幕間:謝る兄。はにかむ妹
日も暮れかかり。少し肌寒い大通りに面した歩道を、諒と香純は並んで歩いていた
「今日は楽しかったね。お兄」
満足そうな笑みでそう兄に声を掛けた彼女だったが。見上げた諒の顔が冴えないのに気づき、首を傾げる。
「どうかしたの?」
「いや……」
ちらりと視線を重ね苦笑いをした諒は、視線を前に戻すと。
「今日は、ごめんな」
そう、彼女に謝って来た。
「え?」
「今日、お前にかなり気を遣わせちゃったからさ。もっと気楽に遊びたかっただろ?」
諒の言葉に、香純は心で少し、申し訳ない気持ちになる。
諒がカラオケで歌わなかったのは、彼が失恋した後、歌うのが辛くなった事を知っていたから。
だからこそ、それで日向に兄を嫌いになってほしくないと、必死に兄の良さを話し、少しでも場を和ませようとした。
ボウリング場で諒が日向を咎める萌絵を止めた後、一人歩きだした時も。ああやって自らの心を痛め、抱え込んでしまう兄を心配し、思い詰めてしまわないように追い掛けた。
それは。
大好きな兄を悪く言われないため。
大好きな兄が傷心するのを元気づけたかったため。
確かに自らが見せた気遣いだった。
だが。
「大丈夫だよ。私、今日すっごく楽しかったもん」
香純はそんな本音と、屈託のない笑みを向けた。
正直、日向にこの話を持ちかけられた時。かなり心に迷いがあったのは確かだ。
兄に告白した相手と、平常心を保って遊べるのか。遊べたとして楽しめるのか。それが分からなかったから。
だが。
日向や蒼という緩衝材もあったが。
萌絵が想像していたより兄を理解し、兄だけでなく自分にも優しく気を遣わせないよう接してくれた事は、彼女に充分な安心感をもたらし。日向と同じ、良き先輩として接する気持ちを持てたのは意外だった。
特にボウリング場で、友達である日向相手に、諒を護るべく言いづらそうな言葉をはっきり口にしてくれた事には、内心とても感謝していた。
……まあ、流石に最後に抱きついたのは流石に許容できなかったが。
それでも香純が、今日という日をとても楽しかったと、心から思えたのは確かだ。
彼女の笑みを見て、嘘はないと感じ取ったのだろう。
諒は同じように優しく微笑み返すと、並んで歩きながら、ふっと香純の頭を優しく撫でた。
「それでも。ありがとな」
「……もう。すぐそうやって子供扱いする」
不貞腐れたような言葉。
だが、香純はそれをとても嬉しそうに受け入れる。
今日一日、楽しかった。
だがこれこそが、今日一番嬉しい、最高のご褒美。
そっと手をどけた諒に対し。
少しだけ彼の前に出た香純は、くるりと振り返ると両手を腰の後ろに回し、やや前屈みにしながら、後ろ歩きのまま笑う。
「そういえばお兄さ。霧島先輩に抱きつかれてどうだった? 嬉しかった? 恥ずかしかった?」
半分興味本位で尋ねたのだが。聞かれた諒は「えっ!?」っと驚き、うーんと強く悩み込む。
「正直突然すぎて、訳が分からなくて。恥ずかしかったのは間違いないけど、それ以上に泣かれて困った、かな?」
ぽりぽりと頬を掻き、見せたのは本当に困った顔。
それを見て、彼女の悪戯心が疼く。
「じゃあ。もし私が抱きついてたら、どうだった?」
「はぁ!?」
突拍子もない質問に、思わず驚きの声を返した彼だったが。じ~っと見つめる香純の真剣な表情に、これまた頬を掻き視線を逸らすと。
「そりゃ、あんな状況だぞ。恥ずかしいって……」
ひどい質問だと抗議するかのように、少し不貞腐れた。
それを聞いた瞬間。
「そっか。妹でも恥ずかしいとか。お兄は本当に初なんだね〜」
と、小馬鹿にしたような言葉と満面の笑みを見せると、くるりと身を翻し。金髪のポニーテールをなびかせながら、再び諒の脇に並ぶ。
が。はっきりとからかわれたと分かった彼は、視線を合わせず少し早歩きになった。
その動きに流石にやりすぎたと気づき。
「あ! お兄! ごめん。ごめんって!」
慌てて腕を引き、思わず引き留めようとした香純。
諒はやや必死さを見せる彼女にちらりと視線を向けると。
「今日は気遣いに免じて、許してやるよ」
そう言って、仕返しと言わんばかりににっこり微笑んだ。
本気で怒っていなかったことに胸を撫で下ろす香純に、彼は歩幅を合わせてやりつつ、商店街から住宅街へ移る道に入っていく。
「そういや、お兄は霧島先輩を何処かに誘ったりしないの?」
ふと。そんな素朴な疑問を尋ねてみると。
「そう言われても。どこにどう連れて行ったらいいかも分からないし」
今まで彼女どころか女友達もいなかった諒は、素直にそんな言葉を返す。
「散歩の事気にしてたし。一緒に何処か歩き回ったら?」
「そう言ったって一人とは違うし。やっぱりちゃんとした所位わかってないと、意味なく疲れさせちゃうだろ?」
「確かにね〜。でもお兄って女の子が入りそうなお店とかスポットを知ってるの?」
「ないない。だから困ってるんだって」
両手を頭の上に回し、天を仰いだ諒の顔には、諦めに似た歯がゆさが浮かんでいる。
それをじっと見上げていた香純だったが。
「お兄。そういう時に頼りになる人、教えてあげよっか?」
「え?」
突然の事に思わず彼女に顔を向けると、香純はふふんと何とも自信満々な笑みを浮かべている。
「もしかして……日向さん、とか?」
何となく思いついた名を口にした瞬間。
その顔が一気に呆れたものに変わる。
「お兄ってもしかして、天然?」
「何がだよ? だって今日セレクトショップ、だっけ? なんかそういう所行くの得意とか言ってたし。お前が知り合いになってたから聞いただけだって」
「はぁ。これだから……」
香純は、仕方ないと言った顔で胸を拳でとんっと叩くと意味ありげにはにかむ。
「いいから。ここは妹にどーんと任せて。ね?」
「ん……まぁ。必要になったらな」
妙にやる気を出す彼女に水を差すように、微妙な言葉を返した諒は、内心首を傾げていた。
この時、彼はこの笑みの理由に気づかなかった。
そう。
本当に、気づかなかったのだ。




