第六話:空気を読めず。空気を読んで
コースも二週半を走り終え、未だトップは日向と蒼の赤いカート。
だが、それは接戦といって良かった。
「妹ちゃん、ここまで引き離せないなんて!」
完全にライバルと認めた相手を褒め称えるような、どこか熱血さを感じる笑みを浮かべる日向に。
「香純ちゃんこういうのセンスあるから。勝ちたいなら油断しちゃダメだよ」
蒼は笑顔を見せながらも、言葉で彼女の気持ちの緩みを戒める。
そんな彼女達の後塵を拝する、香純と萌絵の乗った青いカートでは。
「海原先輩、インの攻め方うますぎです!」
悔しげな口調ながら、顔は興奮したような笑顔で、完全にこのレースを楽しんでいる香純に対し。萌絵はといえば、予想以上に激しい運転に顔を青ざめさせ、バーを強く掴んだまま声を発せずにいる。
香純は、日向達の後ろを付けながらも、ずっと抜けそうで抜けない焦れったさをずっと味わわされていた。
勿論ただでは終わらず、引き離されずにしっかり付いてきているのは彼女のセンスといって良い。
そんな二人の予想外の接戦は、ただひたすらに最短コースを攻める難しさと、競り合う事で生まれる最速で走れない焦れた環境を生んでいた。
コース取りと香純達をブロックする事に集中していた日向は、森を抜けたラストのコーナーまでのストレートに入る。
やや下り坂。飛ばしすぎればコーナーで勢いよくスピンする。経験でそれを理解していた彼女は、コーナーが近づいた所で少しアクセルを抜き速度を緩める。
勿論それは香純も一緒だ。
とはいえ、よりインを突ければ勝てるかもしれない。
だからこそ速度はできる限り合わせ、虎視眈々とラストチャンスに賭けていたのだが。
突然聞こえた第三のエキゾースト音。
それが一気に近づいたのを耳にし、二人ははっとする。
「嘘!?」
「お兄!?」
瞬間。二人は震撼した。
「諒様! 今です!」
完全に勝負に存在しなかったはずの緑のカートが、椿の声と共にコーナー外側になる進路のまま、速度を落とさず一気に抜き去っていく。
そう。
二台の牽制が生んだ膠着状態に対し、諒はただひたすらに、己が出せる集中力でカートをほぼ最高速で走らせ、追いついてみせたのだ。
二台の前に躍り出た諒のカートは、オーバースピードのまま、突然車体をコーナーに合わせるように大きくイン側に曲げると、勢いそのままに、滑りながらコーナーに突入する。
タイヤから上がる白煙。
流れるようにコーナー外側に沿って滑るカート。
大興奮の椿。
真剣過ぎる諒。
そんな彼らの走りを見せつけられた日向と香純は、唖然としながらコーナーを抜けていく。
抜き去られた先で、チェッカーフラッグを受ける諒達を見ながら。
「諒君、真剣になり過ぎでしょ……」
ボウリング場の一件を思い出し、日向は思わず呆れた声を出し。
「お兄、あんなにうまかったの?」
香純も唖然としたまま、そう呟くのだった。
*****
ドリフトカートを堪能した諒達は、一度近くのベンチに場所を移していた。
想像以上の荒れた走りに車酔いになってしまったのか。
ベンチに腰を下ろしている萌絵の顔色がかなり悪い。
隣には椿が座り、優しく彼女の背中を擦ってあげている。
「霧島先輩。本当にごめんなさい」
「だ、大丈夫だよ。普段より早くって、カートが思ったより揺れたから。ちょっと、びっくりしただけ」
萌絵の前に立ちしょんぼりとする香純に、彼女は無理に笑みを返す。
「あの……ほんとごめん。妹ちゃん思ったより運転上手くって、思わず普段より飛ばしちゃって……」
「気にしないで。少しここで休んでたら、すぐ元気になるから」
同じく申し訳無さそうな顔をする日向にも、彼女は責めることもなく笑顔を見せる。
この場の空気を悪くしないようにしているのは明白。
それが二人の申し訳無さを加速させる。
そんな何とも言い難い空気が漂ったその時。
「まあまあ。楽しむ時ってそんなもんだと思うよ。ね? 諒」
「そうそう。だから日向さんも香純も、あまり自分を責めないの」
自動販売機で飲み物を買ってきた諒と蒼が、そんな慰めの言葉を掛けながら、ペットボトルを手にベンチに戻ってきた。
蒼は香純に無糖の紅茶を、日向にはオレンジジュースをそれぞれ手渡し。諒は椿に緑茶を、萌絵には水をそれぞれ手渡す。
「萌絵さんはこれも」
合わせて彼女に手渡されたのは酔い止めの錠剤。
それを手にすると、萌絵は短く「ありがとう」と何とか笑顔を見せると、薬を水と共に呑み込む。
「でも、正直一番椿さんにびっくりだったよね。諒のあの運転を普通に楽しんでいたし」
「それは……走っている時の風を切る感覚が、とても気持ちよかったものでして……」
蒼が場の空気を変えるかのようにそんな話題を振ると、椿は少し顔を紅潮させ、恥ずかしげにそう語ると、お茶を口に含む。
ふと、その時の諒の顔を思い返し、日向は思わず苦笑する。
「椿さん喜んでくれたのはいいけどさ~。諒君ちょっと大人気なくない?」
「え?」
