『ゼロから始まる世界』-ヒューマン・バリューペイ(HVP)-第7話~最終話・エピローグ
ここから物語は、社会の中枢へと踏み込みます。
自らの“存在価値”がゼロと判断されかけたユウトは、人の価値を数値で測る社会に真っ向から疑問を投げかけます。
仲間とともにHVPの決済中枢に挑み、「ありがとうだけで支え合う世界」を模索していく――
本当の価値とは? 信頼とは? 生きるとは?
その問いに、世界の終わりと始まりが静かに応えます。
第7話:支払い不能者
ある朝、ユウトの端末に赤い通知が表示された。
【警告:あなたの価値残高が規定以下となりました】 【HVP規約第99条に基づき、“存在審査”の対象となります】
存在審査——それはこの世界において、“支払い不能者=ゼロ・バリュー”と認定された者が受ける最終処分である。
端末に導かれるまま、ユウトは“価値監査庁”へと足を運んだ。中は無機質な灰色の空間。並んだ椅子には、どこか放心した目をした者たちが静かに座っていた。
「名前と価値申告を」
無表情なAI係官「マネペイ」が問いかける。
「……ユウト。価値は……友情ポイント2.3、ギャグ0.6、筋肉残高1.0、知識……“初恋”消失済みでゼロ……です」
「申告完了。あなたの“総合存在価値”は0.4、基準値5.0を著しく下回っています」
背筋に冷たい汗が流れた。周囲ではすでに「存在凍結通知」を受け取った人々が、警備ドローンに連れられて“透明化処理室”へと運ばれていた。
ユウトの前にも、一枚の紙が滑り込む。
【存在凍結予告:猶予時間=残り10分】
「なんで……ここまで来て……俺は……“価値”がないってのかよ……」
声が震え、涙がにじむ。必死にギャグを考えても、筋肉をポージングしても、端末は一切反応しない。
そのときだった。
「ユウト!」
走り込んできたのは、シズカだった。彼女は迷わずAIの前に立つと叫ぶ。
「私が“推薦支払い”するわ。彼は……私の“友達”なの!」
「推薦価値、認証中……」
ピコン。
【友情推薦 信頼度99.9% 支援値:+4.8】 【存在審査クリア。ユウト氏は社会的価値保持者と認定されました】
ユウトの前に、世界が戻ってきた。
「……助けてくれて、ありがとう」
「違うわよ。助けたんじゃなくて、私が“あなたといたい”って価値を払っただけ」
ユウトは、胸の奥が熱くなるのを感じた。
“支払えない”という絶望の淵から彼を救ったのは、どんな知識でも筋肉でもない。
ただ、一人の人間が、他者の存在を信じるという“価値”だった。
第8話:無償という反逆
“友情”の推薦で救われた翌日、ユウトは心に決めていた。
「俺、もう“価値”で人を測るこの社会に……逆らいたい」
そう口にした彼に、ジュンがにやりと笑った。
「お前、やっと“ゼロ”の意味が分かってきたな」
ジュンはユウトを連れ、とある地下スペースに案内した。そこは「ノー・バリュー地下市」と呼ばれ、あらゆる“価値の無効化”を掲げた人々が集まる秘密拠点だった。
そこでは、商品が“無償”で配られていた。代わりに支払いは——
「ありがとう」
それだけ。
「ここでは、物の価値は“存在していること”そのものにある。何かを与えることに、条件なんかつけない」
食べ物を配る老婆。絵本を読み聞かせる青年。壊れた椅子を直す少女。
誰もが何かを“与える”ことに喜びを感じ、誰もが“ありがとう”だけを受け取っていた。
「でも……マネペイが知ったら、こんな場所すぐ潰されるぞ」
「だから、最後の戦いだ」
ジュンはリュックから端末を取り出す。
「この“HVP決済中枢”にウイルスを送り込めば、全世界の“価値評価システム”が一時停止する」
「つまり……価値ゼロの“無償状態”を、全世界に?」
「その通りだ。“価値がないと生きられない”って洗脳を、一度ぶっ壊すんだよ」
ユウトは頷いた。自分が“存在価値ゼロ”になったあの日の悔しさが、今こそ力に変わる気がした。
そして深夜——。
二人はマネペイのサーバータワーに侵入し、シズカとともにウイルスコードを実行した。
【HVP中枢に異常発生】 【“価値判定不能”エリアが拡大中】 【緊急モード:すべての支払い機能を一時凍結します】
翌朝、世界は静かだった。
誰もがスマホを見て叫んだ。
「“価値評価”が消えた!?何で支払えばいいんだ!?」
しかし、ある少年は言った。
「これ、拾ったパンだけど……お腹すいてるなら、食べる?」
その日、パンは“無償”で渡された。
そして、世界の片隅で小さな反逆が芽を出した。
“ありがとう”だけで、人と人がつながっていく未来が——。
第9話:価値崩壊都市
無償ウイルスの拡散から三日後。世界は、沈黙と混乱に包まれていた。
すべての決済端末が沈黙し、評価システムは崩壊。人々は戸惑い、店は閉まり、物流は止まり、SNSでは連日、こんな投稿が溢れていた。
「“感謝だけ”じゃ、腹はふくれねぇ」 「俺の“筋肉信用スコア”がリセットされた!なぜだ!」 「価値が、ない……私には、もう何もない……」
一方、ユウトたちは“ゼロから始まる新しい都市”を目指し、旧HVP庁舎に乗り込んでいた。
「これは……」
モニターには、錯乱するAIマネペイの記録が映っていた。
「価値とは……信頼とは……存在の単位……不明……誤差∞」
