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<第7節 試験とキュンキュン>

 放課後、いつものように部員を放送室に集めた瑞樹は、いつもと違って神妙な面持ちで告げた。

「さ、再来週からは前期中間試験よ。毎回の恒例通り、テスト1週間前の放送では試験についての放送をするわ」

 愛香と忠信は静かに首肯する。その表情は凛々しく、精悍だ。それを見た若葉は冷ややかに疑問符を浮かべた。

「いや、ちゃんと説明してくれよ。なんでこいつら出兵する直前みたいな顔してんの?」

 それはね、と前置きをして、瑞樹と愛香が順番に言い放つ。

「試験1週間前の放送は私たちにとって、最大級に勝負の回なのよ」

「試験回があるからこそ放送部は成り立っていると言っても過言ではないんだよ、草」

 依然、表情を崩さない瑞樹と愛香。その横で忠信が立ち上がる。


「ズバリ、僕は試験内容を完全に把握している」


 その言葉に、若葉は言葉を失った。

「なん……、だと……?」

 だが、忠信の言葉や表情に嘘や冗談を言っている感じはない。途端に忠信のメモ帳が神聖なもののように見えてくる。

「ま、眩しすぎて直視できねえ……」

 忠信は少しだけ得意げに、それでもあくまで冷静に続けた。

「でもね、これは非常に危険なパンドラの箱だよ。扱い方を間違えると大変なことになる」

 それが三人が真剣な理由だった。

「試験内容を直接言うことは、当然許されないよ。僕らはどんな勉強をどのくらいすれば点数を取れるか伝えるだけ。そうすることで生徒たちの勉強のモチベーションを上げる。その線引きが大事」

 当然、教師陣にもこの放送は耳に入る。どんな問題が出るのかを直接告げることはできない。

「で、今回特に注意しないといけないのは割谷くん、君だよ」

「えっ?」

 突然の名指しに、若葉は一瞬固まる。

「多分、いや、必ずと言ってもいい。君を買収しようとする輩が現れる。どんなに甘い内容だったとしても、絶対に断らないといけないよ。放送部存続に関わる重大な問題になってしまうからね」


   □ □ □


 翌日の放課後、若葉は図書室に足を踏み入れた。とは言っても、図書室は若葉にとって馴染みのある場所だ。読書が趣味の若葉は、放送部に入る前には毎日昼休みはここで時間を潰していたし、放送部に入ってからも一、二週間に一回は本を借りている。それくらいに鶴高の図書室は品揃えが良かった。

 だが、今日の目的はいつもとは違う。この日の目的は、テストの攻略チャート作りだ。

 忠信の持つ試験の情報を活かし、問題集のどの部分をできるようになっておけば良いのかを調べる。例えば、数学の問題集55ページの大問2、のように。最も重要な問題を星3とし、星2、星1と段階をつけて目標点数に合わせて勉強を促す。

 若葉は1年生のチャート作りを任された。愛香が3年、瑞樹が2年を担当し、あくまで放送部も他の生徒たちと条件は同じにする。忠信だけは例外だが。

 忠信は全ての情報を統括している。ただ、それは好き放題できるという意味ではない。前日の忠信の言葉の通り、この情報の扱いには大きな責任が生じる。このことが明るみに出て問題となれば、ただでは済まないだろう。

 ということで若葉は1年生の問題を扱うことになったのだが、転校してきたばかり若葉は鶴高生共通の問題集を持っていなかった。仕方なく図書館に行って、問題集を借りることにしたのだ。

 参考書や問題集の本棚へ直行し、若葉はすぐに目的の問題集を見つけた。本好きの若葉にとっては造作もない。

 1年生の数学の問題集を右手に取ろうとした瞬間、横から伸びてきたひと回り小さい色白の左手に触れた。

「あっ」

 その手の持ち主の声が漏れる。彼女は左手を引っ込めると、えへへと頬を掻いた。

「ご、ごめんなさい。でも、こんなことってあるんですねっ」

 照れ臭そうに笑うその姿は、「可憐」と言う以外に表現する方法がなかった。

 きゅん。

 落ち着け。そう自分に言い聞かせながら、若葉は目の前の女子生徒と視線を合わせる。

 彼女は大きな瞳で不思議そうに若葉を見つめてから、何かに気付いてあっと声を出した。

「もしかして、若葉先輩ですか?」

 きゅん。

 若葉先輩。なんと素敵な響きだろうか。草なんかとはまるで違う。

「あ、私は1年1組の山田芽衣と言います。みんなからはヤマメって呼ばれています」

 身長は女子の平均くらい。肩くらいまでの長さの焦げ茶色の髪は、緩めのカールでふんわりとした印象を与えるゆるふわヘアー。少しだけ垂れ目の真ん丸の瞳は、図書館のライトを反射してキラキラと輝いている。その朗らかな笑い方と相まって、おっとりとした穏やかな雰囲気だ。

