第四話:光と影
学校指定のブレザーにスカートを身に纏い。
艶のある黒髪を綺麗に切り揃えた前髪に、肩に掛かるもみあげ。そして、腰まである長髪。
線の細いすらっとした顔立ち。落ち着いた雰囲気から、傍から見ても良家のお嬢様に見えるその少女の名を、大半の生徒は知っていた。
真行寺椿。
若干十三歳にして、動画サイトから火が点いた、海外で一躍有名になったアーティストであり、Two Rougeと並び、日本の女性アーティストの中でも人気のソロシンガーである。
世代の近い女子中高生の心を打つ恋愛、失恋ソングをしっとりと歌いこなす彼女が転校生として現れた事に、教室はにわかに騒ぎたった。
「静かに」
そんなざわついた空気を、落ち着いた、しかし鋭い言葉で水瀬が牽制すると、生徒達が一気に静けさを取り戻す。
「ええ。皆さん名前はご存知かもしれませんが。今日からこのクラスで一緒に過ごす事になった、真行寺椿さんよ。椿さん。自己紹介を良いかしら?」
「はい」
水瀬に促されると、それまで俯いていた彼女は顔を上げ、教室の生徒を一度見回すと、ゆっくりと口を開いた。
「お初にお目にかかります。私、真行寺椿と申します。先月までは家族の都合でアメリカの方に滞在しておりましたが、この度日本に帰って参りました。度々戻ってはおりましたものの、日本での生活は数年振り。色々と慣れぬ事もまだ多いので、よろしければ皆様、色々とご教示ください。これからもよろしくお願い致します」
まるで詩を朗読するかのように、落ち着いた口調でそう語った彼女が、深々と頭を下げると。生徒達から一気に温かな拍手が巻き起こった。
「ありがとう。ええ、青井君。赤城君。霧島さん」
「「はい」」
茫然としていた蒼と萌絵が、はっとすると慌てて返事をする。
「あなた達は同じ中学だったと聞いているわ。上半期の席替えのくじ引きは免除します。今の席のまま、海原さんのいる席に真行寺さんに座ってもらいますから、あなた達が彼女に色々と教えてあげてくれるかしら?」
「あ、はい」
「分かりました」
蒼と萌絵がそう返事をしたのだが。
この水瀬の説明は、一気に教室内を騒がしくした。
神城高校では、新学期の最初と下半期の頭に席替えを行うのだが、基本的に公平性を担保するためくじ引きで席を決める規則となっている。
だが今回、それを免除された諒達は、その時点で椿のすぐ側の席が確約された事になる。
だが。相手は有名人。
こんな機会を他の生徒達も早々逃そうとはしない。
「先生! そりゃないですよ!」
「そうです! 私達だって真行寺さんの側がいいです!」
他の生徒達がそんな不満を次々にぶつける中。
「先生! それじゃ私が大の親友の萌絵の側にいけないじゃないですか!」
一人だけ違う理由で声を大きく張り上げたのは、露骨に不満そうな日向だった。
彼女も含めた生徒達の騒がしい声が大きくなっていく中。
「静かに!」
眼鏡を直しながら、多少苛立ちを見せた水瀬が強く一喝すると、あまりに鋭い声に、思わず周囲は水を打ったようになる。
「他の皆さんには悪いかも知れませんが、これも真行寺さんの為です。もし側に行きたいというなら、しっかりくじで引き当てるか、休み時間などに交流してあげればよいだけです」
「え~!? でも私もう萌絵と席空いちゃうし。同じ班になるのだって一席しかチャンスないんですよ~!?」
怒らせると怖いと有名な教師、水瀬。
だからこそ他の生徒が何も言わなくなったのだが。それでも日向ははっきりと抗議の声を上げ続ける。
「まったく。席が離れようが同じクラスメイトじゃないですか。真行寺さんの為に譲る気概はないのですか?」
「それは最悪いいですけど。親友と席が離れるのが確定してるなら、せめてくじ引きを一番最初に引かせてほしいです!」
思った以上に食らいつく日向に呆れながらも、彼女は少し思案すると。
「分かりました。ですが一度きり。それで決まった席に文句は言わせません。それで良いですね?」
「やった~! 先生! ありがとうございます!」
ころりと態度を変え笑顔で勢いよく頭を下げた彼女に、水瀬は思わず呆れてみせた。
くじ引きの一番最初。
それは、すべての席のチャンスがある代わりに、最も当たる確率も低い諸刃の剣。
そんなもの引けるはずなどない。
そう思ったからこそ、水瀬は日向の意見を渋々受け入れたのだが。
その後すぐに行われた席替えのくじ引きで、女子席用のくじを意気揚々と引いた、トップバッターの日向は。
「にっひっひ! くじ引きは得意なんだよね~」
