<第6節 深夜の学校>
「なんか期待させちゃっているところ悪いけど、本当に余裕だからね?」
「いや、強がらなくて良いから」
「はあ~? いや、もうごめんね。先に謝っておくけど、そんな良いリアクション取れないから、全然怖くないし」
「わあっ!」
「ひいっ!」
突如背後から大きな声を出した瑞樹に、愛香が吹っ飛ぶ。笑いを堪えられない若葉と、口角を上げながら動画を撮っている忠信。
余裕ぶっていた愛香は一瞬でその余裕を失い、そのビー玉のような瞳が絶望に染まる。
「ちょっとゴンズイ先輩! 驚かさないでよ!」
愛香は涙目で瑞樹に抱きついた。瑞樹は楽しそうにけらけらと笑い飛ばすだけだ。
「意外だったな、アーニャが怖がりだなんて」
午後8時。生徒の気配は消え、外はすっかり夜の帳が降りている。ここは校舎裏へと続く渡り廊下。電灯の光がないわけではないが、青色や紫色で色付けられた夜の学校独特の不気味な雰囲気が漂っていた。
わなわなと震え、愛香は弾けるように叫ぶ。
「もうやだぁ‼︎ 帰りたい〜‼︎」
□ □ □
話は、その日の放課後に遡る。放送の打ち合わせが終わった時、おもむろに忠信が口を開いた。
「なんか夜に校舎裏に火の玉が出るっていう噂を聞いたんだけど、興味ある?」
その言葉に、若葉や瑞樹は「へえ」とか「ふうん」という気の無い返事をしたのだが、
「別に、どうでもよくない? 子供じゃないんだし」
「………………?」
その語気がやけに強くて、若葉は邪推を働かせた。元々「察しの良さ」で生きてきた男だ。
「もしかして……怖いのか?」
愛香は目を泳がせながら、必死の抵抗を見せる。
「はぁ~? 意味わかんないんだけど~?」
声が裏返っており、明らかに様子がおかしい。そうなってくると、興味が湧いてくるのが人間の性というもので。
「調査しましょうか。放送のネタになるかもですし」
面白くなってきたな、と瑞樹と忠信も小さく笑みを浮かべた。
□ □ □
それが放送部の四人が夜の学校にいた理由。調査という名目で、ほぼ肝試しだ。愛香の怖がる姿をたっぷりと楽しもうという思いで、三人は歩を進めていた。
先頭に若葉、隣に忠信、その後ろに瑞樹と愛香という隊列で進む。女子にしては背の高い愛香が体を縮めながら小柄な瑞樹に抱きついている様子は、側から見ると少し面白い。愛香はこれでもかという力で瑞樹を抱きしめていた。
「も~痛いよ~アーニャ~」
「ごめんなさい~。でも本当に無理なの~」
「何がそんなに怖いんだ? 本当にお化けがいるわけじゃあるまいし――」
その瞬間、若葉の言葉を遮って、思いもよらぬ言葉が愛香から発せられた。
「だって私、視えるんだもん!」
「「「は?」」」
その刹那、三人の動きが止まった。若葉は恐る恐る、ロボットのようなゆっくりとした動きで振り返る。
「いるの?」
「いるよ!」
会話に主語はなかったが、「幽霊」のことを言っているのに間違いはないだろう。
愛香が冗談を言っている雰囲気はない。涙目で体を小刻みに震わせている。その本気で怖がっている様子を見て、若葉は背筋にすうっと寒気がするのを感じた。
若葉の隣を歩いていた忠信も歩みを止めて振り返る。
「いや、幽霊っていうのは科学で解明されてきているからね。そもそも人の脳っていうのは誤解や錯覚をしやすいようにできていて、仕方がないものなんだよ。まあでも幽霊はいないけどね。実際に僕は幽霊に何もされたことないし」
「すっごい早口じゃんヒラチュー。ちょっと声震えてるし」
一番冷静な瑞樹が的確にツッコむ。もはや若葉と忠信は普通の精神状態ではなくなっていた。
「アーニャもさ、普段どうしているわけ? 女の子とはいえ、夜一人で出歩く時とかあるでしょ?」
「1回怖くなっちゃうともうダメなんですよぉ~」
