第五話:それじゃダメなのに
ベンチに並んで腰掛けたまま、互いに深呼吸し、恥じらいを強くしていた心を落ち着けると。二人は互いの顔を見た。
「えっと。りょ、諒さんは霧島先輩の事、何処まで覚えてる?」
先に香純がそう尋ねると。諒は少し考え込むと、
「そうだなぁ……。同学年で、読書や映画が好きってのと。歌が上手いって事。あと、日向さんと仲が良いとか。ずっと俺を見続けてきた事とか……かな?」
とりあえず思い浮かんだ事を羅列してみた。
「じゃあ問題。それが私にも当てはまるとして。諒さんならこの駅周辺で、私を何処に連れて行く?」
「う~ん……。やっぱり、図書館?」
昔から本が好きだったのは、ファミレスでの会話でも耳にしていて印象に強い。
だからこそ、この選択だったのだが……。
「おに……じゃない。諒さん。それ、最低のチョイスだよ」
香純は少し呆れた声でそう否定した。
「え? なんで?」
「あのね。二人っきりで逢うって事は、二人で楽しむ事を前提とすべきなの」
「二人で、楽しむ……」
「そう。友達だってそうでしょ。ゲーセン行ったら一緒にゲームするし。映画観に行ったら一緒に同じ物観て、後で感想語り合うよね?」
「まあ、確かに」
「図書館は確かに本が好きな霧島先輩も、きっと好きな場所だとは思う。でも、お喋りしにくいし、互いに別の本を読むだけになっちゃうでしょ。恋人同士が一緒にいたいだけとか、仲良く一緒に勉強するならいいけど。友達とのデートで、しかもお互いをより知ろうとするならご法度だよ」
「そ、そっか……」
早速ダメ出しを受け、情けない顔で頭を掻く諒。
「勿論、できれば二人共楽しめる場所がいいと思う。ただ、もし片方の趣味を優先した場所に行くにしても、せめて同じ時間をちゃんと共有できる方がいいよ」
「例えば?」
「霧島先輩なら勿論、映画館はあり。本に関してなら、図書館より本屋さんがいいかな?」
「何で?」
「どんな本に興味あるのかとか聞きやすいでしょ。読む気があれば、そこで彼女のオススメの本買ってみて、その先の普段の会話に繋げる事もできるし」
「……香純、さんって、意外にそういう事情に詳しいんだな」
「まあ、彼氏のいる女友達も多いし、勝手に情報も集まってくるもん」
意外そうとはいえ、褒められたのが少し嬉しかったのか。
香純は自慢気に胸を反らし偉ぶった。
「お昼は何処かお店入るけど。そろそろ十時だし、映画見終えたらお昼近いだろうから丁度良いかも?」
「じゃあ映画館行ってみる?」
「うん。あ、ちなみに」
先に立ち上がった香純が、座ったままの諒の前に立つ。
「問題出したりする時以外は、できる限り恋人として、ちゃんと振る舞ってね」
「え? どういうこと?」
「説明とか問題の時は普段通りの口調でいいけど。女子に慣れる為の訓練でもあるんだから。私も霧島先輩っぽい喋り方するから、諒さんも同じように話しかけてほしいの」
「そういうことか……」
──なんか、そういうの緊張するんだけどな……。
少しだけ困ったような顔をした彼だったが、彼女の真剣な表情にため息を吐くと、覚悟を決め立ち上がる。
「わかったよ。香純、さん……」
何とか気恥ずかしさを振り払おうと踏ん張る諒。
だが、その気持ちを逃さないと言わんばかりに、香純は彼の腕に絡みつけるように、自身の腕を回す。
「え? は?」
突然の事に変な声をあげてしまう彼に。
「こ、恋人なんだから。こういうことも当たり前にならないと」
真っ赤な顔で上目遣いに見上げた香純は、ぎゅっと身体を押し付けるようにして、腕をより強く、しっかりと巻き込んだ。
「あ、その……。ま、まあ。頑張って、みる」
普段同じような事をされてもそこまで意識はしないのだが。
やはり仮とはいえ、恋人と強調され意識させられてしまうと、色々なものが気になってしまうもの。
例えば。彼が腕ではっきり感じている、妹の腕の柔らかさや温もりとか。
──恋人同士って、こんな大変なのか!?
