<第1節 ちょっと変な放送部>
青春とは、日常である。
青春真っ只中にいる学生たちは、彼ら自身が青春時代を今生きているとは微塵も思っていない。
大人になった時、ふと「ああ、あの時って青春だったな」と思うだけ。青春とは後付けで定義されるものなのだ。
彼らはただありきたりな日常を過ごしているだけ。それが現実。
けれど、その日常をほんの少し楽しくするのも、また彼ら自身なのである。
冬の寒さはすっかり影をひそめ、ポカポカと汗ばむくらいの陽気になったゴールデンウィーク明けの月曜日。だが、その気候とは対照的に、『神奈川県立鶴山高校』と書かれた校門の前で立ち止まった男子生徒は、大きくため息をついて肩を落とした。
中肉中背でこれといった身体的特徴はない。強いて言えば、少し着痩せするタイプか。
既にクラス内のグループ分けは済み、序列もはっきりした頃だ。そこによそ者が一人入ってくる。向こうからすれば、状況がかき乱される可能性がある危険分子。簡単に馴染めるはずがない。
とはいえ、すっかり慣れ切ったことだ。父親の仕事の影響で、今まで何度も転校を繰り返してきた。母親とは随分と長い間会っていない。
次の転校までできるだけ大人しく過ごす。それで良い。
鶴山高校――通称、鶴高。神奈川県茅ヶ崎市の住宅地に囲まれた一般的な公立高校だ。自由な校風で、部活や学校行事が盛んらしい。
転校の手続き以来、2度目の登校だ。正面入口から校舎に入り職員室へと向かう。
「え~と、割谷若葉君ね。クラスは2年6組だから。あとの事は武田先生、お願いします」
「はい!」
いかにも真面目そうな若い先生だ。元気よく返事をして若葉の方を見ると、にっこりと笑う。
「よろしくな、割谷! うちの学校は元気で人懐っこい奴らが多いから、きっとすぐに馴染めると思うぞ」
好感が持てる、いかにも父兄からは人気がありそうな先生だ。だが、こういう先生ほどいじめに関しては対処できないことを若葉は知っている。別に自分が酷いいじめを受けた経験があるわけではないけれど、見てきた経験なら幾度となく存在する。
転校を何度も繰り返した身だ。その程度のことは熟知している。
そして、最近は波風を立てずに過ごす術も身につけた。もう大丈夫だ。ここでも上手くやれる。
「え~、埼玉県から引っ越してきました、割谷若葉です。趣味は本を読むことで、小説、漫画問わず読む感じです。よろしくお願いします」
パチパチと小さな拍手が起きる。それくらいでちょうど良い。
「埼玉のどのへん?」
「春日部。そう、しんちゃんの。まあ生まれは関西なんだけど」
「俺も漫画好きなんだ~。お気に入りは?」
「まあ、いろいろあるんだけど、『TIGER BALL』とかかな。ベタすぎ?」
「いやいや、分かるよ。面白いよな~。うちの学校の図書館、結構漫画が揃ってるんだぜ」
「へえ、昼休みにでも行ってみようかな」
「一緒に行く?」
「あ~、いいよ。わざわざ悪いし」
なんてことはない、この程度余裕だ。こちとら当たり障りのない会話をするプロフェッショナルと言っても良い。相手を不快にせず、こちらに踏み込ませることも許さない。
転校生への興味から最初は多少話しかけられるが、しばらくすればそれも無くなる。
このまま無難に学生生活を過ごし切ってやる。
だが、そんな目論見は昼休み、いとも簡単に打ち砕かれることになる――
「転校生、発見!」
背後から聞こえた突然の大声。しかも女子生徒の声だ。それが自分に向けられたものだと理解するのに時間は掛からなかった。ぞわっと背筋に悪寒が走る。
危うきには近寄らず。突然他のクラスにやってきて、大声を上げるような奴はどこかおかしい。
若葉はすぐさま逃げようと立ち上がるが、その時には既に、目の前に巨大な人の壁が出来上がっていた。分厚い胸板の男子生徒が五人。上履きの色と見た目からして、おそらく3年生だ。
「許せ、仕方がないことだ」
その五人の屈強な男たちは、若葉の足に手をかけると、その体を軽々と持ち上げた。
