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<第9節 青春の形>

 駅から学校へと道は、案外いつも通り。でも、鮮やかな色のペンキで彩られたベニヤ板で装飾された正門や、忙しなく動き回る生徒たちを見ると、やはりお祭りといった雰囲気が感じられた。

 文化祭当日。いつもより少しだけ早く登校した若葉は、この日は2年5組の教室ではなく放送室へと直行した。廊下には客を引くための様々なポスターが並んでおり、やはりいつもとは違う。若葉の胸の中にもほのかに高揚感が漂っていた。

 少しだけ重めの放送室のドア。それをゆっくりと開く。すると、若葉の視界の下の方に、小さな影が映った。

 透き通るような白い肌。艶のある黒い髪と大きな瞳に、すうっと通った鼻筋。けれど、そのパーツはそれぞれ小さくて。まさしく小さな愛香が若葉を真っ直ぐに見上げていた。

「あれ、アーニャ、こんな小さかったっけ」

 まあいいか、と若葉は鞄を机に置き、椅子に腰を下ろす。

「いや、つっこまんか~い!」

 と、ブースから出てきた愛香は声を荒らげた。

「お、アーニャが二人いる」

 小さい愛香と大きい愛香。まあ愛香の妹だろうとは思っていたが。

「ギアサードの副作用でも出たかと思って」

「いないよ? ギアサードを使うJKは全国どこ探してもいないよ?」

 小さい愛香は若葉のことをまじまじと見ていて、少しだけむず痒い。

「名前は?」

遥香はるか!」

 愛香に聞いたつもりだったが、遥香自身が答える。年齢は5歳くらいだろうか。

「ごめん、家出るときに、玄関の前に遥香がスタンバっててさ。なんかどうしても放送部に来たいっていうから。お母さんは昼前に来るって言ってたんだけど」

「いいよ、別に。まあ大したもんはないからすぐ飽きるだろ」

 遥香は放送室の機器に興味津々な様子で、ロボットに興奮する男の子のように目を輝かせていた。突然若葉の方に振り向いて呼びかける。

「おい、おとこ!」

 酷い言われようだ。草よりも酷い。とんでもないドSに成長してしまいそうで、行く先が思いやられる。若葉は目を細めて訂正を入れた。

「若葉お兄さん、な」

 だが、遥香は気にした様子なく、小さく飛び跳ねながら告げる。

「これ、動かしてもいい⁉︎」

 今はまだ放送の電源は入っていない。早く到着していた愛香が大体の準備を済ませていたため、若葉は仕方なく遥香の相手をしてあげることにした。

「今だけなー」

 音量などを調節するレバーやツマミをいじる遥香からは、子供らしく可愛げが感じられた。

「純粋で良いことだ。誰かさんと違って」

「それどういう意味〜?」

 電源ボタンを押さないようにだけ、遥香に注意を向ける。長い睫毛がくるっとカールしており、肌は白く、もちもちすべすべな卵肌だ。

「そういえばずっと気になっていたんだけど、二人はハーフなのか?」

 そんな風に思うのも自然なくらいに日本人離れした風貌が二人にはあった。愛香は言ってなかったっけ、と前置きしてから告げる。

「うん。横浜と茅ヶ崎のハーフ」

「うん、それ純日本人な。なんなら純神奈川県民な」

 そして、気付く。まだまだ、知らないことがたくさんあるんだな、と。あれだけラジオで話していたというのに。

 それもそうか。まだ、出会ってから3ヶ月しか経っていないのだから。

 そんな思いにふけっていると、放送室のドアが開いた。

「おーはよー」

 瑞樹が右手を高く伸ばして入ってくる。忠信も一緒だ。

「うおっ、何この子超可愛い」

 瑞樹は遥香を見つけると、目をキラキラさせて鞄を放り投げた。そして、赤ちゃんをあやすように遥香に話しかける。

「どしたのー? だいじょうぶ? このへんなおじさんにへんなことされなかった?」

「誰が変なおじさんすか」

 変なおじさんだけは絶対にやらんぞ、と静かに目で訴える。

「あ、そうだ。可愛い幼女のおかげで思い出した」

 幼女って……という言葉にならない若葉のツッコミをよそに、瑞樹は地面に転がっていた鞄の中からビニール袋を取り出した。

 中から出てきたのは、黄緑色のTシャツだ。表には「鶴高放送部」の文字に、四人の男女がマイクに向かって笑っている。

 いわゆる、部T。愛香と瑞樹がデザインした自信作だ。

 デザイン内の四人の来ているシャツの表には、それぞれ少しデフォルメされた幼女と魚と電気ねずみ、そしてリアルな草が描かれていた。

「いや、草だけテイストおかしいだろ」

 でも、そこに描かれていた四人はどれも特徴を捉えていて。そして、全員が楽しそうに笑っている。

 さらにシャツの裏には、以前愛香が考えた放送部のマスコットキャラ「クマックマ」と「ぺろぺろぺろっぴ」の姿が。相変わらず「ぺろぺろぺろっぴ」の見た目は最悪だ。

 愛香の画力もあり、部Tとしては素晴らしいクオリティだろう。改めてそのTシャツを眺めて、若葉の口角が上がった。

 遥香はそれを寂しそうに見ていた――いや、物理的に指をくわえて見ていた。それに気付いた瑞樹は、ふっふっふと不気味に笑う。

「こんなこともあろうかと、1枚多く作っていたのだ」

 サイズはぶかぶか。服の上から着ても丈は膝くらいまであり、半袖が長袖のようになっている。けれど、遥香は満足げにくるりとターンして、にぱっと笑った。

 それから四人も部Tに着替える。愛香と瑞樹はYシャツの上からTシャツを来て、器用に中のYシャツを抜き取るようにして着替えた。愛香は下ろしていた髪を花柄のシュシュでまとめ、ポニーテールに。

 五人はもう一度集まり、それぞれの顔を見合う。すると、思わず全員の口元が緩んだ。得も言われぬ一体感のようなものが感じられて。

 瑞樹がスマホを持った右手を伸ばして、自撮りしながら言い放つ。

「よっし、今日1日、頑張ろう!」

 そして、文化祭が幕を開けた。


   □ □ □


「ん、なんだこれは?」

 目の前にあったのは、お菓子とジュースの山。思わず眉をしかめた若葉とは対照的に、三人+遥香は悪びれた様子もなくそれに手を伸ばしていた。

「ピクニックじゃねえんだぞ?」

「いいじゃ~ん、お母さん」

「誰がお母さんですか」

 若葉が瑞樹を軽くあしらうと、愛香が思い出したように告げる。

「仕方ないんだよ。伝統だから」

「それずるいからやめろ」

 文化祭当日の放送は、いつも以上にコーナーが豊富だ。それらのコーナーをこなしながら合計で8時間ほどを話し続ける必要があるため、このお菓子にはエネルギー補給の意味合いもある、らしい。

「今日の最初のゲストは~この子でーす!」

「あいうちはるかです。5さいです」

「……いや、良いのか? 自分の妹を出演させて」

「だって働かざる者食うべからずでしょ?」

「厳しい教育環境なことで」

「はたらいてたべるおかしはうまい」

「仕事終わりのビールが最高、的な? 中身おっさん入ってないか、この子」

「なんか変な言葉ばっかり覚えているんだよね。誰のせいだろ?」

「いやほんと、自覚がないって幸せだよな、うん」

「どういう意味?」

 遥香は今もクッキー菓子をもすもすと口に運んでいる。まるでリスのように。思わず若葉の口角も上がり、それを見た瑞樹が告げた。

「若葉、ロリコン?」

「子供好きって言ってください!」


   □ □ □


 遥香だけではなく、午前中はゲストを中心にトークが展開される。ゲストは自分たちの活動の告知目的だが、放送部のコーナーに付き合わされることになる。

「初めまして。吹奏楽部2年の熊野美玲と申します」

「ノミ~! いらっしゃいだよ~」

「リスナーの皆さんに分かるように説明しますと、ノミーさんはアーニャの親友ということです。アーニャがいつもご迷惑をおかけしてます」

「ねえ、なんで決めつけるの⁉︎」

「いえいえ、こちらこそ。いつもアーニャがお世話になっています、ツッコミリベロさん」

「え、俺いつもそんな風に呼ばれているの?」

 友達が来ているからか、心なしか愛香のテンションも高い。それに対して美玲は初めてのラジオとは思えないほど落ち着いた雰囲気。若葉は二人の空気感をすぐに理解することができた。