ドラマなどで男女が簡単に腕を組む印象があったため、もっと気持ち楽かと思っていたのだが。
先程「恥ずかしいのは勘弁」と言ったものの、頑張っている妹を前に、止めてくれと言うわけにもいかず。
「じゃ、じゃあ。行こうか?」
何とか心の動揺を抑え込み、振り絞るようにそう声を掛けると。
「う、うん。諒さん。エスコート、お願いね」
緊張した香純も、何とか萌絵らしさを出しながら返事する。
こうして二人は、普段と違うぎこちない足取りで、映画館のあるショッピングモールへと向かっていった。
*****
ショッピングモール四階にある、大型映画館『SOHOシネマズ芝野蔵』は、既に多くの若者で賑わっている。
そんな中、諒と香純は二人、真新しい赤に染められた店内待合コーナーの壁にある、上映されている映画のラインナップを眺めていた。
先日萌絵がオススメに挙げていた恋愛映画、『君の元へ翔ぶ翼』。
今週皮切りとなった人気アクション映画、『タイ・ハード リターンズ』。
パニックホラーの巨匠が監督したホラー映画、『ミステリアスソウル』。
近年話題の和風アクションアニメ、『劇場版 滅鬼、刃の如し』などなど。ラインナップは様々。
「ここで問題。諒さんならどれを選びます?」
と。指南役に戻った香純から、そんな質問をされると。
「う~ん……。滅鬼?」
少し思案した諒は、彼女を見ながらそう答える。
「何で?」
「いや。香純さんが今度観たいって言ってたし」
それは以前、確かに口にしていた。
最近友達に勧められ、香純は原作漫画を読んだばかりなのだが。
女子ながらアクション系が好きな彼女にはどストライクだったらしく。最近始まったテレビアニメも観た後、流れたCMを見ながら羨望の眼差しで語っていたのを彼は覚えていたのだ。
まだ劇場版を観に来れていなかった彼女にとって、それは嬉しい選択ではあったのだが。
「今日は私を霧島先輩だと思わないとダメだよ?」
己の欲求を抑え、心を鬼にしてそう告げる。
「となると、やっぱり『君の元へ翔ぶ翼』?」
「勿論。霧島先輩、カラオケの歌のチョイスとかみても、恋愛系好きそうだしね」
そう言ってにっこり笑うと。
「という訳で、映画を決めたら、諒さんが先に動いてチケットささっと買ってくるの。いい?」
さらりと諒をそう促した。
「え? ああ。わかった」
彼は言われるがまま、発券機の方に向かって行ったのだが。
彼の背を見届けた香純は、ふっと店内の『劇場版 滅鬼、刃の如し』のポスターに目をやった。
この作品の主人公、安次郎も、妹、禰々子と共に歩むために戦う、兄妹愛を強く感じさせる優しさを持っている。
今の自分達を重ね、共感した部分も多かったのもこの作品にハマったひとつなのだが。
──本当は、滅鬼観たかったな。
少しだけ、彼女は遠い目をした。
正直、自分のためにこの映画を挙げてくれたのは、とても嬉しかった。
しかし今は諒の指南役。萌絵に気遣えるようにしてやらねばならないという使命も感じていたからこそ、敢えて向こうを選択させたのだが。
『君の元へ翔ぶ翼』も良い映画である事は知っている。
だが、知っているというその言葉の通り。実は香純は既に、この映画を友達と観に行っていた。
良い映画は何度見ても良い、とは言うものの。まだ見ぬ映画への魅力と比べれば雲泥の差。
暫くの間、ぼんやりとしていた香純だったが。
「お待たせ」
掛けられた声ではっと我に返った。
諒はポップコーンと二人分のドリンクを手にして戻ってきていた。
ポップコーンは彼女の好みの塩味。ドリンクもまたストレートティーと、チョイスは完璧。
「さすが諒さん。そういう気遣いはポイント高いですよ」
思わずにっこりとする香純に、同じ笑顔を返した諒は。
「向こうに席取ってるから。行こう」
そう言って二人並んで席に移ると、映画の上映開始を待つ事にした。
二人が席につき、他愛もない話題で会話をして暫く。
『間もなく、〈君の元へ翔ぶ翼〉の上映時間となります。チケットをお持ちの方は、順番に三番ゲート前にお並びください』
そんなアナウンスが流れてくる。
「そろそろ行きましょっか?」
恋人モードに戻った香純が立ち上がろうとするが。
「いや。まだだよ」
彼はそう制すると首を振り、立とうとしなかった。
「あれ? もしかして一番早い時間、全席埋まってた?」
思わず素になった彼女に諒は微笑むと、胸ポケットに入っていたチケットをすっと差し出す。
そこにあったのは。
『劇場版 滅鬼、刃の如し』のチケット。
「え? なんで!?」
思わず目を瞠る香純。だが、諒は表情を変えない。
「レクチャー代」
「レクチャー代って……。今は私、恋人じゃないとダメなんだよ?」
「何で?」
「何でって……諒さんの、ためだし……」
ずっと笑顔のままの彼に気後れし、思わず彼女は俯き口ごもると。
「だったら、俺の為に一緒に観ようよ?」
突然諒はそんな事を言い出した。
香純は戸惑ったまま、ゆっくりと視線だけ向ける。
「一昨日お前の部屋入った時に見えたんだよ。机の上の『君の元へ翔ぶ翼』のパンフレット」
「あ……」
確かに。
数日前、春休みに入ってから友達と観に行ったばかりの映画だったからこそ。パンフレットをそのまま机に置いていたのを思い出す。
「それで、一度観た映画をまた観せてもなって思ったのもあるんだけどさ」
ふっと、諒は目を細めると。
「お前が俺のために一生懸命頑張ってくれてるのは嬉しいんだけどさ。別に観る映画くらい、レクチャーとか関係なく、香純の好きなものでいいんじゃないかと思って。だから、そう思った俺の為に、一緒に観てほしいんだけど」
相変わらずの微笑みと気遣いに、香純の目が思わず潤み、顔が綻ぶ。
兄のこんな優しさが好きなんだと。
そんな兄だからこそ好きなんだと。
気遣いに対する喜びが、それをより強く感じさせる。だからこそ。
「もう。わがままなんだから。お兄がそれでいいなら、良いよ」
皮肉で心を必死に誤魔化し、目尻に浮かんだ涙を指で拭うと、この時だけは妹として、答え、はにかんだのだった。




