<第3節 日常の始まり>
それから、若葉の放送部員としての日々が始まった。
昼休みの50分間、放送を行うという新たな日常。別にめちゃくちゃ面白いわけではないし、プロのラジオを聴いた方が面白いって言われたら終わりなんだけど。そんな放送に、若葉は全力で取り組んだ。
今日もあなたにささやかな幸せのひと時を。
ありふれた日常をほんの少しだけ彩るこのラジオは、当たり障りのない日常を求めていた若葉にとって、なぜだか少しだけ魅力的に感じた。「ささやかな」というその控えめなモットーが、自分を大した人間じゃないと自己評価している若葉に上手くマッチしたのもあるかもしれない。
学校の有名人にはなってしまったが、人気者というわけでもない。そりゃあ、たまにはラジオのことでいじられたりもするけれど。
なんとなく午前の授業を受けて、昼の放送はやってくる。それからなんとなく午後の授業を受けて、放課後の打ち合わせだ。家に帰ったら適当にテレビを観たり動画を見たりして、ご飯を食べて寝る。ネタになりそうなことを探してメモするようにと忠信には言われたが、そうそうそんなネタは見つからない。
今日もそんな一日が過ぎていく。そう思っていた若葉に、授業中メッセージが届く。
若葉は悪いと思いながらも、前の生徒の背中に隠れてスマホのロックを外した。メッセージが届いていたのは放送部のグループだ。
相内愛香「放送部のマスコットキャラ考えてみた!」
平田忠信「可愛い」
権田瑞樹「なんか社会に適応できてなさそう」
その上には1枚の写真が添付されていた。そこに描かれていたのは、目の下に深い隈が出来た熊だった。名前は「クマックマ」と言うらしい。可愛いは可愛いが、隈がやけにリアルだ。
割谷若葉「全員、真面目に授業を受けなさい」
それだけ送って、若葉はスマホを閉じる。すると、しばらくしてもう一度メッセージが届く。
相内愛香「これは自信作」
平田忠信「可愛い」
権田瑞樹「1回本気で怒られてほしい」
次の写真に描かれていたのは、目玉が大きいカエルのキャラクター。ただのカエルではない。大きな舌を出してヨダレの滴も出ている。名前は「ぺろぺろぺろっぴ」。
思わず、若葉は吹き出してしまう。見た目といい名前といい最悪だ。あまりにもキモい。無駄に画力があるのも腹立つ。
そして、今が授業中だったことを思い出す。
視線を上げると、世界史の中村先生がこちらを見ていた。
「どうした? 割谷?」
「いえ、なんでもありません」
周囲の視線が痛い。赤面を隠すように机に視線を落とし、しばらくしてからメッセージを送った。
割谷若葉「笑っちゃって先生に怒られた……」
すると、すぐに返信が届く。
相内愛香「真面目に授業を受けなさい」
平田忠信「真面目に授業を受けなさい」
権田瑞樹「真面目に授業を受けなさい」
こういう時には無駄に連携力を発揮する。若葉は心の叫びをメッセージとして放った。
割谷若葉「やかましいわ!」
□ □ □
午後の体育の授業のため体操服に着替えて昇降口を出た若葉は、靴を履いている途中の愛香に遭遇した。段差に腰を下ろし、靴紐を結んでいる途中のようだ。
「あ、草じゃん」
「おう」
画伯は先ほどのことなど忘れたかのように。一方授業中に思わぬ被害を与えられた若葉は、なんだかぎこちない返事だ。
体育の授業は2クラス合同で行われる。5組の愛香と6組の若葉は同じ授業だ。愛香は一人の女友達と一緒だったが、彼女はなぜかニヤニヤといやらしい笑みを浮かべて変な気を回す。
「先行っとくね~」
「え~ちょっと待ってよ~」
だが、靴を履き終えていなかった愛香はついていくことができず、仕方なく諦めた。はあ、と小さなため息をついて、愛香は若葉に話しかける。
「相変わらずぼっちなの?」
その言葉に、若葉はむっと眉を曲げた。
「相変わらずやかましいな。別に男子はいつも誰かと一緒ってわけじゃないんだよ」
「ふ~ん。そういうことにしておいてあげる」
若葉は自分の靴を地面に放り投げ、そのまま靴を履く。横に並んでグラウンドに歩き出した愛香は、靴の履き具合を確認しながら尋ねた。
「どう? 放送部、楽しい?」
「まあ、思ってたよりは。アーニャも先輩たちも変だし」
「先輩たちは変だけど、私は普通」
「そういうことにしておいてあげるか」
愛香の隣を歩いていると、若干他の男子の視線が痛い。けれど急に離れるわけにもいかず、若葉は仕方なくその羞恥に耐えることにした。
「でも、楽しいなら良かったっ」
愛香は若葉を覗き込むように少し屈むと、にぱっと笑ってみせた。
その笑顔に、意図せず若葉の頬が紅潮する。愛香は両手を頭の後ろで組み、前を向き直した。
「けど、先輩たちももうすぐ引退だからなー」
「あーそっか」
「うん、夏休み前の文化祭まで」
瑞樹と忠信は高校3年。大学受験を控えている二人にとっては夏休みが勝負となる。若葉を放送部に勧誘したのには、愛香がひとりにならないように、という理由もあったのかもしれない。
若葉と愛香は2年生。残念ながら1年生は誰も入部しなかったようだ。そもそも放送部はメジャーな部活ではないから仕方がないかもしれない。
「引退祝い、何かしてあげよっかなー」
「なんでそんな上からなんだよ」
若葉が冷ややかに目を細めてツッコむと、愛香はへへっと笑った。
グラウンドに集まる生徒たちを見ていた若葉は、ふと疑問に思う。
「外の体育は次、何をやるんだ?」
「ハンドボールゥ〜」
「ハンドボール? 高校の授業であるんだ。あんまりルール分からないな」
「まあ、ルールはなんとかなるよ~」
授業が始まると、まず出席を取った。そして、数人が前に出されこちらを向き、残りの人は整列した状態から等間隔で広がる。すると、音楽が流れ始めた。
ん?