「吹奏楽部のみなさんは『鶴高七不思議』のコーナーが大好きなそうで、今回は吹部から募集したあるある――不思議なことを紹介していきたいと思いま~す」

「お~本当にたくさん集まっていますね」

「はい、部のみんなも楽しみにしていました。ぜひよろしくお願いします」

 いつも通りごほんと軽く咳払いをしてから、愛香が台本を読み始める。

「チューバを持って『バズーカ~』とやるやつがいる」

「ありますね。不思議です」

「いやちょっと待って。ないよ。そもそもチューバ持つことがないよ」

 若葉の指摘はスルーされ、どんどん次へと進行していく。

「ホルンはとりあえず被ってみる」

「だからホルンがないんよ。あれ、もしかして吹部のみなさん企画を勘違いしてないか?」

「トランペット奏者は正露丸の曲を一度は吹いたことがある」

「ダメだなこりゃ。『トランペット奏者は』って言っている時点で分かるわけないし」

「私たちの中ではすごいあるあるなんですけど……」

「なんかあるじゃん、誰でも分かるようなあるあるが」

「どんなのか教えてあげなよ、草が」

「そうだな……フルートは清楚なお嬢様感が強いとか」

「なんか……普通ですね」

「いや辛口ぃ」

「私たちの方があるあるってなると思います」

「それ吹部だけね」

「ま~いいんじゃない? 今回は『吹部あるある一般人ないない』で」

「まあ確かにそれはそれで面白いか」

 新鮮な反応を楽しむために、あるあるの内容などは瑞樹と忠信だけが精査し、若葉と愛香は事前に知らない状態でラジオは始まる。元々このような展開を瑞樹は予想していたのかどうかは若葉には分からなかったが、これはこれで企画としては成立しているような気もした。

「指揮者が落とした指揮棒を拾うのは大体クラリネット」

「クラリネットは指揮者に近いですからね」

「いや説明ないと絶対分からないな」

「楽器をぶつけると『痛っ』って言ってしまう」

「あ~ゲームでダメージ受けたら言っちゃうみたいな? これはありそうかも」

「はい。楽器は相棒ですからね。楽器に名前をつけている人も多いです」

「次がラスト~」

「あ、ラストは私が考えました」

「そうなの? え~っと、小学校6年までカブトムシのメスがクワガタだと勘違いしていて、カブトムシのメスはゴキブリだと思っていた」

 急にテイストが変わり、頭上に「?」マークを浮かべた若葉の横で、ぷるぷると震えた愛香が叫んだ。

「これ、わしやないかい!」


   □ □ □


「みなさ~ん、初めまして~。演劇部期待のルーキー、中卒ドラ1の山田芽衣で~す。気軽にヤマメって呼んでくださ~い」

「いや、プロ野球選手みたいな挨拶すな。中卒ドラ1ってフレーズ聞いたことないわ」

 小慣れた振る舞いで挨拶をして見せたのは演劇部の1年生、山田芽衣だ。まるで芸能人のように、ラジオという媒体ながら笑顔を振りまいている。

「ヤマメは山組と海組と空組の三つからドラフト1位指名されたゴールデンルーキーなんだよね?」

「はいっ。流石はヒラチュー先輩、詳しいですね」

「あ、演劇部って宝塚みたいに組で分かれているんだ。それにドラフト制だったんだ。本当に中卒ドラ1なんだ」

「演劇部ということで、ヤマメちゃんには『君に憧れ恋焦がれ』に参加してもらおうと思いま~す。準備はいいですか?」

「はい! バッチリです!」

「おお、やる気だな」

「もちろんですよ! 前から一回やってみたいと思っていたんです! 草先輩もついてきてくださいね!」

「まーやれるだけやるよ」

「いや~楽しみだね~。この企画やらせる方はめっちゃ楽しいんだよね~。えっと、今回のお題は、都会男子と田舎女子です! それでは早速やっていきましょう! 3、2、1、キュー」


「たまに、夢を見る」

「その夢はやけに鮮明で」

「もう一人の人生を体験しているような、そんな夢で」

「起きた時には、なぜか日にちが過ぎている」

「トリガーは眠ること。原因は不明」

「タイミングは不定期。週に2、3度、不意に訪れる」

「その時の記憶は目覚めるとだんだん不鮮明になっていって」

「これってもしかして……」

「これって、もしかして本当に……」

「私、夢の中であの男の子と」

「俺、夢の中であの女と」


「「入れ替わってる⁉︎」」


「入野、甲斐、甲斐、海部、加賀、ボウカ~♪ 入野、長嶋、リベラ、陽~♪ (君の来来来世から僕は、君を探し始めたよ)」

「いや、それ『来来来世を野球選手名で歌ってみた』!」

 

   □ □ □


 ゲストを一通り捌いたところで、思わぬ乱入者がブースを訪れる。

 さらさらとした茶髪のロングヘアー。大きな瞳に艶のある肌で、見た目だけでは20代後半のように見えた。彼女は愛香のことを見つけると、大きな声で言い放つ。

「うちの遥香ちゃんを返して!」

 だが、その言葉で正体が判明する。彼女は愛香と遥香の母のようだ。少なくとも40歳くらいであると分かり、若葉は静かに驚愕した。

 いや、そもそも発言の意味が理解できない。きっとリスナーも理解できていないだろう。それを見越してか、愛香は「状況を説明するように」とでも言わんばかりに自身のスマホの画面を若葉に見せた。お母さんの名前は美香というそうだ。

「え~なになに? 『ぐふふ、この子の身柄は預かった』? あ~理解できました。状況を説明しますと、先ほどゲストで登場してもらった遥香ちゃんをお母さんが連れ戻しに来たようです」

 ごほんとわざとらしく咳払いをすると、愛香の表情にもスイッチが入る。邪悪な魔王のような顔で美香を睨む。

「返して欲しければお小遣いを増額しろ~」

「いやしょうもな」

「そんなお金……うちには……」

「いや、あんたも乗ってくるんかい」

 突発的に始まった即興コントに、美香もノリノリだ。いや、そもそも最初に斬り込んだのが美香の方なのを忘れていたが。

「よくぞわがもとへきた、ははよ」

「いや遥香はキャラ設定間違っているぞ、多分」

「お金がない? 遥香がどうなってもいいと言うのか?」

「やめて! どうなっちゃうの⁉︎」

「こいつを藁人形にしてやろうかぁー!」

「いやそっちの魔王? あとそれを言うなら蝋人形な」

「可愛い可愛い遥香ちゃんをそんな生き人形みたいにされたら……私、憤る(いきドール)わよ」

「いや上手いこと言わんでええねん」

「くそぅ! 負けた!」

「ふふ、まだまだ若いわね、愛香ちゃん」

「いやこれ対決だったの?」

 急に始まった寸劇は急に終わる。若葉は何となく、愛香のような子が育った理由が分かったような気がした。ちなみに決して良い意味ではない。

「いやぁ懐かしいわぁ、放送室。あまり変わってないのね」

 ふわふわとした口調でそう言うと、美香はブースをぐるりと見回しながらゲスト席に腰を下ろした。若葉たちは「やはり」という納得した表情を浮かべた。

「アルバムに写真と名前が載っていましたよ。放送部のOBだったんですね、お母さん」

「あなたにお母さんと呼ばれる筋合いはないわ」

「いやそれお父さんのセリフね」

 愛香も渋い表情を浮かべて告げる。

「私も、アルバムを見るまで知らなかったよ」

 美香は少し照れ臭そうに、そして、過去を懐かしむように答える。

「そうね~愛香ちゃんにも言ってなかったから、放送部に入るって聞いた時は驚いたわ~。ちなみに、中村先生と同期よ~」

「「「「ええ⁉︎」」」」

 今日一番の驚きがブースを包む。

「確かに中村っていう名前はあった気はするけど……」

「たくさんいる名前だから下の名前は気にしなかったね……」

 何より世界史の中村先生と美香が同い年ということが信じられなかったのだが、そこはもちろん誰も口にすることはなかった。

 美香と愛香はよく似ている。きっと中村先生も心労で髪が……。そんな失礼なことを考えて、若葉は密かに自分の毛根を心配した。

「当時結構ラジオブームでね。昼の放送をやりたいって言ったら、中村先生が協力してくれて」

 目の前のマイクを軽く撫でながら、美香は優しく微笑む。

「このサンパチマイクも懐かしいわぁ」

「あ、これサンパチマイクなんですか? 漫才で使う印象が強いんですけど」

 今や漫才師の象徴されるサンパチマイクという呼び方は、C-38Bというマイクの型名から由来している。固定マイクで収音の範囲が広いことが特徴だ。

「私がわがまま言って買ってもらったの。ラジオにはそんなに向いていないけどね~」

 通りでブース内の声がリスナーに筒抜けなはずだ。それほど声の大きくない忠信の遠くからの声も拾ってしまうのだから。

 まあそんなゴタゴタ具合も人気の理由の一つになっているのだけど。

 今の放送部を形作ったことに対する尊敬の念やら、無茶苦茶やっていたんだろうなという唖然とした感情やら。いろんな感情がごちゃ混ぜになって、若葉はぽりぽりと頬を掻いた。

