16歳の始まり[Ⅰ]
.
「月は好き」
幸せな夢。いつも夢の中でそう言って微笑みかけてくれる眼鏡の男の子。
記念すべき16歳の誕生日に見た夢がこの夢だなんて。きっと、お母様からの御加護だわ。
春の日のキラキラと暖かい光が窓から差し込む。のそのそと布団から顔を出すと眼前に現れる青いドレス。恋焦がれていたあの惑星のような青い色。16歳の朝を迎えた少女ハンナ・ブローゼは、段々と上っていく口角を抑えきれずにベッドから飛び起きる。
「さ、支度しなくちゃ!」
今夜は全国の16歳の少年少女が皇室の宮殿へ招かれている。
月の国、ノイモーントでは16歳が成人とされる。今夜のパーティーは成人式と、これから至難の旅に出る少年少女の激励会も兼ねていた。
至難の旅はノイモーントの通過儀礼である。
16歳は成人であると同時に独り立ちする歳でもある。しかし、家族に祝われて「これからもお世話になりますが、よろしくお願いします!」なんて軽い独り立ちではない。
16歳になると、少年少女はこの広い銀河系のありとあらゆる惑星に旅に出る。行先は皇室によって通達されるため、自分で決める事は出来ない。ある人は金星に飛ばされるし、またある人は海王星に飛ばされる。そんな風にして飛ばされた惑星で、16歳~18歳の3年間を過ごして独り立ちするために成長しよう、というものだ。
無事にノイモーントに帰ってきたら晴れて立派な大人の仲間入りである。
(宮殿……。昔はよく行ってたな。)
湯浴みを済ませて青いドレスに袖を通す。髪は結い上げて小さなネモフィラを散りばめる。アクセサリーも全部ドレスの色と同じ青色。
「あぁハンナお嬢様、、なんて美しい、、」
「んふふ当然よ」
支度を手伝ってくれていた専属侍女のシシーが大袈裟に感動する。ハンナは自信満々に鏡の前でポージングをとり、その度にシシーが拍手をして褒め讃えた。
シシーのリアクションにはご主人バカ的なものがあるとはいえ、実際に着飾ったハンナは美しい少女であった。
ハンナの歩いた廊下はルンルンと音が鳴り出すのではないかと思うほど、彼女は気分良く父親のいる書斎に向かった。
「お父様!見てくださいな!」
令嬢としてあるまじきことだが、ハンナはノックもせず勢いよく書斎の扉を開け、父親の前でひらりと一回転してみせた。
「ハンナ、侯爵令嬢としてせめてノックをしなさい。それからドレス姿なら然るべき挨拶の仕方をなさい。」
ハンナの父親_イーゴン・ブローゼ侯爵は娘のドレス姿を一瞥すると、厳かな態度で彼女を咎めた。
「私、カーテシーは苦手よ」
「それでもだ。今夜は皇室主催の舞踏会。平民も招かれる特別な会なのだから、侯爵令嬢としての務めをしっかりしなさい。」
現代のノイモーントには昔ほどの厳しい階級制度はない。舞踏会や晩餐会、サロンを定期的に開催している一族もあれば、積極的に領地民のために軽いパーティーを行う貴族もいる。そのため、最近では平民の間でもパーティーが開かれるようになり、貴族御用達のマナー教育も広がっている。
ただ、皇室のパーティーに平民が招待されることはなかった。
この国において、平民が宮殿を訪れるのは16歳の通過儀礼を迎えるため招待される今日の舞踏会だけなのだ。
「それから、すぐに庭の温室に向かいなさい」
「どうして?」
「皇太子様がお待ちだ」
「…私、断ったはずよ」
「いきなさい」
(逃げちゃダメかしら)
ハンナは渋々といった様子で侯爵の書斎を後にし、先ほどとは正反対の重い足取りで温室に向かった。
温室に入ると、そこには見慣れた後ろ姿があった。
背が高くスタイルの良いその男は、この国で一番良い素材のテールコートを身にまとっていた。誰がどう見ても、一般人とはかけ離れた人間であることがわかる。
「皇太子様、お待たせしてしまい申し訳ありません。」
ハンナが声をかけるとその男は振り返った。
透き通るような綺麗なブロンドの髪の間からバイオレット色の瞳が覗く。バイオレットの瞳はとても珍しく、それこそがこの国の王家である印だ。
そんな浮世離れした美しい顔には少しの苛立ちが見えるが、ハンナは敢えて気づかないふりをした。
「なんの御用でしょうか?」
「お前がエスコートを断るから、皇太子である俺が直々に迎えに来てやったんだ」
ハンナは昔からこの男が苦手だった。
我が国の偉大な皇帝陛下と皇妃様の間に生まれ、皇室で大切にされてきた皇太子_アデルは、それはそれは立派で傲慢な皇族に育っていた。
ハンナが宮殿に出入りしていたのは5歳から12歳までの7年間であったが、その7年間でアデルがどれだけ傲慢か思い知らされていた。所謂幼馴染である。
「あら、光栄ですわ」
「その言葉遣いはやめろ」
アデルはハンナが丁寧な言葉遣いで接することを嫌がる。小さい頃は何もわからず友達のように接していたが、母にアデルが皇太子であることを教わってからはそれなりの距離を保とうとした。しかし、アデルはそれを許さないと言い、皇太子命令としてハンナに今まで通り接するように命じた。
アデルが嫌がることを承知での言葉遣いである。
丁重にお断りしたのにも関わらず、皇太子である立場を利用して好き勝手してくるアデルへの嫌がらせだ。
「お前以外の令嬢はみんな俺からの誘いを待ってるというのに」
「そのご令嬢を誘えばいいのでは?」
「…馬鹿者」
「誰がよ」
口では反抗するハンナだが、こんなに大々的に皇室の馬車を引いて来られたら侯爵家にこの誘いを断る権利などないのだ。分かっているからこそ腹立たしい。
そもそも今夜の舞踏会は平民も参加するためパートナーの同伴は自由である。婚約者がいる者たちは当然一緒に行って踊ることになるが、ハンナに婚約者はいないし、アデルにも有力な皇太子妃候補はいない。つまり、今夜二人がパートナーとして舞踏会に参加すれば、ハンナは皇太子妃候補として噂されてしまう。そんなことは何が何でも避けたかった。
「絶対にダンスは違う人と踊りなさいよ」
「なんで」
「皇太子妃になりたくないからよ!」
「わかったよ。ダンスは他の者と踊るから」
仕方がない。一緒に行くことは避けられないのだ。せめてダンスは違う者に踊ってもらい、私は今回の舞踏会も壁の花になろう。
「さあ、行くぞ」
アデルにエスコートされながら馬車に乗る。
ついに始まる16歳の舞踏会。今夜のパーティーが終わればすぐに至難の旅が始まる。
「楽しみね」
「楽しみなわけあるか」
心底嫌そうなアデルの顔が可笑しくてハンナは笑う。
旅は国を離れて見知らぬ惑星に行くことになる。16歳の幼い少年少女たちの誰が楽しみにするだろうか。
しかし、ハンナには楽しみで仕方がない理由があった。
「やっと会えるのよ?私がどれだけこの日を待ちわびてたか知ってるでしょう?」
「嫌というほどにな」
ハンナは至難の旅で長年焦がれた惑星に行くのだ。
幼い頃の初恋に会いに。