「うおっ!」
思わず声が出た若葉は、必死に脳を回転させる。
「(3年に目を付けられるようなまずいことを何かしたか⁉︎ いや、ここまでにそんな大きなミスは――)」
「さ、行くよ~」
最初に声を上げた女子生徒は、肩で風を切り颯爽と歩いて行った。背後から分かるのは、彼女の体格は小柄。そしてピンク色の薄めのカーディガンを羽織っているが袖は少し余っている、ということくらい。男たちは若葉を抱えながら、それにえっさほいさとついていく。
このまま校舎裏に連れて行かれてシメられるのかと恐怖した若葉だったが、階段を一階分下りて着いたのは意外な場所だった。
「はっ? 放送室?」
先頭を歩いていた女子生徒と向かい合う。ここでようやくしっかりとした顔合わせだ。
細いフレームのメガネが特徴的。目はくりっとしており口は小さく、なんとなく小動物のような印象。少し薄い髪色で、首元でくるりと内巻きにカールしたボブヘアーだ。
一瞬1年生かと思った若葉だったが、上履きの色が男子生徒と同じことに気付く。かなり童顔だが、どうやら3年生らしい。
彼女は眼鏡のブリッジをくいっと上げると、いかにもドヤ顔といった表情で言い放った。
「そう、あなたには今から、ゲストとして昼の放送に出てもらうから」
「昼の……放送……?」
その瞬間、放送が始まった。実に明るく快活な声で。
『今日もあなたに、ささやかな幸せのひと時を!』
廊下の反響をものともせず、透き通るような声がはっきりと響き渡った。
『さあ今日も始まりました、お昼の放送。お久しぶりですね。皆さんゴールデンウィークはいかがお過ごしでしたか~?』
それと同時に、若葉の拘束が解かれる。そして、率直な感想を述べた。
「なんていうか……ラジオ?」
「そうよ。私たち放送部は平日の昼休み、毎日放送をして生徒たちに学校のニュースやトレンドなどを楽しく伝えているの」
なるほど、と若葉は渋い表情を浮かべた。
「で、今日のニュースは転校生ってわけですか」
「そう! 察しが良いわね!」
伊達に転校を繰り返してきたわけではない。「察する」ということは、日々を無難に過ごす上で重要な技術だ。
「ちなみにうちの学校ってちょっと変わってて、昼の放送は全ての部屋、さらにはグラウンドにも放送しているの。まあ図書館や吹奏楽部や軽音楽部が練習する部屋は止められるんだけど、とにかくほとんどの生徒と先生たちがこの放送を聞いているのよ!」
彼女はふんと鼻を鳴らし自慢げに言い放ったが、若葉は強く眉をしかめた。それは落胆と憤怒を半分ずつ混ぜたような声で。
「最悪じゃないですか……」
「へっ?」
女子生徒は口をへの字に曲げ、呆けた表情を浮かべる。それとは対照的に、若葉の表情は厳しい。
全校生徒と教師がこの放送を聞くということは、絶対に失言をできないということだ。仮に自分の弱みを見せてしまえば、それからは常にそのことでイジられることになる。
つまり、自分史上最大のピンチを若葉は迎えていたというわけだ。
『今日はなんと、うちの学校に転校生がやってきました。私と同じ2年生です。嬉しいですね~。そして、なんと! 今日はこの放送にゲスト出演してくれることを許可してくれたそうです! わ~ぱちぱちぱち~』
拒否権のない出演に許可などあるものか、とツッコミたくなるが、今はそんな場合ではない。
この瞬間にも、ゲスト登場のタイムリミットが近づいている。若葉は振り返って逃げ道を探すが、屈強な五人の男たちに隙はなかった。圧倒的な筋肉の圧が、若葉に逃亡の気力を与えない。
「さ、入って」
だらだらと冷や汗が皮膚に浮かぶ。だが、どうしようもない。
いや、所詮ただの高校生のラジオだ。どうせ大したことは聞かれないだろう。適当に自己紹介をして、少しグダグダになって終わり。そんな展開が手に取るように見える。今までどれだけの学校行事を無難に過ごしてきたと思っているのだ。
『では、登場していただきましょう! 転校生です! どうぞ!』