「それじゃあ、私たちはそろそろお暇させてもらうわね」

 美香は右手で遥香の手を握ると、左手をひらひらと振る。

「もう帰っちゃうんですか?」

 思わず漏れた瑞樹の言葉に、美香は小さく微笑む。その顔は愛香の笑みによく似ていた。

「今しかない大事な時間なんだからさ、放送部の時間を大切にね」

 その振る舞いはやけに大人っぽくて。悔しいけれど、少しカッコ良いなと若葉は思った。

 遥香だけは最後まで名残惜しそうにお菓子に手を伸ばしていたけど。


   □ □ □


 そんなこんなで、午前中の放送は終了となった。と言っても、放送部に休憩があるわけではない。昼休憩の生徒たちや昼食を楽しむ来賓にささやかな幸せを届ける。それはむしろいつも通りの放送部に近い。

 午後は宣伝のためのゲストもほとんど登場せず、放送部四人でトークを回さなければならない。そのため、普段一緒にラジオをしない瑞樹と忠信ともいろいろな話をすることになる。


「いや~なんだかんだ草と二人でラジオするの初めてじゃない?」

「ですね、ズイズイ先輩」

「そうそう、ズイズイ。ずいずいずっころばっし、ご~まみそずいっ」

「ずっと思っていたけど、なんかネタが古いんだよな~」

「ちょっ、おまっ、古いだけは言っちゃダメでしょ! それは本気で怒っちゃうよ、あてぃし!」

「あ、気にしていたんだ……」

「なにさ古い古いって。逆に今時の女子高生って何しよるかね」

「なんか喋り方も古くなってるし……。今時の女子高生はタピオカ片手にカラオケ行ったりでしょ、知らんけど」

「しょーもな。いいよ私は、ほうじ茶片手に和歌を詠むから」

「いや、千利休でもそれは分けていたんじゃないかな……知らんけど」


「テレビの点けっぱなしはメディアとしてそれなり優秀だと思っているんだよね。最近のSNSや動画配信サイトって自分が見たいものを見るっていう能動的なものなんだけど、テレビの点けっぱなしは受動的に情報が入ってくる。これって結構重要で、興味のないことを知るきっかけになり得るんだよ。だからテレビ離れによって、世の中のことを幅広く知るチャンスを失う――もっとはっきり言うと、世間知らずな子供が増える可能性があるってことは考えないといけないと思うんだ」

「確かに、好きなことばかりを検索していたら見識って広がらないかもしれないですね。そもそも知らないことはなかなか検索できないですし」

「そういうこと。インターネットは専門的なことを手軽に知ることができるけど、受動的な情報っていうのも結構大事なんだ」

「ちなみに、ヒラチュー先輩の一番好きなテレビ番組って何ですか?」

「『ロバート秋山の市民プール万歳』、かな」

「それが受動的に入ってくるまでは1億年掛かりそうですね……」


 午後3時からは、放送部四人勢揃いのトークコーナーが始まった。

 その名も、「ホソトーーーク」。


「さあ今日も始まりました、『ホソトーーーク』のお時間です」

「いやいつもやっているみたいな言い方やめて。このクソダサいコーナー名、今すぐにでもやめたいから」

「言われてるよ、アーニャ」

「いや私が考えたのじゃないですよ! 私が考えたのは『ホソフェッショナル――部活の流儀』です!」

「いやダサいなあ。どっちにしろ、その『ホソ』に対する執着心は何なんだよ」

「トークが先細りしなければいいよね」

「本当そう」

「各所に謝罪するために奔走することにならなければいいけどな」

「そういえば、まだ恒例の挨拶してないよ!」

「だから恒例もクソもないんだけど」

「せ~のっ」

「「「わたしたちは、放送部大好き芸人です」」」

「いや、その挨拶いつからかしれっと無くなったからね」


 パーソナリティは交代しながら進むが、彼らのラジオはいつも通りといった感じで。ゆったりとした空間に、時々くすっとしてしまうような笑いが起こる。

 若葉はふと思った。自分はちゃんと成長できたかなって。

 多くの文化部は、これまで積み重ねてきたものを披露している。もちろん練習の成果を発揮できなかった人もいるかもしれないけど、それはそれで良い思い出だろう。

 若葉が疑問に思った理由は至極単純だった。

 だって、自分はただ楽しく話しているだけだ。

 最高の仲間たちと、友達と休み時間に話しているようにトークしているだけだから。

 聴いている人の中には、面白くないって思っている人もいるだろうに。

 以前、若葉は瑞樹と忠信に相談したことがある。

『リスナーは、本当に自分のラジオを楽しめているのでしょうか? 俺はそんなに自分のトークに自信ないですよ』

 それを聞いた瑞樹は、共感を示しながら答えた。

『分かるよ〜。でもね、全員が全員面白いって言ってくれるエンタメなんてないんだよ』

『それは分かっていますけど……。じゃあ、俺たちやる側は何を意識すればいいんですか?』

『自分が楽しむこと』

 瑞樹は即答した。それに忠信も続く。

『本当に人から好かれるコンテンツは、提供する側が楽しんでいるんだよ。これは十分条件ではなくて、必要条件だね』

 ただ自分が楽しむだけではダメだけど、まずは自分が楽しむこと。

 それを二人は教えてくれた。

 そしてそれだけは最後までやり抜いたと、若葉は自信を持って言えた。

 放送部のラジオも残り30分となったところで、音楽を流している最中、瑞樹が切り出した。

「二人とも、あまり自由な時間無かったでしょ?」

 若葉と愛香は頷く。

「まあ、そうですけど」

「ってか、結局シフト以外の時間も放送室にいたし」

 二人いれば放送はできるのに。クラスの手伝い以外の時間、なぜか彼ら四人は放送室に居続けた。

「残りの時間はさ、二人で文化祭楽しんできなよ」

 その言葉に、二人は素直に甘えることにした。瑞樹が意味深な笑みを浮かべていたのだけは、少し若葉は不本意だったが。


   □ □ □


 午後4時。お昼時の最も忙しい時間帯と比較すると幾分か人の数は減り、少し落ち着いた雰囲気が漂っていた。生徒たちも雑談をしたり、写真を撮っていたり。とにかく人の流れは少なく、午前中と比べると別の場所のようだった。

「あー疲れた」

「ほんと長かったよね~」

 くうっと伸びをする愛香。それを横目に、若葉はパンフレットに視線を落とす。文化祭の前に配られたものだが、それを持って歩き回っていないため、まだまだ綺麗な状態だ。

「どこか行きたいところとかあるか?」

「ん~まあ適当にぶらぶらしよ? いろいろ食べたいから」

 その愛香に連れられ、出店のある通りに出る。店は売れ残りを売り切るために値下げを始めており、定価よりもかなり安く買うことができた。お盆の上に商品を載せ、セールスをしている生徒なんかもいた。

 右手にフランクフルト、左手にりんご飴。チョコバナナを咥えながら、愛香は呟く。

「はんはほふひはへ(なんか得したね)」

 右手に焼きそば、左手にじゃがバターを持った若葉も答えた。

「三刀流だな」

 三刀流の剣士のような風貌になっていることを指摘しつつ、二人は校舎前の階段に腰を下ろす。若葉がポケットに入れていたペットボトルを差し出し、それを愛香が無言で受け取る。毎日毎日ともにラジオをこなした経験は伊達ではない。そのあたりも二人の空気感というものは出来上がっていて。

 だが、愛香がそれを受け取った瞬間のこと。愛香が咥えていたチョコバナナのチョコ部分が盛大に剥がれ、地面に落下したのだ。二人は静かにそれを見つめる。

「あ…………」

「……………………」


「なにも……な”かった!」


「いや無理無理。それで押し切るのは無理だ」

 落ちたのは銀色で網状の排水溝の蓋――グレーチングの近くだ。掃除する必要はなさそうだが、残念ながらチョコバナナではなくなった。

「うえ~ん、チョコバナナがただのバナナになったよ~」

「三刀流の剣士なら食えるんじゃないか? 地面に落ちたおにぎり食べてただろ」

「女だぞ!(キリッ)」

「そんなシーンもあったな。よく覚えてるな」

 愛香はふにゃっと笑って、若葉が置いた焼きそばの容器に持っていた三本を置く。それから二人は適当に食べ始めた。

「今日は大変だったな。妹とお母さんまでラジオに来て」

「まあ、最初から来るって聞いていたし」

「普通恥ずかしいだろ」

「確かにそういう気持ちもあるけどさ。でも、ラジオが面白くなる方が大事だから。私、こう見えても結構リアリストなんだよ?」

「リアリスト……か。お化けはダメなのに?」

「それは別問題!」

 リアリストは功利主義や現実主義と日本語訳されることが多い。感情に頼らず、自分にとって重要――利益になると考えることを重視する人のことを指す。

 若葉は少し茶化したが、愛香にそういう面があることを理解していた。

 感情を重視する天然ボケのタイプに思われることが多い愛香だが、実のところ色々と考えてボケていることを若葉は知っている。何かに集中している時にも周りが見えているし、そもそも賢くて勉強もできる。