「お昼のラジオ、いつも楽しみにしてますっ。あ、草さんって呼んだ方が良いですか?」

「いや、若葉でいいよ」

 間髪入れずに若葉は答える。そのあまりの速さに、芽衣はもう一度ふふふと笑った。

「あ、ヤマメはこの問題集使うんだった?」

「あ~まあ……そうですけど……」

「じゃあ使っていいよ。別に明日以降誰かに借りられると思うし」

 そうだ。そもそも愛香に借りれば良かったのだ。今日は作業できないが、明日持ってきて貰えば良い。

「でも、若葉先輩も今日使う予定だったんですよね?」

 そう告げると、芽衣は予想外の提案をしてきた。

「じゃあ、一緒に使いますか? 今日だけ」


   □ □ □


 17年の若葉の人生において、女子と二人きりで勉強するなんてことは一度もなかった。

 人生の一大イベントに挑む若葉だったが、冷静さは失ってはいなかった。

 忠信が若葉に渡した極秘情報は絶対に芽衣に見せないように注意し、もしも聞かれても答えないように。それだけを意識して、若葉は芽衣の隣の席に座った。

「でも、なんで2年生の若葉先輩が1年生の問題集を?」

「あ~ちょっと放送部の仕事でさ」

「後頭部の干物?」

「言ってないよ。なにそれ怖すぎるだろ」

 それ以上の情報は少し言いづらそうにしていると、芽衣はそれ以上踏み込んで来なかった。

「ヤマメは? この問題集みんな持っているんじゃないの?」

「うち、貧乏で。できるだけ節約したいんですよね~。大学も返済なしの奨学金で行けるところじゃないとダメなので、必死に勉強しているんですよ~」

 芽衣はけろっとした様子で答えた。もちろんそれ以上踏み込むことはしないが、若葉は正直意外だった。芽衣の醸し出す雰囲気からは、どこか育ちの良さを感じていたからだ。

「あの」

 芽衣が自分のノートを指し示し、若葉に体を寄せた。

「ここ、公式が2つあるんですけど……どっち使えばいいんですか?」

 等差数列の和の問題。確かに公式は2つあり、両方丸暗記するのは少し効率が悪いところだ。

「あー、このへんはあまり公式丸暗記じゃない方がいいよ。公式の意味を考えるとさ――」

 若葉の説明に、芽衣は感心した様子を見せた。

「若葉先輩、教えるの上手いんですね」

「いや、別に普通だよ」

「ふふっ、照れてるー」

 いや、きゅん! きゅんきゅん! きゅんだぜ!

 なんだこれは……これが後輩の破壊力か!

 若葉は張り裂けそうになる胸を必死に押さえ、深呼吸をする。それでも落ち着かない動悸。少しだけ近付いた椅子。若葉は精神を落ち着かせるために、もう一度問題集に視線を落として深呼吸をした。

 芽衣は問題だけノートにメモをしてからそれを解く練習。若葉は問題集を手に、テスト攻略チャートの作成をする。解答は別冊になっているので、芽衣の手元に置いてある。芽衣がメモした問題を解き終わると、若葉が問題集を渡して問題をメモする、の繰り返しだ。