「あんなに真剣になっちゃってさ~。ゴーカート得意だったなら、先に言ってくれたらいいのに」
やれやれといった呆れ顔。
だが、そこには以前のボウリングの時のような白けた雰囲気なく、完敗した潔さが漂っている。
彼もそれは理解していたが、内心は、
──また、やっちゃったよな……。
と、少し心苦しく思っていた。
「でもお兄って、ここ来たことあったっけ?」
そんなやり取りを見ていた香純がふと、気になったことを尋ねてみる。
「ないよ。何ならリアルのゴーカート運転したのも初めてだったし」
さらりと返された答え。
それを聞いて、目を皿のようにしたのは日向だった。
「うっそでしょ!? あんな走り、初めてでなんて無理無理!」
ありえないと強く否定する反応も最もだろう。
普通こういう乗り物は、慣れないと戸惑いばかりでスピードを出すのすら勇気がいるもの。それをこうも簡単に乗りこなされては堪らない。
だが、その謎を理解している男がそこにいた。
「諒って昔から集中力とセンスがずば抜けてるんだよね。以前二人でゲームセンターの『マリオンカート』を遊んだことがあったんだけど、一回プレイしただけで感覚掴まれて、経験者の僕が抜かれないようにするのに必死になるほどすぐ上達してたし」
「そういえば、ボウリングもお父さんに初めて教わったら、すぐコツ掴んで簡単にスコア伸ばしてたっけ……」
ゲームセンターのレースゲーム『マリオンカート』の話を聞き、ふと昔の事を思い出し、どこか納得したような顔をする香純。
二人の会話を聞いた日向は、ふぅっとため息を漏らすと苦笑する。
「諒君ってさ。女神様にチート能力でも貰ってる訳?」
「え? チート?」
例え話の意味が分からず、ただ首を傾げ戸惑う諒の天然の反応もまたそそるのか。
「そういうの分からないのも、諒君がピュアってる証拠だよね」
日向がにこやかな笑顔でそう言うと、周囲も釣られて笑ってみせた。
「この後はどうなされますか? まずは萌絵様の体調が戻るのを待ちましょうか?」
「そうだね~。流石に無理させられないしな~」
椿の気遣いを感じる問い掛けに、日向も同意すると、
「私はここで待ってるから、皆で楽しんできて。折角楽しみにしてたんだし。落ち着いたらMINEして合流すればいいし。ね?」
萌絵は気丈に笑みを浮かべ、彼女達にそう促した。
──萌絵、気を遣ってるなぁ……。
長い付き合いの日向はそんな彼女の笑みの裏に隠れた心をはっきりと理解していた。
普段の友達と一緒の時も、何かと気を遣う彼女だからこその一言。
確かに大事に至るような事はないものの、皆で楽しむ今日という日で一人にするのは気が引ける。
日向が少し迷った顔を皆に向けると。蒼も、椿も、香純もまた、どうすればいいか分からず戸惑いを向けてしまう。
そんな中。
一人だけ、違う顔をした者がいた。
「うん。皆楽しんできてよ。萌絵さんは俺が一緒に付いて見ておくから」
そう笑顔で口にした諒に、思わず皆が視線を向ける。
「萌絵さん一人放っておけないし。だけど萌絵さんが言う通り、皆に少しでも楽しんでほしいしさ」
「諒君だって、皆と一緒がいいでしょ? だから大丈夫だよ」
思わず上目遣いに、安心させるようにそう気を遣う萌絵だったが、諒は少し気恥ずかしそうに頭を掻く。
「……本音を言うとさ。遊園地の中が思ったより雰囲気いいから、ここで落ち着いて景色見たりもしたくって」
困ったような笑み。
本音にも感じるその言葉を聞いた他の面々は、互いに顔を見合わせる。
「どうする? 僕は二人がいいっていうなら良いけど」
蒼が提案を受け入れるような言葉を口にすると、
「そうだね。お言葉に甘えて、萌絵は諒君に任せて、私達は次のアトラクション行こうか? 椿さんと妹ちゃんもそれでいい?」
日向もまた笑顔で二人にそう尋ねる。
「私は、構いませんが……」
「……霧島先輩。お兄。本当にいいの?」
何処か気が引ける二人が、ためらいがちにそう言葉を返すと、諒は笑みを崩さす頷く。
「勿論。萌絵さんが落ち着いたら、また皆と楽しめるからさ。蒼、日向さん。二人を任せていい?」
「もっちろん。但し。二人はちゃんと元気になったら合流してね。ずっと二人っきりとか許さないから」
意地悪っぽく笑う日向の言葉に、思わず諒は苦笑しながら頷く。
──きっとお兄、皆を気遣ってるんだよね。
──諒様や萌絵様のお気遣い、無駄にしてはいけませんね。
椿と日向も、そんな彼等の心の内を感じ、ふっと笑みを見せる。
「……分かった。お兄の分も楽しんでくるね」
「私もお心遣いに感謝し、楽しませていただきますね」
「うん。後で何処でどう楽しんだかは聞かせてもらうよ」
二人の言葉に、感謝するかのような笑みを見せる諒。
──諒君……。
そんな彼の優しさが胸に来たのか。
萌絵はじっと彼を見つめ、少し目を潤ませてしまう。
だが、流石にこの場で泣く訳にはいかないと、ぐっと涙を堪えると、
「皆、しっかり楽しんでね」
そう言って、彼女もまた微笑んでみせた。




