第七話:本音
「本当に良かったんですか?」
二人をベンチに残し歩き出した四人が諒達から遠ざかった後、香純は思わずそんな言葉を口にした。
兄の気遣いは理解していたものの、やはり皆が納得できていないのではと不安になってのものだったのだが。それを聞いた日向は、ふっと優しい顔を見せた。
「妹ちゃんが諒君や萌絵を心配する気持ちは分かるけど、今はこうしてあげたほうがいいの」
「どうしてですか?」
「萌絵が一番気落ちしてるのもあったけど、諒君も気落ちしてたから」
「そうなのですか?」
「まあね。だから、二人が一緒の方がお互い元気が出るの」
椿の疑問に、意味深な笑みでそう語る日向だったが。
「ただ、深く詮索しちゃダメだからね。今はちゃんと二人を信じて私達は楽しむ。いい?」
すぐ諭すようにそう付け加えた彼女を見て、蒼は内心とても感心していた。
──凄いな。日向さんはもう、諒の事分かってあげてるんだ。
まだ出会って日も浅いのに、ここまで彼を理解してくれている。
初日の印象とはかけ離れたその変化に、蒼もまた諒同様、日向の凄さを感じて取っていた。
*****
残された二人は少しの間言葉を交わさず、並んでベンチに座ったまま、晴れ空の元ぼんやりと景色を眺めていた。
園内を楽しそうに歩いていく家族連れや友達グループ。それは遊園地だからこそそうあるべきな客の姿なのだが。
天気のように晴れやかとはいかない萌絵は、そんな人の行き来を少し羨ましそうに眺めながら、表情に影を落とす。
諒の顔を見ることもできず、ふっと目を伏せたまま、そこに申し訳無さだけを色濃くし、彼女はただ、心痛めていた。
──情けないな……。
日向の運転で慣れていたと思ったのに、耐えられず酔ってしまい。
皆に心配をかけただけでなく、諒にまで気を遣わせている。
気持ちが楽しいはずの世界の中で、萌絵はただそんな鬱々とした心に支配されていた。
そんな中。
「ねえ、萌絵さん」
諒の優しい呼びかけに、彼女は笑顔になれぬまま、ゆっくりと隣に座る彼を見上げる。
「元気になったら、次は何処に行ってみたい?」
彼は彼女に視線を合わせる事なく、景色を微笑みながら眺めている。
「私……」
今の状況に自責の念しかない萌絵は、答えようという気持ちになれず、口を噤んでしまう。
そんな彼女をちらりと横目で見た彼は、彼女の答えを待たず、こう口にした。
「俺は、萌絵さんが笑顔になる所に行きたいかな」
「え?」
突然の言葉に顔を向けた萌絵に、諒は微笑む。
「俺が桜ヶ丘で気を遣いすぎた時、萌絵さん言ってくれたよね。本音で話してって」
「……うん」
「だから、敢えて言うね。俺は、萌絵さんが落ち込んでるのも分かってるけど、あまり気にしてほしくないんだ」
彼の優しい言葉が嬉しいものの、萌絵はどこかそれを素直に受け入れられず。
「でも……私、大丈夫だって言っておいて、酔っちゃったんだよ?」
思わずそんな情けなさい本音を口にしてしまう。
だが、それを聞けて嬉しかったのか。
諒はふっと笑い返した。
「そんな事言ったら、俺だって、日向さんにまた迷惑かけてるんだよ」
「え? どうして?」
「だって、また空気読めずに真剣に運転しちゃってたから」
彼は再び景色に視線を移す。少し遠い目をして。
「椿さんにもっと飛ばして欲しいって言われて、だから俺もできる事を全力でしてみたんだけど。後から日向さんに言われて気づいたんだ。ボウリング場の時と同じだって。だから正直、自分もまたやらかしたなって思ったんだけど」
そこまで話すと、ゆっくりと萌絵に顔を向ける。
「でも日向さんは、俺のそんな気持ちに気づいて、あそこで責めたりせずに笑ってくれたんだよね。俺はそれに感謝してるんだ」
諒はふっと切なげに笑う。
「萌絵さんもきっと同じで、今、失敗したなぁって思ってるよね?」
「うん……」