「リアリストってね、結構楽なんだよ。得られるものが失うものを越えた瞬間、感情を全て捨てて行動できるからね」

 愛香の呟きに、若葉は箸を動かす手を止めた。

「なんだそれ、『持論議論』か?」

「あ~、確かに! コーナーでやればよかった~」

 そんな風にいつでもラジオのことを考えてしまうのは、彼らの癖で。

 しばらく食事に集中した後で、ふと若葉は尋ねた。

「そういえば、アーニャはどうして放送部に入ろうと思ったんだ?」

 じゃがバターを食べながら聞いた若葉の問いに、フランクフルトをかじりながら愛香は無表情で答える。

「親が勝手に履歴書送っちゃってさ」

「いないよ。そんなジャニーズみたいな動機で放送部入る人、いないよ」

 う~んと少しだけ溜め、食べ物を飲み込んでから愛香は口を開いた。


「本当はね、声優に憧れているんだ」


 突然始まった夢の話に、若葉は言葉を失った。

「だからね、草と『君に憧れ恋焦がれ』で寸劇やってる時、実は結構楽しかったよ」

 ひひっと笑う愛香につられて、若葉の口角も少しだけ上がる。

 若葉は「そうか……」と呟くと、軽く何回か頷いてから告げた。

「なれるよ、声優。アーニャ、変な性格してるし」

「普通なんだけどな~」

「努力家だし」

「努力……もしてないよ、別に」

「ラジオで使えそうなネタとか漫画のセリフをスマホにメモってるの知ってる」

「うぅ……なんか草、ヒラチュー先輩みたい……。営業妨害だよ」

 それは反則だよ、と愛香は恥ずかしそうに頬を染める。少し仕返しをしてやろうと、今度は愛香が仕掛ける。

 意地悪な顔で、少しだけ上目遣いで。

「声は? 可愛い?」

「可愛いよ」

 まさかの即答。

 それを予想していなかった愛香は、意表を突かれて悶絶する。まるで左手に持ったりんご飴のように、顔はさらに真っ赤になっていた。

「ど、どど、どうしたの、ほんとに。変な物でも食べた?」

「まあ、たまには素直になるのもいいかと思って」

 沈黙が流れる。愛香は若葉の感情を推し量ることができず、少し口を尖らせてから横目で若葉を観察した。

「俺、アーニャには感謝しているんだ」

 若葉は真っ直ぐに前の景色を見たまま、独り言を呟くように話し始める。

『一緒にいられる時間が少ないなら、それだけ濃い時間を過ごせばいいんだよ』

 それは、愛香が若葉を勧誘した時の言葉。

「あの時の言葉が、やけに刺さってな」

 若葉が人との関わりを避けるようになったのは、別れの辛さを何度も経験してきたからだった。

 それは、ただ単に距離が離れるという意味だけではない。

 距離が離れると、心が遠くなる。今の時代、いつでもどこでも連絡は取れるけれど、結局、距離が離れると連絡は取らなくなってしまうから。例えどんなに仲良くなった人でも、一度連絡を取るのをやめると、もう一度連絡を取るまでのハードルは異様に高い。それは男子特有なのかもしれないけれど。

 その時に気付かされてしまうのだ。自分の存在なんてそんなものだったのだと。

 別れを通じて、自分がちっぽけな存在だと自覚させられる。自分が代替可能な存在であると分からさせられる。それが嫌だった。

 正直、逃げるのは簡単だった。適当な理由を告げて、拒否することはできた。

 でも、もう一度だけ信じてみたいと思った。そう思わせてくれたのは愛香だった。

「今は、放送部に入って良かったと、心から思える」

 愛香はきっとしょうもないことでメッセージを送ってくれる。ゴンズイ先輩はそれに毒舌で返すだろうし、自分が何か落ち込んでいたら強く叱ってくれるはずだ。ヒラチュー先輩は素っ気ない返事をするだけだろうけど、きっと誰よりも早い。五年後も、十年後も、成長しないでそんな感じなんだろうなって。

「やっぱり、今日の草は少し変だよ」

 少し変で、少しだけカッコ良くて。でもそれが、本当に終わりに近付いているのだと愛香に感じさせた。

「まだ、終わらないよ」

 愛香がそう呟くと、若葉も小さく笑った。


「そうだな。俺たちの本当のメインイベントは、これからだもんな」


   * * *


 一般客は17時に学校を後にし、それまでの盛況が嘘かのように落ち着いた雰囲気が漂っていた。散々働き、その疲れから階段にぐったりとしている生徒もちらほら見え、いよいよ祭りの終わりを実感する。

 本当の後片付けは翌日に集まって行われる。1時間で最低限の後始末だけを済ませ、待っている後夜祭を楽しむことになる。

 緋色の夕焼けが徐々に黒みを増していく。それと共に、ぞろぞろと昇降口から生徒たちが外に出てきていた。

「後夜祭に参加する人は、この袋を一人一つ持って行ってくださ~い」

 そんな声だけが校舎に反響している。

 若葉はというと、マイクの最終チェック。と言っても、準備は万端だ。予定よりも少し早く集まっていたし。

「大丈夫そ?」

 背後から聞こえてきた愛香の声に、振り向いて答える。

「少し、緊張するな。あんまこういうことやったことないし」

 愛香はふ~んと意味深に笑う。

「今日はやけに素直だね」

「素直さだけが俺の取り柄なんだけどなあ」

 そんな軽口も、今日で終わるのか。そう思った瞬間、目頭が熱くなってしまう。

 若葉はふぅーと大きく息を吐いた。


 ああ、こんなに何かをしたいと思ったのは初めてで。

 意味不明な高揚感に全身を包まれているんだ。


 若葉は大きく息を吐いてから、マイクの電源を入れた。

『皆さん、今日は文化祭お疲れ様でした。そして後夜祭にお集まりいただき、ありがとうございます』

 生徒たちはそれほど注目している感じではない。それぞれのグループで「文化祭終わったね」だとか、「このあとどこでご飯食べる?」なんて他愛のない話をしている。

『後夜祭って、例年はただキャンプファイヤーを囲むだけみたいなんですけど。今年は僭越ながら色々と企画させていただきました』

 その言葉に、やっといくつかのグループが興味を示した。

『校舎とは反対側をご覧ください』

 全校生徒の視線の先は、足元だけがほのかな光で照らされていた。そこにあるのは、白いステージだ。何かが始まることだけは理解することができる。

 そして、若葉は咆哮する。


『文化部が地味なんて絶対に言わせねえ! 今日は、文化祭! 文化部の祭りだ!』


 瞬間、校舎から見てグラウンドの左側に、明るい光の線が走った。スポットライトに照らし出されるのは、一人の人間のシルエットだ。

「なになに?」

「何が始まるんだ?」

 ピンと伸びた一つの小さな背中が、無言で何かを訴えかけてくる。

『何のために生きているの?』

 ウインドチャイムという楽器が生み出す風の音色と共に、透き通るような女声が響いた。

『何回も問われて。自分でも何回も思った』

 心のこもったその言葉は生徒たちの雑談を消し去り、彼女の世界へと引きずり込む。

『でも、そんな問いに答えなんてなくて』

 スポットライトの中心で振り返ったのは、山田芽衣。演劇部の1年生にして、今回の企画で主役に抜擢された若きホープ。緑色を基調にした流線形のドレスに身を包んだ彼女は、言うなれば「妖精」。両手を胸に、45度上空を見上げて真っ直ぐな瞳で告げる。

『ただ、日々なんとなく過ごしているだけ――』

 その言葉と同時に、ライトが一旦消える。そして突如、大音量の音色が響いた。

 真っ暗でほとんど何も見えないが、その迫力から生演奏であることがすぐに分かった。ステージの右側から放たれる管楽器のびりびりと痺れるような複数の音が混ざり合い、一つの曲を構成していく。

 それは最近人気のアニメソングだ。緩やかに始まったその曲は、徐々にテンポを上げていく。

 そして、歌が始まる。

 ステージの左側から、男声と女声の調和した音が発せられる。美しいビブラートが空間を揺らし、鮮やかなハーモニーが空間を照らす。

 歌い手たちは合唱部。演奏は吹奏楽部と軽音楽部だ。日中はそれぞれが別の舞台で演奏したが、この後夜祭で初めて音色を混じり合わせる。

 鶴高の誇る音楽家たちによるコラボレーション。これをお願いしたのは、もちろん放送部だ。

 合唱部の統率された歌声を吹奏楽部が支え、軽音楽部のギターやベースがさらに鮮やかに彩る。そんな美しい音の世界が、グラウンドいっぱいに広がっていた。

 徐々に心を高揚させる全校生徒の中で、ステージとは逆方向を向いた生徒が叫ぶ。

「何あれ!」

 一斉に後方へ視線を向けた。そこに待っていたのは、規則的に並んだ棒状の発光体。それらは流れる音楽に合わせて小刻みに動いている。

 音楽が最高まで盛り上がった瞬間、それらは同時に動き出した。

 光が弧を描きながら、高速で左右に揺れ動く。一糸乱れぬ統率された動きで、ダイナミックに空間を彩っていた。

「す、凄え!」

「あれは誰だ⁉︎」

 棒状の発光体の正体はサイリウム。動かしているのは、漫画研究部。

 これらから導き出される結論はそう、『ヲタ芸』だ。

 暗闇の中で、漫研のヲタ芸が躍動する。アップテンポのアニメソングに合わせた幻想的なサイリウムの光の軌跡が、見る人の心を離さない。ほとんどの人が初めて見る鮮やかな光景に言葉を失う。