 芽衣は時々解説の納得がいかない部分や問題への考え方を若葉に尋ねた。若葉は特別勉強が得意なわけではないが、1年前の内容なのでなんとか答えることができる。

 それから2時間。何事もなく図書室の閉館時間直前となった。若葉は自分の作業を終わらせ、作成した攻略チャートの画像データを忠信に送信する。

「俺終わったから。これ、ありがとね」

 そう言って問題集を渡す。芽衣もちょうどキリよく丸付けが終わったところだった。

「私も今日は終わります。誰かと一緒にすると、集中できますねー」

 芽衣はくうっと伸びをして、大きく息を吐く。そして、若葉の目を上目遣いで見て告げた。

「明日も同じ時間ここで勉強するんですけど、もし良かったらまた勉強教えてもらえませんか?」


   □ □ □


 二人は学校を出て、駅までの道を歩き始めた。

「ヤマメは部活とか入ってる?」

「豚クソ庇ってる?」

「言ってないよ。ごめんね、放送部なのに滑舌悪くて」

 たまにある聞き間違いの間違え方がエグい。まあこんなところも天然で可愛らしいけれど。

「あ、部活には入っていないです。バイトも忙しいので」

「あーバイトやってるんだ。何のバイト?」

「ラーメン屋です。ラーメン好きですか?」

「結構好きだよ、とんこつが」

「私はポンコツじゃないですよ」

「言ってないよ。とんこつね。聞き間違い酷いな」

 くすくすくすと芽衣は笑みを浮かべる。わざとやっているのか、と若葉は疑念を持ったが、本当のところはよく分からなかった。

「ぜひ今度食べに来て下さい。うちのラーメン屋、とんこつスープが絶品ですから」

 別れ際、芽衣はスマホを手に若葉に尋ねる。

「連絡先、聞いても良いですか?」

 もちろん拒否することはなく、若葉は芽衣とスマホを向かい合わせた。

「えへへー。なんか照れますねー」

 友達に追加されたのを確認すると、芽衣はスマホを胸の前で大事そうに抱える。そして、最後まで天使の笑顔を振り撒き、芽衣と若葉は逆方向の電車に乗った。


   * * *


 むしむしとした暑さで目を覚まし、いよいよ夏本番といった雰囲気の朝。駅から鶴山高校へと向かう通学路で、愛香は数メートル目前に若葉を見つけた。偶然にも、同じタイミングの電車だったらしい。まあ20分に1本の路線なのでそれほど珍しいことではないけど。

「あ、草――」

 瞬間、焦げ茶色の髪が愛香の前を横切った。

「おはようございます。若葉先輩っ」

 目の前の少女は、ぴょこぴょこと跳ねるように若葉の横に並ぶ。

「おはよう」

 若葉は嫌な素振りは全く見せず、学校までの道を歩き出した。

「昨日、スーパーにプロ野球チップスが入荷していたんですよ!」

「マジ? この時期に?」

 彼女は興奮した様子で熱心に若葉に話しかけ、若葉もそれに答えている。

 プロ野球チップス……聞いたことはあるけどそんなに珍しいんだっけ、と思った愛香はスマホで検索してみた。プロ野球選手のカードが付属したポテトチップスで、発売するのは年に3回くらい。確かに売っている期間はあまり長くなさそうだ。値段は100円程度。

「10個くらいあったんですけど、無くなってないといいなー」

 そんなに欲しいなら、まとめて買っておけばいいじゃん。

「そんなに欲しいなら、まとめて買っておけば?」

 若葉と思考が被る。愛香は静かに目を細めた。

「ダメですよぉ。1日1個っていうのがルールなんです。分かってないなぁ」

 いや、そもそもプロ野球チップスを集めるJKを初めて見たんだけどなぁ、と愛香は心の中で呟いた。

「で、昨日誰が出たのさ?」

「井納金田デラロサ?」

「言ってないよ。そんな『やきゅうた』みたいな間違え方しないで」

 やきゅうたとは、「プロ野球選手名で歌ってみた」という替え歌の俗称だ。プロ野球選手名だけを繋いで、それっぽく歌うのが魅力のコンテンツ。

 彼女は定期などを入れるパスケースを取り出すと、そこから1枚のカードを見せた。

「ラオウです! じゃん!」

「お~しかもキラだ。すご」

 ラ王? カップ麺の話?

 気になった愛香は二人の後ろからカードを覗き見る。そこには巨漢の野球選手が写っていた。

 この選手はラ王が好きなのかな。お金持ちだろうに、意外と庶民派? 少し好感が持てるかも。でも、草って野球詳しいんだ。私はポジションも全部言えないなあ、と愛香は思いふける。

