第十三話:因果応報?
二人が見つめあって、どれ程の時が経ったか。
また涙で前が見えなくなり、無意識に袖で涙を拭った諒は、目にした椿の視線にふと気恥ずかしくなり、思わず視線を逸らす。
と。その先──彼の机の引き出しの下に置かれた何かが目に留まり。瞬間、彼の心が一気に覚めた。
──あれって……まさか……。
「あの、諒様……。どうなされましたか?」
はっとした椿が、愕然とした彼に何事かと戸惑いを見せる。
だが、諒はそれを気に留める事なく、四つん這いになり静かに机に這い寄ると、手を伸ばしてそれをそっと隙間から引き抜いた。
それは、紫を基調としたTwo Rougeのロゴ入りケースに包まれた、妹のスマートフォン。
あり得ないはずの物がここにある理由に気づき、彼のスマートフォンを持つ手がやり場のない怒りにわなわなと震えたかと思うと。
「……皆。今すぐこっちの部屋に」
強く怒気を孕んだ声をスマートフォンに向けた後、通話を切った。
画面に映っていた通話先は日向。
──全部、聞いてたのかよ……。
思わず諒は大きなため息を吐くと、
「椿さん。本当にごめん」
突如彼女に向き直り、心底申し訳なさそうに土下座する。
「一体、何事なのですか!?」
あまりに突然の事に、事情を知らぬ椿は、ただただ戸惑う事しかできなかった。
*****
少しして、諒と椿がベッドの端に並んで腰を下ろし。床には、制服姿の蒼、香純、日向、萌絵の四人が、ばつが悪そうな顔で正座させられていた。
彼に、四人に盗み聞きされていたと伝えられた椿は、顔を真っ赤にして俯いてしまい。
諒は露骨に怒りを顔に出し、じっと四人を見つめている。
「で?」
冷めた目で、四人を見下ろす諒。
それは彼女達が一度も味わってこなかった、本気で怒っている彼の姿だった。
最も身近な香純ですら、自分の髪を馬鹿にした相手に怒った時以外で、そんな顔をした所を見た事はない。
「だ、だから言ったじゃないですか。海原先輩」
「そ、それは妹ちゃんが、上手いところに隠さないから」
「日向が無理矢理させたんでしょ。そういう言い方はダメだよ」
「そ、そういう萌絵だって、心配だし不安だからって言ってたじゃん……」
香純、日向、萌絵の三人がひそひそと、互いに言い訳じみた会話をし。
唯一蒼だけは、何も言わずにじっと目を閉じ、覚悟を決めた顔をしている。
耳に聞こえた内緒になっていない内緒話に、諒は大きなため息を漏らす。
「……香純」
「ひゃい」
本気で怒っている兄の声に思わず恐怖し、上擦った声を上げた彼女は、緊張した表情で背筋をぴんっと伸ばす。
「お前。盗み聞きは悪いって思わなかったのか?」
「だ、だって、海原先輩に言われたら、その、断れなくて──」
「日向さんがどうこうじゃなくって。お前はどうだって聞いてるんだよ?」
苛立ちすら感じる声に、またもびくりとした香純は、思わず目線を逸らし俯くと。
「……悪いって、思います……」
落胆し、しょんぼりとした声を出した。
「日向さんは?」
「いや、その。諒君少し前まであんなに辛そうだったし、何かあったら大変かな〜って──」
「で? じゃあ自分が俺の立場なら、勝手に大事な話聞かれたい訳?」
「そ、それは……」
「どっちなの!?」
思わず狼狽え、答えに窮する彼女に強く言葉を放つ諒。
今までの男子仲間にすら感じなかったその怒気の強さに、さしもの彼女もしゅんとすると。
「……ごめん。嫌、だと、思う……」
そう、罪を認める。
「萌絵さん」
「ごめんなさい」
次に名を呼ばれた萌絵は気落ちした顔で俯いたまま、迷いも見せずすぐに謝る。
「萌絵さんは、皆を止めなかったの?」
「……うん」
「どうして?」
「だって、皆が諒君のこと、心配してたから……」
「悪い事だって分かってても?」
「……ごめんなさい……」
終始一貫して、誰かのせいにする事なく。彼女は頭を下げ続けた。
「蒼」
「……」
蒼は言葉を発さず、閉じていた瞼を開くと、彼の目をじっと見つめる。
その視線を受け、諒ははぁっと、またもため息を吐く。
「お前、こうなるの分かってて黙認したよな?」
「流石。よく分かってるね」
「だよなぁ」
真顔から一転。当たり前と言わんばかりの笑みを浮かべた蒼に、諒もやれやれと呆れた笑みを返す。
空気が一変した諒に、正座した女性陣が顔を見合わせる中。彼は椿に顔を向けると、申し訳なさそうに、深々と頭を下げた。
「椿さんごめん。皆を許してあげてくれないかな?」
「え?」
少し驚いて見せた椿に、諒は語る。
「蒼も、日向さんも、萌絵さんも。妹の香純も。皆悪気はなかったんだ。俺がこんな情けない奴だから心配かけただけで。勿論こんな事はもう二度とないようにする。だから今回だけは、許してあげて欲しいんだ」
予想外の事に、思わず唖然とする香純、日向、萌絵の三人は、自分の代わりに頭を下げる彼を見て、流石に申し訳ない気持ちになる。
そんな中。
椿はふっと笑みを浮かべると、こう言った。
「諒様は、良いお友達や妹さんをお持ちなのですね」