こうなっては腹を括るしかあるまい。若葉は拳を握り締め、この窮地を乗り切ってみせることを心に決める。
自信半分、恐怖半分。そんな心持ちで若葉は放送室の少しだけ重いドアを開けた。
放送室の中は、ガラス1枚で二つの部屋に分かれていた。手前の機器を操作する部屋をサブコン(サブコントロールルーム)、奥のパーソナリティが入る部屋をブースと呼ぶ。
若葉は促されるままに、サブコンを通過してブースへと足を踏み入れた。
そこに座っていたのは、明るい笑顔が印象的な女子だった。一見ハーフのようにも見える白い肌。胸くらいまでの長さの艶のある黒い髪が特徴的で、大きな瞳にすうっと通った鼻筋。例えるならば、人形。今まですれ違ってきた生徒を見るに、神奈川県が特別レベルが高いわけではなかろう。とにかく「超」がつくほどの美少女が目の前に座っていた。
体は華奢だ。クリーム色の肩出しVネックニットから伸びる腕は簡単に折れそうだが、短く折ったスカートから伸びる足は細いというよりも締まっている感じ。
彼女はちょいちょいと正面の椅子を指差した。若葉はそこに腰を下ろし、マイクの電源が入っていることを確認して話し始める。
「……どうも、2年6組に転校してきました、割谷若葉です」
お、と彼女は目と口をまん丸に開くと、ぱちくりとその瞼を瞬かせた。
「わりやわかば君! 凄いね! 出席番号最強じゃん!」
「…………………」
いきなり目の付け所にクセを感じる。が、まあこの辺りはギリギリ守備範囲内だ。今まで個性的な生徒とも上手くやってきた。若葉は心を落ち着かせて対応する。
「そうなんですよ、どこに行っても出席番号は最後で」
ちなみに「割谷」は中国の姓である「王」には敵わない。だが、それを発言する意味も理由もない。
無気力気味な若葉とは対照的に、愛香は表情豊かに会話を繰り広げる。
「でも、私も負けてないんだよ! 私の名前は相内愛香! 今まで出席番号1番以外にはなったことないよ!」
愛香はえへんと自慢げに胸を張る。
あいうちあいか。確かに50音順でそれよりも前になる名前があまり思い付かないが、これも若葉にとってはクソどうでもよかった。
「私、このラジオ内ではアーニャっていう名前だから、割谷くんもアーニャって呼んでね。好きなプロレスラーはアントニオ猪木!」
ごほんと咳払いをすると、愛香はロリボイスへと声色を変えた。
「アーニャ、ローキックが好き」
「そんなアーニャいるかぁ」
しまった。
思わず反射的にツッコんでしまった。某人気漫画に登場する女の子のキャラクターにはまるで似合わないセリフと、微妙に似ている声真似が若葉のツッコミを引き出したのだ。
若葉は恐る恐る周囲の顔色を伺ってみる。すると、幸いその表情は柔らかく、それほどやらかした雰囲気ではない。放送室にいるのは全部で四人。愛香の隣には先ほどの女子生徒が座っており、もう一人男子がサブコンに座っている。おそらく二人とも3年生。
「おおっ! いいね! 前の学校ではツッコミ担当だったのかな⁉︎」
なぜかテンションが高揚している愛香。それをよそに、男子の方は無表情で放送機器を操作しており、女子の方は台本を指差して小声で「次」と指示を出していた。
「それでは早速コーナーの方いってみましょう! 転校生5秒クエスチョン! ばばん!」
テンションを落とすことなく軽快にトークを繋げる様は尊敬に値する。だが、今の若葉にそんな余裕はなかった。
「ルールは簡単です。私が立て続けに質問をしていくので、ぜんぶ5秒以内に答えてください!」
愛香は満面の笑みでそう告げる。美少女の笑顔を向けられても、この時の若葉の顔色は青ざめるばかりだ。
「(5秒! 5秒以内に当たり障りのない答えをしなければならないのか!)」
「それでは、いきますよぉ~。よ~い、すた~と~」
別に質問に答えられなくても問題はない。だが、あまりにも答えられずにつまらない奴と思われるのはこの先の学校生活がきつい。あくまで普通の学生にならなければいけないのだ。
