第2話『茶席の吐息』
港町麟洲の朝は、潮風とともに始まる。桟橋に立つと、船の木の匂いと海藻の香りが混ざり、少し湿った空気が顔に当たる。今日も船乗りたちは大声で呼び合い、魚の入った箱を運ぶ。私は小さな薬房の戸を開け、硝子瓶に光を通した。
「紗夜さん、おはようございます」
赤尾結が顔を出す。表情は柔らかいが、目の端に一瞬の緊張が走った。私の勘では、何か裏情報を持っている。
「おはよう、赤尾さん。今日は何かあった?」
「ええ、港の茶屋で、また中毒騒ぎがあったらしいです。屋台女が気分を悪くして倒れたとか……」
私は静かに唇を噛んだ。昨日と同じ手口かもしれない。硝子瓶の蓋を締める手に力が入る。
「では、茶袋を見せてもらえますか?」
港の茶屋は、木造の小屋に草葺き屋根。簡単な席には、常連の漁師や荷役の男たちが座っている。女主人は青い手拭いを巻き、私を見ると、少し肩をすくめた。
「桐生さん……またですか。あの子、どうにも意識が戻らなくて……」
小さな茶袋を手に取る。指先で触れると、わずかにざらつく粉末が混じっていた。香りを嗅ぐ。微かな苦味と、甘い残香の奥に、化学的な違和感がある。
「これは……アルカロイド系ですね。天然由来ではない。微量ながら、致死量に近い成分です」
女主人は顔を青ざめさせた。
「え、ええと……そんなこと……」
「落ち着いて。まずは状況を整理しましょう」
私は屋台女の体調と茶のサンプルを照合する。色、粘度、溶け方、残香――細かい差異が、港に混ざる“外来薬材”の影を示す。
「これは、港の取引ルートに紛れ込んだ偽造品か、混入の可能性があります」
その言葉に、赤尾結の瞳がわずかに光った。情報の価値を理解したのだろう。
「私も港の商会の情報を少し……手に入れられます」
「ありがとう。でも、焦らず、まずはここで被害者を安全な場所に移しましょう」
そのとき、港の桟橋で来栖海斗の声が響いた。
「紗夜!すぐ来い、船倉で妙な薬材を見つけた!」
海斗は船乗りらしく、荒い息で私を迎える。荷役の箱の中には、茶葉や香草の袋が混ざっている。その中に、昨夜の屋台で使われたのと同じ微細な粉末が混じっていた。
「これ、どう見ても改ざんされている……」
「うん。色、形、匂い……すべて違う。港に出入りする外来薬材が意図的に操作されている可能性が高い」
赤尾結が小さく呟く。
「黒帆会……かもしれませんね」
私は小さく息を吐いた。港町の闇は、昨日よりも深くなっている。薬は人を癒すはずだが、この町では、密かに人を傷つける道具として利用されていた。
「ここから先は、慎重に進めましょう。小さな痕跡も、見逃してはいけない」
夜、宵薬房に戻ると、潮風が静かに戸口を揺らす。瓶を並べ、香りを確認する。目の前には小さな硝子の世界。ここに全ての真実が映る。
「港の外来薬材……表向きは交易、裏では毒……」私は呟く。
小さな灯りが揺れ、影を作る。宵薬師としての私の仕事は、まだ始まったばかりだ――。




