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乗ってきた馬を降り、部下の一人に手綱を手渡す。
ここに来る時はいつも胸が躍る。昔は近付きたくも無いとさえ思っていたのだが。人の心持ち一つで風景とはこんな風に見え方が変わるんだな。
「顔を引き締めてください」
横に立つギーが外套の立てた襟の間から重低音で囁いてくる。
「ああ。気をつける。お前も来るか」
問いかけにギーは静かに首を左右に振る。
「外でお待ち致しております。本日はお二人もご同行されておりますので、私は控え室でお二人とお待ちしております」
「すまないな」
「いえ」
ギーに連れの二人を託し、外套に薄く積もった雪を手で払い、建物の前で微動だにせずにこちらを見つめている神官に目を向ける。
相変わらず、いつ来てもここは何も変わらない。
何年経っても。何十年経っても。
石畳を踏みしめ、他の参拝者たちが遠巻きに見守る中、王族だけが、いや正確には祭宮一行だけが入る事を許されている門へと近付く。互いの顔が認識出来る程度の距離に近付くと、神官がゆっくりと頭を下げる。
「ようこそお越し下さいました」
いつ来ても同じ文言だが、彼女がこの中に入ってからこの言葉に変わった。それまでは「お勤め御苦労様です」という慇懃無礼なものだった。
「いつもより連れが多いのだが、構わないかな」
「はい。神官長様よりご連絡を頂いております。どうぞ皆様お入り下さい」
振り返りギーに合図を送り、門兵を兼ねている神官に声を掛ける。
「あれとあと二人だ。よろしく頼む」
「畏まりました」
もっとも、俺が何も言わなくとも二人の事は全力で守るだろうが。この神官のみならず、他の神官たちも総出で。
ゆっくりと馬車から降りて準備している二人の子供たちの、子供というには十二分に大きくなったいる二人を置いて、さっさと門を潜って建物の中に入る。
建物の入り口の扉には別の神官たちが立っているが、その神官たちも目礼するだけでその場を離れない。
代わりによく見知った能面のような顔つきの神官が、ゆっくりと腰を曲げるように深く頭を下げる。
「ご案内致します」
「頼みます」
わざわざ案内して貰わなくとも辿り着けるが、あくまでもここは神殿。神官たちの流儀に従うのが礼儀だ。
王宮でもそうだが、不要だと思われるような慣例でも、それが必要なものであったりする。
例えばこの案内にしてもそうだ。
祭宮に成りすました別の人間が神殿に入り込もうとしているのかもしれない。それを事前に神官たちが判断し、神殿に仇なす者であれば排除する為に、この幾重もの人の壁は作られている。
例えば王宮で自分が外部の人間に会う時もそうだ。
腹心の部下であろうと、外戚だろうと、必ず警備の者たちが確認作業を行ってからでないと会う事は出来ない。それが面倒だと思うこともある。しかしそれは警備上必要な事なのだからしょうがない。
もう一つの神殿に比べたら迷路とは言えないが、それでも曲がりくねった回廊を歩いていくと、その先によく知った人物が立っている。
目が合うと、その人物もぺこりと頭を下げる。
ここまで出てきたという事は、中では聞かれたくない話があるということだろう。
「お久しぶりです。祭宮様」
「ああ。元気そうで何よりだよ。今は、助手と呼んだほうがいいのか」
「ええ、まあ。一応助手から先生に格は上がっているんですけれど、昔なじみの連中が助手呼ばわりするので」
昔なじみの一人である能面の神官は、少し口角を上げた程度で、基本的にはにこりともしない。視線が助手から送られているにも関わらず。
「立ち話ですみません。神官長様の件でお話が」
「助手と俺の間でそれ以外に話すことは無いだろう?」
「まあ、そうですけれど。給料交渉とかしたほうが宜しければ、今致しますけれど」
ふっと鼻で笑うと、助手の顔から少し強張りが解ける。
神殿中に重く圧し掛かる緊張感は、入り口から感じずにはいられなかった。俺のみならず、二人の子供たちまで呼ばれるなんて。理由は一つしかない。
「給料は神殿から貰っているだろう。俺からも貰って何に使う気だ」
核心には触れず、敢えて冗談の応酬をする。そうでもしなければ、上手く表情が作れなくなる。
ここに来るのは嬉しい。楽しい。
ほんの少しの時間でも彼女と共有できるのだから、これ以上の幸せはない。だから遠くからこの建物を見るだけで、心が躍る。