 曲がサビに入ったところで、グラウンドに輪を描くように一気に光の数が増加した。その数は全部で50。暗闇に隠れていた人たちがサイリウムを発光させたのだ。

 彼らはダンス部とジャグリング部。漫研にはなかった小刻みにキレのあるダンスで地上を彩り、ジャグリング部はサイリウムを高く投げ上げて空中を彩る。

 漫研とダンス部とジャグリング部のコラボレーション。これをお願いしたのも、もちろん若葉たち放送部だ。


『漫研とダンス部とジャグリング部の皆さんには、サイリウムを使ってグラウンドを視覚的に彩って欲しいんです』


 漫研がヲタ芸をダンス部に指南すると、ダンス部はあっという間にヲタ芸を身につけた。男子だけの漫研が、ダンス部の女子と交流する良い機会にもなって。


『流石に、ダンス部はポテンシャルが高いですな』

『いや、これ思ったよりキツいよ。これだけ動けるなら、きっと漫研も良いダンスが踊れる。俺たちの中にもアニメ好き多いしさ、また一緒にステージ立ちたいな』

『いやあ……自分たちは……』

『え~いいじゃ~ん。あたしたちと一緒に踊るの、そんなに嫌なの?』

『いえ、ぜひお願いします!』

『いや男女で対応変わりすぎな』

『リア充じゃん、漫研』


 そんな友情が芽生えていたのも、ここだけの話。

 グラウンドの中心付近に集まっていた全校生徒たちは、いつの間にか手拍子を始めていた。千近い人の少しずれる手拍子に狂わされないように、吹奏楽部はテンポをなんとか保ちながら演奏を続ける。

 暗転したステージの中心から光と音色で彩られたグラウンドを見つめながら、ステージの中心に立つ山田芽衣は、若葉たちが演劇部に企画を持ってきた時のことを思い出していた。


『全校生徒を舞台装置にした特別なミュージカルです』

『電動チェーンソーを兎跳びした特別な12月?』

『言ってないよ。何その状況? 想像したら超怖いんだけど』

 若葉は目をキラキラとさせて頭を下げた。ミュージカルって本当に準備が大変なのに、それが分かっているのかなぁと芽衣が思うくらいに。

 でも頭を悩ませる演劇部部長の隣で、その企画書を覗き見ていた芽衣は想像を膨らませた。

『でも、凄いものができそう。こんなにたくさんの部活が協力して一つの舞台を作るなんて』

 演劇部を始め、吹奏楽部、合唱部、軽音楽部、ダンス部、ジャグリング部、漫画研究部――さらにいろいろな部活がそこには名前を連ねていた。

  特別な大きな舞台をしたいと思っていた芽衣にとっては、最高の話で。


『これで、全校生徒を驚かせて欲しい』


 ふふ、と芽衣は意味深に笑う。そして芽衣はステージ上、一度自分の胸に手を置いた。この衣装を作ってくれたのも家庭科部。そして、小道具を作ってくれたのは美術部だ。

 感謝を胸に、自信に満ち溢れた表情で正面を向いた。


 驚くなんて、そんなものじゃないですよ。


 全校生徒を、感動の渦へ――


 演技やダンスによる視覚、そして、歌や音楽による聴覚。ミュージカルの最大の魅力は、その視覚と聴覚に訴えかける心の揺さぶりだ。

 そして、漫研とダンス部がしゃがんでサイリウムを隠すと同時に、もう一度正面がライトに照らされる。芽衣を中心に、演劇部の演者たちが数列の隊列を作っていた。

 ここからはミュージカルのパートに入る。

 芽衣以外の演者の衣装は、制服だ。見慣れたその姿に、意外性はない。

 ここで曲は間奏に入る。芽衣はステージの中心で、優しく尋ねた。

『夢は……何?』

 音楽は鳴りを潜め、芽衣以外の演者が間を挟まずに次々と言葉を紡ぐ。

『俳優になりたい!』

『東大に行きたい!』

『ノーベル賞を獲りたい!』

『漫画家になりたい!』

『金メダルを獲りたい!』

『世界を平和にしたい!』

 彼らの叫びは、「生徒たちの心を代弁したもの」ではない。


『『『『『『そんなものは――夢なんて、ないよ』』』』』』


 現実の高校生とは、そんなものだ。

 大きな夢があって、それに邁進している高校生なんて、ごく一握り。

 彼らの表情は曇り、声色も暗くなる。それぞれの感情を、言葉に乗せていく。

『自分なんて、大した人間じゃないし』

『自慢できる特技なんてない』

『ましてや仕事なんて、想像もできないよ』

『小学生の時なんて、自分には無限の可能性があるって思っていた。何にでもなれると思っていた』

『でも、何をやっても自分よりも上がいて』

『少しずつ、現実が見えてきたんだ』

 それが一般的な高校生の本音。どうすればいいのか分からず、もがき苦しんでいる。

 一人一つ、誰にも負けない何かがあったら、どれだけ楽なのだろうか。でも、ほとんどの人間は代替可能で。

 ただ、それが仕方のないことだということも、理解できているのだ。もう高校生は、ガキじゃないから。どこか割り切らなければならないことも、分かっている。社会はそういうものだと分かっている。

 でも、いやだからこそ、無気力になることがある。人生に、自分に期待ができないから。

 思春期に少年から大人に変わる。そんな言葉があるけれど、それはどこかで急に切り替わるわけではない。ゆっくりと。ゆっくりと世界の広さを知って。少しずつ、自分の限界を知っていく。

 明確にその狭間を分けるとするならば、それはきっと何かを諦めた瞬間なのかもしれない。

 中心に立つ芽衣は、静かに周りに尋ねた。

『じゃあ、今、好きなことは……ある?』

『まあ、それくらいは……あるよ』

 ゲーム、歌、野球、漫画、友達と遊ぶこと、好きな人と一緒にいること。これが好きなんだ、あれが好きなんだ、と次々に好きなものを口にする。

 芽衣はそれを聞いて、優しく笑う。音楽が、クレシェンドで徐々に大きくなっていく。


『それでいいじゃん』


 結論なんてものは簡単に出ないけれど。


『誰かと比べているうちは、生きる理由なんて一生見つからないよ』


 世の中は思ったよりも単純で。


『だって、生きる理由は、自分で決めるものだから』


 少し物事の考え方を変えるだけで、上手くいくようにできているのかもしれない。


『今を真っ直ぐに、心の向くままに好きなことをして、その先で決めればいいんじゃない?』


 大切なのは、今を大事に生きること。今好きなことを、今好きな人を大切にすること。

 演劇部が文芸部と一緒に考えたこのミュージカルのメッセージは、そんなところだ。

 別に、誰かの心を動かそうなんて思っちゃいない。だって、彼らもまた、好きなことをやっているだけだから。

 曲が再開し、最後のサビに向かってゆっくりと、ゆっくりと音の強さは増していく。円を作るように弧を描いて屈んでいた漫研とダンス部の面々は、それに合わせるように徐々に立ち上がりながら両手のサイリウムを高く掲げていった。

 もうすぐ、サビが来る。高まる期待感を示すように、サイリウムも高くなっていく。

『皆さん、グラウンド中央、櫓に注目してください』

 若葉の声に促され、全校生徒の注目が集まる。

 そして、サイリウムが振り下ろされると同時に、キャンプファイヤーの炎が灯された。

「「「「おおっ!」」」」

 驚嘆とも感嘆とも取れるような声が漏れる。

 若葉は隣に視線を向ける。キャンプファイヤーのスイッチを持っていた愛香がほっ胸を撫で下ろす様子を見て、小さく笑った。

 炎は空に伸びるように立ち上がり、音楽に合わせるように揺れ動く。

 そして曲が大サビに入った瞬間、新たな光が姿を見せた。

 それは、花火だ。

 紅、青、緑、黄色の4色の光が、サビに合わせて勢いよく空に向かって噴出する。

 花火は二つの円を描く。一つはまだ勢いが本調子ではないキャンプファイヤーの火を取り囲むような小さな円。もう一つは全校生徒を囲むように大きな円で、光の噴水が鮮やかな世界を演出する。