「でもそんな顔ずっとしてたら、また香純や日向さんがしょんぼりするよ。それは嫌でしょ?」
「それは……そうだけど……」
「きっと誰も萌絵さんを責めてなんてないし、むしろ皆、気を遣ってくれた萌絵さんに感謝してるよ」
「でも私。諒君にもこうやって気を遣わせちゃって──」
「萌絵さん」
またも己を責めそうになる彼女に、諒はしっかりとした声で呼びかける。
声の真剣さに思わず目を瞠り、言葉を呑み込んだ萌絵に、諒はまたも笑う。
「俺、何度でも言うよ。気にしなくていいし、皆と楽しもう。それが、俺の本音だから」
優しくも強い言葉を聞き、萌絵ははっとする。
──「でも諒君ってきっと、喧嘩したり、傷つけたりなんて嫌でしょ?」
以前、泊まりでそう尋ねた時。
──「……うん。ちょっと、嫌かも」
そう不安そうに答えた彼が、今、はっきりと本音を口にしてくれている。
それがどれだけ怖い事か。
それがどれだけ嫌な事か。
本当に辛い事をさせているかもしれないと、萌絵の心がぎゅっと締め付けられる。
だが同時に、彼は自身の言葉を受け入れ、必死に応えようとしてくれている。
それが、心の痛み以上に、嬉しさで心を満たしていく。
「……ちゃんと、私と友達でいてくれるんだね」
心に染み入るその優しさに、小さく笑った萌絵に、諒が微笑む。
「勿論。この間、恋が少し怖いなんて言っちゃって、萌絵さんを不安にさせたけど。俺はそれでも、萌絵さんも、日向さんも、椿さんとも友達になったから。皆をちゃんと知って、皆とちゃんと向き合いたいんだ。もうできる限り後悔したくないし、何時かちゃんと萌絵さんにも、ちゃんと答えを返せるようになりたいから」
屈託のない笑みと共に、恥ずかしげもなくそんな真っ直ぐな言葉を向けられた萌絵は、自然とはにかんでいた。
「……やっぱり、諒君には敵わないな」
何処かふっきれたその表情に、彼はふっと悪戯っぽく笑う。
「そんな事ないよ。萌絵さんって俺より全然積極的だし」
「も、もう! それは言わないでよ……」
桜ヶ丘での事を思い出させる一言に、一気に顔を赤らめ俯いてしまう萌絵。そんな彼女を見て諒は少しほっとすると。
「そういう方が、萌絵さんらしいよ」
そう、優しく、眩しい微笑みをみせた。
──諒君……。
萌絵は少しの間、彼の笑みに目を奪われた。
そこに重なりし、想い出を感じて。
十年前。
幼稚園での初めての出逢いで向けてくれた笑み。
自分が心惹かれるきっかけとなった、優しい笑み。
十年見続けた彼がそこにいる事を改めて感じ。
十年経っても変わらない彼が側にいる事を改めて感じ。
萌絵は、胸のときめきと共に改めて思う。
恋は怖いと言われた。
椿という初恋の人が現れた。
だけど。
初恋が破れるかもしれなくても。
今は友達でしかなくても。
それでも今は、少しでも彼と共にありたいと。
胸の高鳴りと共に溢れ出た想い。
それが、彼女を少しだけわがままにさせた。
「諒君」
「ん? どうしたの?」
ぽつりと名前を呼んだ萌絵の潤んだ瞳と熱視線に、諒は少しドキリとする。
彼女は顔を真っ赤にし、少し迷いを表情に見せるも、ぐっと何かを決意すると、ベンチに乗っていた諒の手に、そっと自分の手を重ねると、静かにこう口にする。
「少しだけ。少しだけでいいから。こうやって、元気を貰っても、いい?」
恥じらいで消え去りそうな声。
上目遣いにこちらを見る純粋な瞳。
ふわりと温かな風が二人を撫でる。
彼女の綺麗な藍色の髪が、ふわりと靡く。
改めて感じるその可愛らしさに、諒は目を泳がせると視線を逸し、何かを誤魔化すように、遊園地の景色に再び目を向けると、
「……うん。それで萌絵さんが、元気出るなら」
照れを隠すように空いた手で頬を掻きながら、拒むこともなくそれを受け入れた。
「ありがとう」
ちらりと視線を向けた先で、嬉しそうに微笑む萌絵を見て、少し安心したのか。
諒もまた、ふっとはにかんで見せるのだった。