なのに、今日はその時間は心和む時間とは言いがたいようだ。でなくては、わざわざこの天候の中子供連れで訪れる事など無かっただろう。
「何に使うって決まってるじゃないですか。医療費ですよ」
「それは早急に必要なら幾らでも用意するが」
「……そうですね。王都と同じ設備をこちらにも用意したほうがいいかもしれません。人員ももっと割きたいです」
「そんなに悪いのか」
仮面を被ることも忘れ、助手に問いかける。
傍目には酷く余裕が無いように見えるかもしれない。が、ここには助手と執事と呼ばれる二人の神官しかいない。
執事は彼女に今も昔も仕え続ける「御付神官」
そして助手は彼女が一度ここを去った時、医療技術と知識の向上の為にという名目の元、王都に留学して彼女の主治医という立場までもぎ取った筋金入りの「お嬢教」いや「お嬢狂」である。
その二人よりも彼女の傍にいる者はいない。
そんな二人が、一人は元々能面なので感情を推し量る事は難しいが、ともに何やら胸に秘めたかのような暗い表情を浮かべている。
「……良い、とは言えません」
搾り出すかのような助手の言葉は擦れている。
ああ、来るべき時が来てしまったか。
言葉に出来ない絶望感に視界が真っ暗になる。文字通り、真っ暗になり、ぐらりと体が揺れる。
「大丈夫ですか」
支えるように執事が俺の腕に触れる。
「すまない」
目眩を押し止め、再び助手の話に耳を傾ける。
「ここ最近、寒さのせいもあるのでしょうけれど咳が止まらなくて微熱も続いています。健康な人間なら大したことのない風邪だと笑い飛ばせるのですが、神官長様は……」
「ああ、そうだな」
溜息が言葉と共に漏れる。
元来は超がつくほど健康(本人曰く)なのだが、生死を彷徨った事件、二頭の竜に喰われまくった時期、二度の出産。それが彼女の体には深いダメージを与えている。
あまり長くこの職務が続かない方がいいと、俺以外の誰もが思っているのだが、彼女を解放する日はなかなか訪れない。
「代打が必要そうなら、その手配はするが」
今度は助手が深く溜息を吐く。
「先の方も決して健康とは言えませんから、ここでご無理をしていただくのは難しいのでは?」
「しかし命に関わる状態であれば、無理を聞いて貰わなくてはならないだろう。今更そのことで揉めるような神殿ではあるまい」
「おっしゃるとおりです。しかし先の方にお戻り頂くことに、神官長様が同意なさるとは思えません。我々も正直手詰まりで、祭宮様のお力をお借りしたくお呼び立て致しました。ご足労頂き、ありがとうございます」
「それは構わないが」
話題に加わった執事が申し訳なさそうに頭を下げるので、片手を上げて制する。
「場合によっては、やはり紅姫様に」
助手の提案に下唇を噛む。そのほうが余計に彼女は納得しなそうだ。
娘には同じ道を歩ませたくは無い。彼女自身がそれを強く願っている。願いに反して、既に半分は同じ道を来てしまったが。
「神殿の中ではそれで意見がまとまっているのか」
同意せず、二人の神殿内権力者に問いかける。
「……紅姫様以外に、適任はおられないかと」
言いにくそうに執事が口を開く。
紅の竜と同じ色の瞳を持つこの世でたった一人の娘。彼女が生んだ、大切な娘。その娘に彼女と同じ苦悩を味合わせることになるとは。
三人三様の溜息を吐く。
しかし心中は一つ。彼女が少しでも長くこの世に留まっていられることだ。
「まあいい。会おう。彼女に」
この神殿の中では彼女の名を呼ぶことは禁じられている。
通り名である「神官長様」や「お嬢」と呼ぶことは、彼女が遠い存在に思えるので口にはしたくなかった。だから敢えて「彼女」と呼ぶ。
二人の神官は顔を見合わせ、そして同じ速度で同じ角度に頭を下げる。
「畏まりました。神官長様は祭宮様のお越しを心待ちにしておられます。指折りこの日を数えておられました。ですのでどうか」
「ああ。わかっているよ」
執事の言葉を最後まで聞かず、湿った髪を撫でつけ、曇った顔を取り除くべく口角を上げる。
「行こうか」
二人の神官の先導で、彼女と会う時に使う部屋へと案内される。
扉の前には片目しか見えない人相の悪い神官が立っている。
ちらりとこちらに視線を向けると、拳を握り、重厚な扉を叩く。
「祭宮様がお見えです」
片目が投げかけた言葉で、情けないが鼓動はこの上なく激しくなった。