可愛らしい笑顔の愛香と対照的に、表情を引き締めて集中する若葉。その戦いの火蓋が切って落とされた。
「どこから引っ越してきたの?」
「埼玉県の春日部!」
「趣味は?」
「本を読むこと!」
「前の学校での部活は?」
「帰宅部です!」
よし、問題ない。このまま最後まで突っ走る、と若葉は意気込んだが、ここから徐々に流れが変わり始める。
「自分のチャームポイントは?」
「………………は?」
愛香は手で「3・2・1……」とカウントダウンを始めている。
「ふ、普通なところ!」
「好きな女性のタイプは?」
「………………や、優しい人?」
「初デートに行くならどこ?」
「………………………………映画館」
「好きな女性の部位は?」
「…………………………………………手のひら?」
ここで、くっと愛香の隣の女子が吹き出す。どうやらこの女子が指示を出しているようで、さながら放送作家というところだ。若葉はふつふつと湧き上がる怒りを抑えつつ質問に集中する。
だが、次の質問でついに堪忍袋の尾が切れた。
「エッチだと思う食べ物は?」
「いい加減にしろぉ~~~~~~!!!!!!」
若葉の叫びが放送室にこだまする。おそらく放送の先ではキーンとハウリングを起こしていたことだろう。
「なんだこの質問は!」
愛香は額の汗を拭うようなジェスチャーを見せながら答える。
「いやあ、危なかったね~。この質問に答えていたら、放送の先が微妙な空気になっているところだったよ。うち下ネタ禁止だからさ」
「じゃあそんな質問するな!」
愛香は自分の責任じゃないと言わんばかりに、隣の女子生徒に視線を向けた。
「だってゴンズイ先輩が指示するんだも~ん。質問する私だってそれなりに恥ずかしいんだよ?」
「ご、ゴンズイ? 魚?」
「そ、権田瑞樹先輩で、権瑞先輩。可愛いでしょ?」
「…………まあ可愛いか可愛くないかで言ったら可愛いのかも?」
「可愛くないわっ!」
間髪入れずに瑞樹がツッコむ。おそらく今の声はマイクに拾われているだろう。
「まあまあ冗談はこのあたりにして、さっきの質問を少し掘り下げていきましょ~」
瑞樹の指示を受け、愛香は話を本題に戻す。
「あ、最後の質問、答えられなかったのでもう一度答えてもらっていいですか?」
「いや、お前はバカなのか? どこを掘り下げてるんだよ。焼け野原だよ、そこ。あっても地雷しかないよ?」
「冗談ですよ~。えっと、若葉さんは手のひらフェチなんですか?」
「ぶっ!」
若葉は思わず吹き出してしまう。これに関しては確かに自分が答えたことだ。神経を研ぎ澄まし、一番気持ち悪くない部位を選んだ結果、手のひらになってしまったのだ。後から考えると、逆に一番気持ち悪い答えな気がしてくる。
「いや、なんか手が綺麗な人って素敵だなって思うんですよ」
必死のフォロー。だが、もう若葉の思い通りに話は進まない。
「でも、答えは『手』じゃなくて『手のひら』ですよね?」
「(だからどこを掘り下げてんだ!)」
そんな視線を送っても無駄だ。このクソ放送作家は退かない。愛香は愛香で放送作家の言いなりだ。
しししと邪悪な笑みを浮かべて、愛香が問い詰める。
「女性の手のひらで何をさせるつもりなんですかぁ?」
瞬間、スパンと乾いた音が鳴った。
「えっ?」
「あっ」
自分自身ですら、遅れて気がついた。立て続けの無茶苦茶な質問に、溜まっていたものが爆発してしまったのだ。
そして、目の前にあった紙を丸めて、愛香の頭をシバいていた。
思いっきりいったわけではない。けれど、しっかりと音が鳴ってしまうくらいのシバきだった。
愛香はおでこの少し上を両手で押さえると、ぷるぷると震え出す。そして一時の沈黙の後で、何かが決壊したかのように発狂した。
「こ、こぉの人っ! 手を出した! お父さんにも叩かれたことないのに!」
「わ、悪かったって! べ、別に痛くはなかっただろ!?」
「痛くなかったから逆になんかムカつくのぉ~~~~~~‼︎」
うがーっと白目を剥く勢いで、完全に我を失う愛香。それを見た瑞樹は、愛香からマイクを奪い取って冷静に告げた。