「うん。そう思う」
「では、許す代わりに皆様に、ひとつだけ私のわがままを聞いていただいてもよろしいでしょうか?」
「わがまま?」
その言葉に、思わず顔を上げた諒に、彼女はふっとはにかむ。
「はい。皆様に、私のお友達になって頂きたいのです」
「え?」
「私達が?」
蒼と萌絵が疑問の声をあげると、椿は皆に向け笑顔で頷く。
「皆様と席も近くなれましたし、何よりお優しい方々だと知る事ができました。勿論私はアーティストでもありますので、常に自由気ままにご一緒できるとは限りませんが。学校生活やプライベートで、こうやって共に心配し、笑顔であれる素敵な友達がいてくださると、とても心強いのです」
「でも私は、お兄の妹なだけで……」
「諒様と同じくお優しいではありませんか。私はそんな香純様とも、お友達になりたいのですよ」
気後れする香純にも優しく接する椿に、彼女は戸惑った顔を諒に向ける。
実際、そこにいた皆が心配したのは彼の事だ。
皆。
その言葉に、諒が含まれないはずはない。
それでなくても一番苦しんだのは彼であり、彼が辛いのでは本末転倒。
だからこそ、皆が諒に心配そうな視線を向ける。
「やはり、お辛い……で、しょうか?」
彼女達の不安に感化され、椿がおずおずと諒に尋ねる。
その瞳の裏にある陰。
それが分かっているからこそ、彼は目を閉じ、悩んだ。
本当は、先程の会話を最後に、別々の道を歩む覚悟をしていた。そんな中、彼女からこんな申し出をされたのは予想外。
正直言えば、未だ心は辛い。
だが、この話を自分が拒めば、皆が椿に許してもらえないのではないか。
クラスで気まずくならないようにと提案した日向の顔に、泥を塗ってしまうだろうか。
そんな心の傷と、友達の想いへの狭間で、想いが揺れ動く。
ゆっくりと目を開けた諒は、困った顔で頭をくしゃくしゃと掻くと、覚悟とも、諦めともとれる心境の中、こう答えた。
「えっと。俺は、皆が良いなら、別に」
「諒く〜ん」
何処か煮え切らない彼の返事に、日向が少し白けた目を向ける。
「皆がどうこうじゃないでしょ? 諒君が本気でいいのかダメなのか。はっきりしてあげてよね」
先程とは逆の立場となった諒は、思わずため息を漏らす。
わかっているのだ。
皆が自分を気遣っていることを。
自身が傷つけた椿自らが、友達になりたいと願ったことを。
──きっと、辛いだろうな。
未だに胸が痛む。
だが、同時に想う。
──皆がいてくれるなら、大丈夫、かな。
そんな、ささやかな希望を。
「あー、もう!」
諒は思いっきり叫ぶと。
「俺は別に構わないよ!」
ベッドに仰向けに身を倒し、自棄気味にそう返した。
投げやりにも聞こえる言葉。だが、皆は気づいていた。
倒れ込む前に見せた顔は、本気で苦しんでいた時とは違う、どこかすっきりとした笑みだったことを。
そんな彼を見て、日向と蒼はにっこりと笑みを交わし。萌絵と香純も少しほっとした顔をする。
ただ。
「その代わり……まだ、歌ってあげたりはできないと、思う。それだけ……勘弁してくれる?」
諒は横になったまま椿を見上げ、申し訳なさそうにそう念押しした。
彼女との蟠りはなくなっても。己の歌が、誰かに何かを伝えてしまうかもしれない恐怖は、早々には拭えない。
歌で心を伝える者だからこそ。
その心を理解しているからこそ。
「はい。ありがとうございます」
彼女も諒を見下ろしたまま、笑みを絶やさず頷いて見せる。
そんな二人を見届けた瞬間。
「よーし! じゃ、今日はここで皆でパーティーしよ? 今こそ仲良くならなきゃ!」
先程までの反省などなかったかのように、嬉しそうにそう口にしたのは日向だった。
「で、でも!? 真行寺先輩だって予定とか……」
突然の言葉に、慌ててそれを牽制する香純。
だが。
「私、本日は特に予定もございませんよ」
「え? あ、その。お、お兄だってまだ怪我が──」
「もうそんなに痛みもないから。母さんに聞いてOKなら良いんじゃないか?」
色々と理由を付け何とかしようとするも、箸にも棒にも掛からぬ彼等の返事では、彼女の思惑通りに運ぶわけもない。
正直、香純は不安だった。
まだ諒は心の傷が癒えたとは思えない。それなのに、彼女を友達として受け入れ、今ここで無理をさせることを。
だが、にんまりとした日向は次の瞬間。彼女の心を強く揺さぶった。
「妹ちゃん。椿さんってTwo Rougeと仲良いって知ってるよね?」
「は、はい」
「って事は、もしかしたら、ちょっとしたプライベートな話とか、聞けちゃうかもよ?」
「う……」
恐ろしく誘惑を感じる一言に、ぐぬぬ、と眉間に皺を寄せた香純。
上半身を起こした諒は、その反応に思わず吹き出す。
「香純。俺は大丈夫だから。ただ、あまり椿さんに迷惑掛けるなよ」
「むぅ。大丈夫ですよ〜だ!」
口を尖らせ不貞腐れる彼女に、周囲の皆も思わず釣られて笑う。
こうして、紆余曲折あった土曜の午後は、そのまま動ける皆でお菓子や飲み物を買い出し、椿の歓迎会へと変わっていくのだった。