 それから愛香は歩く速度を落とした。なんだか盗み聞きをしているような罪悪感を感じて。

 若葉が遠ざかると共に少し退屈さを感じ、愛香は少しだけ不満げに口を尖らせた。

 そして、思う。

 まあ、別に何か用があったわけではないから良いけど、と。


   □ □ □


「それじゃ、お疲れ様です」

 翌日の昼の放送が終わった若葉は、そう言ってそそくさと放送室を後にする。その様子を見た瑞樹が、怪訝そうに口を開いた。

「なにあれ。なんかあった?」

 忠信はパソコンを操作しながら答える。

「後輩の女の子と、勉強デート。ちなみに3日連続」

「はあ⁉︎ なにそれ⁉︎ アオハルかよ⁉︎」

 驚きを隠さない瑞樹に対し、愛香は「ああ、あの子か」と先ほどの記憶を思い起こす。

 確かに可愛い子だった。声も透き通るように綺麗で。

「あれ、アーニャ、なんでそんな怖い顔してるの?」

 思わぬその言葉に、愛香は声を荒らげた。

「べ、別に怖い顔なんてしてないですよ!」

 愛香は誤魔化すように急いで帰り支度をする。鞄を持ったところで、瑞樹がニヤニヤといやらしい笑みを浮かべて告げた。

「あ~嫉妬か」

「なんで私が嫉妬なんてしなきゃいけないんですか! 草と私は関係ないです!」

 愛香はぷりぷりと怒りを示し、放送室を後にした。


   □ □ □


「若葉先輩、ひとつ相談してもいいですか?」

 ついに来た。若葉はぐっと気を引き締める。

 芽衣は若葉を慕ってくれる良い後輩だ。でも、テストの情報は伝えられない。それはフェアじゃないから。それをはっきり伝えないといけない。


「私、高津先生に脅迫されているんです」


 ぽろぽろと、透明な涙が落ちた。

「えっ?」

 若葉は呆けて、挙動不審にならざるを得ない。必死に鞄からハンカチを取り出して、芽衣に差し出した。

「ありがとう……ございます……」

 何粒も何粒も雫はこぼれ落ちて。尋常じゃないことだけは若葉にも理解できた。

 しばらくして落ち着いた様子の芽衣に、若葉が詳しい事情を聞く。

「脅迫って……どういうこと?」

「高津先生は私の写真を……秘密が写った写真を持っていて……」

 高津先生は、生徒会担当の国語教師だ。比較的生徒との距離が近いタイプで、生徒からの評判も悪くないと若葉は認識していた。

「秘密……ってどういう……?」

 芽衣は自分の体を両手で押さえて、ふるふると瞳を震わせた。

「どうしても、お見せしないとダメですか……?」

「いや、いいよ! 見せなくて!」

 えっ、こういうのって本当にあるの? えっちな感じの? そんなの犯罪でしょ?

「でも、大ごとにはしたくなくて。なんとか丸く収めたいんです」

「丸くって……」

「写真を消してくれれば、それ以上は何も言いません」

 随分と寛大すぎるような気はするが、本人がそう言っているのであればいいのだろうか。若葉には対処法が全く分からなかった。

「どうすれば……」

 そう呟いた若葉に、芽衣が静かに答えた。

「何か、高津先生の秘密でも手に入れば……交換条件でなんとかなるかもしれません」


   * * *


 翌日、いつも通りの放送部の打ち合わせの後、若葉は忠信と話をしていた。

「どういうことですか⁉︎」

「言った通りだよ。調べたけど高津先生が脅迫をしているなんてそんな話はないし、もしあったとしても脅迫し返すなんてそんな不純な動機のために高津先生の情報を渡すことはできない」

「不純……って、芽衣はあんなに苦しんでいるのに!」

 殴りかかりそうな勢いで若葉は忠信に詰め寄る。忠信はあくまで冷静に、だけど一歩も退くことはない。

 一触即発。だが、若葉も元々好戦的なタイプではない。ただやるせない表情で地面を見つめる。

「珍しいね、草がそんなに感情を出すなんて」

 その忠信の言葉に、若葉は静かに答える。

「ヤマメは、いい奴なんです。大学行くために一生懸命勉強していて、どんな時も明るくて……。家計のためにバイトまで頑張って……。ああいう奴は、幸せになるべきだと思うんです」