「それでは、音楽いきましょー。『サザエオールスターズ』で『身勝手にジャンヌダルク』、どぅぞ~」
□ □ □
ぐったりとして若葉は放送室を出た。そのままとぼとぼと2年5組の教室へと向かう。
『先ほどは取り乱してしまい、申し訳ありませんでしたぁ……』
放送では反省したような愛香の声で謝罪の言葉を述べている。結局、曲が流れている時間4分を費やし、なんとか愛香をなだめることに成功した。放送室を出る最後の瞬間まで睨まれてはいたし、まだ根に持っているような声色だが。
ぐうと腹の音が鳴る。そういえば昼食を食べていない。どこかの放送部のせいだ。
若葉は落胆した様子でスライド式のドアを開けて教室に入った。すると突然、数名のクラスメイトに囲まれる。
「割谷、面白かったよ~」
「はっ?」
待っていたのは、まさかの称賛だった。全く状況が理解できない。
「みんな爆笑してたぜ~」
「いや、俺はただあいつらの無茶苦茶に付き合わされただけで……」
「いや、それが凄いんだって。普通、あの無茶振りに付き合い切れずにグダグダになるんだよ」
「嘘だろ……」
つまらない奴と思われないために必死になったのが、完全に裏目に出てしまったらしい。
「しかもな、アーニャは前回の放送の時に豪語してたんだよ。『ゴールデンウィーク明けには転校生が来るから、その人の恥ずかしい面を丸裸にしてやる!』ってさ」
「『私が今までに鍛え上げたトークスキルで圧倒する』とかも言っていた気がする」
愛香がそんな風に息を巻いているのは容易に想像がついた。それにしても、「アーニャ」というニックネームは相当学校に浸透しているようだ。
「そしたら、まさかの反撃に遭ったって感じだよな」
「まあ、それが物理攻撃だったのは笑ったけど」
クラスメイトは楽しそうにケラケラと笑っている。人の気も知れずに、と若干ムカついた若葉だったが、
「今日は神回ってやつだな」
満面の笑みでそんなことを言われると、なぜだかそんな嫌な気持ちは吹っ飛んでいた。
「(なんだ、これ……)」
モヤモヤとしたものが足元から湧き上がる。その正体は分からないまま、結局昼食を食べる時間もなく昼休みが終わった。
うむ、やっぱり放送部はゴミだ。
* * *
それから1週間、それはそれは平和な日常だった。クラス内での立ち位置はちょうど真ん中くらい。時々無茶振りみたいなものが飛んでくるが、無難に返して小さな笑いが起こる程度。前の学校ではほとんどクラスメイトとは話さなかったので多少放送の影響はあるようだが、このくらいなら問題はない。
昼休みは本を読むために図書室へ行く。昼食はみんな昼休みの前の休み時間に食べているから、それに合わせることにした。
やはり普通が一番だ。初日はイレギュラーがあったが、若葉の思い描いていた学校生活がようやく始まったのだ。
けれど、何かが心の奥に引っかかっていた。奥歯に食べ物が詰まって、爪楊枝を使ってもなかなか取れないような歯痒さ。
その正体は、月曜日の放課後に明らかになる。
いつも通り授業が終わり帰ろうとした矢先、背後からとんとんと肩を叩かれた。
振り返った先にいたのは、アーニャこと相内愛香だ。一週間前、出会った日に頭をシバいてしまったせいで目が合わせづらい。とりあえず、謝っておいた方がいいだろう。
「あの……、この間は悪かっ――」
「この間はごめんなさい!」
若葉が謝ろうとした直前、愛香は勢いよく頭を下げた。
「あの日はちょっと調子に乗り過ぎちゃったなって思って……。あんなにしつこくされたら嫌に思うのは当たり前だよね……」
先日とは打って変わってなんだかしおらしい。こうしていると、ただの美少女だ。思わず若葉の両頬が赤く染まる。
「い、いや、俺も頭叩いて悪かったよ。ほんとごめんな」
ふるふると頭を左右に振ると、ニコッと笑った。なんだそれ可愛いな、と思わず息を飲む。
「じゃあこれでこの件は水に流そうね」
「ああ」
頷いて、動きを止めた。
この件は?
