取り繕うように表情を変える。

「そんなにって、何本空けたんだか。仕方ないからここから挽回しますよ」

 ペロっと舌を出して、ルデアが腕まくりをしながら席に着く。

 大半の客は慌てて飛び込んできたルデアから視線を逸らし、思い思い酒を呑み始めたようだ。

 しかし周囲の注意を浴びやすい状態ではあるので、とりあえずどうでもいい話を始めて本題を後回しにする。

「腹、減ってない?」

「あー。確かに。気が付けば酒ばかり飲んでて食べてませんね」

「何で先に食べないんですか。だから胃の具合が悪くなるんですよ。いつも言っているじゃないですか」

 ギーと同い年だが家の格がいくつか下がるルデアは、ギーに対しても敬語で話すのが常だ。更にこういう場で上手く取り繕える男でもない。

 もっとも、この貧弱な男は年齢以上に若く見られるので、第三者が見聞きしていても不信感を抱かれる事はまず無いが。

「そういえばこうやって三人で飲むのって久しぶりだよな。最近そういう機会が全く無かったな」

 注文をしてから、二人の部下に顔を眺めつつ呟くと、二人同時に頷き返す。

「甲板の上のように自由には生きられませんからね」

 さらりと言いのけて、ルデアが分厚い眼鏡を押し上げる。

 書物の読みすぎで目を悪くしたルデアは、剣の腕はさっぱりだが、その知略を買われて俺と共に海軍に席を置いていた。

 ギー、ルデア、スージ、ライ。

 俺が生まれて暫くすると遊び相手件傍付きとして、この四人が付けられた。

 ルデアとスージとライは文官として、ギーは武官としてそれぞれの適性にあった仕事をこなしている。

「僕以外の二人も街の中を探し回っているはずですから、後で合流すると思いますよ」

「お前ら総出なんて珍しいな。どうしたんだ」

 ルデアは現在祭宮付補佐官。スージは内務大臣配下、ライは法務大臣配下と、それぞれ異なった仕事をしている。業務を超えて飲む事などが無いわけではないが、宮廷内権力闘争の真っ只中で表立って顔を揃えることは数えるほどしかない。

 それぞれの直属上司の意向もある。機嫌を損なっては、それぞれ名家の子息だが家の立場を危うくする事に繋がる。特にスージは長兄であるクソ兄貴一派筆頭の内務大臣配下だけに目立った動きはしにくいはずだが。

 スージやライまでもが俺を探し回っているなら、何かあったな。確実に。

「あなたがどこに飲みに行くと伝言一つしないからです。行きそうなところは一通りあたってるでしょうね」

 真顔でルデアがコンっと一度テーブルを叩く。

 責めるような口調に、あえておどけて返す。

「たまには自由にのんびり飲みたいんだよ。伝言なんかしたら、俺と飲みたい連中で溢れ返るだろう?」

「……人気者で羨ましい限りだ」

 溜息交じりにギーが嫌味を呟くのを、不機嫌そうにルデアが鼻でフンっと笑う。

 珍しいな。ルデアがこういう態度に出るのは。

 普段は雄弁なくらいなルデアが一言も発することなく、黙々と食事と酒を飲む事にだけ口を使っている。

 祭宮業務で何かミスったか? いや、それならばギー顔負けの嫌味の連発攻撃を受けるだけのはずだ。何がそんなにルデアを不機嫌にさせている。

 疑問に思ったところで、ルデアが切り出す気にならない限りはこっちが何を言っても無駄だろうな。

 目を吊り上げたままのルデアを放置し、ギーのほうに目を向けてみると、こちらもまた神妙な顔つきをしている。予め何か情報を掴んでいたと見える。財務大臣である父から何か聞いているのかもしれない。

 しばらくしてライが、それからまた数十分おいてスージが同じテーブルに着くと、とりあえずグラスを持ち上げる。

「乾杯でもしとく?」

「何にですか」

 厳しい顔付きのルデアに笑みを返す。

「幼馴染の再会に」

 はーっと溜息を吐いたライに、スージがポンっと肩を叩く。

「こういう人だとわかっているだろう。俺たちは永遠に報われないんだよ」

 苦笑を浮かべる面々を他所に、穏やかな笑みを湛えたままグラスを掲げる。意味深な部下たちのことをここで掘り下げても得策とは言えない。

「今更だろうに」

 ふんっと鼻で笑ってギーがグラスとカチンとぶつけて鳴らす。それに倣うように他の面々もグラスを鳴らしていく。

 ルデア以外は眉間の皺を消し、表面上は和やかさを演出している。

「そうだ。せっかく幼馴染に会ったんだから聞いておきたいんだけどさ」

 ぐいっと酒を飲んだ後に、ニヤっと笑ってスージが切り出す。どうやら矛先は俺のようだ。

「んー?」

「あのさ『宝石の人』ってどこの女?」

 ブブーっとギーが勢いよく酒を噴き出す。

「きったねえな。袖が汚れただろ」

 ハンカチを取り出して、丁寧に袖口を拭きながらスージがギーを睨みつける。無骨と評される事もあるギーとは対極にいるスージは身だしなみには人一倍煩い。優男という異名がこいつ程似合う奴はいない。