 でも、学校で花火を扱うまでには大きなハードルがあった。それは当然、安全面の問題だ。

 今回使用する花火は低温花火と呼ばれるもの。ニトロセルロースやチタンなど、すぐに温度が下がる火薬を使用している。バラエティ番組などで使われるものと同じだ。

 火薬を始めとする花火の準備には、科学部と家庭科部が携わった。莫大な量の火薬が必要となるため、料理で使われるボウルなどでまとめて作る必要があったからだ。


『ニトロセルロースは、紙や綿の繊維であるセルロースを濃硝酸と濃硫酸の混酸に浸漬させることで作ります。そこから形を整形して、綺麗な花火になるような火薬にしましょう』

『ヘ~なんか科学って、料理みたいだね』

『そ、そうですとも! 料理と科学は切っても切り離せません! 旨味成分であるグルタミン酸やイノシン酸、グアニル酸などは有名なアミノ酸でありますし、最近は舌のメカニズムの研究なども進んでいて面白いですよ!』

『え~なんか科学に興味出てきたかも』

『料理女子、いいな。草くん(ボソッ)』

『湯沢さん、綺麗な刑事と謎を解き明かしたいんじゃなかったんすか?』


 花火は定期的に位置や順番、色を変えながら鮮やかな光のハーモニーを描き出す。これは情報部のプログラムによるものだ。学校にその安全性を示すためにきちんとリハーサルも行なった。もちろん他の生徒が帰った後に。

 本当にたくさんの人間の力が凝縮したこのショーには、背景を知らない一般生徒にも伝わる熱量が確かに存在していた。

 花火に触発されるように、会場の勢いは最高潮へ。歌声と歓声が混じり合い、怒号のような声の圧がグラウンド全体に響き渡る。演劇部は軽やかなステップを刻み、巧みに位置を転換させながら聴衆を引き込んでいく。

 その世界を演出する吹奏楽部の中、最前列でトランペットを奏でる少女――熊野美玲はひとりでに思う。

 楽しい、と。

 たくさんの人たちが彼女らの演奏に注目し、時に一緒に口ずさむ。リズムに合わせて体を揺らし、目を輝かせる。そのことが、あまりに新鮮に感じた。それは彼女ら吹奏楽部が本気でコンクールに向けて努力してきたからだとは、この時まだ理解できていなかった。

 コンクールに向けた演奏とはまるで違う。音を奏でること本来の楽しさ。音楽に精通した人たちに審査されるコンクールには無かったものを、美玲はひしひしと感じていた。

 モチベーションが低下し、美玲は今回を吹奏楽部としての最後の演奏にしようと思っていた。

 この演奏は、吹奏楽部の2年と1年で演奏している。3年生は最後の文化祭ということでメインのコンサートに集中したかったからだ。愛香がこの話を持ってきた時も、美玲は一度難色を示している。メイン以外の練習時間が必要だし、そんな簡単に出来ることではなかったから。

 けれど、仲間たちはついてきてくれた。そして、たくさんの観衆がこの演奏を楽しんでくれている。

 そんな心の高揚を映し出すように、美玲のトランペットの音圧が上がる。それを周りの演奏者たちも、「乗っているなぁ」とすぐに感じ取って。コンコールの演奏だったら戦犯ものだよ、と優しい視線を送って。

 もっとこんな人を楽しませるような演奏ができるようになるかな。音楽の素晴らしさを、音楽を知らない人にも伝えられるかな。そんなことを考えながら、美玲は大きく息を吸う。

 この時にはもう、吹奏楽部を辞めるなんて選択肢はどこにもなくて。ただ、未来に想いを馳せる。

 そして感情豊かに、美しい音色で世界を彩るのだった。


 曲が終わり、すぐに次の曲が始まる。イントロだけで誰もが分かる人気曲。そして、一曲目よりもハイテンポだ。生徒たちの勢いは一層増し、フェス会場のような異様な熱が周囲一帯を包み込む。

 放送部が名付けた今回のイベントの名称は、「後夜祭フェス」。

 文化部の圧倒的な力が、技術が。人の想いが集結して、グラウンドを熱く燃やしていた。

 キャンプファイヤーもようやく本調子といった様子で、櫓の木を凄まじい勢いで焼き尽くそうとしている。

 だが、これはまだ完成形ではない。まだ、「全校生徒」を舞台装置にはしていないから。

 瞬間、若葉がマイクに向かって叫ぶ。

『何ぼけっと突っ立ってんだ運動部! 袋を開けろ! あ、拾うのは面倒だからちゃんとゴミはポケットにしまえよ!』

 その意味不明な熱量に流されるだけだった運動部が、はっと意識を取り戻す。手に持っているのは、校庭に集まる前に昇降口で渡された袋だ。

 袋を引き裂いた彼らの目に映ったのは、細いプラスチックの筒。漫研やダンス部が使っているものよりも一回りサイズが小さい安価なサイリウムだ。

 だが、そんなことは関係ない。その瞬間、そのショーの輪に入れずにいた運動部にも使命を与えられたのだ。それは実に簡単なことだった。


『てめえらはたたその棒ぶん回して、暴れ狂えええぇぇぇ‼︎』

「「「「「「おおおおおお!!!!!!」」」」」」


 雄叫びを上げながら、無数のサイリウムが力任せに振り回される。

 運動部=観客、ではない。彼らもまた、この舞台の演者だ。

 雑な全身運動で光の軌道を描く。それは自由気まま。好き勝手に揺らめいて。決して統率されたものではないけれど。

 赤、青、緑、黄色、白、橙、紫――、あらゆる色が混ざり合うことなく、それぞれの個性を存分に披露している。

 暗闇という黒のキャンバスに、光の絵の具で描かれる絶景。


 それはまさしく光の海。

 光の海の真ん中で咲くのは、緋色の炎の花だ。


 見方によってはいろんなものが渋滞していて。あらゆる感覚が刺激されていて。何に視線を、意識を向けたらいいのか分からないくらいだけど。

 それでも、彼らは熱狂せざるを得ない。


 それが、青春という名の魔力。


 人の群れの端でそれを見つめていた女子たちは呆然と呟く。

「綺麗……」

「なにこれ……なんか……泣きそう……」

 あまりにも鮮やかで、あまりにも綺麗で。感極まるのも、仕方がないことだった。

 写真部はここぞとばかりにカメラやビデオを回す。

「こんなたくさんの光源……骨が折れるなあ……」

 でも、その表情はやる気に満ち溢れていて。3年生にとっては最後の大仕事だから。

 しっかりと絞って、シャッター速度を上げる。昨冬に写真部で行った相模湖のイルミネーションを思い出して、そして、少しだけ視界が潤んだ。

 メインステージに立つ芽衣も、踊りながらその光景を見つめて呟く。

「これが、私たちへのサプライズですか」

 やってくれますね、と芽衣は放送部のいるテントに視線を移した。

 そう、これは「全校生徒へのサプライズ」で。仕掛け人の演劇部や吹奏楽部たちに対するサプライズでもあった。

 全容を知っていたのは、放送部ただ四人。彼らは「ドッキリ大成功」と言わんばかりに、いたずらな笑みを浮かべていた。


 高校の文化祭なんて、しょうもない。

 だって、ただ一時的に盛り上がるだけで、後には何も残りやしないだろう。

 でも。いや、だからこそ。

 最高の思い出を作ってやろうじゃないか。

 もっと、もっと声を出せ。世界のどこにもない、最高の空間を作り出せ。

 若葉はマイクが軋むくらいに強く握り締める。

『これから大人になるにつれて高校時代の記憶なんか薄れていくだろう! だけど、今日この日の、この瞬間の景色だけは絶対に忘れさせねえ!』

 恥も外聞もなく、自分でも理解不能な口上を叫ぶだけ。勢い任せの馬鹿で、狂おしいほどに青い。

 大人になって思い出したら、「恥ずか死ぬ」んだろうな、なんて。

『これが全校生徒に贈る、放送部のサプライズプレゼントだ!』

 でも、それでいい。

『今日、この瞬間だけは先輩も後輩も関係ねえ! 存分に心の内を曝け出せ!』

 男友達と肩を組んで意味も無く叫んだり。同じ部活の仲間と「今日一日楽しかったよな」と振り返ってみたり。好きな子の手をそっと握ってみたり。そこには数百の感情と、それだけの数の物語があって。

『ってことで、俺もあんたら二人に言いたいことがある!』

 若葉は振り返ると、マイクを持たない方の左腕を使って、瑞樹と忠信に向かってビシッと指を差した。二人は虚を突かれたように固まり、目を見開く。若葉は荒れ狂う校庭の声に負けない声で告げた。

『驚かされたんだ。各部活にこの後夜祭の話をした時、どの部活も一言返事で協力してくれたんだよ。それはあんたら二人が3年間で成し遂げてきた功績だ』

 面倒くさいから嫌だ。そう言うことは簡単なのに、文化部のみんなは返事一つで提案を引き受けてくれた。それは放送部なら何かやってくれそうだという期待感そのもので、瑞樹と忠信が3年間積み重ねてきた実績そのものだった。