「それで、今日の件なんだけど、今からちょっと部室に来てくれないかな? 帰宅部だよね? じゃあ大丈夫だね」
「ちょ、ちょっと待て」
ダメだ。やっぱりこの子は少し変わっている。一向に話を聞かない愛香を見てそれを実感した若葉は、ここで我に帰った。
「あ、先輩からも一言あるよ。『またラグビー部を出動させるようなことはしないでね♡』って」
ああ、あの時と同じだ。
若葉にはもう、選択肢が一つしか残っていなかった。
□ □ □
「お、来たね。転校生」
不敵な笑みを浮かべて待っていたのは、無茶振り放送作家だ。名前は権田瑞樹。通称、ゴンズイ先輩。
「だから言ったでしょー。愛香が可愛いーくお願いしたら、ひょこひょこついて来るって。こいつバカだからさぁ!」
「帰ります」
「冗談冗談マイケルジョーダン」
どうしようもないボケを無視しつつ、敵対心を剥き出しにして若葉は告げた。
「何か……用ですか?」
それを見た瑞樹は、別人のように真剣な表情に変わった。若葉を凝視し、声のボリュームも落とす。
「単刀直入に言うわ」
瞬時に緊張感が張り詰める。ごくりと息を飲む若葉。彼女はゆっくりと口を開いた。
「あなた、放送部に入りなさい」
「…………………………………………はっ?」
長い沈黙の末にようやく理解が追いつく。彼女は、若葉を放送部に勧誘しているのだ。
「意味が、分かりません」
「これを見て」
瑞樹が差し出したのは、紙束。全部で50枚はありそうだ。その内の1枚を恐る恐る手に取ると、若葉は驚きのあまり目を見開いた。
「これは全て先週の月曜日の反響よ。ぜひまたあなたと愛香の掛け合いを聞きたいというね」
全て手書き。まるでリスナーの声がそのまま聞こえてきそうなほどに、心が詰まっていた。黙って紙に目を通す若葉をよそに、瑞樹は続ける。
「私たち放送部のモットーは、『全校生徒にささやかな幸せのひと時を送る』ってこと。昼休みっていう短い時間だけども、少しでも笑ったり、友達との話の種になって欲しいと思ってやっている」
だからね、と続けた瑞樹は強い眼力でもって言い切る。
「ぜひ、リスナーの期待には応えたいの。その協力をしてほしい」
そう言って、瑞樹は深々と頭を下げた。その姿にふざけた様子は全くない。ただ一つのことに真剣な人間の姿だ。
一方、若葉の心にも揺れる思いが募っていた。
放送の直後のクラスメイトの溢れんばかりの笑顔。ただの高校生の昼の放送なのに、そこには何か強い魔力があった。
そして、火曜から金曜までの4回分、昼の放送を聞いた。図書室で静かに勉強や読書をしたい人もいるだろうに、迷惑にも放送が流されているから。
そして、確かにそれは面白かった。愛香の目の付け所は変だが、瑞樹の無茶振りに対しては思わぬ切り返しを見せたりして。あまりにも豊かに感情を表現するものだから、耳からの情報だけで彼女の表情まで思い浮かんでしまう。
ずっと心の奥底でモヤモヤとしていたものはこれだ。
言葉にならない眩しさが、若葉の体内でくすぶっている。
でも、と若葉は下唇を噛んだ。
「俺は、転校が多いんですよ。きっと卒業までは一緒にいられないし、もしかしたら数ヶ月で転校、なんてことになるかもしれません。だから、部活に入るつもりはないんです」
親密になればなるほど、別れるのは辛いから。その言葉はぐっと飲み込んだ。
だから若葉は今まで人を遠ざけてきた。いつでも別れられる距離を保ち、安寧な生活を維持してきたのだ。
自分の周りに塀を作り、簡単には踏み込ませないように。
「俺が今放送部に入っても、きっと迷惑をかけてしまいます」
瞬間、ずっと黙っていた愛香が言い放った。まるで溜めていたものを破裂させるように。両拳を上に高く伸ばし、透き通るような美しい響きの声で。
「うるせェ! やろう!」
有名漫画のセリフ。若葉だって大好きなワンシーンの一つだった。
「……なんてねっ」