嬉しそうな笑みと共に、萌達と同じ班になれる唯一の席。椿の前の席を引き当て、水瀬を唖然とさせ、女子達の落胆のため息を誘ったのだった。
*****
「では席替えも終わったわね。始業式までは自由時間としますが、できる限り教室から離れないように。先生が戻った時に教室にいない生徒は覚悟なさい」
「は~い」
水瀬の脅し文句に、緊張した面持ちで返事をする生徒達。その声に頷いた彼女は、そのまま一人、教室を出ていった。
瞬間。一気に席に座っていた椿の周囲に、生徒達の人だかりができる。
「うわぁ~。本物の椿さんだ~!」
「どうして転校先にこの学校を選んだの?」
「Two Rougeと仲が良いって本当?」
「ね? ね? MINEとか交換しない?」
「ええと、その……」
矢継ぎ早に皆が発言するのに、椿が困った笑みを見せると。
「はいはいはいはい。椿ちゃんも困ってるでしょ。皆順番に話そ? 別に今日だけクラスメイトって訳じゃないんだしさ」
その場を仕切るように、日向が皆をなだめ、割って入る。
「そうだね。流石に一気にそれだけ質問が来たら、彼女が困っちゃうし」
同じくその場を収めるべく蒼も椿の側に立ち声を上げると、流石に皆も少し落ちつきを取り戻していく。
「それじゃ、順番に答えてもらお? あ、でも。椿ちゃんは答えにくい質問とかははっきり断っていいからね?」
「はい。お気遣いありがとうございます」
柔らかな笑みで頭を下げる彼女に、日向も嬉しそうな顔をした。
「じゃあまずは、ここを転校先にした理由からね~」
「はい。それではお話いたしますね」
こうして、椿と生徒達の楽しげな交流が始まった訳だが。
彼女の側に立った蒼も。彼女のすぐ後ろの席に座ったままの萌絵も。集まった生徒達に遮られ、一番気にかけたい相手を確認することができなかった。
真行寺椿。
確かに彼女は、今や有名人。
だが、蒼と萌絵は。そして何より諒は、彼女のもうひとつの側面を一番良く知っている。
それは、彼女が諒の初恋の相手であり、失恋の相手である事。
突然教室に現れた彼女に、諒は愕然とした。
中学一年の時より背も伸び、少し大人びた。
昔、彼が憧れた時同様の長い髪に戻り、当時と変わらぬ澄んだ心地よい声が、間違いなく彼女がそこにいると強く理解させられ、心が騒つく。
水瀬の口から椿の名を聞いた時には、既に諒の耳に周りの声など届いていなかった。
水瀬の指名に返事すらできず。
周囲を見渡した椿と視線があった瞬間、咄嗟に彼は視線を逸す。
日向と水瀬のやりとりの際も。
くじ引きが始まる前。日向と入れ替わるように椿が蒼の脇に座り、近くの者に挨拶をした時も。
ずっと顔を上げず。顔を向けず。声すら発さず。
ただ、奥歯を噛み。口を真一文字にし。
諒はただひたすら、何かを堪えるように俯いていた。
皆と楽しげに話す彼女の声だけが、嫌でも耳に届き。彼の胸をぎゅっと苦しめる。
切なさ以上の心の傷。
中学時代に経験した、既に過去のものとしたはずの記憶が、諒の中でひとつひとつ、蘇る。
ひとり教室で、寂しそうに歌っていた椿。
自身の歌を聞かせた時に、褒めてくれた椿。
授業中に視線を向けた時、目が合いふっと微笑んだ椿。
他の生徒達に囲まれ楽しげにする椿。
文化祭で、歌声で皆の心を虜にした椿。
告白した直後の、目を伏せ切なげな顔をした椿。
長い髪をばっさりと切った椿。
転校の日。寂しそうな笑みを見せた椿。
ひとつを思い出す度に。
心がひとつ、重くなり。
心がひとつ、苦しくなる。
少しずつ、息が荒くなり。
少しずつ、顔が青ざめる。
──何で……。何で、椿さんが……。俺は、何で……。彼女は、何で……。俺は、彼女のせいで……。いや……彼女は……俺のせいで……。
積み重なりし哀しく、苦しい想い出に耐えられなくなった心が、強く悲鳴を上げ始めた。
恐怖に駆られるように。
罪悪感に、苛まれるように。
胸がより強く痛み。
身体を無意識に震わせ。
瞳に自然と涙を浮かべ。
顔が、苦しげに強く歪む。
耳に届く声が辛かった。
彼女がそこにいるのが辛かった。
ここにいる自分が、辛かった。
その時、諒はどうしてよいのか分からなかった。
ただ、ここにいる事に、耐えきれなくなった。
突如ふらりと立ち上がると、彼は人だかりを避けて、ゆらゆらと、不安げな足取りで教室を歩き出す。
そんな諒に、誰も気づけなかった。
椿という光に照らされ。集まり。そちらばかりを見る者達では。
逃げるように諒が廊下に姿を消し。教室に未だ楽しげな声が響く中。
椿という光の届かぬ遥か向こうで起きた悲鳴と喧騒にも、そこにいる者達は、気づけなかった。