「すまんすまん。だが、それを正面きって聞けるお前の神経がわからん」

「会ったら聞こうと思っていたんだよね。裏では色々な説が流れているが、どれも信憑性にかけるから本人から聞くのが一番でしょ」

「勢ぞろいなのはその話絡みか? 縁談ならお断りだよ」

 内務大臣、法務大臣、外務大臣。どこにも娘はいなかったはずだが、三人が結託してどこぞのご令嬢をと縁談を持ちかけてこないとも言えない。

 もっともそれぞれ支持勢力が異なるから、三者が結託することは考えにくい。

「おおっ。そこまで熱愛しているとはっ。超美人?」

 一口で酒に酔えるスージが砕けまくった口調で、身を乗り出してくる。

「引く手あまたなのに、敢えて秘密の恋人ってのが興味をそそるんだよね。そんないい女なら見てみたい。紹介して」

「……おい、スージ」

 見かねたのかギーが声を掛けるけれど、スージはどこ吹く風といった調子でぐびぐび酒を飲み干す。

「紹介してくれたら、俺がちゃんと匿ってやるから。例え何が起こっても、幼馴染の大事な女だからね、俺が何とかしてやるよ」

「スージ。そのくらいにしとけって」

 今度はライがストップを掛けるけれど、その手を払ってスージが机に身を乗り出して俺のすぐ目の前に顔を寄せる。

「……狙われてるよ、その女。気をつけな」

 言いたい事を言い切ったのか、ドンっと派手に音を立ててスージは椅子にどっかりと座り込む。

 スージの言葉が聞こえていたであろう面々は、互いに目線で何やら話し合っている。

 狙われている、か。

 ふーっと溜息が零れ落ちる。

 まあ、あそこにいる分には誰も手が出せないだろうから、この件は現状放っておいても大丈夫だな。それとなくギーに視線を送ると、伝わってのか伝わっていないのか、こくんと首を縦に振る。

「で、どこの女なんです」

 ……伝わってねえ。全くもって。

「秘密は共有する人間が多いほど漏れるんだよ。誰かなんて教えたくもないね」

 にやりと笑うと、ふふんとルデアが笑う。

「誰も何も知らないと思ったら大間違いですよ。俺の仕事が何なのかお忘れじゃないですよね」

 思わぬところからの反撃に、ぎょっとしてルデアに視線を送る。

 ルデアの仕事は祭宮付補佐官。

 表向きには書類の処理など、実際に俺が目を通さないような雑多なものを片付けるのがルデアの仕事。内情は各地に影を送り、情報収集を行っている。当然、水竜の神殿内部にも。

「余計な事を口にするな」

 上司という立場を利用して圧力を掛けると、ルデアが肩を竦める。

「言うわけないでしょう。それに確証を得ているわけではありませんからね」

「ルデアでもわからないなら、知りようがないなあ」

 鷹揚とした口調でライがこの話題を切り上げるかのように、結論を出す。

 ありがたいと思いつつも、この面々には遠からずこの話をしなくてはならないだろうなと思う。

 彼女がその任を終えた時に、俺の元に迎え入れる為にはこの優秀な臣下たちの協力は必須となるだろう。

 その前に彼女を口説き落とさなくてはいけないわけだが、現状好意はもたれているだろうけれど、それが恋愛と結びつくようなものには思えないんだよな。こればっかりは、時間を掛けるしかないか。

 巫女と祭宮という距離感がそう思わせるのか、心を開いてくれる事は殆ど無いに等しいし、偶に感情の一縷を目にする事があっても怒ってるし。

「それに余計な手回しをしなくとも、好き勝手やっていけると思うよ」

 街中探し回っていると言っていたルデアの言葉とは対照的とも思えるようなのんびりとした口調で、ライがふわりと笑みを浮かべる。

 ぽにょぽにょした体格のせいなのか毒なんて全く無さそうに見える外見だし、口調もおっとりとしているのに、言葉の端々に棘が見え隠れしている。

「ずっと思っていたんだ。頂に登りたいと思っているのかなって。もしそう思っているならそれなりの事をするつもりではいたんだ。もう何をしても遅いけれど」

 王位に就きたいかという事か。しかしそれは願ってももう手遅れだとライは言う。

「何故」

 短い問いに、ライは目を細めて口角を上げる。まるで笑っているかのように。

「決まったからだよ。だからもう何をしても意味が無いんだ」

 そこまで言うと、ライの様子が一変して蔑むように、哀れむように俺を見つめる。

「頂を制する者は一番年長の者が良いそうだよ。もっとも内々にお偉方に漏らされただけのようで、表に出るのは一週間後くらいかな」

 次の王は長兄にということか。

 あの人間性に少々問題がある兄を王にすると父が決めたということか。

「ふーん」

 努めて興味の無いフリをして、それぞれの目を見つめる。誰も目を逸らそうとはしない。まっすぐに俺の答えを聞こうとしている。

 世間的には第三王子である俺の一派と見られている面子で、異なる場所で異なる上司に仕える全員が同じ情報を掴んでいるということは、真実である事は間違いないだろう。

 誰かが情報を操作しているとも思えない。

 異なった情報源からそれぞれがこの結論に辿りついて、俺を探して、俺の答えを求めている。

「簒奪者になるつもりは無い。俺は俺の運命のままに」

「……運命。なるようになるとでも言うつもりなのかな」

 ライの問いかけに頷き返す。

「積極的に求めはしない。自ら混乱を招くようなことはしたくはない」

「腰抜けと呼ばれても?」

「ああ。構わないよ」

 挑発的なスージの問いかけにも、両肘をテーブルの上に乗せて顎の下で両手を組んだまま答える。

 何故だろうか、拘っていたはずの次期王位、即ち皇太子の地位が自分以外のところにいくとわかっても、不思議と穏やかな気持ちでいられる。

 一時は王位争奪戦から強制離脱させられた事に、憤りすら感じていたのに。

 ただ納得できない。何故、次兄ではなく長兄なのか、と。

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