愛香は舌を出して、にこりと笑う。見惚れるように若葉は愛香の姿から目を離すことができない。それにね、と前置きして愛香は続けた。
「一緒にいられる時間が少ないなら、それだけ濃い時間を過ごせばいいんだよ」
実に軽やかに。実に悠々と。
愛香はその塀を簡単に飛び越えてきてしまった。
別になんてことはない言葉。だけど、この時の若葉にはなぜか響いてしまっていた。
「転校が多いなんてさ、言い訳にするのやめなよ。別れが多いってことは、それだけたくさんの出会いがあるってことじゃん。もしその全部で濃密な時間を過ごせたら……、それって最高だと思わない?」
若葉にゾワっと鳥肌が立った。けれど、それはすぐに愛香の声が全身の皮膚から浸透していくような感覚に変わって。
「もし別れの時が来たとしても、私は絶対に寂しいとか言わないからね」
ふんっと言った愛香は、最後にパッと弾けるように笑って、手を差し出した。
「やろうよ、一緒に」
若葉は無意識のうちに、その手を握っていた。なんだか漫画のワンシーンみたいで。それがおかしくて、若葉の口元も緩む。
「愛香、気をつけなよ。そいつ手のひらフェチだから」
「「っ‼︎」」
バッと手を振り払う二人。その横では、瑞樹がにやにやと邪悪な笑みを浮かべていた。
「どう? 愛香の手のひらは堪能できた?」
「こ、こいつ!」
沈黙していた愛香は自分の手のひらを守りながら、わなわなと震えて叫ぶ。
「へ、変態‼︎」
「だから誤解だって!」
瑞樹は「そういえば……」と左の手のひらに右拳を軽く叩いた。ひらりと舞うように立ち位置をずらすと、瑞樹の後ろにいた男子が現れる。放送中ずっと放送機器を操作していた人物だ。まあ彼の方が身長は高いので最初から見えてはいたのだが、一言も発さないため、まるでいない扱いで話が進んでいた。
「こいつの自己紹介がまだだったわね。彼は放送部の副部長、平田忠信よ。あだ名はヒラチュー。普段はディレクターをやっていて、彼の得意分野は情報収集ね」
「よろしく、割谷くん」
瑞樹の背後にいた細身で長身の3年生が静かにピースを作る。彼の茶色の短髪は重力に反したカーブを描いており、強めの天然パーマであることが窺えた。目は少し細めだが、よく見るとシュッとしていてイケメンだ。理知的な印象で、先日の放送でもずっと黙って機器の操作をしていたし比較的無口な人なのだろう。
「よろしくお願いします、ヒラチュー先輩。ヒラチューって、なんか可愛いですね。ピカ◯ュウみたいで」
もしかしたら唯一の常識人かもしれない、と期待が膨らむ。
「ちなみに情報収集って……」
「ヒラチューが校内のことで知らないことはないわ!」
「流石にそれは言い過ぎでしょ」
若葉のバカにしたような視線を見て、忠信は静かに答えた。
「まあ、各部活の弱みを握っているから、どの部活も僕の言うことには逆らえないくらいには詳しいかな」
「……………………?」
若葉は言葉を失う。そして、以前の記憶と繋がった。
転校初日には五人の大男たちに抱えられて放送室に連行された。そして、彼らが若葉を持ち上げる時に言った「許せ、仕方がないことだ」という言葉。さらに、先ほどの愛香の発言。
『またラグビー部を出動させるようなことはしないでね♡』
要は弱みを利用してラグビー部を無理やり働かせていたということらしい。
つまり、彼らも被害者だった。それだけで同情の余地しかない。
「僕の調査によると、若葉君は普通に女の子の胸が好きみたいだけどね。それも巨乳好き」
「ど、どこでそんなこと調べた!」
「ひ、否定してない! 変態‼︎」
今度は胸を守るように押さえて、愛香が罵倒の言葉を放つ。
「いや、あんたは守る胸ないでしょ」
「ぐふぅ!」
瑞樹の針のような――いや槍のような一言が愛香を串刺しにする。愛香は無表情で、お経を読むように「私はスレンダー。私はスレンダー」と同じ言葉を唱え始める。
そしてはっきりした。いや、否が応でも分からせられる。
この放送部には、変な奴しかいないということを。