今はひと気のない夜の学校。その雰囲気と「夜の学校には幽霊が出る」という先入観が愛香の恐怖心を冗長してしまっているようだ。この愛香の状況を考えると、忠信の言う「幽霊は脳の錯覚」という理論も正しいような気がしてくる。
「もうなんか居そうな気がするもん……ほんと……無理……」
「い、いい加減にしろ! 見えないものを見ようとするな!」
「いくつも声が生まれたよ〜」
「ちょ、ゴンズイ先輩怖いこと言わないで!」
墓地には幽霊がいる、お風呂入っている時に背後に誰かいるなどの先入観が幽霊を生み出す。その先入観や思い込みが強い人ほど幽霊が存在として目に見える、ように感じるのかもしれない。三つの点が集まった図形を人の顔だと思ってしまうシシュミクラ現象や、意味のない対象に知っている意味を当てはめてしまうパレイドリア現象も、幽霊という存在に密接に関わっていると言われている。
つまり、幽霊に対する対処法としては「幽霊がいないと思い込む」ことが重要であり、忠信がやっていたこともそれほど間違いではなかった。
少しずつ少しずつ恐怖心が増してくる若葉は、必死に自分を落ち着かせる。
「ま、まあ一人の時ならまだしも、こんな四人も集まってたら幽霊も出て来ないだろ」
小馬鹿にするように半笑いで。偶然にもその時、愛香以外の三人は右側を見ていなかった。
瞬間、愛香の視界の端に、明るい何かが映った。
「なんかいた~~~~~~!!!!!!」
びくっと一瞬肩を震わせた若葉と忠信だったが、すぐさま振り返り戦闘体制に入る。瑞樹だけはあくまで落ち着いた様子で愛香の視線の先を見るが、そこには何もなかった。
「お、驚かすなよ……何もいないぞ」
「嘘は良くないよ、アーニャ……本当……」
犯罪者を見るような目で睨みつける若葉と忠信に、愛香が癇癪を起こす。
「い~た~も~ん! トトロいたもんっ!」
もはやツッコむ余裕もなく、「幽霊などいない」と心の中で唱えながら若葉たちは周囲に目を凝らす。
「誰かいるんですか⁉︎」
その大きな声に、再びびくっと全員の肩が跳ねる。だが今回はすぐに人の声だと分かり、彼らは胸を撫で下ろした。
外へと続く廊下の曲がり角から現れたのは、数人の男子生徒たちだ。全員が白衣姿で、さらに透明なゴーグルを着用していた。
「えっと……」
若葉たちが戸惑っていると、向こうから自己紹介を始めた。
「どうも、科学部部長の湯沢です」
向こうはこちらが放送部であることをすぐに分かったらしい。
「すみません。誰もいないと思っていて……注意不足でした」
湯沢は申し訳なさそうにお詫びの言葉を告げた。それから放送部の面々は彼らの周りにあったいくつかの装置に視線を向ける。すぐには理解できなかったが、若葉にはそれがピタゴラスイッチの仕掛けに見えた。放送部を代表して瑞樹が湯沢に尋ねる。
「これ、何をやっていたの?」
「これですか? これは『ガリレイ』に出てきた火の玉トリックですよ」
『ガリレイ』は天才物理学者がその頭脳で難事件を解決する大人気ミステリーだ。
簡単に言うと、アーチェリーの弦をはんだごてで燃やして弦が首に巻き付くようにするトリック。タイマーをセットして、きちんと正しい時間で装置が発動すること。弦が狙った場所に巻き付くことを計算してから実験をしていたらしい。ちゃんと顧問には了承を取って、他の生徒がいない時間にやっていたようだが。
「あ~、その回読んだことあるかも」
特段ミステリーを好むわけではないが、読書が趣味の若葉はその話を読んだことがあった。
「面白いですね。もし良かったら、放送で紹介しても良いですか?」
その提案に、湯沢は浮かない表情で他の科学部員と顔を見合わせた。
「すみません、このことは内緒にしてもらえますか?」