 それ以上、忠信は何も言わなかった。若葉はやるせない表情で俯く。

 そして、自分の言動を反省した。

「すみません、ヒラチュー先輩に当たっちゃって……。俺、図書室行きますね」

 若葉が立ち去った後、忠信の元に愛香がやってくる。

「アーニャ、見てたんだ」

「別に、覗き見しようと思っていたわけではないんですけど……」

 重い空気が流れる中、忠信はニヤッと笑った。

「結構面白かったな~。草の意外な一面が見えて」

 その言葉に、愛香は頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。

「はっ? えっ? どういう意味ですか?」

「本当はすぐに分かっていたんだけどね。瑞樹に話したら、ちょっと泳がせておけって言うから」

 すると柱の影から、しししと笑う瑞樹が姿を見せた。どうやらずっと見ていたらしい。

「草とアーニャの知られざる一面も見えたしね」

 揶揄うように瑞樹は愛香の肩を指でつつく。まるで状況が理解できない愛香に、忠信が自分のスマホの画面を見せた。

 そこでようやく、愛香はこの話の全体像を捉えることができた。

「よもやよもやだ……」

「そろそろネタバラシ。僕が行くと話が拗れるかもしれないから、アーニャが図書室に行って来てね」


   □ □ □


 図書室の2階の端。いつもの指定席に二人はいた。

「ごめん、俺の力がないばっかりに……」

「いえ……仕方ないです……」

 重苦しい空気。だが、若葉は意を決して芽衣に告げる。

「でも、俺がなんとかするから。高津先生の悪事は、絶対になんとかする」

「えっ……?」

「俺が学校とかけ合ってみて、なんとかしてみせるから」

 すると、芽衣は急に動揺し始めた。こんな展開になるとは思っていなかったと言わんばかりに目が泳ぎ、額には少し汗が浮かんでいる。

「いや、そこまでしなくていいかな~って。その、お気持ちは嬉しいんですけど……」

「いや、絶対にやる。ヤマメをそんな風に苦しめる奴は許さない」

「ほんとに大丈夫ですよ? そこまで大袈裟にすることはないというか」

「ダメだろ! ちゃんと出るとこ出ないと! 相手の思う壺になる!」

「ちょっとぉ⁉︎ 話を聞いてくださ――!」

 その瞬間、二人の背後から声が聞こえた。

「山田芽衣さん、もうやめたらどうですか?」

 そこに立っていたのは、厳しい表情の愛香だった。何をやっているんだか、という呆れた表情で若葉を一瞥すると、目の前の芽衣に向かって告げる。


「あなたの目的は、演劇部の部費の値上げでしょ?」


 押し黙る芽衣と、きょとんとする若葉。何かを発することはなく、愛香はそのまま続ける。

「各部活の部費を決定する生徒会担当の先生の弱みを握って、部費の値上げを交渉しようと。そんなところなんでしょう?」

 高津先生は生徒会担当の教師。申請した部費の金額と活動実績を見て、実際の予算を決定する代表者だ。

 はあ、と大きなため息をつくと、芽衣は観念したように。それでいて少しだけ不服そうにそれを認めた。

「そうですぅ」

 ん、演劇部? 確かバイトで忙しくて帰宅部だったはずでは?