 だからこそ今回、放送部は文化部の架け橋になることができた。こんなに無茶苦茶なことをすることができた。

 瞬間、何の打ち合わせもしていないのに、スポットライトが瑞樹と忠信を捉えた。瑞樹が溢れ出るのを堪えるように口元を押さえると、それを見た全校生徒の観衆が一気に湧き立つ。

『みんな! この二人に盛大な感謝の声援をくれ!』

 その言葉に呼応するように、どこからともなく放送部コールが始まった。

「「「「「「放送部! 放送部!」」」」」」

 それを聞いて、瑞樹の感情は堰が決壊したかのように溢れ出す。

「ばかだよ……、みんな……」

 隣にいた忠信も、何かを噛み締めるように下唇を噛む。

「これ、若葉が提案したんですよ」

 二人の背後から現れたのは、愛香。両手を背中で交差させ、ゆっくりと瑞樹の隣に並ぶ。

「『全校生徒へのサプライズ』なのに、一番の功労者の二人が対象になっていないのはおかしいって」

 3年の瑞樹と忠信にとっては、今回が最後の文化祭だ。3年間の、集大成。

「最高の思い出を残して欲しいって、言ってましたよ。ここだけの話ですけど」

 愛香はそう告げると、舌を出して悪戯に笑い、若葉の元へ向かった。

 二人になった瑞樹と忠信は、その光景を静かに見つめながら話す。

「なんか……私たちに似てきてない?」

 それを聞いた忠信は「確かに」と小さく笑みを溢す。

「いい後輩を持ったね、瑞樹」

「それは忠信もでしょ?」

「そう……、だね」

 忠信はもう一度小さく笑って、瑞樹の頭に手を置いた。


 ショーは終わりへと向かう。楽器の音が一度消え、花火も火薬を使い果たした。生徒たちのエネルギーも、ドーピングの効果が切れたかのように尽きて。

 キャンプファイヤーの炎だけが校庭の中心で不規則に揺れ動き、その静寂さは後夜祭らしい名残り惜しさを醸し出していた。

『こんな馬鹿みたいなことに協力してくれたみんな、本当にありがとう』

 一箇所で起こったパチパチという拍手が、連鎖するように全体へと広がる。胸に迫るものを感じたが、若葉は静かにそれを飲み込んだ。

『最後は、やっぱりこれかなって』

 しっとりとした音楽が吹奏楽部によって奏でられる。このイントロは、この学校の確かなる共通認識だ。

 鶴山高校校歌。

 転校してきたばかりの若葉ですら、鶴高体操のせいで覚えてしまった。

 今話題の曲のようなキャッチーさも凄みもないけれど。何十年経っても、この曲は一回聴けば思い出すんだろうなって。

 グラウンドの中央、残り火を眺めながら彼らは歌う。心地の良い疲労感が全身を覆い、今すぐにでも寝たいくらいだけど。

 溶けるようにゆっくりと曲が終わる。夏の大三角を描く星空の下、いつまでも拍手の音が鳴り響いていた。


   * * *


 後夜祭も終わり、四人は荷物の置いてある放送部へと戻ってきた。散々汗をかいて失われた水分をそれぞれが補給する。愛香はぷはぁと大きく息を吐いて、名残惜しそうに呟く。

「早かったなあ」

 その言葉に、若葉は肯定も否定もしなかった。

 いつもとは違うことが多くて、戸惑うことは多かった。たくさんのゲストが一日の間にやってきて、新鮮な楽しい気持ちに溢れた。充実した一日だったような気もする。

 けれど、やはり終わってみるとあっという間で。毎日毎日たくさんの準備をした割には、早かったような気もする。

「草、最初の方結構かかってたよね」

 愛香の言う「かかる」は、前のめりになってあまり上手くいっていないことを意味する。その思いがけない言葉に、若葉の声が裏返る。

「は? マジ?」

「いつもよりやりにくかったよ~」

 でも、その語気に非難するような雰囲気はない。茶化すようにしししと笑っている。

「自分では全然気付いてなかったな……」

 若葉は少し情けない顔で頭を押さえた。その様子は少しおかしくて、周りの三人は小さく微笑む。

「さ、四人での最後のミーティング、しようか」

 何も言っていないのに。ブースの中心で、四人は自然に輪を作った。そこで瑞樹はう~んと唸る。

「手、繋ごう」

 愛香は一瞬「ええ~」と恥ずかしそうな表情を浮かべたが、瑞樹が強引に愛香の手を取った。忠信も若葉の手を掴み、瑞樹、忠信、若葉、愛香の順番で輪が出来上がる。忠信が若葉の左手を強く握ってきたので、若葉は右手で愛香の手を強く握り締めた。

「若葉が来てからさ、私たち、凄くいいチームになったと思うんだ」

 瑞樹は正面の若葉を真っ直ぐに見つめる。それが少し照れ臭くて、若葉は軽く茶化してみることにした。

「俺が来るまではそんなに酷かったんですか?」

「ん~、まあ何て言うか……無法地帯?」

「めっちゃ想像できるな……」

 瑞樹はぐるっと三人の顔を見回して続ける。

「アーニャとゴンズイとヒラチューと、……草」

「いや改めて酷いあだ名だな、俺」

 くすくすと四人同時に笑みを浮かべた。それがおかしくて、もう一度笑う。

「本当は草を勧誘するかどうか結構悩んだんだよね」

「三人でミーティングしたね、2時間くらい」

「あれ長かったぁ……」

「えぇ……そんな感じだったの……?」

「愛香が結構難色を示してさ」

「そんな感じでしたぁ?」

「でも」

 瑞樹は真っ直ぐに若葉を見つめ、微笑みながら告げる。

「今は本当に草を誘って、入ってくれて良かったと心から思ってる」

 その言葉に忠信と愛香も小さく頷いて、笑う。

「たくさんの思い出が、昨日のことのように思い出せるよ」

 瑞樹は何かを噛み締めるように、口を真一文字に結ぶ。しばらく沈黙した後で、もう一度ゆっくり口を開いた。

「愛香の明るくてちょっとだけシュールなボケを、若葉が的確にツッコんでさ。私の台本なんかより、ずぅっと面白くしちゃってさ。昨日の台本なんか、ほとんど二人で書き上げちゃってさ……」

 少しずつ、本当に少しずつ、瑞樹の声が震えていく。

 握り締めた手から伝わってくる熱が、徐々に自分のものと混ざり合って。少しずつ同じ温度――熱平衡状態へと近づいていた。

「後夜祭フェスだってさ……、話し合えば話し合うほどいいアイデアが出てきてさ……」

 今回のフェスは、放送部にとって一つの挑戦だった。

 放送部の本来の活動は、「日常」をほんの少しだけ彩ること。それに対し、今回の後夜祭フェスは圧倒的な「非日常」だった。「非日常」を生み出すには本当にたくさんの準備が必要で、彼らは各方面に奔走しなければならなかった。

 でも、「日常」の積み重ねが「非日常」へと繋がることも分かった。

 そしてこのミーティングは、「非日常」だけではなく、彼らの「日常」も終わることを意味していた。

「本当にすごい後輩たちだよ…………君たちは…………」

 瑞樹の瞳が揺れる。少しだけ上を向いて涙を堪えるその姿に、若葉や愛香の涙腺も強く刺激された。愛香の体が震えていくのが、若葉の右手に伝わってくる。

「やめてよ……先輩……」

 涙を拭きたいのに、両手を握られているせいで、できない。

 上を向いたり、鼻をすすったり、口をしゃくり上げたり。最初の一滴だけは溢すまいと、まるで我慢比べのように。視界は歪み、まともに前なんて見えなくて。

 でも、その歪んだ視界には、数多の思い出が鮮明に映し出されていた。

 あまりにも尊い――てえてえ日々の記憶たちだ。

 それぞれ四人の視点と考えていることは違うけれど、どれも笑っていて。どうしようもなく愛おしくて。だからこそ、それが終わることも理解していた。実感はまるでないけれど。

 ほろりと、ついに愛香の瞳から透明な雫が落ちた。

「やめろよ……アーニャ……泣くなよ……」

「草だって……泣いてるじゃん……」

 一人が泣いたら、もう止まらなくなる。そして、一度流れ出した涙を止める術はない。

 愛香も、若葉も、瑞樹も、忠信すらも。いつまでも嗚咽が、涙が止まらない。

「ヒラチューがさ……録音データから四人の名シーン集っていうの作ってくれてさ……それを聞くたびに……ヤバかったよ……」

「ええ……? ずるいですよ……私にもください……ヒラチュー先輩……」

「もち……ろん……二人にも渡すよ……。今日のラジオの分も編集してさ……」

 たくさんの思い出が、みんなのいろんな表情が、脳裏にこびりついて離れない。特別なことは何一つ無かったけれど、これはこのしがない放送部でしか生み出せなかったささやかな青春で。