その理由が分からず、詳しい話を聞く。
「なぜですか?」
「この実験、結構危険なので、参加するにあたってちゃんとメンバーの名前とか書いて申請書を出さないといけないんですよ。皆さんが見たことが知られると、申請なしで参加したことになっちゃいます」
「なるほどね」
瑞樹はすぐに理解を示した。もちろん科学部の不手際もあるので、お互いになかったことにしようという話だ。
話題にでもなれば、という目論見があった放送部にとってはあまり良い話ではないが、事情が事情なだけに仕方がない。瑞樹は渋々それを受け入れた。
別れ際、最後に若葉は湯沢に尋ねた。
「でも、なんでこんなことを? アーチェリーの弦なんて買うの大変だろうし」
あ~と湯沢は照れながら髪を掻いた。
「いやまあ科学は好きなんですけどね。たまに思うんですよ。なんのために勉強しているのかって。あんなドラマのように科学が役に立ったら、楽しいだろうなって。だから勉強の一環としてたまにこういう遊びをしているんです」
結局、火の玉の騒動はこんな結末で幕を閉じた。ラジオのネタとしても使えない。とんだ時間の浪費になってしまった。
最後に、湯沢は自分の野望を口にする。
「僕もあんな綺麗な刑事さんと一緒に謎を解き明かしたい!」
「いや、それは物語だからな!」
幕間
『続いてのコーナーは、持論議論! ぱちぱちぱち~!』
『こちらは、皆さんに持論を展開していただき、僕ら二人が『正論』か『曲論』かを討論していくコーナーとなっておりまーす』
『早速リスナーの持論の方を読んでいきたいと思いま~す。ペンネーム『青ペン先生』からで~す』
『では、お願いします』
『人生とは、飛行機である』
『ほう』
『飛行機は最も事故が起きる確率が低い乗り物です。でも、嵐の中通る時、飛行機は上下左右に激しく揺れ動きます。皆さんも一度は「墜落するのでは?」と思ったことがあるのではないでしょうか。それでも、墜落することはありません。飛行機は私たちが思っている以上に頑丈なのです。先人たちの数多の経験と努力と失敗があるから、私たちは安全に飛行機を乗ることができます』
『確かに、落ちそうだと思ったことあります』
『でも、飛行機のメカニズムはまだ完全には解明されていません』
『そうなんですか?』
『現在の数学では、ナビエ・ストークス方程式という流体力学に関する方程式を、単純な仮定なしに解くことができていないのです。これは世界や人生の奥深さを示しています』
『へ~そうなんですね。面白いです』
『世界の理は分からないけれど、私たちは先人たちからいろんなことを学ぶことができます。学ぶことで、私たちは成長することができる。ただ、学ばなくても生きてはいけるんです。紙飛行機くらいは自分で飛ばせるし、空港で飛行機に乗れば誰かが飛ばしてくれます。そして何も学んでいない人にとっては、飛行機はただの乗り物でしょう』
『はい』
『ただ、それは飛行機を飛ばしている人たちの素晴らしさを知ること、彼らに感謝する機会を放棄していると私は思うのです。物事を知ることは、感謝するチャンスを得ること。私はいろんなことに感謝することができる人間になりたいと思うのです』
『素晴らしい、ですね』
『以上、物理の成績1の鶴高生より』
『はい最後最悪ぅ~。学べよ、物理を』
『物事を知ることは、感謝するチャンスを得ること。素敵な言葉だね。私、感動しちゃった……。文句なしの正論です』
『なんで泣きそうになってるの? 確かに最後のがなかったら完璧だったけどね。でもこいつ、感謝するチャンス放棄しちゃってるから』
『曲の方行きましょう。夏にぴったりのこの曲、『青リンゴ夫人』の『青りんごと夏みかん』、どうぞ』
『ねえなんで冷静に曲紹介できるの?』