 いまだに状況を理解できない若葉を置き去りに、愛香は芽衣に尋ねる。

「演劇部ってそんなに部費って少ないの?」

「別に普通の活動はできますけど。演劇って、小道具とかいろんなお金がかかるんですよ。特別な大きい舞台をやろうと思ったら、それだけお金が掛かるんですぅ」

 素直な後輩からは雰囲気が変わり、若葉は思ったままに感想を述べた。

「なんというかわがままな姪っ子みたいな感じだな。芽衣だけに」

「やかましいですね」

「ごめんなさい」

 手厳しいツッコミ。確かに今のはボケが悪いな。うん。

「でも、少しやり過ぎました。反省しています。ごめんなさい」

 芽衣は膝に手を置き、静かに頭を下げた。しおらしくしていると、やはり可愛らしい。

「え、でもなんで俺? 情報を持っているのはヒラチュー先輩だぞ」

「だってヒラチュー先輩は曲者そうだし。でも、若葉先輩はチョロそうだったから」

「チョロ……?」

 まあそれはそうだけど、と言っている愛香に納得できないながらも、若葉は情報を整理した。

「つまり、俺から情報を引き出すために今まで演じてたってこと?」

「はい」

「テストの情報ではなく?」

「テストの情報? そんなの、どうでもいいです」

「でも、勉強教えてって……」

 芽衣は少し気まずそうに頬を掻いて答えた。

「勉強教えてくれるのは誰でも良かったです。まあ、最悪一人でもできますし。たまたま若葉先輩が使えそうだったから、利用させてもらいました」

 忠信の情報を漏らさないように必死になっていたため、ここでようやく若葉の緊張の糸がほぐれる。だが、そうなるとはっきりしないことが出てくる。

「え、どこまで嘘?」

「どすこい音頭ってなんですか」

「言ってないよ。全然違うな。どこからどこまで嘘? って聞いたの」

 改めて質問を聞き取った芽衣は、けろっと答えた。

「全部嘘ですよ」

「全部?」

「全部です。高津先生から脅迫されていたことも、なんなら家が貧乏で問題集が買えないっていうところから嘘です」

 芽衣は自分の鞄から数学の問題集を取り出した。買ったばかりのまだ綺麗なもので、図書館のものではないことが明白だ。

「将来のミュージカル女優ですから。演技力舐めないでください」

 少し自慢げに、そして小悪魔的に笑って見せる。それを聞いた若葉は、心底安心した様子で胸を撫で下ろした。

「なんだ、良かったぁ~」

 若葉のそんな反応に、芽衣はちょっとだけ驚いた表情を浮かべる。

「怒ってないんですか?」

「怒る? あ~まあ別に、俺に何か損害があったわけでもないし」

 そんな若葉の悠々たる態度に、お人好しとでも言わんばかりに芽衣は眉を八の字に曲げた。

「ばかですね」

「おい、バカはダメだろ」

「ばかだよね。かっこつけすぎ」

「かっこついてないよ?」

 愛香まで芽衣に加勢し、そのあとで三人は小さく鼻で笑った。散々騙された若葉の察する力はこの日は不調で、愛香が「かっこつけすぎ」と言ったのは「女の嘘は、許すのが男だ」という某有名漫画の名シーンが思い浮かんでいたからだとは到底気付くことができなかった。

 そして、芽衣はもう一度くすっといたずらに笑って、若葉の耳元で囁く。

「若葉先輩、からかうと反応が面白いから。結構楽しかったですよ、一緒に勉強するの」

 耳元にほんのり息がかかり、若葉の頬が赤く染まる。それを面白くなさそうに見つめる愛香をよそに、芽衣は自分の鞄を持って駆け出した。少し進んで振り返ると、手を振りながら告げる。

「また勉強教えて下さいねー」

「え、それは本当? それも嘘?」

 しばらく呆然としていた若葉だったが、あっと思い出して呟いた。

「ヒラチュー先輩に謝らなきゃ……」

「大丈夫だよ。あの人たち楽しんでいただけだから」

「え、そうなの?」

 これで一件落着。残った愛香は手持ち無沙汰にふうと息を吐く。少しの沈黙の後で、空いた席を見て若葉が告げた。

「勉強、していくか?」

 それを聞いた愛香は、う~んと天井を見上げ、少しだけ口を尖らせて答える。

「まあ、別にいいけど」

 何かを教え合うということはなかった。それから1時間ちょっと。ただ、静かに背中を隣り合わせて勉強をしていた。


幕間

『放送部のお悩み相談室~~~』

『(ぱちぱちぱち)』

『今日お越しいただいたのは、漫画研究部のお二方です。自己紹介をお願いします』

『さ、3年5組の小場です』

『お、同じく3年5組の大畑です』

『漫研のお二人ですが、今日はどのようなお悩みでしょうか?』

『え~っと~、まあ何ていうか僕らは漫画、アニメ、ゲームに青春の情熱を注いできたわけなんですけど~』

『素晴らしいことじゃないですか』

『いや、それ自体はいいんですけどね。なんていうか、このまま高校を卒業しちゃっていいのかな~って』

『僕らの青春こんなものかな~って』

『ふむふむ、私、分かりましたよぉ~。つまり、リア充したいってことですね!』

『『はい』』

『え、今のそういう意味だったんすか? 全然伝わってないんですけど』

『相内さんには伝わったのにな~』

『伝わらないか~、この言葉にしない趣きが、機微が』

『いや、ないよ。機微。『忍ぶれど~』じゃないんすよ。そんな機微、清少納言もびっくりですよ』

『別に彼女が欲しいとかではないんです。ただ、みんなでワイワイというか、ちょっとした楽しい思い出が欲しいっていう感じですかね』

『うちの部活、女子なんていないんですよ』

『なるほど……』

『その想い、必ず叶えてみせます!』

『おお、言い切ったな。で、その作戦は?』

『…………………………………………それを考えるのは草の役目だと思うな、うん』

『ダメだこりゃあ』

『無理ですよね……』

『僕らは所詮ゴミムシみたいなものですから……』

『……そ、そんなことはないですよ。最近は芸能界にもアニメ好きも増えてるじゃないですか』

『僕らをあいつらみたいなにわかと一緒にしないでいただきたい(キリッ』

『僕ら信念を持ってヲタクしてるんで(キリッ)』

『なんだこいつら腹立つな。白菜と一緒にヤンニョムの中に漬け込んでやろうか』

『やめてよ~キムチになっちゃうよ~』

『それでは気を取り直して曲の方いきましょう。どんくらいDon't cryさんのリクエストで、『GPS』の人気ダンスナンバー、『margarine』、どうぞ』

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