偶然にも隣に並んだ愛香に、若葉は尋ねた。
「え、何これ? ハンドボールするんじゃないの?」
「え、鶴高体操だけど?」
そんなさも当たり前かのように言われても困る。
「この音楽は?」
「校歌だけど?」
なるほど、校歌を使って体操をするということらしい。まあ、ラジオ体操のようなものか。
そう理解した若葉は、前に立っている見本となる生徒の動きを真似してなんとかついていく。
腕を回したり交差させたり。腰を回したり前屈をしたり。なぜか途中でリズムが変わったりしたけど、ここまでは普通だ。
すると、ここで腰を深く落とし足を広げて大の字のような形を作る体操。
「これは体操……なのか?」
若葉の素直な疑問に愛香が答える。
「鶴高体操は伝統だから」
伝統か。ならば仕方がない。
そしてそのまま両手を地面につき、腕立て伏せが始まった。
「いや、なんで? なんで体操で筋トレが始まるの?」
「伝統だからさ」
「それやめろ」
足踏みをして、最後は深呼吸で体操を終える。体操なのに、既にかなり肉体は疲れていた。
「これ、毎回やるのか?」
愛香はじっくりと溜めた後で答える。何を言うかは分かっていたので、若葉も一緒に言った。
「伝統だからさ」
「伝統だからな」
□ □ □
放課後、彼らは放送室に集まっていた。目的はもちろん、翌日のラジオの打ち合わせだ。
「どう? そろそろ若葉もなんかない?」
瑞樹のその言葉に、若葉は渋い表情を浮かべる。
「いや、ラジオのネタなんてなかなか見つからないですよ。ゴンズイ先輩は、普段どんな台本の作り方しているんですか?」
瑞樹は「えっとねえ」と少し考える様子を見せてから答えた。
「本当に強いから、右腕1本は捨てる覚悟じゃないといけないよ。相手は首を狙ってくるから、まずは右腕を噛み付かせて筋肉で締め付けるの。そこから神経がたくさん詰まった剥き出しの鼻目掛けて渾身の左ストレート」
「いや、それ『台本の作り方』じゃなくて『ライオンの倒し方』ね。武井壮の」
これも対応してくるか、と称賛の眼差しで若葉を見た後で、瑞樹は真面目に答えた。
「私、実はそんなにアイデアマン……アイデアウーマンじゃないの。だから私はとにかくお便りにたくさん目を通してる。一人で考え付くアイデアには限界があるんだけど、人って意外といろんなことを考えているから。たくさんのお便りを読むと、前読んだのと繋がってみたりするんだ。面白い話やアイデアを考えるのは多分愛香の方がずっと上手いよ」
そして瑞樹は愛香の方に目を向ける。突然褒められたことで、愛香は「えへへいえへへい」と照れ笑いを浮かべていた。
「笑い方はちょっとキモいけど」
「キモっ?」
目をまん丸に見開いた愛香は置いておき、瑞樹は続ける。
「あとは連想ゲームだね。出てきたワードから連想していって、何か面白いトークできないかな、とか考えるの。まあ、すぐには難しいと思うから、ゆっくり練習していけばいいよ」
自分もいつか台本を書ける日が来るだろうか。そんなことを考えながら、若葉はぽりぽりと後頭部を掻いた。
幕間
『そういえばこのラジオっていつからやっているんだ?』
『さあ。ヒラチュー先輩なら知ってそう』
『――え、25年前から? 歴史ありすぎじゃないですか?』
『ラジオを始めた年の放送部のアルバムがあるんだって』
『なになに、コンセプトは『日常にほのかな彩りを添えるレディオ』だって。コンセプトは今と似てるな。レディオってところに時代を感じるけど』
『うん。『彩りは、添えるだけ』だってさ』
『いや有名バスケ漫画の影響受け過ぎだろ。添えるのは左手だけでいいわ』
『その下には『安西先生、レディオがしたいです――』って』
『擦りすぎだろ。何の捻りもないし。どれだけ流行ってたんだよ、ス◯ムダンク』
『コーナーも今とあまり変わらないね。……このアベックって何?』
『カップルの昔の言い方だな』
『へ~歴史感じるね~』
『できれば世代間ギャップで歴史を感じたくはなかったけどな……』
『あ、当時の写真も付いているね。画質悪いな~』
『ん、なんかこの人誰かに似ているような――』