ふっふ~んと瑞樹は両手を腰に置き、小さい体を存分に大きく見せて言い放つ。
「そして私が! 圧倒的放送部部長、権田瑞樹よ! みっちゃん先輩と呼びなさい!」
「分かりました、ゴンズイ先輩」
「そうそう、私の名前はゴンズイゴンズイ……、っておい~っ!」
瑞樹のノリツッコミが、冷ややかに放送室に響く。
「ゴホン、取り乱したわね。最近は放送作家みたいなことをしているわ。まあ、放送作家と言っても流れを作るくらいでトークとかは基本自由だけど」
ようやく平静を取り戻した愛香が、あっと思い出したように口を開く。
「若葉のこと、なんて呼ぼうか。ほら、ラジオのパーソナリティする時にはあだ名の方が呼びやすいし。わりやわかば、う~んなんかいいのあるかな」
瑞樹はそれほど興味を示さず、冷めた雰囲気だ。
「ん~、なんでもいいよ。あだ名ってどんな名前でも何回か呼べば慣れちゃうから。ほら、アーニャも最初は変だったけど慣れちゃったし」
「え! アーニャって変だったんですか⁉︎」
「変でしょ。相内愛香の『あ』しか関係ないし。せめて愛菜とかだったらアーニャでも分かるけどさ」
「え~っ!」
「アイアイの方が良かったんじゃない?」
「お猿さんじゃないですか! 嫌ですよ!」
それから話は若葉のあだ名に戻る。頭を悩ましていた愛香と瑞樹に、忠信が助け舟を出した。
まあ、若葉にとってはとんだ泥舟だったのだが。
「以前の学校では、『草』って呼ばれてた時があったよね。割谷若葉をイニシャル表記すると『ww』だし、若葉って大きく括ると草だから」
「なんでそれを知っている――‼︎」
愛香と瑞樹は堪えきれずに吹き出す。まあネットスラングで「笑」を表す「草」は、普通あだ名にはならないから当然ではあるが。
「『草』⁉︎ それは草生えるよ~!」
「決まりー‼︎ 若葉のあだ名は『草』ねー‼︎」
「ちょっと待て! 『草』なんて名前のラジオパーソナリティがどこにいる!」
若葉の必死の叫びも届かない。
そして、胸の中で確信する。
この学校では、安寧など二度と来ないのだということを――
幕間
『『今日もあなたに、ささやかな幸せのひと時を!』』
『さあ今日も元気にやっていきましょ~。皆さんいかがお過ごしでしょうか? パーソナリティのアーニャで~す』
『草でーす』
『…………最初は嫌がってたのにさ、もうすっかり草ってニックネームに慣れちゃったよね。結構自分で気に入ってるんじゃないの?』
『ふざけるな? 人の話を全く聞かずに決めやがったくせに』
『そんなことよりさ、聞いた⁉︎ 凄い失礼な噂が流れているんだよ!』
『そんなことよりって……しかもテンション高いな。何? 失礼な噂?』
『そうそう! なんかね、世界史の中村先生って実はカツラ――』
『うおおぉい!』
『む、むぐうぅ!』
『え~、少々お待ち下さい。アホを矯正しますので』
『ちょっと何するの! 私は変な噂が流れているからそれを訂正しようと――』
『(スパンッ)』
『痛ったあ! あんなにふさふさなのに!』
『では、お手紙読みまーす。ペンネーム『リア充爆撃部隊副隊長』さんです。ありがとうございまーす』
『くうぅ。あざます……』
『え~と……? いつも思っているのですが、放送でイチャイチャするのやめてください……マジ公害です。マジてえてえっす……』
『てえてえ……って何?』
『なんか『尊い』の言い方を変えたネット用語だったかな』
『あ~なるほどね~って、てえてくないよ! さっきの音聞いたでしょ!? この人、本気で叩いてるんだよ!』
『それは被害者のためを思ってだな……』
『っていうか、こんな投稿選ばないでよ! ゴンズイ先輩!』
『そうだよゴンズイ』
『ゴンズイ言うなあ! あとせめて先輩をつけろぉ!』
『……え~少々放送室が荒れておりますので、曲の方行きましょうか、お願いしますヒラチュー先輩。リア銃爆撃部隊副隊長さんからのリクエストで、『マヨネーズ剣士』の『mikan』、どうぞ』