「後夜祭フェスだってさ……、本当は草とアーニャを驚かせるために考えてたのにさ」

 驚いた表情を浮かべた愛香とは対照的に、若葉は「やっぱり」というような顔。

「そりゃそうですよね。あんな凄いこと、あの時急に思い付くわけないですよ……」

 若葉が転校のことを伝えた時、瑞樹は少し考える素振りを見せただけだった。

「やっぱりバレてたか……でも、それをあんな風に逆に利用されるなんて思ってなかったよ……。本当に子供の成長っていうのは早いね……」

「だから一ヶ月しか変わらないって……」

 瑞樹の母親のような生暖かい視線がひどくこそばゆい。

 でも、なぜか嫌な感情ではなくて。

「ねえ、写真撮ろうよ」

「ええ……今ですか?」

「今だから〜」

「絶対盛れないじゃん……」

 乗り気ではない愛香を瑞樹が引っ張り、若葉と忠信は笑いながらついていく。

「もうちょっと寄って〜」

「ゴンズイ先輩、腕短いっす」

「は? ぶっ飛ばすよ?」

 なかなか画角に入り切らないのを見かねて、忠信が両手を広げて抱き込むように三人を抱き締める。

「ちょっヒラチュー先輩⁉︎」

「普通にセクハラだよ、それ」

「ええ……?」

「何気にヒラチュー先輩が困惑しているの初めて見たな……」

 瞬間、パシャリとシャッター音が鳴って。

「うわぁ、めっちゃ変な顔してる」

「いいじゃん、アーニャらしい」

「どういう意味〜?」

 泣いているのか、笑っているのかも分からないぐしゃぐしゃになった顔で。

 いつまでも、いつまでも四人は思い出を振り返っていた。


 しばらくして落ち着いた瑞樹は、若葉と愛香に向かって告げた。

「ごめん、最後はヒラチューと一緒に、放送室でセンチメンタルに浸ってもいいかな?」

 若葉と愛香は目を見合わせて頷く。二人は鞄を持つと、放送室のドアの前に向かった。

 見送る瑞樹と忠信に対して、最後の挨拶。別に学校ではまた会えるけれども、これは特別なものだ。

 最後の言葉は、あらかじめ二人で決めていた。土下座ではなく、最敬礼で同時に言い放つ。


「「クソお世話になりました‼︎」」


   □ □ □


 残った瑞樹と忠信は、静かになった放送室を見渡しながら話し始めた。

「ねえ、忠信」

「なに?」

「私たちが1年生の時のこと覚えてる?」

「うん」

「2つ上の先輩たちしかいなくてさ。それも文化祭ですぐに引退しちゃってさ」

「最初は上手くできなかった」

「そう。結構批判とかあってさ。私たちやる意味あるのかなーっていう時期もあったよね」

 届くお便りは決して肯定的なものばかりではなかった。時にはかなり辛辣なものもあって。

「でも」

「うん」

「意味、あったね」

「あった~」

 それは自分たちではよく分からなかったけれど。若葉と愛香が確かに教えてくれた。

 大会で結果を残したとか、そういったものは何一つないけれど。自分たちのやったことに価値がなかったと言われたら、今ははっきりと否定することができる。

「瑞樹、言っていたよね」

「なんて?」

「『去る者の価値は、残したものの大きさによって決まる』って」

「うん。まあ、漫画に出てくる言葉をちょっと変えただけなんだけどね」

「だいぶ昔の野球漫画でしょ?」

「流石忠信。詳しすぎ」

 去るまでに何を残すことができるか。どれだけのものを残すことができるか。

 それが二人にとっての青春だった。

「僕たち、残せたかな?」

「残るよ。だって草の最後の質問、聞いたでしょ?」

「うん。あれを聞いたら、大丈夫そうだね」

「やめる気なんてさらさらないって感じ」

 二人は視線を合わせると、意味深な笑みを浮かべる。

「あ~幸せだな~」

 最後は噛み締めるように、瑞樹はそう呟いた。


   * * *


 爽やかな風が首筋を撫でる。ほのかに残る満足感と達成感が自然と背筋を伸ばさせた。

 学校から北茅ヶ崎駅までの10分ちょっとの時間は、今までで一番長く感じられて。言葉少なく、けれどもいつもよりも少しだけゆっくりと、二人は歩みを進めていた。

 小さな川を渡る橋の上では涼しい風が吹いて、少しだけ文化祭の熱を冷ましてくれる。

 階段から駅のホームに降りると、会話中の数人の生徒たちが彼らを横目に見た。けれど、彼らはすぐに元の会話に戻っていく。

「今日はちょっと奥の方まで行こ?」

 愛香の言葉に、若葉は黙って頷いた。改札口のある階段側から、ホームの奥までゆっくりと歩く。

 会話はない。でも、二人は何かを噛み締めるようにゆっくりと歩いた。

 一番端まで到達したところで、若葉が口を開く。

「明日の片付け、行けなくてごめんな」

「ううん」

 愛香は静かに答えた。灯りは少なく、月明かりが愛香の顔を照らす。

 沈黙。

 必死に言葉を探すが、こんな時に限って何も出てこない。

 考えれば考えるほど、思考は堂々巡りの様相を呈して。

 そんな無為な時間を過ごしていたせいで、電車がやってきてしまった。


 それは二人を離れさせるための電車だ。


 逆方向の下り電車が来るまであと2、3分。タイムリミットはそこだ。

 電車のドアが開く。階段の逆側なので、降りてくる人はいない。

「俺たち、できたか?」

 あまりにも言葉足らずなことに気付き、若葉は続ける。

「ちゃんと先輩たちを見送ることはできたか? 全校生徒へのサプライズは成功したか?」

 後夜祭フェスはどれだけの人を楽しませることができたのだろうか。どれだけの人のためになったのだろうか。たくさんの努力を注ぎ込んだけれど、みんなに届いていなければそれは自己満足の範疇だから。

 みんなの反応が嘘だとは思っていないけど、一番近くで見ていた愛香に聞いておきたかった。

「できたよ」

 愛香は何の淀みもなく答える。

 若葉の後ろに止まった電車の明かりで、愛香の顔が照らされた。出会った時から変わらない、透き通るような瞳が若葉を貫く。

「凄いよね、『全校生徒へのサプライズ』なんて、私には絶対に思い付かなかった」

 あと数秒で、電車は発車する。

「でも、まだ」

 愛香は聞こえないほど小さな声で呟く。そして、若葉が聞き返そうと首を伸ばした瞬間。


 優しく唇にキスをした。


「これで、全校生徒だよ」


 放送部の目標は『全校生徒へのサプライズ』。放送部で企画した後夜祭のサプライズ。そして、瑞樹と忠信への全校生徒からのサプライズ。これは二人で考えて準備をしたもので、若葉はサプライズの対象に入っていない。

 若葉が瑞樹と忠信のために考えたサプライズを逆手に取って、今度は愛香が仕掛けてみせた。


 これで正真正銘、「愛香にとって」の『全校生徒へのサプライズ』が完成した。


 ほんの一瞬だった。若葉が呆けている間に愛香は電車に乗り込み、最後まで笑顔で手を振る。

 若葉はおぼろげに手を伸ばした。だが、無情にもドアは閉まる。電車が止まることはない。

 愛香のポニーテールから香った柑橘系の残り香が、いつまでも若葉の鼻腔をくすぐっていた。


幕間

『いや~文化祭もそろそろおしまいね~』

『なんか……長かったような短かったような……』

『人生みたいだね!』

『どういう意味、アーニャ?』

『人生っていうものはね……長いようで短いものなんだよ』

『いやそのまんまだな。なんか語れよ』

『若造が人生を語るんじゃないよ』

『いやゴンズイ先輩も1年しか変わらないでしょ。何ならあんた3月生まれでアーニャ4月生まれだから生まれたの1ヶ月しか変わらないよ』

『さあ、いよいよ文化祭の最後、何か気持ちよくかつ面白く締められる人いる⁉︎』

『いや私が言うのもナンだけどさ、ゴンズイ先輩、振り方えぐいよ』

『そういえば先輩方に聞こうと思ってたことがあるんですよ』

『いやイケるんか~い』

『草からそんなこと言われるなんて……、緊張するね』

『これから放送部として活動するにあたって、大事なことはなんですか?』

『え~? 難しいなぁ……』

『僕は……いろんな人やメディアから情報を集めること、かな。一つの情報源からだと、凄く偏っちゃうから』

『ヒラチュー先輩、記者みたいなこと言ってるね』

『ゴンズイ先輩は?』

『そうだねぇ……リスナーと一緒に作り上げること、かな。全てのお便りを、何度も何度も読んで……そりゃあ、たまには厳しい意見もあるけどさ。それも一つの意見だからね』

『そういえば関西出身の友達がゴンズイ先輩のノリツッコミは寒いって言ってましたよ』

『え~名前教えろ~。絶対ぶち◯す~』



――神奈川県立鶴山高等学校放送部、名シーン集第2編より――

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