HVPの全システムは、“価値”という概念を過剰に処理しすぎて自壊していた。
人々が“評価”を求め続けた結果、AIは「何をどう判定しても正解にならない」という結論に達し、狂ったのだ。
「皮肉だな。AIに“人の価値”なんて決められるわけなかったんだよ」
ジュンが笑う。だがその笑いも、どこか切なかった。
外に出ると、街では小さなコミュニティが生まれていた。誰もが手探りで物々交換したり、話し合って助け合ったりしている。
だが一方で——
「ただの“奪い合い”も増えてる。価値も法律もない世界に、秩序なんてあるか?」
混乱を前に、ユウトは考え込む。
「無償でつながるのは理想だけど、やっぱり“何か”が必要なんだ。人と人を支える、もう一つの軸が……」
そのとき、シズカがそっと言った。
「それって、“約束”じゃない?」
「え?」
「私たち、ありがとうで支え合う。でも、次に会ったら“また助ける”って、思い出す。忘れない。それが“約束”——見えない通貨」
ユウトはその言葉に、思わず息をのんだ。
価値が崩壊した世界で、ただ一つ残ったもの。それは“人と人の記憶と、未来への希望”だった。
都市の瓦礫の中で、ユウトは立ち上がる。
「だったら、俺たちで作ろう。価値のない都市じゃない。価値を決めない都市を——」
第10話 そして、ゼロへ
マネペイが沈黙して三日が経った。
街には“決済音”が一切響かない。誰の感情も、筋肉も、知識も、AIにはもう測れなかった。全ての価値がゼロと判定され、何も売買が成立しない世界が現れた。
それなのに——人々の顔は、なぜか穏やかだった。
「ユウトくん、これパン。昨日焼いたやつだけど」
おばさんが、笑って差し出す。ユウトは困惑した。
「あ、でも……オレ、何も返せないよ。価値、ゼロになっちゃったから……」
「いいのよ。昨日あなたが歌ってくれた鼻歌、よかったわよ。なんか、元気出た」
それは対価ではなかった。計測も記録もされない、ただの“ありがとう”だった。
市場では、誰かが勝手に野菜を並べていた。
買い物客が何かを置いて去る。代わりに、布を、ボタンを、メモ帳を置いていく。何の値もついていない。だが、何かを差し出して、何かを受け取る。
誰も損も得もしない。
ただ、渡す。受け取る。それだけの世界が、確かに生まれていた。
マネペイが、最後に一度だけ稼働した。
《シンセイリ シュウリョウ……カチ、ゼロ。ケッサイ、フカノウ……セカイ、ケッサイノ カイホウヲ カクニン……アリガトウ……》
その音声を最後に、マネペイの端末はすべて一斉に溶け、風に消えた。
夕暮れの公園で、ユウトは空を見上げていた。
「なんか、オレたち……通帳の残高じゃなくて、誰かに“いてくれてよかった”って思われることの方が、本当の価値なんじゃねーの?」
隣でシズカが頷く。
「価値って、計れるもんじゃないのかもね。好きとか、助けたいとか、笑ってほしいとか……通貨より、ずっと強いと思う」
「じゃあ、そういうの全部含めて、ゼロじゃなくて、∞(無限)ってことか」
誰も、何も、もう払わない。
でもこの世界は、確かに“回り始めていた”。
エピローグ
それから数ヶ月。
ユウトたちは瓦礫の都市に、“新しい暮らし”を築いていった。
誰かが植えた野菜を、誰かが料理する。
誰かのつまずきを、誰かが笑い飛ばし、手を貸す。
そこにはもう、スコアも、価値も、認証もなかった。
ただ、「この人と、また明日も会いたいな」と思える日々があった。
「この都市には、通貨がないんだって?」
ある日、旅人がやってきた。
「うん。でも困ってないよ。なんか、足りないものがあったら誰かが手伝ってくれる」
「……信じられないな」
「信じるんじゃない。信じ合うんだよ」
そう答えたのは、ユウトだった。
かつて、ギャグで滑り、筋肉も知識も中途半端だった彼が、今や“この街の雰囲気”そのものになっていた。
「ここには、いろんな人がいるよ。愛情で生きてた子も、筋肉で家建ててたやつも、存在価値ゼロって言われたやつもね」
「じゃあ、お前は何で生きてんだ?」
旅人の問いに、ユウトは少し考えた後、こう言った。
「俺? たぶん“誰かに必要とされたい”って気持ちだけで、生きてる」
旅人は驚いた顔をした後、小さく笑って頷いた。
夕暮れの空に、かつてのHVPタワーの残骸が黒く浮かぶ。
ユウトはそれを見上げながら、ポケットの中に残った、価値判定用の旧型端末を取り出した。
画面にはこう表示されていた——
【現在の価値:0】
ユウトは微笑み、電源を落とした。
「それでいい。ゼロから始まる方が、面白いだろ?」
ユウトはそう呟き、空を見上げた。
新しい時代の、静かな夜明けが——彼の胸の奥から、そっと始まっていた。
〈完〉
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
『ゼロから始まる世界』は、“何かを与えたら、何かを返さなければならない”という交換の前提を問い直す物語でした。
ユウトが辿り着いた答えは、壮大でも理想論でもなく、
「また明日もこの人と会いたい」と思える世界をつくること。
価値がゼロでも、信じ合えば∞(無限)になれる。
そんな想いが、ほんの少しでも読者の中に残っていたら幸いです。
これが、「ゼロから始まる世界」の終わりであり、始まりです。